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2章 失い、そして全てを取り戻す。
90話 僕たちは愛し合っている。
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「なんて卑劣なことをしたの! レオン・マッサーナ!」
妃殿下の肩が小刻みに揺れる。
王家に嫁ぐには乙女であることが必須だ。
だが。
レオンの態度からすでに私は失っている、いやレオンによって奪われた……と公言しているようなものだ。
つまりは妃殿下の望みは完全に断たれた。
レオンはそっと私の頬に口付けた。
「伯母様。一体、何が卑劣なのか、私には分かりかねますが……」
「とぼけるんじゃないの。あなた分かっていてフェリシアを」
レオンは肩を窄め、
「おかしなことを仰られる。フェリシアと私は愛し合っているのです。お互い想い合う婚約者同士が愛を交わすことに何の問題があるのでしょうか」
ーーーー虫唾が走る。
愛してるだなんて……。
何と寒々しい言葉だろう。
今はこれが最適の答えだということは分かっている。
(心はいくらでも装うことができるもの。本心かどうかなんてわからない)
けれど気持ちは揺らぐ。
あんな仕打ちを受けても、私はレオンのことが好きなのだ。
でも彼はきっとそうではない。
大義のために犠牲を強いることなんて、レオンにとっては些細なことなのだ。
(強く、なるの。こんなことで傷付いてはダメ)
装うのだ。
私は婚約者の言葉に頬を染め目を伏せた。
如何にも嬉しくてたまらなく、でも恥らいに戸惑っている。……初々しさ溢れる演技に、妃殿下は苛立ちを隠そうともしない。
「嘘おっしゃい。こうなることを分かっていて、フェリシアに無理強いしたのでしょう」
その顔で迫られて拒否できる娘が世の中にいるとは思えないわ、と吐き捨てた。
「伯母様、いいえ妃殿下。フェリシアにそんな無体はできるはずがありません。こんなに美しい婚約者を前にして粗暴を働く男がいるのならば、それはきっと男ではありません。獣です。そう思われませんか」
「あのレオン・マッサーナの口からそんな戯言を聞くとは思わなかったわ。あなたが一人の女に陥落させられたなんて知られたら、カディスの女たちは皆、嘆き悲しむでしょうね」
再び妃殿下は値踏みするように私を上から下まで眺める。そして腹部で視線を止めて、不愉快そうに顔を背けた。
(何なの。まるで私が諸悪の根源みたいじゃない。気分が悪い)
悪者になること。
マンティーノスを手に入れるためには易いことだ。
ただフェリシアで挑むのは悪手。ここは身分も権力もある婚約者殿にお任せしよう。
「レオン?」
「大丈夫だよ、フィリィ。何があっても、僕の妻はきみだけだ。婚約破棄なんてしない」
レオンと私は顔を合わせ微笑み合う。
妃殿下は呆れ果てたのか、長く息を吐いた。
「……ふんっ。仲が良いことは結構なことね。この調子だと結婚式を挙げる前に次代のアンドーラ子爵が生まれそうね。やめてちょうだいよ。みっともない。王家外戚のサグントが我が家に泥を塗ることは避けてちょうだい」
「お言葉ながら伯母様。健康な早産児なんて昨今珍しいことではありませんよ」
公爵閣下の公子様は結婚してわずか半年でお生まれになられたではありませんか、とレオンは当て擦る。
レオンのいう公爵閣下とは現国王の弟王子のことだ。
現王と息子ほどに歳の離れた弟王子は、当然王位からは遠く何の期待もされず怠惰に育ってしまった(なにせ王子が生まれた時には現王には息子がすでにいたのだ! 生まれながらにして余剰な存在であったのだ)。
そんな彼が唯一生きる術を見出したのが、カディスの社交界であった。
見目も悪くなく家柄も良い。
婿にするには最高の存在だ。
王子は本人の気質も相まって女性に殊のほか好かれ、成人後も自由気ままな恋愛を楽しんでいたが、ある時、表敬訪問中の異国の姫君と激しい恋に落ち……。
後はまぁお察し。
(王家の最大の恥、だものね)
相手が自国の令嬢ならいざ知らず、他国の姫と……となれば、ちゃんとした地位を用意せねばならない。
多大な結納金と王家の直轄領の一部を分譲し、百五十年ぶりに新たに公爵位が作られたのが三年前のことだ。
(王家がマンティーノスを手に入れたい理由の一つでもあるのかも)
失った領を補填するために。
けれど、どんな事情があるとしてもマンティーノスは譲れない。
「はぁ。あなたたちと話していると頭が痛くなるわ」
妃殿下は侍従に言伝て、レオンの父サグント侯爵を呼び寄せた。
見上げるように背の高い侯爵は静々と口上を述べ、私の方を見て優雅に口元を緩める。
「ごきげんよう、フェリシア」
「……侯爵閣下」
レオンの父と面と向かって向き合うのは初めてだ。
なにせウェステやルーゴ伯爵家よりも遥かに高い身分なのだ。舞踏会や行事で見かけることがあっても、挨拶を交わす程度だ。
だけど。
(やっぱり親子ね。レオンも年をとればこうなるのかしら)
グレーの髪とレオンと同じヘーゼルの瞳。
目元には深い皺があるがそれもまた魅力的で、レオンを精悍にし年を重ねたらこうなるのかという感じだ。
この父親とレオンは驚くほどに似ている。
物腰も声色も、横顔も。
全てがレオンそのものだ。
なぜか鼓動が早くなり、締め付けるように胸が痛む。
「サグント侯、あなたこの事態を知っていたの?」
「……いえ」
サグント侯爵とレオンは目配せする。
「今、初めて知りました。しかしながらフェリシア嬢を我が家に迎入れることはすでに決定しておりました。想定外ではありますが、何も問題はございません。このように美しい令嬢と縁ができること、当家としては慶事でしかありませんから」
「……この親にしてこの子あり、ね。恐ろしいこと」
その時。
侍従の声とともに扉が開く。
「国王陛下の御成でございます!」
手のひらに汗がかすかに浮かぶ。
やっと。やっとこの時が来た。
妃殿下の肩が小刻みに揺れる。
王家に嫁ぐには乙女であることが必須だ。
だが。
レオンの態度からすでに私は失っている、いやレオンによって奪われた……と公言しているようなものだ。
つまりは妃殿下の望みは完全に断たれた。
レオンはそっと私の頬に口付けた。
「伯母様。一体、何が卑劣なのか、私には分かりかねますが……」
「とぼけるんじゃないの。あなた分かっていてフェリシアを」
レオンは肩を窄め、
「おかしなことを仰られる。フェリシアと私は愛し合っているのです。お互い想い合う婚約者同士が愛を交わすことに何の問題があるのでしょうか」
ーーーー虫唾が走る。
愛してるだなんて……。
何と寒々しい言葉だろう。
今はこれが最適の答えだということは分かっている。
(心はいくらでも装うことができるもの。本心かどうかなんてわからない)
けれど気持ちは揺らぐ。
あんな仕打ちを受けても、私はレオンのことが好きなのだ。
でも彼はきっとそうではない。
大義のために犠牲を強いることなんて、レオンにとっては些細なことなのだ。
(強く、なるの。こんなことで傷付いてはダメ)
装うのだ。
私は婚約者の言葉に頬を染め目を伏せた。
如何にも嬉しくてたまらなく、でも恥らいに戸惑っている。……初々しさ溢れる演技に、妃殿下は苛立ちを隠そうともしない。
「嘘おっしゃい。こうなることを分かっていて、フェリシアに無理強いしたのでしょう」
その顔で迫られて拒否できる娘が世の中にいるとは思えないわ、と吐き捨てた。
「伯母様、いいえ妃殿下。フェリシアにそんな無体はできるはずがありません。こんなに美しい婚約者を前にして粗暴を働く男がいるのならば、それはきっと男ではありません。獣です。そう思われませんか」
「あのレオン・マッサーナの口からそんな戯言を聞くとは思わなかったわ。あなたが一人の女に陥落させられたなんて知られたら、カディスの女たちは皆、嘆き悲しむでしょうね」
再び妃殿下は値踏みするように私を上から下まで眺める。そして腹部で視線を止めて、不愉快そうに顔を背けた。
(何なの。まるで私が諸悪の根源みたいじゃない。気分が悪い)
悪者になること。
マンティーノスを手に入れるためには易いことだ。
ただフェリシアで挑むのは悪手。ここは身分も権力もある婚約者殿にお任せしよう。
「レオン?」
「大丈夫だよ、フィリィ。何があっても、僕の妻はきみだけだ。婚約破棄なんてしない」
レオンと私は顔を合わせ微笑み合う。
妃殿下は呆れ果てたのか、長く息を吐いた。
「……ふんっ。仲が良いことは結構なことね。この調子だと結婚式を挙げる前に次代のアンドーラ子爵が生まれそうね。やめてちょうだいよ。みっともない。王家外戚のサグントが我が家に泥を塗ることは避けてちょうだい」
「お言葉ながら伯母様。健康な早産児なんて昨今珍しいことではありませんよ」
公爵閣下の公子様は結婚してわずか半年でお生まれになられたではありませんか、とレオンは当て擦る。
レオンのいう公爵閣下とは現国王の弟王子のことだ。
現王と息子ほどに歳の離れた弟王子は、当然王位からは遠く何の期待もされず怠惰に育ってしまった(なにせ王子が生まれた時には現王には息子がすでにいたのだ! 生まれながらにして余剰な存在であったのだ)。
そんな彼が唯一生きる術を見出したのが、カディスの社交界であった。
見目も悪くなく家柄も良い。
婿にするには最高の存在だ。
王子は本人の気質も相まって女性に殊のほか好かれ、成人後も自由気ままな恋愛を楽しんでいたが、ある時、表敬訪問中の異国の姫君と激しい恋に落ち……。
後はまぁお察し。
(王家の最大の恥、だものね)
相手が自国の令嬢ならいざ知らず、他国の姫と……となれば、ちゃんとした地位を用意せねばならない。
多大な結納金と王家の直轄領の一部を分譲し、百五十年ぶりに新たに公爵位が作られたのが三年前のことだ。
(王家がマンティーノスを手に入れたい理由の一つでもあるのかも)
失った領を補填するために。
けれど、どんな事情があるとしてもマンティーノスは譲れない。
「はぁ。あなたたちと話していると頭が痛くなるわ」
妃殿下は侍従に言伝て、レオンの父サグント侯爵を呼び寄せた。
見上げるように背の高い侯爵は静々と口上を述べ、私の方を見て優雅に口元を緩める。
「ごきげんよう、フェリシア」
「……侯爵閣下」
レオンの父と面と向かって向き合うのは初めてだ。
なにせウェステやルーゴ伯爵家よりも遥かに高い身分なのだ。舞踏会や行事で見かけることがあっても、挨拶を交わす程度だ。
だけど。
(やっぱり親子ね。レオンも年をとればこうなるのかしら)
グレーの髪とレオンと同じヘーゼルの瞳。
目元には深い皺があるがそれもまた魅力的で、レオンを精悍にし年を重ねたらこうなるのかという感じだ。
この父親とレオンは驚くほどに似ている。
物腰も声色も、横顔も。
全てがレオンそのものだ。
なぜか鼓動が早くなり、締め付けるように胸が痛む。
「サグント侯、あなたこの事態を知っていたの?」
「……いえ」
サグント侯爵とレオンは目配せする。
「今、初めて知りました。しかしながらフェリシア嬢を我が家に迎入れることはすでに決定しておりました。想定外ではありますが、何も問題はございません。このように美しい令嬢と縁ができること、当家としては慶事でしかありませんから」
「……この親にしてこの子あり、ね。恐ろしいこと」
その時。
侍従の声とともに扉が開く。
「国王陛下の御成でございます!」
手のひらに汗がかすかに浮かぶ。
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