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~出会い~
厨房破壊
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さらに3ヶ月が経過。あと3ヶ月で、ユールが公爵家に来て1年が経ちます。雪うさぎのセラも加わり、とてもほのぼのとしたスローライフを送っている今日この頃です。
ギルドには最近あまり顔を出していない。懐の金がとんでもない額になったから稼ぐ必要性があまりなくなったこともあるが、最近ではごくわずかだが、二人のことが噂になりつつあるのだ。
例の依頼の件、ギルドへ成功報告に行った時、その時ギルドにいた人は依頼が成功したことを忘れさせたが、当然それ以外にも依頼について聞いている輩はいるわけで。
成功したことを知っている者は、全員忘却魔法でその部分の記憶を綺麗さっぱり忘れさせているが、依頼を受けたことはすでにぼちぼち噂になっているようで、ギルドで職員や冒険者に向けられる視線が辛い。さらに最近は街の方にも噂が広がったらしく、街の人たちもそうやって見てくる。ほとぼりが覚めるまでギンヌンガガプには行かないようにしよう!と満場一致で決めた二人であった。これで大きな噂に発展して、公爵の耳に入ってしまったら面倒なことが起こりそうですからね。
ちなみに所持金の方は女神金貨6枚相当。貯金の方を抜いて、これである。依頼の報酬の他、トトに貢がれた分の金ももらったのだ。トータル財産約女神金貨7枚。冗談抜きに笑えない。7億エッダである。
ギンヌンガガプには行かなくなったが、クリステル渓谷にはしょっちゅう行ってます。おかげで世間では非売品とまでいわれているような、激レア級の薬草などをてんこ盛りにもらい、さらに約束通りにマックールに調合法を教えてもらった結果、現在異次元収納の中にはバカにならないほど大量の伝説級薬品が溢れている。
私は一体どこを目指しているのか、常々疑問に思えてきているユールです。
ギンヌンガガプから姿を消して以降、ユールとノルンはいつものようなほのぼの日常に戻った。お互い部屋と図書室で本を読み漁ったり、二人一緒にクリステル渓谷に遊びに行ったり、部屋でセラと戯れたり。全くもって軟禁されている娘の生活ではありません。
そんないろいろとツッコミどころ満載な生活を送っていたある日、前日に公爵家の厨房が南国の珍しい調味料を買い込んだと聞いて、ユールはその調味料を拝もうと厨房に忍び込んだ。ほとんどの調味料は手元にあるが、希少なものは一般市場には出回らないからあまり持っていないのだ。
朝食時の忙しさは終わっているようで、厨房の中はそんなにバタバタしていなかった。時間が午前の遅い時間だったから、ぼちぼち昼食の用意も始まりつつある。
あちこちを見渡して噂の調味料を探していると、厨房の隅の方に数名の料理人が固まっているのが見えた。
そこにあるのか?と近寄ったユールだったが、聞こえてきたのはバキッという音だった。
「おい、靴が汚れちまった。どうしてくれるんだ?」
「舐めて綺麗にしろよ。どうせ今日の晩飯は抜きだからなんか腹にいれておけ、よっ!」
「ぎゃはは!マジで入ったぜ。痛いか?痛いだろ!」
「自業自得だ。こいつが食品に手を付けたから、しつけだよしつけ」
「おめえみたいな汚ねえやつが公爵家の食材に触ろうとしてんじゃねえよ!」
厨房で料理を作るはずの料理人が、よってたかって一人を痛めつけていた。これではただのヤクザだな。
「ご、ごめんながはっ!」
「どうだ?土の味は。まともに食い物も食う権利がないお前にはありがたい味だよな」
「俺たちの憂さ晴らしに役立ってるだけ光栄に思えよ」
料理人の暴力の中心にいたのは、一人の少年だった。黒髪黒目の美少年だ。見たところ12歳ぐらいだろうが、栄養失調が著しいようで、同世代と比べてかなりガリガリだ。料理人見習いの制服は着ているが、その服も黄ばんでたり破れてたりほつれてたり、とにかくまともな状態じゃない。これまたひどい扱いを受けてきているようだ。
どうやらこの家は公爵夫妻だけでなく、使用人まで腐っているらしい。本格的にこの家はゴミカスの集まりのようだ。子息の方は知らないけど期待はしてない。
というかこれが料理人?完全にスラムにいる不良じゃない?この屋敷はこんな人間として終わってるようなゴミに食事を任せてるの?……これから運ばれてきたトレーごと食事は窓から投げ捨てようかな?
未だ少年に降りかかり続けている暴力のラッシュ。ちょっとどころかかなりカチンときた。日頃の仕打ちに仕返ししてやろうと決め込み、ユールはすぐそばの机においてあった、冷スープ用に冷ましているスープの鍋に手を伸ばす。
ドガシャン!
という音が厨房に鳴り響く。
その音に、テオは腫れ上がったまぶたを頑張って開き、音源に目をやる。
視線の先では、自分を取り囲んでいる料理人たちがさっきまで作っていたスープの鍋が盛大に地面に落ちている。当然中身は全て床にぶちまけてしまっている。
「ちょっ!なんで鍋がひっくりかえってるんだ!」
「おおおお俺たちが作ったスープがああああ!!」
「おい!どうすんだ!今日は冷スープを絶対出せって、旦那様言ってたよな?」
「言ってた、言ってたさ!」
「今から作るんじゃ間に合わないぞ!」
さっきまで俺に暴力をふるっていた料理人たちは、鍋が落ちたことに動転している。
ベシャッ!グシャ!
料理人たちが鍋の付近であたふたしていると、今度は別のところから音がした。
「お、おい!今度は肉が!」
「肉!?まてまてまて!昼食に使うんだぞ!?」
「やばいって、これやばいってば!肉が完全に潰れてるよ!」
「はああああああ!?それじゃ料理に使えねえじゃねえか!」
ゴゥゥゥゥウウ!
「うわっち!!おい料理長!今度はかまどの火が!!」
「な、なんだこの状況は!!なんでスープや肉が地面にぶちまけられて、かまどが火吹いてるんだよ!!!」
「「「わかりません!」」」
もう少ししたら公爵家の昼食の準備を始めないといけない時間になるのに、その目前で食材や料理がダメになる大事故が起こり、さらに突然発火したかまどの火で数名の料理人がやけどを負った。そんな天変地異に見舞われたことがない厨房は、今までにないほど激しい動揺に包まれた。
傷だらけの体だったが、いいざまだ、とテオは内心でほくそ笑んだ。あいつらは料理人のくせに料理を研究せず、既存のレシピ通りにしか料理せず、他の時間には遊んだり酒を飲んだり娼館にでかけている。そんな奴らに料理人を名乗る資格などあるものか。
ぼーっとした目で料理人たちを見ていると、上から声が降ってきた。
「動ける?」
「!」
テオの頭上から聞こえてきているようだ。首が痛いのでうまく動かせないが、見たところテオの周りに人の姿はない。一体どこから……?
「避難するよ。動ける?」
再び聞こえる鈴のような声。若い少女の声に聞こえる。どこか冷たく、無機質で、同情のかけらも含まれていない声だ。聞いていて惨めにならない、そんな心地よさがあった。
「ほら、早く」
見えない誰かに腕をつかまれた。反射的に叫ぼうとしたら、今度は見えない手で口を塞がれた。騒がないで、と言っているのだろうその手は、とても小さくて柔らかかった。
引かれるままほふく前進して進む。目指すは裏口につながっている小部屋。料理人たちは自分たちを襲った事故に手一杯なのか、テオのことは誰も気づいていない。
なんとか裏口にたどり着き、見えない誰かが開けた扉から一緒に外に出る。
体のあちこちが痛い。擦り傷や打撲、捻挫、骨折もあるかもしれない。
裏口のすぐ横の壁に背中を預け、テオはズルズルと地面に座り込む。一番痛みが強い右腕を押さえながら、テオはあたりを見渡して自分を救ってくれた人物を探そうとした。
その人物は探さずともすぐに見つかった。向こうの方から姿を見せたのだから。テオの真正面、何もないところに一瞬光が灯り、次の瞬間一人の少女が姿を現したのだ。
着ているドレスは春色のフレアワンピース。素朴だが上品なデザインのドレスだ。足元には水色の靴を履き、全体として質素な身なりだった。
見た感じ6・7歳ぐらいにしか見えない。床に流れ落ちる美しい光沢の銀髪、透き通るように白い肌、左目は髪に隠されているが右目は綺麗な水色だ。人形のように美しく、人形のように無表情な少女だった。公爵家の子供だろうか?でもこんな令嬢がいるとは聞いたことがないぞ?彼女は一体?
テオはじっと少女を見つめ、少女もテオを見つめ返す。沈黙が二人の間に流れる。やがて少女の方が、テオに手を伸ばしてきた。
「俺に、触れない方がいい」
少女の手を払いのけようとしたが、腕がうまく動いてくれなかった。それでもテオの頭上に伸ばされていた手はピタッと止まる。
「どうして?」
「俺は……呪われてるんだ」
テオの実家は、東にあるブロマ子爵家だ。そこの三男に生まれたテオだったが、彼は黒髪黒目を持って生まれた。親戚にそんな容姿の人は存在しなかったから、家族は呪いだと言った。黒の色素を持つ人間は子爵家にいない、それどころか世界で見ても珍しい部類に入る。なのに突然黒が生まれたのは、きっと悪魔の呪いなのだと。
家では腫れ物扱いされ、散々邪険されたあと、料理の修行という名目でこのリーヴ公爵家に雇われたが、現状彼は料理人たちの憂さ晴らしの道具としか扱われていない。隠す必要も無いので、テオは普通に少女に語った。
「ふぅーん」
しかしそれを聞いた少女は、興味なさげに一言つぶやいただけだった。
その無神経さに、思わず少女をにらみそうになってしまう。しかし6歳ぐらいしかない少女相手に怒ってもみっともないと思い、視線を下ろす。
「関係ないでしょ」
少女の声が、予想外の一言を紡ぐ。関係ない?今関係ないと言った?
「君にはわからない」
つい、突き放すようなことを言ってしまう。
「関係ない」
それでも少女は続ける。本当にそんなの関係ないとでもいうように。
「あなたより上はもっとたくさんいる」
何をわけのわからないことを言っているのか、と視線をあげると、少女がおもむろに髪をかきあげた。左目を隠していた、長い髪である。
「!」
髪の下から現れたのは、鮮やかな赤い瞳。その瞳を見て、テオは少女が片目を隠している理由と、自分より上はいると言った意味を悟った。
「呪われてるのは、あなただけじゃない」
そう言って、今度は少女の方が自分について語った。
ガルズ男爵家出身だったが、娼婦の子でありオッドアイだったから邪見され、ここに養女として売られてきた、と。自分のことのはずなのに、まるで他人事のように淡々と客観的に語る彼女に、テオは少女の心の闇を理解した。この少女は、長すぎる孤独の時間の中で、感情をなくしてしまったのだと。
淡々と語り終えた少女は、再びテオの頭上に手を伸ばす。今度はテオも止めなかった。
頭上にかざされた手から暖かい光がテオを包んだ。それはまるで体の一部のようにすんなりとテオの中に入ってきて、体を内側から溶かしていった。全身を襲っていた痛みが解きほぐされるように和らいでいく。
「私はユグドラシル。フルネームは一応ユグドラシル・リーヴになってる。ユールって呼んで」
治療魔法を使い終え、少女はそう名乗った。
「テオ。テオ・ブロマだ」
傷一つない状態にまで回復した体に驚き、そしてその強力すぎる光属性の魔力と治癒魔法に驚愕しながら、テオはユグドラシルと名乗った少女を見る。
「よかったら夜一緒にお話ししない?」
「え?」
突然の提案に驚いた。ユールはなぜいきなりそんな提案を?
「あなたと話してみたい」
「いや、だからなんでそんな急に」
なんだか読めない子である。考え方が人と比べてどこかずれている。人の世に生きているのに人じゃないような雰囲気がする。
「それにダメなんだ。夜には厨房の後片付けを一人でやらないといけないんだ」
「じゃあ夜にまた来る」
「だから諦め……………え?」
今、この子なんて言った?
「は?夜?またくる?」
「ん」
「いや、んじゃなくて。夜は無理だっ………」
「じゃ、また」
「え?ちょっ、待って!」
しかしユールの姿はすでにない。魔法を使って姿を消したらいい。よくもまあ、そんな高度な魔法を軽々と使えるな、と素直に感心してしまう。
その後厨房に戻ろうとしたテオは、貯蔵庫の方から破壊活動をしている音が響いているのを聞いて、ユールも相当この公爵家に恨みがあるのだなとしみじみ思うのだった。
ちなみにユールは、そのあと何事もなかったように図書室に居座り、日没まで本棚一個分の本を読み尽くしたのだった。
ギルドには最近あまり顔を出していない。懐の金がとんでもない額になったから稼ぐ必要性があまりなくなったこともあるが、最近ではごくわずかだが、二人のことが噂になりつつあるのだ。
例の依頼の件、ギルドへ成功報告に行った時、その時ギルドにいた人は依頼が成功したことを忘れさせたが、当然それ以外にも依頼について聞いている輩はいるわけで。
成功したことを知っている者は、全員忘却魔法でその部分の記憶を綺麗さっぱり忘れさせているが、依頼を受けたことはすでにぼちぼち噂になっているようで、ギルドで職員や冒険者に向けられる視線が辛い。さらに最近は街の方にも噂が広がったらしく、街の人たちもそうやって見てくる。ほとぼりが覚めるまでギンヌンガガプには行かないようにしよう!と満場一致で決めた二人であった。これで大きな噂に発展して、公爵の耳に入ってしまったら面倒なことが起こりそうですからね。
ちなみに所持金の方は女神金貨6枚相当。貯金の方を抜いて、これである。依頼の報酬の他、トトに貢がれた分の金ももらったのだ。トータル財産約女神金貨7枚。冗談抜きに笑えない。7億エッダである。
ギンヌンガガプには行かなくなったが、クリステル渓谷にはしょっちゅう行ってます。おかげで世間では非売品とまでいわれているような、激レア級の薬草などをてんこ盛りにもらい、さらに約束通りにマックールに調合法を教えてもらった結果、現在異次元収納の中にはバカにならないほど大量の伝説級薬品が溢れている。
私は一体どこを目指しているのか、常々疑問に思えてきているユールです。
ギンヌンガガプから姿を消して以降、ユールとノルンはいつものようなほのぼの日常に戻った。お互い部屋と図書室で本を読み漁ったり、二人一緒にクリステル渓谷に遊びに行ったり、部屋でセラと戯れたり。全くもって軟禁されている娘の生活ではありません。
そんないろいろとツッコミどころ満載な生活を送っていたある日、前日に公爵家の厨房が南国の珍しい調味料を買い込んだと聞いて、ユールはその調味料を拝もうと厨房に忍び込んだ。ほとんどの調味料は手元にあるが、希少なものは一般市場には出回らないからあまり持っていないのだ。
朝食時の忙しさは終わっているようで、厨房の中はそんなにバタバタしていなかった。時間が午前の遅い時間だったから、ぼちぼち昼食の用意も始まりつつある。
あちこちを見渡して噂の調味料を探していると、厨房の隅の方に数名の料理人が固まっているのが見えた。
そこにあるのか?と近寄ったユールだったが、聞こえてきたのはバキッという音だった。
「おい、靴が汚れちまった。どうしてくれるんだ?」
「舐めて綺麗にしろよ。どうせ今日の晩飯は抜きだからなんか腹にいれておけ、よっ!」
「ぎゃはは!マジで入ったぜ。痛いか?痛いだろ!」
「自業自得だ。こいつが食品に手を付けたから、しつけだよしつけ」
「おめえみたいな汚ねえやつが公爵家の食材に触ろうとしてんじゃねえよ!」
厨房で料理を作るはずの料理人が、よってたかって一人を痛めつけていた。これではただのヤクザだな。
「ご、ごめんながはっ!」
「どうだ?土の味は。まともに食い物も食う権利がないお前にはありがたい味だよな」
「俺たちの憂さ晴らしに役立ってるだけ光栄に思えよ」
料理人の暴力の中心にいたのは、一人の少年だった。黒髪黒目の美少年だ。見たところ12歳ぐらいだろうが、栄養失調が著しいようで、同世代と比べてかなりガリガリだ。料理人見習いの制服は着ているが、その服も黄ばんでたり破れてたりほつれてたり、とにかくまともな状態じゃない。これまたひどい扱いを受けてきているようだ。
どうやらこの家は公爵夫妻だけでなく、使用人まで腐っているらしい。本格的にこの家はゴミカスの集まりのようだ。子息の方は知らないけど期待はしてない。
というかこれが料理人?完全にスラムにいる不良じゃない?この屋敷はこんな人間として終わってるようなゴミに食事を任せてるの?……これから運ばれてきたトレーごと食事は窓から投げ捨てようかな?
未だ少年に降りかかり続けている暴力のラッシュ。ちょっとどころかかなりカチンときた。日頃の仕打ちに仕返ししてやろうと決め込み、ユールはすぐそばの机においてあった、冷スープ用に冷ましているスープの鍋に手を伸ばす。
ドガシャン!
という音が厨房に鳴り響く。
その音に、テオは腫れ上がったまぶたを頑張って開き、音源に目をやる。
視線の先では、自分を取り囲んでいる料理人たちがさっきまで作っていたスープの鍋が盛大に地面に落ちている。当然中身は全て床にぶちまけてしまっている。
「ちょっ!なんで鍋がひっくりかえってるんだ!」
「おおおお俺たちが作ったスープがああああ!!」
「おい!どうすんだ!今日は冷スープを絶対出せって、旦那様言ってたよな?」
「言ってた、言ってたさ!」
「今から作るんじゃ間に合わないぞ!」
さっきまで俺に暴力をふるっていた料理人たちは、鍋が落ちたことに動転している。
ベシャッ!グシャ!
料理人たちが鍋の付近であたふたしていると、今度は別のところから音がした。
「お、おい!今度は肉が!」
「肉!?まてまてまて!昼食に使うんだぞ!?」
「やばいって、これやばいってば!肉が完全に潰れてるよ!」
「はああああああ!?それじゃ料理に使えねえじゃねえか!」
ゴゥゥゥゥウウ!
「うわっち!!おい料理長!今度はかまどの火が!!」
「な、なんだこの状況は!!なんでスープや肉が地面にぶちまけられて、かまどが火吹いてるんだよ!!!」
「「「わかりません!」」」
もう少ししたら公爵家の昼食の準備を始めないといけない時間になるのに、その目前で食材や料理がダメになる大事故が起こり、さらに突然発火したかまどの火で数名の料理人がやけどを負った。そんな天変地異に見舞われたことがない厨房は、今までにないほど激しい動揺に包まれた。
傷だらけの体だったが、いいざまだ、とテオは内心でほくそ笑んだ。あいつらは料理人のくせに料理を研究せず、既存のレシピ通りにしか料理せず、他の時間には遊んだり酒を飲んだり娼館にでかけている。そんな奴らに料理人を名乗る資格などあるものか。
ぼーっとした目で料理人たちを見ていると、上から声が降ってきた。
「動ける?」
「!」
テオの頭上から聞こえてきているようだ。首が痛いのでうまく動かせないが、見たところテオの周りに人の姿はない。一体どこから……?
「避難するよ。動ける?」
再び聞こえる鈴のような声。若い少女の声に聞こえる。どこか冷たく、無機質で、同情のかけらも含まれていない声だ。聞いていて惨めにならない、そんな心地よさがあった。
「ほら、早く」
見えない誰かに腕をつかまれた。反射的に叫ぼうとしたら、今度は見えない手で口を塞がれた。騒がないで、と言っているのだろうその手は、とても小さくて柔らかかった。
引かれるままほふく前進して進む。目指すは裏口につながっている小部屋。料理人たちは自分たちを襲った事故に手一杯なのか、テオのことは誰も気づいていない。
なんとか裏口にたどり着き、見えない誰かが開けた扉から一緒に外に出る。
体のあちこちが痛い。擦り傷や打撲、捻挫、骨折もあるかもしれない。
裏口のすぐ横の壁に背中を預け、テオはズルズルと地面に座り込む。一番痛みが強い右腕を押さえながら、テオはあたりを見渡して自分を救ってくれた人物を探そうとした。
その人物は探さずともすぐに見つかった。向こうの方から姿を見せたのだから。テオの真正面、何もないところに一瞬光が灯り、次の瞬間一人の少女が姿を現したのだ。
着ているドレスは春色のフレアワンピース。素朴だが上品なデザインのドレスだ。足元には水色の靴を履き、全体として質素な身なりだった。
見た感じ6・7歳ぐらいにしか見えない。床に流れ落ちる美しい光沢の銀髪、透き通るように白い肌、左目は髪に隠されているが右目は綺麗な水色だ。人形のように美しく、人形のように無表情な少女だった。公爵家の子供だろうか?でもこんな令嬢がいるとは聞いたことがないぞ?彼女は一体?
テオはじっと少女を見つめ、少女もテオを見つめ返す。沈黙が二人の間に流れる。やがて少女の方が、テオに手を伸ばしてきた。
「俺に、触れない方がいい」
少女の手を払いのけようとしたが、腕がうまく動いてくれなかった。それでもテオの頭上に伸ばされていた手はピタッと止まる。
「どうして?」
「俺は……呪われてるんだ」
テオの実家は、東にあるブロマ子爵家だ。そこの三男に生まれたテオだったが、彼は黒髪黒目を持って生まれた。親戚にそんな容姿の人は存在しなかったから、家族は呪いだと言った。黒の色素を持つ人間は子爵家にいない、それどころか世界で見ても珍しい部類に入る。なのに突然黒が生まれたのは、きっと悪魔の呪いなのだと。
家では腫れ物扱いされ、散々邪険されたあと、料理の修行という名目でこのリーヴ公爵家に雇われたが、現状彼は料理人たちの憂さ晴らしの道具としか扱われていない。隠す必要も無いので、テオは普通に少女に語った。
「ふぅーん」
しかしそれを聞いた少女は、興味なさげに一言つぶやいただけだった。
その無神経さに、思わず少女をにらみそうになってしまう。しかし6歳ぐらいしかない少女相手に怒ってもみっともないと思い、視線を下ろす。
「関係ないでしょ」
少女の声が、予想外の一言を紡ぐ。関係ない?今関係ないと言った?
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つい、突き放すようなことを言ってしまう。
「関係ない」
それでも少女は続ける。本当にそんなの関係ないとでもいうように。
「あなたより上はもっとたくさんいる」
何をわけのわからないことを言っているのか、と視線をあげると、少女がおもむろに髪をかきあげた。左目を隠していた、長い髪である。
「!」
髪の下から現れたのは、鮮やかな赤い瞳。その瞳を見て、テオは少女が片目を隠している理由と、自分より上はいると言った意味を悟った。
「呪われてるのは、あなただけじゃない」
そう言って、今度は少女の方が自分について語った。
ガルズ男爵家出身だったが、娼婦の子でありオッドアイだったから邪見され、ここに養女として売られてきた、と。自分のことのはずなのに、まるで他人事のように淡々と客観的に語る彼女に、テオは少女の心の闇を理解した。この少女は、長すぎる孤独の時間の中で、感情をなくしてしまったのだと。
淡々と語り終えた少女は、再びテオの頭上に手を伸ばす。今度はテオも止めなかった。
頭上にかざされた手から暖かい光がテオを包んだ。それはまるで体の一部のようにすんなりとテオの中に入ってきて、体を内側から溶かしていった。全身を襲っていた痛みが解きほぐされるように和らいでいく。
「私はユグドラシル。フルネームは一応ユグドラシル・リーヴになってる。ユールって呼んで」
治療魔法を使い終え、少女はそう名乗った。
「テオ。テオ・ブロマだ」
傷一つない状態にまで回復した体に驚き、そしてその強力すぎる光属性の魔力と治癒魔法に驚愕しながら、テオはユグドラシルと名乗った少女を見る。
「よかったら夜一緒にお話ししない?」
「え?」
突然の提案に驚いた。ユールはなぜいきなりそんな提案を?
「あなたと話してみたい」
「いや、だからなんでそんな急に」
なんだか読めない子である。考え方が人と比べてどこかずれている。人の世に生きているのに人じゃないような雰囲気がする。
「それにダメなんだ。夜には厨房の後片付けを一人でやらないといけないんだ」
「じゃあ夜にまた来る」
「だから諦め……………え?」
今、この子なんて言った?
「は?夜?またくる?」
「ん」
「いや、んじゃなくて。夜は無理だっ………」
「じゃ、また」
「え?ちょっ、待って!」
しかしユールの姿はすでにない。魔法を使って姿を消したらいい。よくもまあ、そんな高度な魔法を軽々と使えるな、と素直に感心してしまう。
その後厨房に戻ろうとしたテオは、貯蔵庫の方から破壊活動をしている音が響いているのを聞いて、ユールも相当この公爵家に恨みがあるのだなとしみじみ思うのだった。
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