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12.甘い薫り
しおりを挟む気が付けば、国家存亡の危機の運命を担わされたということに眩暈を覚えながら、リリアは、皇帝陛下を待つ。
最近、皇帝陛下は、帰りが早い。
皇帝陛下曰く、『しっかり眠った方が、仕事がはかどる』ということらしく、膨大な仕事を、スッキリ片付けて就寝するということだった。
「陛下のお成りでございます」
侍女が告げて、扉がひらく音がする。
ほどなく、皇帝陛下がやってくる。その間も、リリアは、ベッドの上だ。
「リリア」
蕩けそうなほど、皇帝陛下の声は甘い。その、甘い声音に、慣れていることに、ぞっとしつつ、リリアは、皇帝陛下を招き入れる。
「ああ、暖かい。リリアのぬくもりだ」
皇帝陛下が目を細める。氷のような美貌が、雪消を迎えたように、柔らかくなった。
そっと、皇帝陛下がリリアを抱き寄せる。
お互い、薄い夜着一枚で、身体が密着する。暖かな、身体だった。しっかりと筋肉がついた逞しい肉体が、生々しい。
(あら……?)
皇帝陛下は、いつも湯浴みをしてからここへ来る。その際に、肌を整える為に、化粧水と香油を使っていたはずだが、いつものものと、薫りが違う。
(だいぶ、甘い……甘くて、くらくらする)
皇帝陛下の大きな手は、冷たい。その手が、ぬくもりを求めるのとは違う確かさで、リリアの身体をなぞっていく。
「っ! 陛下っ……っ!」
けれど、リリアは、皇帝陛下に抱きしめられたままだ。
腕から、逃れることは出来なかった。
「……リリア」
甘く、耳元に名前を囁かれる。国中の姫君が、この甘い囁きに、胸をときめかすだろう。
けれど、リリアは、恐ろしくて、寒気がした。
(怖い……っ!)
リリアの身体を抱きしめて、慈しむこの皇帝陛下が、見知らぬ人のように思えて、恐ろしかった。
「……っ!」
必死に、皇帝陛下の厚い胸を押し返そうとする。ジタバタと暴れる内に、皇帝の脚が、リリアの素足に巻き付いて来た。よく解らない感覚が、全身を駆け巡る。嫌悪感のような、震えのような。訳が分からなくて、混乱して、遮二無二、リリアは暴れる。
「っ!! ……っお、お止めさいっ……っ!」
手を払ったら、ぴしゃり、と皇帝陛下の頬を打ってしまった。
「あっ……」
皇帝陛下は、ふと、動きを止めた。リリアが打った頬を、手で押さえた。それほど、痛かったとは思わない。けれど、皇帝が、頬を張られるとは思わなかったのだろう。
「そ、その……もうしわけ……っ」
寝台から降りて、床に額ずこうとしたリリアを、皇帝が制する。
「いや、よい……私のほうが無礼を働いた。……済まない」
皇帝は、今までリリアが見たことがないほど、冷め切った眼差しをしていた。声も、感情を失ったように、抑揚がない。
「……あの、陛下……」
皇帝陛下は、しばし、黙っていた。耳が痛くなるほどの静寂ののち、皇帝陛下は、小さく、告げる。
「今日は、余所で眠るよ」
「けれど、陛下……」
皇帝陛下は上体を起こした。リリアもそれに続く。皇帝が、リリアを見て、ハッとしたように視線を外した。
「そなたは、しばらく、一人で眠りなさい」
「けれど、……陛下……」
ゆたんぽがなければ、眠れないのでは……? そう、問おうとしたが、出来なかった。
「……今日は、君の姿が、目に毒なんだ」
「けど、一緒にお休みになるだけですから、別に、私がどんな格好でも……」
格好、と言われて、そういえば、今日の夜着も、カミラ嬢が特別に用意してくれた、肌を透かせるほどの薄いものだったことに思い至って、恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
「今日は、押さえが聞かなさそうだ……済まない。障りがある」
微苦笑した皇帝陛下は、今まで見たことのないような、表情をしていた。困っている。というのが一番近いだろう。
「陛下……? 障り……とは?」
皇帝陛下は、特に何も言わなかった。そのまま、寝台を降りて、部屋を出て行ってしまった。その、何を問うことも許さないような後ろ姿を見た時、リリアは、胸が締め付けられるように、きゅう、と痛むのを感じていた。
(……陛下、なんで……?)
一人残されたリリアは、どうして良いか解らなかった。
皇帝の言葉を、思い出す。
押さえが聞かなかった、と皇帝陛下は言った。それは、リリアに欲望を向けたことを言っているのだろう。確かに、リリアも怖かったし、イヤだった。皇帝陛下と、そういう関係を持ちたいとは、思ったことがなかった。
だからこそ、この『ゆたんぽ係』という仕事が出来たとのだと思う。
だが、皇帝陛下は、リリアにそういう感情を向けた、ということだろう。
皇帝陛下が、平民のリリアに手を付けても、別に、誰からも咎められないだろう。だが、それを、皇帝陛下は是としなかった。
(私が、嫌がったから……よね)
確かに、怖かった。
けれど、皇帝陛下の後ろ姿を見たあと、胸が締め付けられるように、苦しくなった。
いまも、皇帝陛下のことを考えると、胸が痛む。
(今頃、どこでお休みなのかしら……)
一人で、冷え切った身体で、凍てついた寝台の上で眠っているのだとしたら、それは、悲しい。
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