魔女に呪われた私に、王子殿下の夜伽は務まりません!

紺乃 藍

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1巻

1-2

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「リリア嬢」

 カティエの父であり、ヴィリアーゼン領主でもあるフィーゼル・ロナ侯爵に名前を呼ばれて、はっと顔をあげる。

「カティエのことを許してくれるか?」
「ええ、最初から怒ってなどおりません」
「では、これからもカティエと友人でいてくれるか?」
「もちろんです」
「そうか……よかった」

 そしてこの会話も五回目だ。
 答えを聞いてほっとしたように笑うフィーゼルにつられて、リリアも力なく笑う。
 あの日以来、カティエには会っていない。カティエも魔女に急襲されたことが余程ショックだったようで、体調を崩し熱が下がらないという。
 リリアもその日の夜は恐怖と不安でなかなか眠れず、明け方になってようやく眠りに落ちた。
 そして次に目が覚めたとき、リリアの身体は元の大人の姿に戻っていた。だから幼女の姿になったのは、一晩だけの不思議な出来事だった。そう信じたかった。
 しかしが落ちて月が昇ると、リリアの身体はまた幼い少女の姿に変わってしまった。
 疑惑と不安が蓄積していたせいもあるだろう。再び縮んだ自分の身体を見たリリアは、母と侍女長の前で赤子のようにわんわんと泣いてしまった。ようやく自分の身に起きた呪いの正体を理解すると、涙とともに色んな感情が流れ落ちた。
 この身体は、魔女に呪われた。
 夜になると幼女の姿になってしまう。
 朝がくると元の姿に戻ることが出来る。
 太陽と月の影響を受けながら、時間の経過とともに強制的に本来の姿と幼女の姿が入れ替わってしまう。それが『若く美しくありたいなら望みを叶えてやる』と怒鳴られてこの身に受けた呪い。
 身体が変化していく奇妙な感覚にはまだ慣れないが、五回目の縮小のときにはもはや諦めの境地に立っていた。
 一時間かけてヴィリアーゼン領の屋敷に戻っていくフィーゼルの馬車を見送ると、宵闇から視線を外したレオンと目が合った。

「今夜はお父さまと一緒に寝ようか?」
「……恥ずかしいので、遠慮いたします」

 リリアと同じく諦めの境地に辿たどりついたらしいレオンにそう言って誘われたが、リリアはぷいっと顔をそむけた。
 外見こそ四歳か五歳の子どもの姿だが、リリアの中身はれっきとした二十一歳のレディだ。領民と一緒に田畑をたがやし、水路を作り、家畜の世話を手伝いつつも己の政務もおこたらない父を尊敬しているが、一緒に寝るかどうかは別の話だ。
 今はそれよりも大事な話がある。
 リリアは暖炉の前の椅子に腰を降ろしたレオンと見つめ合って、この数日間避けてきた話題を口にした。

「お父さま。エドアルド殿下との婚姻の件ですが……」

 リリアが口を開くと、レオンも低くうなった。椅子の肘掛ひじかけに腕を乗せ、頭を抱えたレオンの心中は察するに余りある。
 リリアには婚約者がいた。それは他でもない、スーランディア王国第二王子のエドアルドだった。
 エドアルドの隣に相応ふさわしい令嬢は他にもいるはずだが、王宮はなぜか田舎の伯爵令嬢であるリリアを花嫁に指名してきた。
 リリアにはその理由がわからず、はじめは困惑した。だが名誉なことであるのは確かなので、王宮の要望を受け入れるつもりで準備を進めてきた。
 婚約が正式に決まったのは一年前。そこから今日に至るまでの間、何度か王宮へ挨拶におもむく機会をもうけた。だがそのたびに山道が崩落したり、雨も降っていないのに川が氾濫はんらんしたりと不運が続き、結局エドアルドとの対面は叶っていなかった。
 けれど、それでよかったのかもしれない。

「婚約は……辞退させて頂くしか、ないだろうな」
「はい」

 重苦しいため息が漏れる音を聞くと、リリアも目を伏せて父の意見に同意する。
 レオンの意見は至極真っ当だった。スーランディア王国の正統な血筋に『呪い』などという不吉な因子が混じることなど、決してあってはならない。
 それどころか、王国各地の管理をになっている貴族の中に呪いを受けた者がいることを知られてはいけない。不吉だ、不浄だ、と誹謗ひぼうを受ければ、父に与えられた伯爵位が剥奪はくだつされるかもしれない。領民の安寧な生活がおびやかされる可能性だってある。ならば何としても、隠し通さなければいけない。
 当然、この先リリアが誰かと添い遂げる可能性もゼロになった。名誉ある婚姻から一転して、月陰に生きる薄幸の令嬢になってしまった。
 けれどそれで父と領民を守れるなら構わない。この秘密を共有出来る働き者の領民で、今後一生子供が作れなくてもいい、という人がリリアを好いてくれるのならば、むしろ幸運なぐらいだ。
 ――そう思っていたのに。


 目の前で優しい笑顔を作ってリリアの視線と心を奪ったのは、国中の民に愛される統治者のひとり、第二王子であるエドアルド・スーランディア・ノルツェ殿下。
 この国では正統な王家の血を引く者にしか発現しないといわれる、プラチナホワイトの美しい髪。極上のサファイアのような濃い青色の濡れた瞳。絵画や彫刻のように完璧に整った美しい顔立ちと引き締まった身体。
 その完全で完璧な存在があまりに優しい視線で微笑むものだから、リリアは腰から力が抜けてそのままその場に崩れ落ちそうになってしまった。しかしすぐ後ろが壁であったことが幸いし、どうにか足に力を入れて持ちこたえる。
 言われた通りに顔を上げたが、発言は許されていない。
 すべての感情を皮膚の下に押し隠したリリアは、気味が悪いぐらいに無表情だったのだと思う。視線を外したエドアルドの肩が少し震えていて、どうやら笑われているらしいことに気が付いた。

「カティエ嬢」

 至近距離で顔を見られて恥ずかしくなったリリアの耳に、エドアルドの声が届いた。きびすを返してカティエに向き直ったエドアルドは何かを言おうと口を開いたが、そこにカティエの声が割り込んだ。

「エドアルド殿下」

 恐れていた事態が起きた。
 これがエドアルドの妃となった婚姻後ならば許されるかもしれない。けれど今のカティエはまだ彼の婚約者にすぎない。ただの婚約者の身分で王族の発言を遮断するなど無礼にもほどがある。それだけでもリリアは青ざめそうになったのに。

「私は殿下に嫁ぐために参ったのです。嬢、は止めて頂けませんか?」

 にっこりと笑顔を浮かべて主張しているが、カティエの要求はそれほど重要度が高いようには思えなかった。そんなことのためにエドアルド殿下の言葉をさえぎるなんて! と悲鳴をあげそうになったが、彼が気にした様子はなかった。

「では、カティエ」

 あっさりとカティエの要求を飲んだエドアルドは、今度こそ自分の話をするために口を開いた。

「当初通達していた時期より、披露ひろうの日取りを遅らせることになった」
「まぁ、どうしてですの?」

 カティエの驚く声が響く。この決定はリリアにも意外だった。
 スーランディア王国の王族は、王位の継承にかかわらず、二十五歳までに結婚する場合が多い。第一王子であり王太子であるセリアルドは二十一歳のときに結婚しており、しかもすでに四人の御子がいる。だがエドアルドは現在二十六歳。平原に雪が降り積もる頃には二十七歳になるというのに、エドアルドは結婚していなかった。
 それがようやく形になるのならば、一日でも早く花嫁のお披露目ひろめを終え、一日でも早く婚姻の儀式を済ませたい。スーランディア王宮もエドアルド本人も、それを望んでいると思っていた。 

「……準備はおこたるべきではないからな」

 ぼそりと呟いた後、一瞬の間を置いてエドアルドがカティエに向き直る。

「君のドレスの準備も必要だろう?」

 そう言ってカティエに微笑むエドアルドの横顔は、表現しがたい程に美しく、睫毛まつげの一本一本までが洗練された美術品のようだった。けれどリリアには、その笑顔が作り物のように思える。
 どうしてだろう。何か違和感を覚えてしまう。

「というのが理由の半分で、もう半分は政務の都合だ。すまないな」

 肩をすくめてみせたエドアルドの様子に、リリアの不思議な錯覚は消え、少しだけ心がなごむ。
 実りと収税の季節であるこの時期は、確かに忙しい。完璧に政務をこなしていると噂のエドアルドでも、生活が絡む事案まで完全掌握するのは難しいようだ。
 冗談めかしたエドアルドに、つい笑みがこぼれそうになった。もちろん失礼なことだと十分に理解しているので、表面的には無表情でやり過ごす。だがカティエにはエドアルドの発言を冗談だととらえることが出来なかったらしい。不満そうに口をとがらせながら、

「……かしこまりました」

 と呟く態度に、リリアのほうがはらはらしてしまう。
 王子の花嫁となるならば、公的な事情や政務の都合をおもんぱかるべきだ。それを不満に感じ、さらに表情に出すなど、エドアルドの仕事に理解を示さないと思われても仕方がない。
 カティエは本当にこの調子で、エドアルドと上手くやっていけるのだろうか。

「それまでは王宮内で好きに過ごしてもらって構わない」

 エドアルドはよほどふところが深いのか、それともカティエを好いているがゆえに彼女に甘いのか、特に気に留めた様子もなく、そのままくるりときびすを返した。

「悪いが、今日はこれで失礼する。案内の者を寄越よこすから少しここで待っていてくれ」

 今のエドアルドは本当に忙しいらしい。結局一度もソファに腰を下ろすことがないまま『では』と短い言葉を残して応接間を出て行ってしまった。
 扉が閉まると、リリアはふう、とため息をつく。

「エドアルド殿下は、本当に素敵な方ね」

 声をかけると、カティエが『えぇ、そうね』と呟く。

「でもお披露目ひろめよりも政務を優先するのはどうかと思うわ」

 憮然ぶぜんとして唇をとがらせる。やはりカティエの本心は不満でいっぱいのようだ。
 だが王族としての政務に加え、騎士院の総帥そうすい補佐もつとめるエドアルドが忙しいのは当たり前だ。季節や通例にのっとって行われる祭事ならばともかく、平素とは異なる儀式や夜会の時期が変わってしまうのは仕方がない。

「まぁ、私のためにドレスを新調してくれるのは嬉しいけれど」

 カティエが突然、ころりと態度を変える。エドアルドに言われた言葉を思い出したらしい。急ににこにこと笑顔を浮かべて冷めかけたお茶を口に運ぶ彼女の声は、妙にはずんでいた。

「リリアのために用意されたドレスだと、私にはウエストがゆるすぎるもの」
「……」

 余計な一言を付け足され、今度はリリアのほうが不満を抱いてしまう。
 確かにそうだろうけれど。腰が細いカティエなら、リリアのために用意されたドレスだと細かいサイズが合わないのは間違っていないけれど。そんなにはっきりと言わなくてもいいのに。

(でも……いいなぁ)

 素直にうらやましいと思う。急に決まった婚姻とはいえ、カティエはエドアルドにちゃんと愛されている。こうして仕事を中断してまで会いに来てくれる。花嫁衣装も新しいものを用意してくれる。わがままもちゃんと聞いてくれる。
 元々、社交界や祭典などの場で顔見知り同士の二人だから、愛をはぐくむのも早いのかもしれない。生涯誰とも結婚出来ないリリアにとっては、それだけで夢のような話だ。


「わぁ、素敵なお部屋~!」

 案内された広い部屋は、バルコニーへ続く大きな窓が印象的だった。落ち着いたテラコッタカラーの絨毯じゅうたんには、金と赤の絹糸で四季の花の刺繍ししゅうほどこされている。そこに天蓋てんがい付きのベッドと豪華な応接セット。猫足のドレッサーに、同じく猫足のクロゼット。支度じたくに使用する大きな鏡。
 さすがスーランディア宮殿。客間にしてはかなり立派な部屋だ。
 王侯貴族へのお披露目ひろめと国民への婚約発表が済むまで、ここがカティエの過ごす部屋となる。
 リリアには十分立派な部屋に思えたが、カティエは不満そうだった。

「滞在するのは王殿じゃなくて、宮殿の客間なのね。つまらないわ」

 カティエはため息をつくが、それは当たり前だ。
 スーランディア王宮は大きく『宮殿』と『王殿』に分けられていて、王族とその妃が生活する王殿は、王宮の中でもさらに奥の領域にある。王殿には客人の身分では入れないので、当然、カティエはまだ入ることが出来ない。エドアルドの言う『王宮内で好きに過ごしてもらって構わない』とは、あくまで広間やダンスホール、庭園や図書塔がある宮殿の話だ。
 しかし食べられない草花をでないカティエは、庭園の散策など興味はないだろう。学問も好まないので、図書塔にも近寄らない。王宮内には枢機院すうきいんに加えて騎士院や魔法院といった国政のかなめとなる機関もあるが、行ったところで働く人々の邪魔になるだけだ。
 しいて言うなら、広間やダンスホールにある装飾品や調度品を眺めることは好みそうだが、どちらにせよ、しばらくは王宮内を散策して過ごすしかない。それに王侯貴族へのお披露目ひろめが終われば王宮作法教育が始まるので、のんびり出来るのは今だけだ。

「リーリャ、これクロゼットに入れて」
「あっ、はい」

 部屋の豪華さに気を取られていると、カティエに最初の命令を受けた。
 カティエはロナ家から運ばれてきたドレスを猫足のクロゼットに移して欲しいとおおせだ。リリアはすっかりカティエの世話を焼くことが板についてきた気がする。

「宝飾品もお願い。それが終わったら、お茶が飲みたいわね」
「はい……って、応接間で飲んだばかりでしょう?」
「さっきはイエローティーだったの。次はブラックティーがいいわ」

 カティエがソファに身体を沈めて、ふう、と息を漏らす。のどが渇いているというより、口寂しいに違いない。

(持参のティーセットと茶葉はどこに仕舞ったのかしら? それにお湯はどうしたら……)
「それとね、リーリャ」

 ドレスをクロゼットに並べながら考えごとをしていると、カティエの言葉が背中にぶつかった。
 彼女は今日から改めることになったリリアの偽名をためらいなく呼べるらしい。呼ばれたリリアのほうがまだ戸惑ってしまうのに。
 カティエの順応力には感心したが、彼女に投げつけられた言葉はひどく冷たいものだった。

「あなた、私の侍女なのよ。友達みたいな口調で話しかけるの、やめてくれる?」

 急激に突きはなされて、一瞬反応が遅れる。
 振り返ると、そこにはソファの上にヒールをはいたままの足を投げ出し、だらしなく姿勢を崩したカティエがいた。しかも、視線は綺麗に整えられた自分の爪を見つめたままである。

「えっ……と?」
「今はいいわよ? でも普段からちゃんとしてないとそのうち素が出るんだから」
(えええぇ!?)

 その口振りに、あきれを通り越して絶句してしまう。

(それ、カティエが言うのね!?)

 一番言われたくない人に言われてしまった。父がいないところでは大はしゃぎし、飲み物をすする音を出し、人目がなくなった瞬間に粗雑な口調に戻る。そのカティエが、それを言う?
 壁際に寄せてある大鏡を、彼女の目の前に移動させたい。そして今まさに普段からちゃんとしていない状態のカティエに、その姿を自己認識させてあげたい。
 しかしそんなことをしてもカティエは自分の考えを変えないだろう。へそを曲げてしまうだけに違いない。カティエの機嫌を損ねると後々面倒なのは、幼少期からの付き合いなので十分に理解している。こういうときどう対処するかも、もう慣れたものだ。

「……気を付けます」

 結局こうしてリリアのほうが折れるから、いつもお人好ひとよしだと言われてしまう。
 とはいえ、親の爵位が子の振る舞いに影響することは、貴族の出自であれば誰もがちゃんと理解している。カティエのわがままに付き合って、彼女の尻ぬぐいばかりしていても笑い者になることはない。

「では、お湯を頂いて参ります」
「ん~、わかったわ~」

 クロゼットにドレスや靴を並べ、宝飾品をジュエリーケースに仕舞うと入り口で一礼する。
 ソファの上からひらひらと手を振るカティエの姿を見れば、また少し心配な気持ちになる。どうかお湯をもらって戻ってくるまでの間、誰もこの部屋を訪れませんように、と願ってしまう。


 疲労を感じながら廊下を歩いて行くと、すぐに侍女の服を着た女性と行きあった。

「あの、お尋ねしたいことがあるのですが……!」
「ん? なあに?」

 リリアに呼び止められた女性が、小さく首をかしげる。リリアのほうから挨拶をして事情を説明すると、女性はティーサロンの場所とお湯の扱い方を丁寧に教えてくれた。

「へぇ、じゃあリーリャはカティエさまのお部屋付き侍女なのね」
「そうなの。少しの間だけれど」

 かまどでお湯をかしながら、セイラと名乗った女性に返事をする。
 セイラは主に宮殿を訪れる賓客ひんきゃくをもてなす仕事を担当しているらしい。王宮に来客がないときは、騎士院や魔法院から依頼されたつくろい物をしているとのこと。
 となると本当は、セイラがカティエのお世話を担当する予定だったのかもしれない。リリアが王宮に同行することで、セイラは仕事を横取りされてしまったのかもしれない。
 申し訳なさを覚える反面、カティエの身の回りの世話をセイラにさせなくて良かった、とも思う。なぜならあのカティエが、侍女を相手にずっとかしこまった態度でいるとは思えない。彼女のわがままに付き合うのは自分だけで十分だ。

「でもカティエさまは、可哀想だわ」
「えっ……どうして?」
「だってエドアルド殿下って、あんまり笑わないんだもの」

 コポコポとお湯がく音にまぎれて聞こえた言葉に、つい首をかしげてしまう。

「笑わない……?」
「ええ、そうよ。兄王子のセリアルド殿下と違って、舞踏会や夜会もあまり好まないの。エドアルド殿下の婚約者候補なんて、私なら気が滅入ってしまうわ」
「……?」

 声をひそめたセイラの表情に違和感を覚えてしまう。そして謎が深まる。

(え……思いきり笑っていらした気がするけれど……?)

 リリアは今日、はじめて会ったエドアルドにやわらかく笑いかけられた。
 肩を震わせて可笑おかしそうに笑われた。
 二つの意味は異なると思うが、エドアルドはどちらの笑顔も見せてくれた。リリアはセイラの言う『笑わない』とは全く違う印象を抱いていたので、再度首をかしげる。

「あ、このプレート持っていって」

 疑問を感じながらポットにお湯を移していると、セイラが鉄製の板を用意してくれた。ティーワゴンの上に置かれた見慣れない鉄板を凝視ぎょうしすると、セイラがふふっと笑顔を浮かべる。

「ここの印を解除すると、紋章のところが高温になるの。お部屋でお湯を再加熱出来るわよ」
「え、本当に!?」

 すごいことをさらっと言われて、思わず感動の声が漏れる。
 確かに茶葉がしっかりとひらくためには高温のお湯を使用するといいが、部屋に戻るまでの間にお湯の温度は少し下がってしまう。それは仕方がないことだと思っていたが、この鉄板でお湯を再加熱出来るのなら、部屋でも美味しいお茶をれられる。
 さらにカティエのために用意してあったという焼き菓子がティーワゴンの上に置かれる。大食堂の厨房からその菓子を運んできたのは、紙で出来た白い鳥だった。

「リーリャは魔法が珍しい?」
「魔法自体は見たことがあるけど、魔法道具は珍しいわ」

 生命がないのに動いているという不思議な鳥を見上げると、セイラがくすくすと笑い出した。

「王宮には色んな設備や道具があるし、魔力がなくてもこうして魔法を使えるからとても便利よ」
「すごいわ……」

 セイラの説明によると、鉄製板が熱せられる魔法の効果は一回きりらしい。けれど魔力を込めれば再利用出来るので、使い終わったらここに戻しておいて、と微笑まれた。
 セイラはリリアよりも年下に見えるが、少し言葉を交わしただけで彼女が頼りになる存在だとわかる。セイラのおかげで、最初に想像していたよりずっと素敵なティータイムを用意出来そうだ。

「リーリャ」

 ティーワゴンを押してサロンを出ようとすると、後ろからセイラに呼び止められた。

「カティエさまのお部屋付きだと、自由な時間はあまりないかもしれないけれど……。この先の使用人棟に侍女たちの寮があるの。よかったら遊びに来て。リーリャと仲良くなれたら嬉しいな」
「う、うん!」
「エドアルド殿下に冷たくされたら、愚痴を言いに来てもいいからね?」
「あはは……ありがとう」

 最後の言葉にはなんと答えていいのかわからなかったが、慣れていないリリアを気遣きづかってくれていることは理解出来た。
 給仕の知識は完全に付け焼きなので、王宮に来るまでは一体どう振る舞えばいいのかとかなり不安だった。けれどセイラのおかげで、なんとかなりそうな気がしてくる。
 それに、侍女といってもつかえる相手はカティエのみ。カティエが婚約発表を終えれば、家に戻ることも決まっている。
 リリアはそれまでの間、カティエのわがままに付き合おうと決めていた。


 セイラのおかげで、火のない場所でも飲食物を温められると知ったので、夕食はカティエの部屋でパンとスープを食べた。
 そのカティエは今、王宮勤めの貴族たちとの晩餐ばんさん会に足を運んでいる。今夜の晩餐ばんさんの席にはカティエの父フィーゼルもいるので、今頃はなごやかに食事を楽しんでいるに違いない。
 リリアはバルコニーから月明かりに照らされる王宮の庭園を眺めて、はぁ、と重い息をついた。
 先程まで当たり前につかんでいたバルコニーのさくも、縮んだ身体では触れることさえ出来ない。誰かに見られては困るので、次に太陽が昇るまではこの部屋を出ることも出来ない。

「お父さま……お母さま……」

 王立学院生時代も、寮に入った最初の頃はホームシックになった。けれど身体が小さくなった今のリリアは、あの頃よりも父や母を恋しく感じる。父に頭をでてもらって、母に抱きしめてもらいたい、と強く感じてしまう。心まで小さくなったつもりはないが、気を抜けば視界にじわりと涙がにじんでいた。
 フローラスト家の屋敷でも、自分で出来ることは自分でやってきたつもりだ。だからカティエの身の回りの世話をすることそのものは、さほど大変ではない。ただ、友達に冷たい態度をとられてしまうことが、今のリリアにはなによりも切なかった。
 けれどこれは自分で選んだ道だ。わがままで自分勝手だが、大事な友人であるカティエの支えになりたい。そう望んでここに来たのだからホームシックになっている場合ではない。

(泣いている場合じゃないわ……)

 自分を叱咤しったしながら王宮庭園を眺めていると、ふと背後で部屋の扉が開く音がした。

「リーリャ? いないの?」
「います!」

 カティエの声が聞こえたので、こぼれそうになっていた涙をぐっとぬぐって部屋の中へ戻る。バルコニーは薄暗いが、豪華なシャンデリアに照らされた室内は明るい。
 入り口に駆け寄ると、カティエの表情はシャンデリア以上に明るかった。

「ドレスを脱ぐから、手伝ってちょうだい」
「は……はい」

 昼間なら問題ないが、夜のリリアは身長が縮むし、体力も落ちる。女性の支度じたくや身ほどきも満足には手伝えないが、カティエはリリアの事情など一切お構いなしのようだ。
 身長が足りないので、ソファに登ってドレスの後ろのリボンを解く。本来の姿のリリアよりも細い腰を、さらに細く際立たせたコルセットも解く。それから胸元に飾られたネックレスのめ具を外すと、カティエは大きく息をこぼして天蓋てんがい付きのベッドに腰を下ろした。

「今日の晩餐ばんさん会、エドアルド殿下は来なかったなぁ」

 カティエの呟きに、またあきれた声が出そうになってしまう。
 秋は実りと祭事の季節だ。冬を迎える前に国境周辺の整備も必要になる。税収の管理や調整の時期でもあるため、この時期は王都から離れた故郷の領地でさえ忙しいのだ。
 ならば王族として政務にあたるエドアルドが、それを上回るほど忙しいことは容易に予想出来る。呑気のんき晩餐ばんさんの席に足を運んでいられるほど、彼は暇ではないはずだ。
 リリアはそう思うが、それをカティエに説明してもきっと無駄だろう。少なくとも、今は。


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