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瞬が傷つくのは僕のせいだ。僕さえ居なければ、きっと。1
しおりを挟む「瞬は、行きたくないと言っています!」
ひとけのないテレビ局の廊下で、僕らを助けてくれる人間はいない。
僕は、咄嗟に瞬を背中に庇い、決死の覚悟で雪那の前に立った。
「瞬が自分の意思であなたの元に行きたいと言わない限り、行かせるわけにはいきません。僕は全力で瞬を守ります」
アルファの気迫の圧倒されながらも、宣戦布告のつもりで絞り出した言葉は、「ふっ」と鼻で笑われて、あっさり流された。
雪那は僕の体が透けて見えているかのように、僕越しに瞬を見ている。
「ねぇ瞬くん。ついてこないと、後悔することになるよ」
僕の言葉など聞こえていないかのように、雪那は僕の後ろの瞬に声をかけた。
まるで、聞き分けの悪い子供を揶揄うような、軽い調子で。
「瞬くん、いいの?……君は悠くんを守りたいだろう?」
「なっ、悠に手は出すな!」
カッとなったように僕の前に出てきた瞬は、雪那の視線に一瞬怯むが踏みとどまり、グッと睨み返した。
「悪いけど、そんな約束は出来ないなぁ。だって俺、瞬くんが欲しいもの」
「ふざけるな!」
楽しげに唇を歪める男からは、ぶわりとフェロモンが匂い立つ。
立ちのぼる濃い香りに、ふらりとよろけかけた瞬は、けれど、ぐっと両足を踏みしめて顔を上げた。
「悠を傷つけたら許さない!……悠は絶対に僕が守る!」
真っ直ぐ相手を射抜く瞬の眼差しに、雪那は満足げな笑みを浮かべ、頷いた。
「あはは、そうこなくっちゃね。……今日はこの辺にしとくよ」
雪那はやけにあっさりと引き下がり、軽やかに笑う。
そして、瞬を見て、まるでとても楽しい約束を交わすかのように声をかけた。
「じゃあ、瞬くん。楽しみにしているね」
「は!?何がだよ!」
「そりゃあもちろん」
脈絡のない言葉に瞬が噛み付けば、雪那は笑みを深め、こちらに向けてウインクを寄越した。
「君が俺の元へ駆け込んでくるその時を、さ」
遊び慣れた男が、今夜の相手に送るような、色めいた流し目。
オメガを屈服させることに慣れた男の、容赦なく垂れ流される濃厚なフェロモン。
雪那の存在そのものが、僕らを圧倒し、必死の抵抗を嘲笑う。
「俺のいる場所へ、君はいつでもフリーパスで通れるようにしておいてあげるから、安心するといいよ」
「っ、ふざけるな!」
「大真面目なのになぁ」
あはははは、と楽しげな笑い声をあげて、雪那は去っていった。
その場に残された僕たちは、震える足で互いを支え合い、必死に自分たちの楽屋に戻った。
「……とりあえず、今日は、逃げ切れた」
「う、ん」
瞬が絞り出した言葉に頷きを返し、僕は喉を震えさせた。
「瞬、誘拐されないでね」
「うん。悠も、襲われないように気をつけてね」
「大丈夫。嫌がらせには慣れているから」
「ふふ、僕ら、意外と打たれ強いもんね」
互いを鼓舞しあい、僕らは必死に立ち上がった。
「仕事、邪魔されたって、切られたって、良いもんね」
「うん。どんな仕事でも、生きていけるし」
芸能界ほど、僕らのようなオメガが生きやすい場所はないけれど、ここでなければ生きていけないわけでもない。
人脈もできたし、貯金もたまったし、テレビの企画で資格を取らせてもらったりもした。
きっと、追い出されても、生きていけるはずだ。
贅沢がしたいわけじゃない。
僕らは、自分の選択で人生を生きたいだけなのだから。
「行こう、瞬。とりあえず、今日の仕事だ」
無理矢理笑みを浮かべて手を差し出せば、瞬は僕の手をとり、強がるような顔で頷いた。
「うん。……負けるもんか」
けれど、僕らは甘かった。
仕事を減らされたり、邪魔されたり、暴力を受けたり、借金を負わせられたり、スクープを捏造されたり。
周りでよく聞くような、そんな攻撃ならば想像した。
自分たちに加えられる直接の攻撃なら、耐えられると考えていた。
僕は瞬の、瞬は僕の幸せを願っていたし、そのためならなんでもできると思っていたから。
互いのためならば、大抵の苦痛などなんでもないと、信じていたから。
けれど、雪那はそんな安易で直接的な方法は取らなかった。
僕たちの仲を裂き、僕らを徹底的に壊そうとするそのやり方は、蛇のように狡猾で、真綿で首を絞めるようなものだった。
全てが少しずつ、おかしくなっていった。
テレビに映るたびに、何故か僕と瞬を比較するコメントが目立つようになる。
そして次第に、僕の言動に対してアンチコメントがつくようになった。
SNSなど、不満と鬱屈の溜まり場だ。
ほんのちょっとした火種で、驚くほどに燃え上がった。
そして僕は、……僕だけが、炎上タレント、となった。
どれほど気をつけてトークをしても、見事なほどに必ず揚げ足を取られて嘲笑われる。
些細な言動に難癖をつけられ、一場面だけを切り取られて非難される。
異常だと批判する人もいたけれど、所詮、多数に少数は叶わない。
そのうち、僕らの周りにはゴシップを嗅ぎ回る記者たちが四六時中うろつくようになった。
真偽の怪しい関係者から僕の素行の悪さが週刊誌に垂れ込まれ、ありもしないスキャンダルがいくつもでっち上げられた。
「君たち、ずっといい子だったのに!なんでこんなことになってるんだい!?」
社長室で窶れた顔の社長が頭を抱えながら呻く。
対応に追われて憔悴している社長に僕らは返す言葉もなく、蒼白になって立ち尽くすしかない。
「何でこんな、何をしても燃え上がるんだ!こんなこと、普通はありえないよ!」
僕たちが悪いのか、僕たちが悪いものに巻き込まれているのか、判断がつかないように社長は嘆いていた。
それでも社長は、僕らを……僕を、見捨てたり、切り捨てるつもりはないようだった。
「まったくもう!あちこちを黙らせるために金をばら撒いて、いくらかかったことか!……落ち着いたら、二人まとめて馬車馬のように働かせて、荒稼ぎしてもらうからね!」
憎まれ口を叩きながらも、僕らを全力で守ろうとしてくれる社長に、僕らは心からの感謝を込めて頭を下げた。
一緒に戦ってくれる人がいることがありがたく、涙が出そうだった。
頑張ろう、と思った。
こんな卑怯なやり方には、絶対に屈しないと。
なんとしてでも戦い抜き、僕らはあの男から逃げ切ってやる、と。
僕らは、思ってもみなかったのだ。
これが、あの男にとっては、瞬が自分の元に飛び込んでくるまでの遊戯に過ぎない、なんて。
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