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一章 水神の怒りと人柱(始まりの物語)
一章 15
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「光仙さま、おっとうを助けてください」
小藤は慌てて光仙に頼んだ。
「それはならぬ」
「なぜですか」
光仙は檜扇で手の平をとんと叩く。
「神は本来、生き死にに簡単にかかわってはならんのだ。オオカミがウサギを捕食しようとしたとして、可哀想だと助けていてはオオカミが死んでしまう」
「これは捕食ではありません」
「この盗人は掛け軸を売り、その金で妻と子の腹を満たそうとしていたらどうだ」
「この男は家族のために盗みをしたというのですか」
「さあ、わたしの土地の人間ではないから知らぬ」
「光仙さま!」
小藤は眉を吊り上げたが、なにを言っても光仙は手を貸してくれそうもない。
それならば、小藤がどうにかするしかないのだ。
しかし、どうしたって小藤の手は盗人をすり抜ける。
「ああ、おっとう」
父は盗人を睨みながらも、観念している様子だ。
小藤は光仙の言葉を思い出した。
――身を犠牲にした尊い魂は、神に近い存在だとして人柱と呼ばれる。人柱自体に力が宿る。
光仙はそう言っていた。
そして菊も、村を守るために小藤は神になったと村人たちに宣言した。
小藤は己の手をじっと見た。畑仕事で荒れた傷だらけの手を強く握る。
「私は神に近い存在。私には力がある」
そう繰り返して、小藤はもう一度盗人に手を伸ばした。
何度もしていたように、小藤の手はすり抜けた。
「……あっ」
しかし、触れるような感触があった。その手をもう一度見ると、どことなく発光しているようにも見える。
「誰だ」
盗人もなにか感じたのだろう、振り上げていた手を止めて周囲に視線を走らせた。
手ごたえを感じた小藤は、もう一度強く念じながら男の腕を掴んだ。今度は腕を捕らえることができた。
「掴めた」
喜びそうになる気持ちを小藤は抑えた。今はそれどころではない。小藤は掴んだその手に念を込めた。
「薪を置きなさい。あなたは殺生は好きではないと言っていた。これは本意ではないはず。乱暴はよしなさい。ご神体を戻して水神様に謝罪をしなさい。二度と盗みはなりません」
すると、男に変化が表れ始めた。
まるで憑き物が落ちるように、鬼のようにつり上げていた表情の筋肉が和らいでいった。振り上げていた腕からも力が抜けて、手から薪が落ちて床で鈍い音を立てる。
その様子を見ていた光仙は檜扇で口元を押さえ、瞠目したまま動きを止めた。
盗人は頭を抱える。
「おれは今までなんてことをしていたんだ。掛け軸は置いていく。もう悪さはしねえから許してくれ」
盗人は荷物をそのままに、山小屋から雨の降る山中に飛び出していった。
「助かった、のか」
盗人の突然の心変わりに父親も呆然としている。そして安堵したのか、その場で膝からくずおれた。
しばらく父はそのまま放心していたが、はっと気づいたように両手を合わせて念仏を唱え始めた。
「きっと小藤が守ってくれたに違いねえ。ありがとう小藤」
「よかったな、おっとう」
小藤は満面の笑みを浮かべた。
父の肩に手をのせてみたが、その手はするりとすり抜けた。
「あれ?」
人に触れるようになったわけではないようだ。しかし、盗人の気持ちを改心させたのは事実。父を救えた嬉しさがこみ上げてくる。
小藤は光仙に駆け寄った。
「光仙さまの言うとおり、私には力があるみたいです」
拳を握る小藤に、
「……いや、それは……」
光仙は口ごもる。そして小藤を不思議そうに見つめた。
「どうかされたのですか?」
小首をかしげる小藤に、光仙は小さく苦笑した。
「おまえはおもしろい娘だ」
光仙は小藤の頭に手をのせた。
「神は完全ゆえに成長をしない。人は未熟ゆえに成長をする。今の小藤は、人でありながら神の力を身につけ、成長しようとしているのかもしれないな」
「それは、私の力はもっと強くなるということですか?」
「わたしにとっても、おまえは未知数だ」
そのとき、外から「おおい大丈夫か」という声とともに、複数人の足音が近づいてきた。村人たちがやってきたのだ。
その後。
神体を社に戻した村人たちは、それから水神の参拝を欠かすことがなくなった。
空で黒龍のようにとぐろを巻いていた黒い雲がなくなり、何十日ぶりで日が差した。
これにこりた村人たちは、水神だけでなく、土地神の神社を含めて、村を守るあらゆる社を大切にするようになった。
「ふむ。水神の暴走も、たまには役に立つようだ」
そう言って満足そうに茶を飲んでいる光仙を、小藤は見かけるのだった。
小藤は慌てて光仙に頼んだ。
「それはならぬ」
「なぜですか」
光仙は檜扇で手の平をとんと叩く。
「神は本来、生き死にに簡単にかかわってはならんのだ。オオカミがウサギを捕食しようとしたとして、可哀想だと助けていてはオオカミが死んでしまう」
「これは捕食ではありません」
「この盗人は掛け軸を売り、その金で妻と子の腹を満たそうとしていたらどうだ」
「この男は家族のために盗みをしたというのですか」
「さあ、わたしの土地の人間ではないから知らぬ」
「光仙さま!」
小藤は眉を吊り上げたが、なにを言っても光仙は手を貸してくれそうもない。
それならば、小藤がどうにかするしかないのだ。
しかし、どうしたって小藤の手は盗人をすり抜ける。
「ああ、おっとう」
父は盗人を睨みながらも、観念している様子だ。
小藤は光仙の言葉を思い出した。
――身を犠牲にした尊い魂は、神に近い存在だとして人柱と呼ばれる。人柱自体に力が宿る。
光仙はそう言っていた。
そして菊も、村を守るために小藤は神になったと村人たちに宣言した。
小藤は己の手をじっと見た。畑仕事で荒れた傷だらけの手を強く握る。
「私は神に近い存在。私には力がある」
そう繰り返して、小藤はもう一度盗人に手を伸ばした。
何度もしていたように、小藤の手はすり抜けた。
「……あっ」
しかし、触れるような感触があった。その手をもう一度見ると、どことなく発光しているようにも見える。
「誰だ」
盗人もなにか感じたのだろう、振り上げていた手を止めて周囲に視線を走らせた。
手ごたえを感じた小藤は、もう一度強く念じながら男の腕を掴んだ。今度は腕を捕らえることができた。
「掴めた」
喜びそうになる気持ちを小藤は抑えた。今はそれどころではない。小藤は掴んだその手に念を込めた。
「薪を置きなさい。あなたは殺生は好きではないと言っていた。これは本意ではないはず。乱暴はよしなさい。ご神体を戻して水神様に謝罪をしなさい。二度と盗みはなりません」
すると、男に変化が表れ始めた。
まるで憑き物が落ちるように、鬼のようにつり上げていた表情の筋肉が和らいでいった。振り上げていた腕からも力が抜けて、手から薪が落ちて床で鈍い音を立てる。
その様子を見ていた光仙は檜扇で口元を押さえ、瞠目したまま動きを止めた。
盗人は頭を抱える。
「おれは今までなんてことをしていたんだ。掛け軸は置いていく。もう悪さはしねえから許してくれ」
盗人は荷物をそのままに、山小屋から雨の降る山中に飛び出していった。
「助かった、のか」
盗人の突然の心変わりに父親も呆然としている。そして安堵したのか、その場で膝からくずおれた。
しばらく父はそのまま放心していたが、はっと気づいたように両手を合わせて念仏を唱え始めた。
「きっと小藤が守ってくれたに違いねえ。ありがとう小藤」
「よかったな、おっとう」
小藤は満面の笑みを浮かべた。
父の肩に手をのせてみたが、その手はするりとすり抜けた。
「あれ?」
人に触れるようになったわけではないようだ。しかし、盗人の気持ちを改心させたのは事実。父を救えた嬉しさがこみ上げてくる。
小藤は光仙に駆け寄った。
「光仙さまの言うとおり、私には力があるみたいです」
拳を握る小藤に、
「……いや、それは……」
光仙は口ごもる。そして小藤を不思議そうに見つめた。
「どうかされたのですか?」
小首をかしげる小藤に、光仙は小さく苦笑した。
「おまえはおもしろい娘だ」
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「神は完全ゆえに成長をしない。人は未熟ゆえに成長をする。今の小藤は、人でありながら神の力を身につけ、成長しようとしているのかもしれないな」
「それは、私の力はもっと強くなるということですか?」
「わたしにとっても、おまえは未知数だ」
そのとき、外から「おおい大丈夫か」という声とともに、複数人の足音が近づいてきた。村人たちがやってきたのだ。
その後。
神体を社に戻した村人たちは、それから水神の参拝を欠かすことがなくなった。
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「ふむ。水神の暴走も、たまには役に立つようだ」
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