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最終章 Side:愛梨
7話
しおりを挟む「最初に卑怯な事をしたのは、俺の方なんだ」
ふと弘翔の唇からそんな台詞が零れた。言葉の意味が分からずに首を傾けると、弘翔が困ったように苦笑いする。
「本当は愛梨の心が河上さんのものだって、最初からわかってた。でも愛梨に俺の事を見て欲しくて、振り向いて欲しくて、愛梨が寂しがってる所に付け込んだんだ」
新卒で同じ部署に配属された当時、弘翔はボーイッシュな外見の愛梨の事を、異性としては一切意識していなかった。
けれどお酒の席で『12年片思い中なんだ』と微笑んだ愛梨を見て、弘翔は会った事もない雪哉を心底羨んだ。男の子のような外見からは想像出来ないほど可愛らしい笑顔で『ずっと恋してるの』と呟いた愛梨を見て、自分もこんな風に誰かに一途に想われたいと思った。それがいつしか、愛梨から想われたいと願うようになった。
他に好きな人がいる子を好きになってどうするんだ、と何度も自問自答した。けれど愛梨の想い人は愛梨の傍にいない。何処にいるかもわからない。それなら自分にもチャンスはあるはずだと思った。玲子の花嫁姿を見て羨ましそうな顔をした愛梨を見て、今なら愛梨が手に入ると思った。
長い片思いをしている人を横から攫うなんて、卑怯だとわかっていた。幼くて拙いとは言え、愛梨とその想い人は結婚の約束までしていた。だから最初から入り込む隙なんてある筈もなかったのに、寂しそうな愛梨を見ていると、自分ならそんな思いなんてさせないのに、と思ってしまった。好きだと言わずにはいられなかった。
そう語った弘翔の顔に、じっと魅入る。
「でもまさか、付き合って1か月後に会社に来るなんて思わないだろ」
「確かに、思わない……」
そう言われて、エレベーターの中で会った通訳が愛梨の幼馴染みだと告げた時の『嘘でしょ』を思い出した。愛梨は弘翔以上に『嘘でしょ』と思ったが、その心情を聞けば、弘翔も愛梨と同じぐらいの気持ちだったかもしれない。
「でも正直、河上さんはずっと前に愛梨の事を忘れてて、今はもう好きでも何でもないと思ってた」
最初にエレベーターの中で会った時に、追いかけてこなかった。愛梨の事を名字で呼んでいた。愛梨だけじゃなく自分にまで連絡先を教えてやましい事はないと示した。それが全て、愛梨の事を何とも思っていない証拠のように思えた。
「愛梨に対してすごくあっさりしてたから、2人で会う事も許した。何なら、河上さんにもう気持ちがないことを突き付けられて、愛梨が完全に諦めるきっかけになるんじゃないかとか、本当に卑怯な事も考えてた」
「弘翔……」
「けど好きじゃないどころか、この前見た河上さんの目は『愛梨は俺のものだ』って言ってた。『早く返せ』『奪ったのはそっちだ』って言われてる気がした」
想像するに容易い。雪哉は人の良い笑顔を貼り付けて完璧に仕事をこなしているようだが、時折、野性的な視線を向けられる事がある。その瞳は氷河のように冷たいのに灼熱のように熱く、口よりも余程自分の感情を表現しているように見える。隠している内心が、滲み出るように。
「あの人、見た目優しそうなイケメンだけど、ちょっと腹黒いよな?」
「あ、弘翔もそう思うんだ……」
いつものような冗談交じりの笑顔を向けられて思わず笑いが零れそうになる。けれどそんな優しい時間も束の間、弘翔の口からは愛梨が1番聞きたくなかった言葉が紡がれてしまう。
「愛梨。一回、元の関係に戻ろう」
その言葉に、呼吸が、時間が、ピタリと止まる。表情がそのまま固まってしまう。
ドラマなんかでよく聞く台詞。それを自分が言われると、こんなにも悲しいなんて。まるで命綱をしていない状態で空中に放り出されてしまったように、急激な不安に襲われてしまう。怖くて辛くて、また涙が出そうになるほど不安な気持ちを知ってしまう。
けれど、これが弘翔を不安にさせてしまったことによる裏返しなんだと気付くと、愛梨には拒否することは出来ない。黙って受け入れるしかない。そう思っていたのに、弘翔はやっぱり優しかった。
「愛梨が戻って来てもいいように、俺は待ってるから」
弘翔は、愛梨を待つと言ってくれる。雪哉との関係をはっきりさせるまでの間、自由にすると言ってくれる。そんな優しい言葉に、つい頷きそうになってしまうけれど。
「ううん。ダメだよ、弘翔……待つのは、辛いんだから」
けれど待つのは辛い。だから待つ約束なんてしない方がいい。約束は破ってはいけないし、約束を破ると罰を受ける。できない約束なんてしないほうが良いと、よく知っているから。
だからその言葉に縋りたい気持ちをぐっと堪えて、首を横に振った。
「愛梨が言うと重みあるな」
「……うん」
「でも俺は15年も待たないから。その頃には、愛梨の名字はとっくに『河上』か『泉』になってるよ」
「え……どういう意味?」
瞠目すると、弘翔にまた笑われてしまった。愛梨が大好きな、優しい笑顔で。
「1回は自由にしてあげるけど、次に掴まえたらもう逃さないって事」
そう言った弘翔の目の色は、少しだけ雪哉の目と似ていた。形は全然違うけれど、その奥の中で揺れている感情が何となく似ている。子猫というより黒ヒョウのような。いや、弘翔にはライオンの方が似合う気がする。
その鋭い視線を発見して驚いていた愛梨の身体を、弘翔は1度だけ抱きしめてくれた。もうキスはしなかったけれど、それだけで不思議と不安な気持ちが消え去っていく。
友理香のいうように、弘翔に心臓が苦しいほどのドキドキはしないのかもしれない。
けれど安心できる事も、大事な感情のカタチだと思う。それは『恋』ではないのかもしれないけれど。
「ありがとう、弘翔」
ちゃんと大事にしてくれているとわかっているから『1回は自由にしてあげる』と言った弘翔の言葉に、少しだけ甘えることにする。
本当は手放したくない温もりが、自分の本音と話し合うことの大切さを教えてくれる。
だから愛梨は、自分の気持ちとちゃんと向き合ってみようと思う。恋愛経験が不足している自分がどんな答えが導き出せるのかは、まだわからないけれど。
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