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07.皇帝陛下の健康生活
しおりを挟む皇帝陛下は、最近、就寝時間が早い。
とはいえ今まで『ほぼ明け方』に眠っていたものが『深夜』に変わったくらいなので、劇的に睡眠時間が改善されたと言うことはないだろう。
改善されたのは、熟眠度だ。
今までは、寒さに震えて夜中でも何度も起きていたものだが、ここのところベッドに上がると、すぐに寝入ることが出来て、その上朝になってから「起床時刻でございます」と身体を揺り動かされるまで、全く起きることがない。
おかげで、最近血色が良くなり、頭の回転も良くなってきたように思える。そのおかげで、機嫌も上々、仕事もはかどる、今まで面倒で放置していた類いの仕事がするすると決まっていき、家臣たちも、にこにこしている。
今、城の中で苦虫を噛みつぶしたような顔をしてふてくされているのは、リリア一人だ。
昼間のリリアは、正直やることがない。一応、『皇帝陛下私室付』の侍女となっているが、その役割としては『居れば良い』というものだ。
ガルシア卿に言ったところ、
「やることがないならそれでいいじゃないですか」
と笑われたが、陛下の側から離れないように、というのだけは厳重に注意された。
先日、自宅に戻ったときも、実はあとでこってり怒られた。皇帝陛下は、たまにはいいだろうという言い方で庇ってくれたが、それでなければ、ガルシア卿に監禁される勢いだった。
しかたがないので皇帝陛下の私室、常に影のように付き従い、部屋の端で立っている。
と、皇帝陛下が、こほん、と小さく咳払いをした。
何か用があるののかと思って、近くへ寄り、「御用がございましょうか」と声を掛ける。窓を背にした執務机の所までくると、すぅっと空気が冷えているのが解った。ガラス窓は明るいが、寒いのが難点だ。
「いや、何でもないよ」
そう言いつつ、皇帝陛下は、両手をもみもみともみほぐしている。疲れているのかと思ったら、これは違う。
「お寒い、のですか?」
「えっ?」
ぱっ、と皇帝陛下の顔が輝く。わかりやすい。リリアは、少々ためらいながら、「どうぞお手を」と皇帝陛下の手を取る。氷のように冷たかった。
「暖かい……」
アイスブルーの瞳が、心地よさそうに細まる。
「本当に冷え症なんですね」
「そうなのだ……」
小さくため息を吐きつつ、皇帝陛下は、リリアの手を頬に持っていく。頬も、ずっと外で寒気に晒されていたのではないかと思うほど、冷え切っていた。
「あの、陛下。そろそろ、離して頂けませんか? ご来客の予定があります」
部屋付の侍女としては、一応、来客の予定くらては把握している。そして、来客があれば、茶の支度くらいはする。
「もう少し」
皇帝陛下はリリアの手を、ぐい、と引いた。
「わっ!」
バランスを崩して、身体が傾ぐ。それを、皇帝陛下に抱き留められる。そのまま、ぎゅっと抱きしめられている。いつの間にか、膝の上にのせられてしまっているので逃げようもない。皇帝陛下に抱きしめられることについては、慣れてしまった。慣れてしまったこと自体は、どうしたモノかと思うが、一応、事実だけに仕方がない。ただ、夜の皇帝陛下より厚着なのは助かる。昼の皇帝陛下は、夜の夜着一枚より大分厚着だ。夜とは違う香水の香りはする。近くに寄らなければ解らない程度のものだが、包み込まれている感じになるのが困る。
「あの……」
「もう少し。……ああ、リリアは暖かい……」
リリアの暖かさを堪能している皇帝陛下に、何を言っても無駄だ。やることはないが、時折こうして抱きしめられるという困った職場だった。
(こんな時ガルシア卿でも来て下されば……)
仕事を真面目にやってくださいとでもいってくれそうなものだが。小さくため息を吐いたのを、皇帝陛下は見逃さなかった。
「リリア?」
「あ、いえっ! 大丈夫です。ええ、大丈夫です……それよりそろそろ、執務にお戻り下さい。陛下」
陛下、と呼ぶと、皇帝陛下は露骨に悲しそうな顔をした。一体、こういうことをどこで学んでくるのか、捨てられる子犬のような、縋り付くような眼差しだ。
「名前を、呼んでくれる約束では?」
「契約!」
すかさず、リリアは言い返す。確かに、『契約』では、その条項が入っていた。抱きついても良い、朝食は一緒に食べる、名前を呼ぶ……。というようなものだ。
「では、ちゃんと呼んでください」
しかし、皇帝陛下の名前を呼ぶというのは心臓に悪い。仮に、皇帝陛下でなかったとしたら、大分年嵩の男性を呼び捨てにするということだ。それもヘンだろう。
「アデルバードさま」
「うんうん、何だい、リリア?」
満面の笑顔を向けられて、リリアは、胃が痛くなってきた。
「執務を」
顔に浮かんでいた笑顔が、雲散霧消する。
「リリアは、私に、少しの休憩も許してくれない……民のためを思えば、身を粉にして働くべきだけど、私も、少しくらいは休憩と癒やしが欲しい」
涙目になって訴えられ、リリアは「ぐっ」と詰まった。
「まあ……じゃあ、二人ですこしお茶をするくらいはいいよね」
勝手に決めて、皇帝陛下は、部屋の外に居る侍女たちを呼ぶ。慌てて膝の上から抜け出しそうとしたが、皇帝陛下はお構いなしだった。そして、侍女たちも、この光景には慣れてしまっているため、いちいち、反応もしなくなった。お茶の支度を命じて、程なくして、お茶が運ばれてくる。いつ如何なる時も、すぐに出せるように用意されている。多忙な皇帝を待たせないための工夫だが、贅沢なことである。
かぐわしい香りの紅茶が二人分用意され、小菓子も付いた。バターをふんだんにつかった甘い焼き菓子など、今まで食べたこともなかったが、さっくりした食感といい、夢のように美味しいものだった。
「はい。リリア」
皇帝陛下が、指でつまんで小菓子を口元に差し出す。
「えっええっ……っ!」
「食べて」
笑顔の圧が凄い。しかし、手ずから小菓子を食べるのは、相当恥ずかしい。
「い、いえ……ご遠慮……」
「さっき、名前呼んでくれなかったから。その分」
うっ、とリリアは唸る。そう言われると、弱い。なにせ名前を呼ぶことは、『契約』事項なのだ。減給されるよりは、小菓子でも食べた方がいくらか気分もマシというものだろう。
仕方なく口を開ける。すると、嬉しそうに小菓子を口の中に入れてくれる。ほんの少し、皇帝陛下の指が、唇に触れて、びくっと身体が跳ねてしまった。
「美味しい?」
「はい」
答えたものの、じっくりと賞味している余裕はない。
「あの、アデルバードさま……」
そろそろ下ろして頂けないだろうか、と訴えようとしたとき、ノックもなしにドアが開いた。
「陛下ーーーーっ!!」
ガルシア卿がものすごい勢いで乱入してくる。後ろには、貴族のご令嬢らしき麗しい姫君たちが、ずらりと並んでいた。
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