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第三幕
「おまえの牙にかかるなら、本望だぜ。」
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第三幕
「雪、起きろ。」
軽く頬を叩かれる。
ぱちっと開けた目に飛びこんできたのは、見慣れた美貌。
紅夜も白雪も、夜目がきく。半月に近い月が放つ光が、天窓から差し込んでいるせいで、紅夜の表情がいつもよりさらに鋭利なことがわかった。
鵺を調伏した日から、既に数日経っている。その間に、新しく入った任務を一件こなし、今はもう冬休みだ。学校があると間違えて起こされたわけではない。そもそも、窓の外はまだ真っ暗だ。
(まあ、そんな間抜けな間違いなんてするやつじゃねーけど。)
「今、何時?」
目をこすりながら身を起こす白雪に、もう既に身支度を完璧に整えた紅夜が、ぴしゃりと答える。
「深夜の2時だ。5分で支度しろ。」
立ち上がり、バイクのキーを投げてくる。
「緊急招集だ。」
反射的に受け取り、白雪は身を翻す紅夜を見上げる。
紅夜の横顔に、触れたら切り裂かれそうな、張り詰めた気配。
☆
バイクを飛ばしてたどり着いた「現場」は、血の海だった。
百鬼夜行。
鬼、大髑髏、舞首、鉄鼠、魍魎、土蜘蛛、餓鬼、火車、姑獲鳥、様々な付喪神。
ありとあらゆる妖怪が、街を蹂躙している。
彼らが、がつがつと噛み砕き、咀嚼し、呑みこんでいるのは、人の手足。胴体。そして首。
白雪は、思わず口元を押さえる。
「周辺住民の避難は完了しています。結界も構築済みです。結界の維持は、残り三時間が限度です。三時間以内に、異形の殲滅を。」
インカムからは、陵の声。
「結界内に生き残っている者は?」
紅夜が端的に尋ねる。その、冷静というより冷徹と呼ぶべき落ち着きに、白雪は紅夜を凝視する。
「…生命反応はありません。突然、高濃度の瘴気が一帯を覆い、その時に…。」
流石に、インカムから返る陵の声が苦い。
高濃度の瘴気は、それを浄化する術をもたない人間にとって、猛毒と同じだ。
生きながらにして、異形に喰らわれたわけではない、という一点のみが、救いか。
「都内で、同時多発的に同様の事象が確認されており、零課に所属する陰陽師は全員いずれかの現場に派遣されています。つまり、キミたちに回せる戦力はない。」
陵の声から感情が消えた。淡々と、ただ事実のみを。
「本来、高校生に任せるべき任務ではありません。最悪の場合は、任務の放棄を許可します。」
ここまで危険度の高い依頼は、初めてだった。使える戦力は全てつぎこまなければ、乗り切れない曲面。
非常事態なのだと、陵の声が、そして眼前に広がる地獄が雄弁に物語る。
「…すみません。」
抑えきれなかった感情があふれたように、ぽつりと呟いた陵に、紅夜はいともあっさり返す。
「それだけのものはもらっている。」
その、あまりにもいつも通りの、無愛想で無表情な紅夜に、白雪は不思議と肝が据わるのを感じる。
吐き気がおさまっていく。
「これ、何とかなったら、回らない寿司でご馳走してくれよ、陵サン!」
「…善処します。」
ふっと、回線の向こうで、陵も笑みをこぼす。
「黄金、火叢紅夜、叢雨白雪の監視任務を一時解除、両名とは離れて、異形の殲滅にあたりなさい。」
「了解した!」
ぽんっと音を立て、狐耳と尻尾の少年が顕現する。
煌めく黄金のオーラとともに。
「火の玉小僧、雪ン子。死ぬでないぞ!」
一言叫び、黄金は金髪をなびかせて、結界内へ突入する。
「はいはいっと。じゃ、行きますかね。」
と、白雪は、自分よりほんのわずかに高い位置にある紅夜の瞳を仰ぐ。
命がかかっているこの状況で、爛々と輝く漆黒の瞳。その奥に危険な炎を燃やし、それが見惚れるほどに魅惑的。
「…愉しめそうだ。」
舌の先で、上唇を舐めた。
☆
パシュッ!
結界内に一歩入ったとたん、紅夜の腕が切り裂かれた。
冬着の厚い布地を、たやすく裂いて、肌に達する。
「紅!」
声を上げた白雪に、紅夜は平然と言う。
「騒ぐな。かすり傷だ。」
紅夜の目は、見えないものを見通すように、かすかに細められ、うっすらと笑う。
高速で移動する、小さな獣の群れが見える。おそらく猫と同じくらいだろう。焦げ茶の毛並。その両腕の先が、鋭い刃物と化している。
知性があるのだろう。最初の攻撃が決まっても、出方をうかがって、周囲を飛び回っている。闇雲に襲い掛かっては来ない。
しかし、それが彼らの仇になった。
「カマイタチか。」
文字通り正体を見極めた紅夜が、カードを取り出す。
「大八咫烏召喚、急急如律令!」
バサリ、と羽音をたて、巨大な三本足の鴉が出現する。
一声鳴くと、そのはばたきが、炎を生む。
狙いを定める必要は無い。
広範囲を一気に焼き払う業火。
どさ、どさ、どさ、と、次々地に落ちて行く、腕の先が刃物になった獣。かろうじて原型をとどめているが、全てが黒焦げだ。
「さっすが。」
と、口笛を吹いた白雪に、紅夜が素っ気なく言う。
「呑気だな。」
「へっ!?」
と、慌てて周囲を見回す白雪。
「あっちゃー、おまえが派手に暴れるから…。」
と、ため息をついた。
騒ぎに気付いたのだろう。
無数の妖怪に取り囲まれていた。
〈人間だ…人間がいる…〉
〈陰陽師だ…憎らし…我らの敵ぞ…〉
〈殺してしまえ…殺してしまえ…〉
〈殺して、喰ろうてしまえ…肉の一片すら残すでないぞ…〉
人とは違う声には、積もり積もった怨嗟が満ちている。
「おまえ、わざとじゃねーだろーな!」
白雪もカードを取り出す。
「吹雪童子召喚、急急如律令!」
雪混じりの風とともに、銀髪の少年が出現する。
極寒の烈風が、妖怪を凍らせていく。
紅夜と白雪は、ごく自然に背中合わせに立った。
紅夜が、新たなカードを長い指に挟む。
「烈火雷鳥召喚、急急如律令!」
バリバリバリッ!!
雷光とともに出現したのは、象より巨大な鳥だった。常に放電していて、直視できない。
烈火雷鳥が、ガッとその嘴を開く。
放たれた雷。
撃ち落とされ、妖怪の群れに直撃すると、瞬時に周囲が炎の海と化した。
肉が焼け焦げる臭いが立ち込める。
「サンダーバートか。派手だね~。」
軽口を叩きながらも、白雪も新しいカードを取り出している。
「雪崩群狼召喚、急急如律令!」
ドドドドドドッと、大地を揺るがす音とともに、白銀の狼の群れ出現する。全てを雪の重みで押し流し、埋もれさせる勢いで、妖怪たちを蹴散らしていく。
新たなカードを選びながら、白雪が紅夜に問う。
「どーよ?」
「まあまあだな。」
背中合わせに立っているので、表情は見えない。けれど、いつもの紅夜の声が、白雪に力を与える。
「お褒めに預かり、光栄ってね。」
☆
息が上がってくる。
真冬の夜。外気は0度近いのに、額から汗が滴り落ちる。
「っ、これ、キリがなくねえっ?」
荒い呼吸の下から、白雪が言う。
紅夜は、唇を引き結んで、答えない。
式神を操れば、自分自身が術を行使するよりも、霊力の消費は少なくて済む。だが、限度がある。
一体、どれだけの妖怪を屠っただろう。
五百は超えたか。
最初から、異常事態なのはわかっている。
(だが、これは異様だ。)
あとからあとから、湧いてくる妖たち。
どれも、紅夜と白雪にとっては、たいした力をもっている妖怪ではない。これだけの実力差を見せつけられたら、退くはずだ。だが、殺されるとわかっていながら、妖怪たちは向かってくる。
(捨石と、覚悟の上か?だが、なぜ。)
紅夜が、眉をひそめた。
妖怪たちは、確信しているようだ。自分たちの犠牲は無駄ではないと。ここに集った妖怪は、属性も種族もバラバラだ。それなのに、統制がとれている。
「雪。一度離脱する。何かおかしい。」
「っめっずらしーじゃんっ…おまえ、いつも。」
「無理して口を聞くな。」
紅夜にぴしゃりと遮られ、白雪は苦笑した。そのまま崩れ落ちそうになる白雪を、紅夜の腕が支えた。
「サンキュ。」
「だから黙っていろ。」
紅夜は基本的に好戦的だが、けして愚かではない。状況を的確につかむ。その聡明さがなければ、生き延びていない。高校生の紅夜たちに陵が回す任務は、ある程度の安全性が保証されているが、異形相手に絶対などないのだ。
(オレだけなら。)
ふっと、かすめた思考を、紅夜は振り払う。
新しいカードを取り出した。
「迦楼羅天召喚、急急如律令!」
金色の鳥が舞い下りた。
烈火雷鳥よりもさらに巨大だ。雷の代わりに、その輝きだけで邪悪を祓う、神聖な光をまとっている。
紅夜は、その足をつかんだ。白雪もそれにならう。
迦楼羅天がはばたこうとした瞬間。
翼が切り裂かれた。
金色の吹雪のように、羽根が舞う。
迦楼羅天の翼を撃ったのは、風の刃だった。
嵐のような突風。
どうっと地に落ちた黄金の鳥は、存在を保てなくなり、霧消する。
地面に投げ出された紅夜と白雪が、向けた視線の先。
「いかに迦楼羅天と言えど、術者の霊力が尽きかけていては、脆弱よな。」
満足そうに目を細める、異形の中の異形。
一目で、心臓が凍りつくかと思った。
化け物じみた姿ではない。人と異なるのは、額から生えた角だけ。
むしろ、極上の美貌だ。
年の頃は二十歳前後か。少年から青年へと変わる刹那の美を…羽化する直前を留めた透明な美。
膝裏までの長い漆黒の髪。肌の色は抜けるように白い。まとうのは白藍の狩衣。
笑みの形に歪む双眸は、空より深く、海より鮮やかな、青。吸い込まれそうな、魅入られたら堕ちるしかないような、蒼玉。
ざざっと、妖たちが退いて行く。
役目は果たしたというかのように。
紅夜は、唇をかみしめる。
仕掛けられた罠だったと、自覚してももう遅いのだと。それでも、諦めるわけにはいかない。カードを取り出す。
「烈火雷鳥。」
「そう急くな。」
「!?」
腕をつかまれていた。
一瞬で詰められた間合い。
すぐそばに、清廉でありながら婀娜な美貌が迫っている。
その美貌こそ、危険の証。鬼も妖怪も、高位のモノほど美しいのだから。
「そう焦ることもあるまい。せっかく整えた舞台。存分に愉しもうではないか。おまえも、本当はそれを望んでいるのだろう?」
薄い唇が、三日月の形に笑む。
「赤の王祖の末裔よ。」
紅夜が、ハッと目を見開いた。
その隙を、鬼は見逃さない。
鋭い爪が、月光を反射する。
血飛沫が飛び散った。
鬼の手に貫かれ、崩れ落ちたのは。
「雪っ!!」
紅夜は、信じられない思いで、自分を庇って倒れる白雪を受け止める。それは、ただ反射的に体が動いただけで、呆然と見開かれた瞳に、いつもの意志の強さは無い。
鬼は、全て承知していたかのように、ただ笑みを深くする。
「ゆ…き…。」
「無駄なこと。人は脆い。腹に穴が開けば助かるまい。」
鬼は、紅夜に手を伸ばす。
紅夜は、白雪を抱えたまま、後ろに跳ぶ。しかし、鬼から放たれた風が、ぐるりと四肢に巻き付いた。白雪の体を抱きとめたまま、動きを封じられた。
カードは取り出せない。
式神は呼べないが、他にも手はある。
ぎら、と漆黒の双眸が燃え立つ。
「カ。」
「だから、そう急くな。」
鬼は、紅夜の口を、掌で塞ぐ。
ひんやりとした、冷たい肌。女のように白く細い優雅な見た目とは裏腹の、鬼にふさわしい怪力だった。
そこから、何かが、紅夜の中に流れ込む。
体の奥底に眠らせていた本能にまで、たどりつく。
「何のために、俺がこんな手のこんだことをしたと思っている?わざわざ下位の妖まで使って。」
紅夜は、鬼をにらみつける。
その双眸には怯えはなく、ただ烈火の怒りだけがある。
鬼は、かすかに目を見張り、
「いい眼だな。」
と、くすりと笑みをこぼした。
「おまえたちは、数多の異形に恨まれているのだ。それを教えてやりたかった。俺が、おまえたちを殺してやると言ったら、簡単にその身を投げ出したぞ。命懸けの呪詛だ。まあ、それも当然。人間どもは、妖の住処を奪い続けているのだから。」
鬼は、奇妙に優しげな声音になる。
「人間など、愚かで醜い、矮小な存在だ。その欲には際限がなく、この地を汚し続けている。それが自らの足元を削る愚挙だと気づいていながら、止まれない。人間など、我らが餌に過ぎぬ下等種だというのに。」
睦言のような。
「だから、やめてしまえ。人間など。おまえは、こちら側に来る資格も力もあろう。」
否、ものを知らぬ幼子に言い聞かせるような。
「己の欲望を抑えつけてまで、人である必要はない。欲しいのだろう?血が。」
鬼は、ゆっくりと、紅夜から手を離す。
その唇は、常よりも鮮やかな赤に染まり、犬歯が伸びている。牙のように。
鬼は、紺碧の瞳を輝かせた。
「やはりな。だが、触れただけでは足りぬか。」
鬼は、自らの人差し指を噛んだ。
つ、と流れる鮮血は、鬼のものでも真紅。
紅夜は、その色に釘づけになる。
無意識に開いた唇に、鬼は血を流す指を突っ込む。
「!!」
嚥下したとたん、体中に電流が走ったような衝撃。
破裂して、砕け散った。
自ら望んで、自分自身を封じていた鎖が。
ぜいぜいと、荒い息をつく紅夜に、鬼は極上の笑みを閃かせた。
「オレは…。」
紅夜は腕の中の白雪を見つめる。
たった今、赤く染まった瞳で。
白雪の腹から、どくどくと流れる鮮血。
既に意識はない。
その血が放つ香りは、紅夜にとっては抗いがたい欲望を刺激する、芳醇な蜜の。
眩暈がする。
美貌の鬼が、紅夜にすっと身を寄せた。
耳もとで囁く声は、とろけるように甘い。
「呑めばいい。そして、俺とともに来い。我が同胞よ。」
「…あ…。」
過去に、一度だけ口にした味が甦る。
甘く、臓腑に沁み渡るようだった…。
同時に耳の奥に甦った、白雪の声。
紅夜は、ぎりっと奥歯をかみしめる。
「断る!」
凛と叫んだ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!!」
ゴウッ!!
真紅の炎が燃え上がる。
鬼が、初めて、紺碧の双眸を大きく見開いた。
狩衣の袖を上げて、目を庇う。
鬼が袖を下ろした時には、二人の少年の姿は忽然と消えていた。
「風の封じすら焼き切ったか。見事だ。」
逃げられたというのに、鬼はひどく満足そうだった。
「雪、起きろ。」
軽く頬を叩かれる。
ぱちっと開けた目に飛びこんできたのは、見慣れた美貌。
紅夜も白雪も、夜目がきく。半月に近い月が放つ光が、天窓から差し込んでいるせいで、紅夜の表情がいつもよりさらに鋭利なことがわかった。
鵺を調伏した日から、既に数日経っている。その間に、新しく入った任務を一件こなし、今はもう冬休みだ。学校があると間違えて起こされたわけではない。そもそも、窓の外はまだ真っ暗だ。
(まあ、そんな間抜けな間違いなんてするやつじゃねーけど。)
「今、何時?」
目をこすりながら身を起こす白雪に、もう既に身支度を完璧に整えた紅夜が、ぴしゃりと答える。
「深夜の2時だ。5分で支度しろ。」
立ち上がり、バイクのキーを投げてくる。
「緊急招集だ。」
反射的に受け取り、白雪は身を翻す紅夜を見上げる。
紅夜の横顔に、触れたら切り裂かれそうな、張り詰めた気配。
☆
バイクを飛ばしてたどり着いた「現場」は、血の海だった。
百鬼夜行。
鬼、大髑髏、舞首、鉄鼠、魍魎、土蜘蛛、餓鬼、火車、姑獲鳥、様々な付喪神。
ありとあらゆる妖怪が、街を蹂躙している。
彼らが、がつがつと噛み砕き、咀嚼し、呑みこんでいるのは、人の手足。胴体。そして首。
白雪は、思わず口元を押さえる。
「周辺住民の避難は完了しています。結界も構築済みです。結界の維持は、残り三時間が限度です。三時間以内に、異形の殲滅を。」
インカムからは、陵の声。
「結界内に生き残っている者は?」
紅夜が端的に尋ねる。その、冷静というより冷徹と呼ぶべき落ち着きに、白雪は紅夜を凝視する。
「…生命反応はありません。突然、高濃度の瘴気が一帯を覆い、その時に…。」
流石に、インカムから返る陵の声が苦い。
高濃度の瘴気は、それを浄化する術をもたない人間にとって、猛毒と同じだ。
生きながらにして、異形に喰らわれたわけではない、という一点のみが、救いか。
「都内で、同時多発的に同様の事象が確認されており、零課に所属する陰陽師は全員いずれかの現場に派遣されています。つまり、キミたちに回せる戦力はない。」
陵の声から感情が消えた。淡々と、ただ事実のみを。
「本来、高校生に任せるべき任務ではありません。最悪の場合は、任務の放棄を許可します。」
ここまで危険度の高い依頼は、初めてだった。使える戦力は全てつぎこまなければ、乗り切れない曲面。
非常事態なのだと、陵の声が、そして眼前に広がる地獄が雄弁に物語る。
「…すみません。」
抑えきれなかった感情があふれたように、ぽつりと呟いた陵に、紅夜はいともあっさり返す。
「それだけのものはもらっている。」
その、あまりにもいつも通りの、無愛想で無表情な紅夜に、白雪は不思議と肝が据わるのを感じる。
吐き気がおさまっていく。
「これ、何とかなったら、回らない寿司でご馳走してくれよ、陵サン!」
「…善処します。」
ふっと、回線の向こうで、陵も笑みをこぼす。
「黄金、火叢紅夜、叢雨白雪の監視任務を一時解除、両名とは離れて、異形の殲滅にあたりなさい。」
「了解した!」
ぽんっと音を立て、狐耳と尻尾の少年が顕現する。
煌めく黄金のオーラとともに。
「火の玉小僧、雪ン子。死ぬでないぞ!」
一言叫び、黄金は金髪をなびかせて、結界内へ突入する。
「はいはいっと。じゃ、行きますかね。」
と、白雪は、自分よりほんのわずかに高い位置にある紅夜の瞳を仰ぐ。
命がかかっているこの状況で、爛々と輝く漆黒の瞳。その奥に危険な炎を燃やし、それが見惚れるほどに魅惑的。
「…愉しめそうだ。」
舌の先で、上唇を舐めた。
☆
パシュッ!
結界内に一歩入ったとたん、紅夜の腕が切り裂かれた。
冬着の厚い布地を、たやすく裂いて、肌に達する。
「紅!」
声を上げた白雪に、紅夜は平然と言う。
「騒ぐな。かすり傷だ。」
紅夜の目は、見えないものを見通すように、かすかに細められ、うっすらと笑う。
高速で移動する、小さな獣の群れが見える。おそらく猫と同じくらいだろう。焦げ茶の毛並。その両腕の先が、鋭い刃物と化している。
知性があるのだろう。最初の攻撃が決まっても、出方をうかがって、周囲を飛び回っている。闇雲に襲い掛かっては来ない。
しかし、それが彼らの仇になった。
「カマイタチか。」
文字通り正体を見極めた紅夜が、カードを取り出す。
「大八咫烏召喚、急急如律令!」
バサリ、と羽音をたて、巨大な三本足の鴉が出現する。
一声鳴くと、そのはばたきが、炎を生む。
狙いを定める必要は無い。
広範囲を一気に焼き払う業火。
どさ、どさ、どさ、と、次々地に落ちて行く、腕の先が刃物になった獣。かろうじて原型をとどめているが、全てが黒焦げだ。
「さっすが。」
と、口笛を吹いた白雪に、紅夜が素っ気なく言う。
「呑気だな。」
「へっ!?」
と、慌てて周囲を見回す白雪。
「あっちゃー、おまえが派手に暴れるから…。」
と、ため息をついた。
騒ぎに気付いたのだろう。
無数の妖怪に取り囲まれていた。
〈人間だ…人間がいる…〉
〈陰陽師だ…憎らし…我らの敵ぞ…〉
〈殺してしまえ…殺してしまえ…〉
〈殺して、喰ろうてしまえ…肉の一片すら残すでないぞ…〉
人とは違う声には、積もり積もった怨嗟が満ちている。
「おまえ、わざとじゃねーだろーな!」
白雪もカードを取り出す。
「吹雪童子召喚、急急如律令!」
雪混じりの風とともに、銀髪の少年が出現する。
極寒の烈風が、妖怪を凍らせていく。
紅夜と白雪は、ごく自然に背中合わせに立った。
紅夜が、新たなカードを長い指に挟む。
「烈火雷鳥召喚、急急如律令!」
バリバリバリッ!!
雷光とともに出現したのは、象より巨大な鳥だった。常に放電していて、直視できない。
烈火雷鳥が、ガッとその嘴を開く。
放たれた雷。
撃ち落とされ、妖怪の群れに直撃すると、瞬時に周囲が炎の海と化した。
肉が焼け焦げる臭いが立ち込める。
「サンダーバートか。派手だね~。」
軽口を叩きながらも、白雪も新しいカードを取り出している。
「雪崩群狼召喚、急急如律令!」
ドドドドドドッと、大地を揺るがす音とともに、白銀の狼の群れ出現する。全てを雪の重みで押し流し、埋もれさせる勢いで、妖怪たちを蹴散らしていく。
新たなカードを選びながら、白雪が紅夜に問う。
「どーよ?」
「まあまあだな。」
背中合わせに立っているので、表情は見えない。けれど、いつもの紅夜の声が、白雪に力を与える。
「お褒めに預かり、光栄ってね。」
☆
息が上がってくる。
真冬の夜。外気は0度近いのに、額から汗が滴り落ちる。
「っ、これ、キリがなくねえっ?」
荒い呼吸の下から、白雪が言う。
紅夜は、唇を引き結んで、答えない。
式神を操れば、自分自身が術を行使するよりも、霊力の消費は少なくて済む。だが、限度がある。
一体、どれだけの妖怪を屠っただろう。
五百は超えたか。
最初から、異常事態なのはわかっている。
(だが、これは異様だ。)
あとからあとから、湧いてくる妖たち。
どれも、紅夜と白雪にとっては、たいした力をもっている妖怪ではない。これだけの実力差を見せつけられたら、退くはずだ。だが、殺されるとわかっていながら、妖怪たちは向かってくる。
(捨石と、覚悟の上か?だが、なぜ。)
紅夜が、眉をひそめた。
妖怪たちは、確信しているようだ。自分たちの犠牲は無駄ではないと。ここに集った妖怪は、属性も種族もバラバラだ。それなのに、統制がとれている。
「雪。一度離脱する。何かおかしい。」
「っめっずらしーじゃんっ…おまえ、いつも。」
「無理して口を聞くな。」
紅夜にぴしゃりと遮られ、白雪は苦笑した。そのまま崩れ落ちそうになる白雪を、紅夜の腕が支えた。
「サンキュ。」
「だから黙っていろ。」
紅夜は基本的に好戦的だが、けして愚かではない。状況を的確につかむ。その聡明さがなければ、生き延びていない。高校生の紅夜たちに陵が回す任務は、ある程度の安全性が保証されているが、異形相手に絶対などないのだ。
(オレだけなら。)
ふっと、かすめた思考を、紅夜は振り払う。
新しいカードを取り出した。
「迦楼羅天召喚、急急如律令!」
金色の鳥が舞い下りた。
烈火雷鳥よりもさらに巨大だ。雷の代わりに、その輝きだけで邪悪を祓う、神聖な光をまとっている。
紅夜は、その足をつかんだ。白雪もそれにならう。
迦楼羅天がはばたこうとした瞬間。
翼が切り裂かれた。
金色の吹雪のように、羽根が舞う。
迦楼羅天の翼を撃ったのは、風の刃だった。
嵐のような突風。
どうっと地に落ちた黄金の鳥は、存在を保てなくなり、霧消する。
地面に投げ出された紅夜と白雪が、向けた視線の先。
「いかに迦楼羅天と言えど、術者の霊力が尽きかけていては、脆弱よな。」
満足そうに目を細める、異形の中の異形。
一目で、心臓が凍りつくかと思った。
化け物じみた姿ではない。人と異なるのは、額から生えた角だけ。
むしろ、極上の美貌だ。
年の頃は二十歳前後か。少年から青年へと変わる刹那の美を…羽化する直前を留めた透明な美。
膝裏までの長い漆黒の髪。肌の色は抜けるように白い。まとうのは白藍の狩衣。
笑みの形に歪む双眸は、空より深く、海より鮮やかな、青。吸い込まれそうな、魅入られたら堕ちるしかないような、蒼玉。
ざざっと、妖たちが退いて行く。
役目は果たしたというかのように。
紅夜は、唇をかみしめる。
仕掛けられた罠だったと、自覚してももう遅いのだと。それでも、諦めるわけにはいかない。カードを取り出す。
「烈火雷鳥。」
「そう急くな。」
「!?」
腕をつかまれていた。
一瞬で詰められた間合い。
すぐそばに、清廉でありながら婀娜な美貌が迫っている。
その美貌こそ、危険の証。鬼も妖怪も、高位のモノほど美しいのだから。
「そう焦ることもあるまい。せっかく整えた舞台。存分に愉しもうではないか。おまえも、本当はそれを望んでいるのだろう?」
薄い唇が、三日月の形に笑む。
「赤の王祖の末裔よ。」
紅夜が、ハッと目を見開いた。
その隙を、鬼は見逃さない。
鋭い爪が、月光を反射する。
血飛沫が飛び散った。
鬼の手に貫かれ、崩れ落ちたのは。
「雪っ!!」
紅夜は、信じられない思いで、自分を庇って倒れる白雪を受け止める。それは、ただ反射的に体が動いただけで、呆然と見開かれた瞳に、いつもの意志の強さは無い。
鬼は、全て承知していたかのように、ただ笑みを深くする。
「ゆ…き…。」
「無駄なこと。人は脆い。腹に穴が開けば助かるまい。」
鬼は、紅夜に手を伸ばす。
紅夜は、白雪を抱えたまま、後ろに跳ぶ。しかし、鬼から放たれた風が、ぐるりと四肢に巻き付いた。白雪の体を抱きとめたまま、動きを封じられた。
カードは取り出せない。
式神は呼べないが、他にも手はある。
ぎら、と漆黒の双眸が燃え立つ。
「カ。」
「だから、そう急くな。」
鬼は、紅夜の口を、掌で塞ぐ。
ひんやりとした、冷たい肌。女のように白く細い優雅な見た目とは裏腹の、鬼にふさわしい怪力だった。
そこから、何かが、紅夜の中に流れ込む。
体の奥底に眠らせていた本能にまで、たどりつく。
「何のために、俺がこんな手のこんだことをしたと思っている?わざわざ下位の妖まで使って。」
紅夜は、鬼をにらみつける。
その双眸には怯えはなく、ただ烈火の怒りだけがある。
鬼は、かすかに目を見張り、
「いい眼だな。」
と、くすりと笑みをこぼした。
「おまえたちは、数多の異形に恨まれているのだ。それを教えてやりたかった。俺が、おまえたちを殺してやると言ったら、簡単にその身を投げ出したぞ。命懸けの呪詛だ。まあ、それも当然。人間どもは、妖の住処を奪い続けているのだから。」
鬼は、奇妙に優しげな声音になる。
「人間など、愚かで醜い、矮小な存在だ。その欲には際限がなく、この地を汚し続けている。それが自らの足元を削る愚挙だと気づいていながら、止まれない。人間など、我らが餌に過ぎぬ下等種だというのに。」
睦言のような。
「だから、やめてしまえ。人間など。おまえは、こちら側に来る資格も力もあろう。」
否、ものを知らぬ幼子に言い聞かせるような。
「己の欲望を抑えつけてまで、人である必要はない。欲しいのだろう?血が。」
鬼は、ゆっくりと、紅夜から手を離す。
その唇は、常よりも鮮やかな赤に染まり、犬歯が伸びている。牙のように。
鬼は、紺碧の瞳を輝かせた。
「やはりな。だが、触れただけでは足りぬか。」
鬼は、自らの人差し指を噛んだ。
つ、と流れる鮮血は、鬼のものでも真紅。
紅夜は、その色に釘づけになる。
無意識に開いた唇に、鬼は血を流す指を突っ込む。
「!!」
嚥下したとたん、体中に電流が走ったような衝撃。
破裂して、砕け散った。
自ら望んで、自分自身を封じていた鎖が。
ぜいぜいと、荒い息をつく紅夜に、鬼は極上の笑みを閃かせた。
「オレは…。」
紅夜は腕の中の白雪を見つめる。
たった今、赤く染まった瞳で。
白雪の腹から、どくどくと流れる鮮血。
既に意識はない。
その血が放つ香りは、紅夜にとっては抗いがたい欲望を刺激する、芳醇な蜜の。
眩暈がする。
美貌の鬼が、紅夜にすっと身を寄せた。
耳もとで囁く声は、とろけるように甘い。
「呑めばいい。そして、俺とともに来い。我が同胞よ。」
「…あ…。」
過去に、一度だけ口にした味が甦る。
甘く、臓腑に沁み渡るようだった…。
同時に耳の奥に甦った、白雪の声。
紅夜は、ぎりっと奥歯をかみしめる。
「断る!」
凛と叫んだ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!!」
ゴウッ!!
真紅の炎が燃え上がる。
鬼が、初めて、紺碧の双眸を大きく見開いた。
狩衣の袖を上げて、目を庇う。
鬼が袖を下ろした時には、二人の少年の姿は忽然と消えていた。
「風の封じすら焼き切ったか。見事だ。」
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