英雄不朽

冲令子

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邪剣男爵

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 出発する時は朝靄に包まれていた窓の外が、夕陽に染まりつつあった。
 到着時の準備をしているのか、コンパートメントの外が徐々に騒がしくなる。

「緊張しているのか?」

 アンブロシオが車窓から向かいの席へと視線を移して尋ねる。
 ラミロは笑顔を浮かべて否定しようとするが、引き攣った表情にしかならなかった。

「……お隣に座ってもよろしいですか?」

 アンブロシオは一瞬動揺したが、すぐに頷いた。

「好きにすればいい」

 ラミロは立ち上がって、アンブロシオの隣に腰を下ろした。
 後方へと流れていく景色が見覚えのあるものに変わるにつれて、じわじわと不安が広がっていく。
 自ら望んだわけではないとしても、父と兄から爵位を奪うことになるのは事実だ。久々に会う家族からどんな顔で迎えられるのか、ラミロは想像するのが怖かった。
 ギュッと膝の上で握り込んだラミロの拳の上に、アンブロシオがためらいがちに手を添えた。

「……何があっても、あなたを守ると誓おう」

 アンブロシオの言葉には何の具体性もなかったが、手の温もりだけでラミロの緊張は解けていった。
 下を向いていたラミロが顔を上げて、アンブロシオを見つめる。アンブロシオはおずおずと顔を寄せると、ラミロの額に唇をつけた。

 そっと唇が離れると、二人は間近で見つめあった。どちらからともなく顔を傾け、唇を寄せると──ラミロの胸元から、ニュッとレネが顔を覗かせた。
 レネはもぞもぞと胸元から抜け出すと、ラミロの膝の上で立ち上がって、アンブロシオをまじまじと見つめた。
 人懐こくて、誰の肩にでもすぐによじ登るレネにしては、珍しい反応だった。

「随分と懐いているのだな」

 アンブロシオも、一定の距離を置いてレネを眺める。

「瀕死のところを助けて、それからそばに置いております」

 アンブロシオを治療した時のことは、セベリノ以外には伝えていない。ラミロは内心ヒヤヒヤしながら答えた。

「そうか。畜生はいい人がわかるというからな」

 微妙な褒め言葉にラミロが苦笑すると、アンブロシオも微笑んでラミロを見つめる。
 ラミロは、鼻先を突き出してアンブロシオの匂いを嗅ぐレネの頭をすっぽりと手で覆った。
 自然と見つめ合う二人が改めて顔を寄せた瞬間、ドアをノックする音が響いて、アンブロシオとラミロは飛び上がって体を離した。

「そろそろ到着しますので、ご準備を──」

 入室を許可されて扉を開けたセベリノは、並んで座る二人を見ると、片眉を上げ微笑んだ。

「仲睦まじいようで、何よりでございます」






 駅に着くと、薄暮の中で侯爵家の紋章入りの馬車が待っていた。馬車から降りて一行を出迎えたのは、意外にもラミロの兄であるフェルナンドだった。
 まさか兄が来るとは思ってもいなかったラミロは、両腕を広げて笑顔を浮かべる兄から思わず目を逸らし、不安げにアンブロシオを見上げた。
 フェルナンドは脱帽してアンブロシオへ恭しく挨拶した。

「このような田舎にお越しいただきまして、感謝申し上げます」
「しばらく世話になる」

 アンブロシオはそう告げると、ラミロを伴って馬車に乗り込んだ。
 馬車の中では、フェルナンドが近況を面白おかしく話す。上辺だけの会話であったが、気詰まりは覚えずに済んだ。

 邸に着くと、使用人が並んで馬車を出迎えた。皆の表情が宵闇のせいで見えないのは幸いだった。下々の使用人にどこまで話が伝わっているのかはわからないものの、ラミロ一人なら居た堪れなかっただろう。
 執事の案内で応接室に入ると、父である侯爵と母が出迎えた。

「遠路はるばるご足労いただきまして、光栄の極みでございます」

 父の挨拶を、アンブロシオが鷹揚にあしらう。その余裕のある態度に、ラミロの心も徐々に落ち着いていく。

「疲れただろうから、しばらく休んでは?」

 アンブロシオがラミロを気遣うと、執事が、

「お部屋のご用意をしておりますので、晩餐までお寛ぎくださいませ」

と、その後を引き受ける。
 ラミロとしては、自分だけ蚊帳の外に追いやられる情けなさよりも、この場から離れたい気持ちの方が大きかった。母とは目も合わなかった。
 アンブロシオと兄を残して、これ幸いとばかりに部屋を出る。
 ホッと息を吐くと、兄様、と呼ばれて顔をあげた。

「お前たちも帰ってきたのか」

 ラミロが驚いた顔を向けると、二人の女がラミロの両側から腕を掴んだ。

「だって、王子様に拝謁する機会なんて、もう二度とないもの」
「せっかく外で出迎えたのに、兄様ったら全然気づかないんだから」

 二人は両脇から抱えるようにして、ラミロを応接室の隣の控室へと連れ込んだ。

「王子様、かっこよかったわ」
「そうかしら。確かにお顔は素敵だけど、なんだか怖くて苦手だわ」

 久々に顔を合わせたというのに、双子の妹であるドロテアとベアトリスは、挨拶もせずに好き勝手に話している。
 二人とも裕福な商家へ嫁いでおり、会うのは数年ぶりだった。

「あの王子様と、わたしたちのどっちかが結婚する可能性もあったってことよね」

 ドロテアの言葉に、ラミロはギョッとした顔を向けた。

「お前たち、どこまで知ってるんだ?」
「婚約のことはまだ内緒なのよね。ちゃんと心得てるわよ」

 ラミロとアンブロシオの結婚は、今回の訪問で詳細を詰めた後に王室に持ち帰り、時期を見て公表する予定だった。

「でも、これで婚家にお金の無心をしなくて済むと思うと清々するわ」
「本当にね。毎度毎度融通してもらうのも気まずいったらないんだから」
「……お前たちにも苦労をかけるな」
「兄様のせいじゃないわよ。兄様だって、仕送りしてるのでしょう?」
「俺は自分の金だから……」

 難産だった双子の出産をきっかけに体調を崩すことが多くなった母は、ドロテアとベアトリスに対して冷淡だった。
 いつも淋しそうにしている幼い妹たちが不憫で、また、かつての自分を見ているようでもあったラミロは、二人の親代わりとまではいかないまでも、結婚するまでは精神的にも金銭的にも面倒をみていた。

「それにしても兄様がおかわいそうだわ。いくらお家のためだからって、殿方と結婚なんて」
「あら、結婚と恋愛は別よ。どうせ王子様は愛人をお作りになるんだから、兄様も好きになさったらいいのよ」
「いや、…………」

 いくら妹とはいえ、既に結婚して家を出ている身である。詳しい事情を話すべきではないとわかってはいたが、ラミロはつい口を挟んだ。

「……殿下のことは割と……っていうか、普通にその…………お慕いしてるんだ」
「あら」

 二人が同時に声を上げて、同じ仕草で両手を口に当てた。

「王子様は? なんて?」
「殿下も好ましく思っていただいている……はず…………だと……」

「まあー!!」

 ラミロの消え入りそうな声に、ドロテアとベアトリスの嬌声がシンクロして被さる。

「そうなの!? いやだわ、ごめんなさい、勝手なこと言っちゃった」
「いや、ドーラの反応が普通だろう。男どうしだし、正直、まだ自分でも受け止めきれていないっていうか……」

 寄宿学校、医学校、軍隊、研究所、そしてまた軍隊と、男しかいない環境で暮らしてきたラミロにとって、同性愛は珍しいことではなかった。
 ラミロ自身、男の先輩に憧れを感じたこともある。ただそれは、思春期特有の一時的な感情で、それ以降、同性に好意を抱くことはなかったし、二度とないことだと思っていた。

「待って、王子様とはどこまで進んでらっしゃるの?」
「そうよ、詳しくお話ししていただかないと!」

 二人がラミロに詰め寄ったタイミングで、執事が部屋を訪れた。

「もうそろそろ晩餐の時間となりますので、ご準備を」





 晩餐の前にドロテアとベアトリスを紹介すると、アンブロシオはよそ行きの笑顔で二人の手の甲へ礼儀正しくキスをした。散々好き勝手なことを言っていた二人も、正真正銘の王子の魅力に言葉を失った。

 アンブロシオとセベリノのほか、侯爵夫妻、兄フェルナンドとその妻、ドロテアとベアトリスが席に着くと、晩餐会が始まった。
 身内だけの食事とはいえ、ラミロはまだ表向きはアンブロシオとは何の関係もない立場なので、主賓とは離れた席に座る。
 妙な緊張感の中、アンブロシオと侯爵の当たり障りのない会話だけが部屋に響いた。

 ラミロは母の様子を窺うが、マナー教本のように食事を摂る姿からは、何の感情も読み取れなかった。
 逆に、フェルナンドの妻であるマリアからは、明確な悪意を感じた。次期侯爵夫人のはずが、ラミロのせいで立場が一転するのだから恨みを買っても当然だと目を伏せて視線を逸らす。

 晩餐後、男たちは遊戯室に集まった。気が進まないながら、ラミロも付き合いで部屋に向かうと、フェルナンドから声をかけられた。

「元気だったか?」
「ああ……おかげさまで」

 特別仲がいい兄弟というわけでもないし、離れて暮らしていた時間の方が長いので、何を話していいのかわからない。
 気まずい沈黙の後、フェルナンドが口を開いた。

「お前には迷惑をかけることになるが、正直なところ……ホッとしているんだ」

 ラミロが弾かれたように顔を上げると、フェルナンドは自嘲するような笑みを浮かべた。

「母上やマリアは納得いかないかもしれないが、領主という立場は、わたしにも父上にも耐えられないくらいの重荷なんだ。それを今さらお前に託すのは身勝手だと思うが、殿下と一緒にこの土地を建て直して欲しい」

 兄の率直な言葉に、ラミロはどう答えていいのかわからず、手元の食後酒を煽った。
 そもそも、領地の財政が破綻していなければ、こんなややこしいことにはならず、隣国オルレーニュとカルテヴェル領との直接の貿易だってあり得たはずだ。
 本当に身勝手だと思った。でも、家の役に立てて、頼られて嬉しいという気持ちも本心だった。

 ラミロは無意識のうちにアンブロシオを目で探した。
 アンブロシオは侯爵とポーカーをしていたが、ラミロの視線に気づくと、すぐに手札を場に捨てた。

「申し訳ないが、少々疲れたので休ませてもらおう」

 アンブロシオはそう言って立ち上がると、ラミロのそばへと歩み寄った。

「まだ兄君と歓談中か?」
「いえ、わたしも部屋に下がらせていただきます」

 アンブロシオとラミロは連れ立って二階の客室へと向かった。

「……あんな風に、にこやかに振る舞えるのですね。少々驚きました」
「何の話だ?」

 仄暗い廊下を歩きながら、怪訝そうにアンブロシオが尋ねる。

「妹への態度です」
「……普通だと思うが」

 アンブロシオの言う通り、ごく普通の対応だということはわかっている。たかだか挨拶にやきもきするのも馬鹿げているし、それをアンブロシオに嫌味っぽく伝えるのも幼稚だ。
 黙り込んだラミロに、アンブロシオが困惑しているのが伝わってくるものの、ラミロ自身もどうしたらいいのかわからなかった。

 用意された部屋の前に着くと、ラミロは立ち尽くして、途方に暮れたようにアンブロシオを見た。
 離れ難く、もう少しだけでもそばにいて欲しかったが、何か話さなければならないことがあるわけでもない。

「……おやすみなさいませ」

 ラミロはそう言うと、アンブロシオと別れて部屋へと入った。





 翌日は朝食の後、セベリノを交えて婚姻契約のための財産や各種権利の確認が行われた。
 既にあらかた話はついており、セベリノが読み上げる内容に異議を申し出る者はいなかった。

「夜は地元の関係者を招いた宴会の予定だ。それまで、この辺りを殿下に案内して差し上げてはどうだ?」

 セベリノにそう言われても、何もない田園地帯である。
 遠出する時間もないので、ラミロは馬を用意させると、アンブロシオを伴って敷地内の森へと出かけた。
 たっぷりと若葉が生い茂る薄暗い小道を、常歩で当てもなく散策する。木漏れ日がアンブロシオにまだら模様の光を落とすのを、ラミロは飽きずに眺めた。

 野花が咲く叢に着くと、二人は馬から降りた。柔らかい草の上に腰を下ろすと、爽やかな風が汗ばんだ肌を乾かした。
 レネはラミロの胸元から這い出ると、ぴょんぴょんと草の中を飛び跳ねている。

「眠ってしまいそうですね」

 ここ数日気を張っていたせいか、午後の暖かさに眠気を誘われる。

「膝を貸そう」
「よろしいのですか?」

 誰もいない自然の中にいる気安さから、ラミロはアンブロシオが伸ばした脚の上に頭を乗せた。
 まどろみの中で見上げると、困ったように見下すアンブロシオと目が合った。
 頭の下に硬い腿の筋肉を感じて、今更ながら顔に血が上った。動揺のせいで潤んだ瞳に、ピンクや黄色、白色の花々が滲んでぼやける。

 ラミロの上に影が広がったと思うのと同時に、アンブロシオが覆い被さるのに気づく。近づいてくるアンブロシオの顔をぼんやりと眺めているうちに、サッと唇に何かが触れた。

 ハッと我に返ってアンブロシオを見上げると、至近距離に赤く染まった顔があった。
 ラミロが無言のまま袖を引っ張ると、もう一度顔が近づいてきて、先ほどよりはしっかりと唇が押し付けられた。
 といっても、皮膚が触れ合うだけの、性欲を感じさせないキスである。
 ラミロは、アンブロシオの首に手を伸ばして、ギュッと抱き寄せた。

 ──ベロチューしたい……。

 正直なところ、ぐちゃぐちゃの下品な接吻に持ち込みたくて仕方なかったが、初手で手コキという失態を犯したラミロとしては、これ以上品位を疑われるような真似はできなかった。

 唇が離れる感触に目を開けると、目の前に耳まで真っ赤になったアンブロシオがいる。
 かわいい。
 初々しく照れるアンブロシオを、もっと困らせたいような気持ちになる。なんなら股間に顔を埋めて口淫したい。
 
 二人はもつれ合うように叢に横たわった。
 体が密着し、服越しに体温が伝わってくる。
 土の匂いに混じって、上品で清涼感のある香りが鼻先に漂う。清々しく潔癖さがありながら微かに官能的なその匂いを、ラミロは胸いっぱいに吸い込んだ。
 叢の中で抱き合う二人に、レネが勢いをつけて飛び乗る。
 午後の陽光の中、色とりどりの花に囲まれて、ラミロは久々に心の底から笑った。






 視察に訪れたアンブロシオ殿下の慰労という名目で開かれたパーティには、領内の地主や商家、教会関係者が集まった。
 食事は見栄を張って趣向を凝らしていたが(もしくは面子を保つために、セベリノが手配したのかもしれない)、娯楽目的の会ではないので、ダンスも華やかな音楽もない、至って形式ばったパーティだった。

 地元を離れて久しいラミロは見知った顔もなく、所在なげに酒を煽った。アンブロシオは順番に挨拶にくる客の相手に忙しく、ドロテアとベアトリスも今日は夫にエスコートされているので、落ち着いて話をする間もなかった。尤も、殿下と一緒にいるところを見られたら何を言われるかわからないので、妹が地元の夫人たちとの世間話から抜け出せないことに、内心ホッとしていた。

「ラミロ」

 外の空気を求めて広間を出ようとしたラミロは、気安く呼ぶ声に振り返った。

「相変わらず……いや、ますます綺麗になったな」

 いきなり話しかけてきた上に、両腕を広げて抱擁しようとする男を、何だこいつ、とまじまじと見つめる。
 記憶の底に眠る過去の汚点と、目の前のいかにも無神経そうな顔が結びついた途端、ラミロは、思わず声を上げた。

「キッッッッッッショ!!!!」
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