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三章 七郎兵衛とシロ(人情もの)
三章 11
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医師の言うとおり、妻は出産に堪えられるような身体ではなかったのだ。
「あのときは泣きました。泣くしかなかったです」
七郎兵衛はその時の心境を思い出しているのか、辛そうに眉を寄せた。わずかに目元が光っている。
時を戻したい。妻と二人でだって十分幸せだったじゃないか。なぜ実子の後継ぎに拘ったのか。
「後悔しても仕方がない。なにも変わらない。そう思っても後悔するばかりで、仕事が手につきませんでした」
結局、七郎兵衛は商いを手放すことにした。
一番信頼できる番頭に店を譲った。
「あんなに執着していた店だったのに、なんの未練もありませんでした。どうして初めから、そういう気持ちになれなかったんでしょうねえ。そうしたら、今でも女房と商いをしていたかもしれません。あべこべのようですが」
七郎兵衛は袖から骨ばった腕を出して、額を擦って苦笑した。
しばらく七郎兵衛はなにもする気が起きず、ただ起きて食ってまた寝るだけの生活をしていた。
幸い、一生働かなくても食うには困らないほどの財産を築いていた。
なにもしない生活にも飽き、七郎兵衛は旅に出た。
大金を持ち歩いているので、安全な街道、時間帯を心掛けて移動した。
そうしているうちに、この村にたどり着いた。
「なぜか、ここだと思いました。元々あっしは農家の生まれです。この田舎の景色がしっくりきました。それに、面白ことに土地によって空気がまったく違うのですな。言葉にするのは難しいが、土地神様と話すようになってわかりましたよ。空気の違いは、土地神様の違いです。あっしにはここの水が合いました」
七郎兵衛は揶揄を含んだ視線を送ると、光仙は微笑んで受け止めた。
そして七郎兵衛はこの農村で暮らし始めた。
しかし、誰ともかかわる気はなかった。
静かに妻子を弔いながら生きていこうと決めていた。
「しかし、この村の人たちは親切でね。やれ祭りだ集会だと声をかけてくる。申し訳ないが、すべて知らぬふりをしましたよ。もう人に期待されるのも、期待するのも嫌でした。それにうっかり大事な人ができて、女房のように失った時の絶望をあじわうのはこりごりでした」
それでも、七郎兵衛が全く淋しくなかったわけではない。
そんなとき、縁の下から声が聞こえた。
軒下でしゃがんで覗いてみると、柴犬の親子がいた。出産してそれほど日が経っていないのだろう、子犬が母親の乳に吸いついている。
「数年遅かったな」
七郎兵衛は苦笑した。
犬は出産が軽いことから安産の象徴とされる。紙製の置物である犬張子が、出産のお守りとして嫁入り道具の一つに加えられているのはそのためだ。
同じ理由で、犬が縁の下で子を産むと、その家は縁起がよいといって赤飯を炊いて祝うこともある。また、出産を戌の日に調整することもあった。
なんにせよ、七郎兵衛にとっては終わったことだ。
そう思って立ち上がろうとしたとき。
白い子犬と目が合った。
その子犬はなぜか、他の子犬が母犬の乳に吸いついている最中、七郎兵衛に向かってよちよち歩いてきた。思わず手を伸ばすと、子犬は手の平にのってきた。
その子犬はまだ手のひらにおさまるほど小さかった。そして、まだ毛の短い薄い肌を通して、温かい体温と脈が伝わってきた。
子犬は七郎兵衛を見上げて、ぴるぴると短いしっぽを精一杯振っている。まるで七郎兵衛になにかを訴えかけているようだった。
七郎兵衛は目頭を押さえた。
生まれてくることができなかった、我が子の生まれ変わりに思えた。
「あっしと来るかい?」
子犬は嬉しそうに、返事をするように高い声で一声鳴いた。
それから七郎兵衛と子犬の共同生活が始まった。
七郎兵衛は子犬にシロと名付け、我が子のように可愛がった。
「あのときは泣きました。泣くしかなかったです」
七郎兵衛はその時の心境を思い出しているのか、辛そうに眉を寄せた。わずかに目元が光っている。
時を戻したい。妻と二人でだって十分幸せだったじゃないか。なぜ実子の後継ぎに拘ったのか。
「後悔しても仕方がない。なにも変わらない。そう思っても後悔するばかりで、仕事が手につきませんでした」
結局、七郎兵衛は商いを手放すことにした。
一番信頼できる番頭に店を譲った。
「あんなに執着していた店だったのに、なんの未練もありませんでした。どうして初めから、そういう気持ちになれなかったんでしょうねえ。そうしたら、今でも女房と商いをしていたかもしれません。あべこべのようですが」
七郎兵衛は袖から骨ばった腕を出して、額を擦って苦笑した。
しばらく七郎兵衛はなにもする気が起きず、ただ起きて食ってまた寝るだけの生活をしていた。
幸い、一生働かなくても食うには困らないほどの財産を築いていた。
なにもしない生活にも飽き、七郎兵衛は旅に出た。
大金を持ち歩いているので、安全な街道、時間帯を心掛けて移動した。
そうしているうちに、この村にたどり着いた。
「なぜか、ここだと思いました。元々あっしは農家の生まれです。この田舎の景色がしっくりきました。それに、面白ことに土地によって空気がまったく違うのですな。言葉にするのは難しいが、土地神様と話すようになってわかりましたよ。空気の違いは、土地神様の違いです。あっしにはここの水が合いました」
七郎兵衛は揶揄を含んだ視線を送ると、光仙は微笑んで受け止めた。
そして七郎兵衛はこの農村で暮らし始めた。
しかし、誰ともかかわる気はなかった。
静かに妻子を弔いながら生きていこうと決めていた。
「しかし、この村の人たちは親切でね。やれ祭りだ集会だと声をかけてくる。申し訳ないが、すべて知らぬふりをしましたよ。もう人に期待されるのも、期待するのも嫌でした。それにうっかり大事な人ができて、女房のように失った時の絶望をあじわうのはこりごりでした」
それでも、七郎兵衛が全く淋しくなかったわけではない。
そんなとき、縁の下から声が聞こえた。
軒下でしゃがんで覗いてみると、柴犬の親子がいた。出産してそれほど日が経っていないのだろう、子犬が母親の乳に吸いついている。
「数年遅かったな」
七郎兵衛は苦笑した。
犬は出産が軽いことから安産の象徴とされる。紙製の置物である犬張子が、出産のお守りとして嫁入り道具の一つに加えられているのはそのためだ。
同じ理由で、犬が縁の下で子を産むと、その家は縁起がよいといって赤飯を炊いて祝うこともある。また、出産を戌の日に調整することもあった。
なんにせよ、七郎兵衛にとっては終わったことだ。
そう思って立ち上がろうとしたとき。
白い子犬と目が合った。
その子犬はなぜか、他の子犬が母犬の乳に吸いついている最中、七郎兵衛に向かってよちよち歩いてきた。思わず手を伸ばすと、子犬は手の平にのってきた。
その子犬はまだ手のひらにおさまるほど小さかった。そして、まだ毛の短い薄い肌を通して、温かい体温と脈が伝わってきた。
子犬は七郎兵衛を見上げて、ぴるぴると短いしっぽを精一杯振っている。まるで七郎兵衛になにかを訴えかけているようだった。
七郎兵衛は目頭を押さえた。
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「あっしと来るかい?」
子犬は嬉しそうに、返事をするように高い声で一声鳴いた。
それから七郎兵衛と子犬の共同生活が始まった。
七郎兵衛は子犬にシロと名付け、我が子のように可愛がった。
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