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しおりを挟む「いやぁ、瞬くん、粘るねぇ」
ある日、雪那が僕の前に現れた。
瞬は撮影中で、僕が楽屋に一人で休憩しているという、恐るべきタイミングで。
誰かが僕らのスケジュールを流しているとしか思えない。
……いや、もしかしたら、逆か。
雪那の予定に合わせて、僕らのスケジュールが組まれているのか。
そんな風に頭を悩ませている僕には無関心に、雪那は愉快そうに唇を歪めて笑う。
「瞬くんが、ここまで本能に逆らえるとは、期待以上だよ!君たち二人の絆というやつは、偉大だね。悠くん、どう思う?」
自分を求めることが当然なのに、と言わんばかりの雪那の言動はひどく不愉快だ。
僕が返答せず睨みつけていると、冗談じみた口調のまま、雪那は酷薄に唇を歪めた。
そして、あたかも今思いついた、というように、僕を地獄に叩き落とした。
「いや、そうでもないか。君はあの時、簡単に本能に従ったものね」
「えっ」
思わず動揺した僕に、雪那はうっそりと目を細めて、僕の耳に毒を流し込む。
まるで、悪魔の囁きのように。
「瞬くんは、俺の、運命の番の誘惑すら跳ね除けるのに。
君は、たまたま通りかかっただけのアルファのフェロモンに、簡単に屈した」
目を見開いて、声もなく震える僕に、雪那はニコニコと笑いかける。
蟻を潰す遊戯に夢中な幼な子のように、心底楽しげに。
「いや、いかにもオメガだ。本能に従順で、快楽に貪欲。素晴らしい!アルファが喜ぶだろうねぇ。アルファってのは聞き分けの良い子が好きだからね!…… まぁ俺は、瞬くんくらい手応えがある子が好きだけど」
反論の言葉もなく、真っ青な顔で震える僕の肩を軽く叩いて、雪那はパチンと嫌なウインクをした。
「怒らないでくれたまえ。オメガらしい、というのは、俺達アルファにとっては褒め言葉だ。あはははは!」
足取り軽く去っていく後ろ姿を呆然と見送り、僕はがっくりと肩を落とした。
その場で膝を抱え、顔を伏せて座り込む。
雪那の言う通りだ。
僕は、あまりにもオメガらしいオメガなのかもしれない。
本能に従順で、快楽に貪欲で、我慢が効かない。
瞬とは正反対だ。
「ふふ、ばかみたい」
僕の絶望は深かった。
だって、このオメガの性は、きっとどうしようもない。
この間は、媚香で強制的にヒートにさせられた、とは言っても、その時に己の意思で体を動かせなかったという事実は、僕のプライドをズタズタに引き裂いていた。
ヒートだったから仕方ない、なんて、そんなことは言えない。
瞬は、運命の番への誘惑にすら、打ち勝っているというのに。
僕は、ただのヒートすら、制御できないのか。
「もうだめだ……。誰も、信じられない」
僕は、もう、自分すらも信じられない。
僕は、僕がオメガでしかないと知ってしまった。
そうしたら、誰もが僕をオメガとして性的な目で見ていて、隙あらば襲ってやろうとしている気がしてきたのだ。
常にうなじが狙われている気がして、監獄で使うような頑丈な首輪を取り寄せて、嵌めた。
誰にも、僕のうなじを噛まれないように。
首輪の鍵は、壊して捨てた。
自分でも開けられないように。
決して、誰にも、うなじを差し出してしまわないように。
「悠くんがいる限り、瞬くんは、俺のところに来ようとしないの?」
「当たり前だろ!消えろ!」
いつものように唐突に現れた雪那に、瞬は吐き捨てる。
伸ばされた逞しい腕を渾身の力で叩き落とし、瞬は雪那に背を向けた。
「二度と顔を見せるな!」
「……ふぅん」
どこか苦しげに体を屈めながら、瞬は転がるように走り去っていく。
瞬に振り払われた手をそのまま顎に当てて、雪那は何かを考えるかのように、首を傾げる。
「悠くんがいなければ、もっと簡単なんだろうけれど、それじゃあ面白くないし、と思っていたんだけれども。……そろそろ限界かな?」
「……なん、だって?」
ぽそりと呟かれた言葉に、僕は思わず振り返った。
「このままだと瞬くんはどんどん傷ついていくね」
「……え」
駆け足で去っていった瞬はもう姿も見えない。
雪那の独り言が、僕に向けられていることは、明らかだった。
「壊れる前に、貰っていかなきゃね……もうそろそろ、かな?」
呆然とする僕を残して、雪那はあっさりと去っていった。
考えてみれば、当然だった。
瞬だって、余裕綽々で雪那の誘惑を跳ね除けているわけではない。
雪那のフェロモンに当てられた後、瞬はいつも苦しんでいた。
体の中で淀み、暴れる熱に。
押さえ込もうとする理性と、荒れ狂わんとする本能の戦いに。
瞬の身体と本能は運命の番であるアルファを求め、理性と感情は己の意に沿わない願望を拒んだ。
「嫌だ、絶対嫌だ!あの男のモノになるなんて!」
「それなのに欲しいと暴れる、この体が疎ましい!こんな浅ましい自分は許せない!」
「僕は所詮、オメガという獣なのか!!」
本能に逆らう、不自然さ。
そんな懊悩と苦痛の日々を繰り返し、ひどく憔悴し、疲弊していた。
僕らを絶望の闇は日に日に深まっていく。
「……ぼくの、せいだ」
瞬は、僕のせいで、受ける必要のない傷を受けている。
全て僕のせいだ。
運命の番と出会えたのに、その腕に飛び込むことも出来なくて。
押し寄せる発情の波に、身を任せることもできなくて。
血を吐く思いで、満たされない体を抱きしめ、爪を立てなければならないのだ。
あぁ、そうか。
僕さえいなくなれば、きっと、全てうまくいく。
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