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第2部 迷宮研究家は招かれる

氷雪公女

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何度来ても、この迷宮の第七層は快適とは言い難い。
氷の湖から発せられる冷気は、いくら着込んでも毛皮も布地も透過して、肌に直接食い込むよう。
さらに耐え難いのが、氷の鳴る音だった。

湖はほとんどが氷でできている。
ただそれは一つには固まらずに、一抱えもある氷の塊が常に回転するように、して渦を巻いて動いている。
それが、互いにぶつかり合い、軋み合う音が凄まじい騒音となって、訪れる者の耳を責めつける。

顔を近づけないと会話すらできない。

一定時間以上、滞在するには、耳栓が必要だろう。
 
わたしは、五人分の耳栓を一応、用意はしてきたが、前述のような事情でとりあえず使うのはニ人分である。

紫檀草が咲くのは、湖水のほとり、大きな岩が張り出しているそのちょうど増したの部分だ。
地面も岩肌で、そこがあちこちひび割れている。
そこに一定の時間のみ咲くのが紫檀草であった。

普段は影も形もない。
芽が出て成長し初めて、花を咲かせるまでわずかに1時間。
枯れ果てて朽ちるまでが2時間半。その間に採取しなければ意味がない。

・・・・
そしてその花を乾かしたものに他の薬草をませたものを煮出して、半年ばかり寝かせると・・・
頭痛、鼻水、くしゃみ、咳・・・などに効く万能薬となるのだ!
ゆえに、これを採取しようとするものは極めて少ない!!
この層にはほかに採取できる植物や、氷の中に住まう凍藻などけっこう、値のつくものが多く、「ついでに」紫檀草も採取されているにすぎないのだ。

そして・・・ここには滞在時間のタイムリミットが存在する。
S級のモンスターである氷雪公主は、基本的に4人以上のパーティの前には姿を表さないが、それでも3時間。それ以上の滞在を決して許さないのだ。

一方で紫檀草の咲く時間は、一日のうち約2時間半。
オーバーハングした崖のしたに咲く紫檀草が咲いたかどうかは、七層に降りない限り確認はできない。
前もって、紫檀草の咲く時間がわかれば。

わたしは、ガラスでできた筒を何本か取り出して、岩のまわりにセットし始めた。

「なんですか? それ。」

“蛙”はいまはモールだ。興味深そうにわたしの道具を眺めている。

「魔素を図る装置だ。紫檀草が咲く時期と魔素濃度は関係してるんではないか・・・」

「え? そうなんですか?」

「・・・という仮説に基づいてこれから計測をはじめようと思う。あとは待つだけだ。紫檀草が咲くのを。」

あきれられた。
学者=変人。
わたしに関してはあてはまっている気がする。

「・・・いつまでこうしてるんです?」

湖の氷はぎしぎしと音をたて、時折、轟音をあげて砕け散る。
氷の破片はここまで飛んできた。
これが、けっこう痛い。

冷気がいっそう強くなり、わたしはコートの襟を合わせた。

「紫檀草が咲くまで。またはタイミリミットの3時間がすぎるまで、だ。」

「すいません。」モールは頭を下げた。「それはわたしたちがちゃんとした4人パーティだった場合です。わたしたちが交替でひとりしか現れない以上、ここは実質2人のチームとしかみなされないでしょう。」

「それも仮説だな。立証する必要がある。」

「命をかけても、ですか?」

「そうだな。命を粗末にする気はない。だから3時間より前にここは撤収する。だがそこまでは粘るつもりだ。」

「無茶です。」モールの顔色の悪さは寒さのためばかりではない。「氷雪公主がでたら、逃げる間もなく引きずり込まれます。」

モールが指さした湖には、無数の氷が大きな渦を描いて回転している。

ぎしぎしぎしぎし

ごおんごおんごおん。

氷雪公主は精霊の一種とされている。一応人間の女性のフォルムをもっているが、会話に成功した事例はない。
そもそも知性をもっているのかも定かではなかった。

なんでそんな知識があるのかって?
実際に、氷雪公主と対峙して、生き残った者たちが情報を持ち帰ってくれるのだ。
S級モンスターがいるように、人間のパーティにだってS級があるのだよ。例えば、かつての『狼と躍る』のようにね。
そう、ルークのいたときの『狼と踊る』のような。

「撤退しましょう!」
青ざめてそう言うモールなのだが、すでに、ちゃっかりと、価値のありそうな薬草や鉱物を収納袋いっぱいに確保している。
つまりモールたちについてはこの冒険はすでに収支があっているのだ。仮にわたしの成功報酬がなく、違約金をとられたとしても。

そうは問屋がおろすかっ!

わたしは意地になりすぎたのかもしれない。
湖を包む霧が急速に濃くなっていった。
それは、氷雪公主登場の前触れ。

そして、ここから逃げ出してももう遅い。

わたしたちがいる張り出し岩側の岸の近くに特大の氷の塊が浮かび上がった。

なるほど。わたしはもうひとつの検証をはじめなければならない。かなり命がけの検証になるにであまり、したくはなかったのだが。

「モール、ドルモを出してくれ。」

「ど、どうするんです?」

「オークの群れを蹴散らしたドルモの爆炎魔法は、氷雪公主にも通じるはずだ。
蜂のコマンダーを一刀両断したルモウドの剣技も。
きみたち、ひとりひとりはS級に匹敵する能力がある。」

「でも、同時には出現できないんですっ」
モールの声は悲鳴に近い。
わたしは、フラスコを指に挟んだ。

氷雪公主はその特性から炎と爆発を嫌うはずだった。
フラスコのなかには、爆発しやすい試薬が含まれている。氷雪公女は、こちらを誘うように手をあげた。彼女をつつむ氷塊が砕けよみにも恐ろしい叫びをあげながら、氷の魔物はわたしたちに近づく。



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