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第四幕&終幕
「おまえの牙にかかるなら、本望だぜ。」
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第四幕
白雪が病院のベッドで目を覚ましたとき、そばには、陵だけがいた。
一睡もしていないのだろうとわかる、疲労の濃い顔。それは、被害の大きさとそれにかかる処理の膨大さを物語る。
しかし、やつれてはいても、最後の一線を保ってぴしりと伸びた背筋が、彼の矜持を示している。
そして、部下に任せず、自ら白雪についていた姿勢は、責任感か、優しさか。
夜が明けて間もないことがわかる、透明な朝日の中で、シーツの白さがやけにまぶしい。
ここが、公安の息のかかった病院なのは知っている。今までの任務でも幾度か世話になったことがある。
「紅は?」
白雪の第一声はそれだった。
壊滅しかけた街も、自身の怪我も二の次にして、紅夜のことを。
明晰な頭脳をもつ陵が、珍しく口ごもった。わずかな逡巡の後、あえて、事実のみを告げる。
「行方不明です。」
白雪の顔から一気に血の気がひいた。
「火叢くんに怪我はありません。キミを零課本部に運んできたのは彼です。キミの手術が終わり、命に別状がないと医師に告げられて、その後姿を消しました。」
眼鏡の奥の、理知的な眼差しは、憂いを帯びているが、混乱している様子はない。
陵は予想していたのではないかと、白雪は思う。
自分も薄々予感していたことだった。
それは、この仕事を始めた時から。
否。
故郷の村にいた時から。
いつか、紅夜は、と。
そうならないように、手は尽くしてきたつもりだった。白雪は。
ガバッと身を起こそうとした白雪を、陵が制する。
「安静に。」
「だけど、紅が!」
食ってかかる白雪を、陵が低く静かに恫喝する。
「火叢くんが助けた命ですよ。」
「っ!」
白雪は、目を閉じ、自らを落ち着かせるために、ゆっくりと呼吸をする。
「私は、これまで、キミに実戦面の知識しか与えてきませんでした。」
独り言のように、陵が語りだす。
白雪は、黙って耳を傾けた。
わかっていた。
ことがここに至ったからこそ、明かす真実なのだと。
「それ以上を語れば、どうしても火叢くんの事情を知ることになる。彼はそれを望まなかった。けれど、今のキミは知るべきでしょう。」
☆
異類婚姻譚というのを、知っていますか?
人間と、人間以外の種が、結婚する説話の総称です。
雪女?いえいえ、馬鹿になどしていませんよ。それもれっきとした異類婚姻譚の一つで、代表的なものですね。
土御門家は、遡れば安倍晴明に行き着くのですが、かの有名な陰陽師の母も、霊力をもった狐の妖怪だったと言われています。
ええ、問題は、そこなのです。
異類婚姻の果てに生まれた子ども。
人には無い特徴や、力を得ている場合が多い彼らは、共同体の中で、「福子」と歓迎されることも「鬼子」と迫害されることもありました。
どちらの場合も、人に無い力を活かそうとしたでしょう。歓迎された場合は、共同体の役に立つために。迫害された場合は、生き抜くために。或いは、復讐のために。
日本には、人外の血の混じった家系が、いくつも存在する。
キミの本家筋、「火叢」は、そのうちの一つです。
日本でも五本の指に入る、強力な異形を祖先に持つ血筋です。我々公安の監視対象。
もちろん、代を重ねれば、異形の血は薄まる。力も弱まる。けれど、異形の血は強力です。一滴でも残っていれば、時に、「先祖がえり」が起きる。我々は、それを恐れているのです。
もうわかりますね。
火叢紅夜は、吸血鬼の先祖返りです。
彼は、一度、吸血鬼として覚醒している。
もちろん、キミも知っていますね。
私は、吸血鬼の因子を封印することと引き換えに、彼をスカウトしました。この世界に。
卑怯であることは百も承知です。
私は、土御門の当主として、無辜の民を守ることを最優先します。今までも、これからも。
だから、火叢紅夜の抹殺を命じました。
彼が、キミを置いて姿を消す理由は一つしかありません。
封印は解けた。
彼の姿を見た者は、その牙と瞳の色を確認しています。
今の彼は、人類の敵です。
☆
ビュウッと、凍てつく風が吹き抜ける、廃ビルの屋上。人気はない。
それは当然。見晴らしはいいが、真冬に、こんな場所に立つもの好きはいない。
骨まで凍りそうな風だが、今の紅夜は、ほとんど寒さを感じない。
肉体が、別の物になったのを感じる。
昨夜から一睡もしていないが、眠気は訪れず、空腹感もない。
ただ、喉が渇く。焼けるように。
勢いのない、弱々しい冬の日射しに、紅夜は、白雪はもう目が覚めただろうかと考える。
白雪の寝顔なんて、見飽きるくらいに見ている。
けれど、これが最後だと思って見つめたその顔に、ひどく苦しくなった。白雪の寝顔が、幼い頃のままで。無垢で無邪気で。あまりにも変わっていなくて。
(おまえは、どうして、ずっとオレと一緒にいたんだ?)
白雪の血を吸ったあの夜のことについて、白雪が紅夜に尋ねたことは、一度もない。だから紅夜も、触れなかった。
何も言わないまま、時だけが過ぎだ。
(おまえは、どこまで知っていたんだ?)
火叢の直系は、祖先が鬼だったことを語り継いできた。その身に宿る力の由来と、いつか目覚めるかもしれない、鬼の因子についても。しかし、分家の叢雨には知らされていないだろう。
それなのに、突然、東京に行くと告げた紅夜に、白雪は、いともあっさり言い放ったのだ。
「じゃあ、オレも行く。」
と。あれは、キャンプが終わってから数日たった、真夏の昼下がり。
うるさいくらいに、蝉が鳴いていた。
明るい陽射しを浴びて、白雪の栗色の髪が金褐色に、瞳は琥珀色に光っていた。
真夏の日射しをたっぷり浴びて咲く、大輪のヒマワリみたいな白雪の笑顔が、紅夜の中に焼き付いている。
その後に続いた、白雪の言葉も。
いつも通りの、軽やかな笑みを浮かべて。
「おまえがだめつっても、無理やりひっついてくから。オレがしつこいの、知ってるだろ?いつも、おまえがいやがっても、ずーっとまとわりついてんだから。」
いつの頃からか、白雪は、気が付くと紅夜の隣にいた。当然のような顔をして。
紅夜が、どんなに邪険にしても、まったくめげることなく。
明るくてノリがよくて、誰にでも好かれる白雪が、どうして自分の隣を選ぶのか、紅夜は尋ねたことはない。
白雪が親をどう説得したのかも、紅夜は知らない。
どういうわけなのか、陵も白雪の要望をあっさりと受け入れ、諸々の手続きを進めた。二人で東京に来て、小・中学生の頃は学生寮で、高校に入ってからは、陵が…というより公安が用意したマンションで暮らしてきた。修行は、東京に来た当日から、仕事は、中学生になった頃からこなすようになり、今に至る。
「何を考えている?赤の王祖の末裔。」
背後からかけられた、甘やかな美声に、紅夜は冷淡に返す。
「貴様に関係ない。」
「つれないことを。我らは同胞ではないか。それに、俺を目覚めさせたのは、おまえだ。」
膝裏までの、滝のようにまっすぐ流れ落ちる黒髪を風に遊ばせ、美貌の鬼が紅夜の隣に立つ。
「鵺と戦っただろう?あの時のおまえの気で、俺の眠りが破られたのだ。おまえには感謝している。だから、礼代わりに、教えてやろう。」
蒼天の双眸を、妖しく細めて。
「おまえの祖先は、ただの鬼ではない。全ての鬼は、その五鬼から始まった。ゆえに、王祖と呼ぶ。自然の気が凝って誕生した五鬼は、それぞれ、五行に通じる力を備える。おまえの祖、赤の王祖は、劫火の。そして、この俺は、烈風の。」
鬼は紅夜をのぞきこむ。
全てを冷たくはね返す、紅玉の瞳を。
「おまえは、赤の王祖に生き写しだな。光栄に思え。俺に匹敵する鬼だった。」
吐息のかかる距離で。
「おまえには、俺の名を呼ぶ権利をやろう。俺の名は、天乱王だ。」
☆
陵が立ち去り、一人きりになった病室で、白雪は、静かに覚悟を決める。
否。きっと、もっとずっと前から、覚悟なんて決まっていた。今さら、迷いはしない。
「黄金!黄金!いるんだろ!出て来てくれ!!」
さあっと、黄金の髪が流れた。
いつもとは違い、黄金は音もなく姿を現す。
出てきたとたんに、偉そうに騒々しく話し出すのが常なのだが、今は無言で白雪を見つめている。
見た目は十歳ほどの子どもなのだが、そうしていると、けして見た目通りの年ではないことを思い知らされる。
白雪は、ごくりとつばを飲み込んだ。
初めて、本当の黄金と向き合う気がした。
「黄金、頼む。何でもするから、オレを、紅のところに連れていってくれ。」
白雪にはわかっている。
陵は、既に紅夜を切り捨てた。彼にとって、優先されるべきは、この国の安寧。
(あの人は、情に流される人じゃない。)
白雪が取引できるとすれば、見返り次第で力を貸すかもしれない黄金だけ。
「言葉を軽く使うな、小僧。」
黄金の声は、底冷えのする冷たさだった。
「妖相手に、命取りと心得よ。一時の感情に流されれば後悔するぞ。」
物を知らない、愚かな子どもを叱責するように。そして、憐れむように。
「友が死ぬのは悲しいだろう。だが、人は一生のうちで、いくつもの死に遭遇するものだ。おまえにとって、これはそのうちの一つにすぎぬと知れ。耐えらぬ悲しみではない。己の命と天秤にかけるな。」
「ああ、そりゃ無理だ。オレ、紅が死ぬのには、たえられねーから。」
白雪の声は、いつもと何ら変わりなく。笑みさえ含んでいる。
「他の誰かなら、秤に乗せるまでもなく、自分の命が大事なんだけどさあ。」
さらさらと舞い落ちる粉雪のような。
「オレにとって、自分よりも紅のが断然重いって、もうとっくに決まってる。」
静かすぎるその瞳に、黄金は気圧された。
自分の五十分の一も生きていない人の子に。
「なぜ、そこまで固執する?」
「オレが、あいつのこと、そこまで好きな理由?」
☆
白雪の話を聞いて、黄金は、深く深くため息をついた。
幼さゆえの愚かさだと、そんなことで命を投げ出すのかと、否定することはたやすい。
けれど黄金は無意味だと悟る。
たとえ、自分が手を貸さずとも、この少年は自分の意志を貫き通すだろうと。
紅夜と白雪を、ずっとそばで見てきた黄金にはわかってしまう。
無駄と知りつつ、黄金は言う。
「あれはもう、鬼に堕ちた。封印が解けることが証明されてしまった。再封印が可能かどうかもわからん。再封印できたとして、それがいつまでもつのかも。だから、陵は殺すと決めた。」
苦渋の選択だっただろうと思う。凌は、けして非情な男ではないから。
「おまえが全てを失っても、あいつを取り戻せる保証はないぞ。」
白雪は、ただ笑って、頷いた。
全てわかった上で、それでもあきらめきれない渇望なのだと。
☆
凍った風が吹く、廃ビルの屋上。
紅夜は、天乱王を見据えて、薄く笑った。
天乱王が、一瞬息を止めたほどの…鬼さえ魅了する氷の微笑だった。
「オレは戦いにしか興味がない。それが、鬼の性だというなら、オレは確かに鬼だろう。」
爛々と輝く、紅蓮の瞳。
これから始まる命がけの戦いを、心底喜んでいる自分は修羅だなと自覚し、自嘲する。
結局、黄金の忠告を無駄にした。
(雪。もう、おまえのもとへは戻れない。せめて、オレが目覚めさせた鬼だけは。)
紅夜は宣告する。傲然と。
「だが、おまえと共に行く気は無い。おまえは、オレが倒す。」
天乱王は、鼻白むかと思ったが、真逆の反応だった。くくっと、喉の奥で笑う。愉悦に、碧玉の双眸がとろける。
「いいぞ。それでこそ、赤の王祖の末裔だ。」
その言葉が、合図だった。
風がうなる。
紅夜は、直感で横に飛ぶ。
コンクリートが抉り取られた。
飛散した細かい破片の一つが、紅夜の頬をかすめ、鮮血が軌跡を描く。
凄まじい威力だが、紅夜はひるまない。
頬の血を、親指の腹で、ピッと払う。
長い指で取り出したカードを、風の中に飛ばした。
「大八咫烏召喚、急急如律令!」
出現した、三本足の鴉。太陽に住む霊鳥。
「群舞!!」
紅夜の声に応えて、分裂する。
瞬き一つの間に、八咫烏の翼が、空を黒く覆い隠す。
「行け!!」
八咫烏が、一斉に羽ばたいた。
巻き起こる業火。
四方八方から、炎の波が、天乱王を襲う。
しかし、風を統べる鬼は、余裕の笑みを唇に飾る。
腕の一振り。
白藍の狩衣の袖を乱す。
それだけで、突風が吹き荒れた。
炎どころか、八咫烏も数十羽まとめて撃ち落とす。
「烈火雷鳥召喚。」
紅夜が、新たな式神を呼ぶよりも、天乱王が距離を詰める方が早い。
長い黒髪が、ザッとなびいた。
その膂力は、人間とは桁違い。たおやかなその四肢からは有り得ない速さ。
骨を軋ませる強さで肩をつかまれ、その痛みを感じるより先に、コンクリートの床に押し倒された。
背骨が悲鳴を上げる。
息もできなかった。
上から抑え込まれ、四肢はびくともしない。
長い黒髪が、帳のように紅夜を囲う。
それでも、怯えた様子もなく、紅夜は、下から天乱王をにらみつける。
鮮血の真紅の双眸は、ぎらぎらと狂おしく燃えている。
天乱王は、目を輝かせて、それに見入る。麗しい顔にはそぐわない、遊びに夢中になる童のような。
「ノウマク。」
動いた紅夜の唇を、天乱王の掌が封じる。
「それを見逃す俺ではないと、知っているだろう?無駄な。」
掌に、激痛が奔った。
天乱王が、初めて動揺を見せる。
「貴様っ…。」
紅夜から手を引き、離れた時には、既に、掌の肉が齧り取られていた。
紅夜の牙によって。
紅夜が、紅玉の双眸に、凶悪な笑みを閃かせた。
天乱王の背筋が寒くなるほどの、それでいて目を反らせない、圧倒的な蠱惑があった。
紅夜は、肉の塊を咀嚼し、ごくん、と呑みこんだ。
唇を赤く染めた天乱王の血を、舌先で舐めとる。
ドクンッと、紅夜の全身がはねる。
肉体が別のものに作り替えられる。
取り込んだのは、鬼の王の血。
それだけの威力がある。
ずずっと、紅夜の右のこめかみを割って、突き出たものがある。
角、だ。
ぽたぽたと流れる血をぬぐいもせず、紅夜は笑みを深くする。
「一口で一本か。もう一度、貴様の血をすすれば、角が二本になるのか?」
もう、もどれないと、覚悟した。だから、手段を選びはしない。
天乱王は、ぽかん、と紅夜を見つめて、肩を震わせて笑い出した。
「面白いっ!おまえは本当に面白いな!!」
心の底からこみ上げる笑み。
「おまえ、名は?」
「火叢紅夜。」
なぜ、素直に答えるのだろうと自問し、紅夜は気づいてしまう。
自分は、もう、この鬼を同胞と認めてしまっていることに。
人ならば、気に入った相手は慈しむのだろう。けれど、自分たちは、鬼だから、殺し合い、その血肉をすすることを望むのだ。
(楽しい。)
この、命がけの死闘が。
背筋に快感が駆け上って、ゾクゾクする。
ゴウッと、炎のオーラが、紅夜を包む。
同様に、天乱王は、風をまとう。
全てを焼き尽くす地獄の業火と。
あらゆるものを切り刻む、烈風の刃。
「朱雀召喚、急急如律令!!」
紅夜がカードを投げる。最後の切り札。格段に力を増した今なら使える。しかし、これで、霊力は尽きる。
炎に属する式神の頂点。南方の守護者。不浄を焼き清める神鳥。
天乱王が起こした暴風が、竜巻と化して朱雀に激突する。
閃光。
爆音。
全てが弾け飛び、廃ビルが粉塵の中に崩れ落ちた。
全身に激痛が走る。
遠のく意識の中で、馴染んだ声に呼ばれた気がした。
☆
「色男が台無しよな、青の王祖。」
全身が焼け爛れ、無惨な姿で横たわる昔馴染みに、幼い姿の化生は、そう声をかけた。
天乱王は、瞳だけを動かして、その姿を視界に入れる。
「はっ…。人間などの式神に堕ちた分際で、偉そうなことを言う。いや、貴様には似合いか。白狐の姫の仔と言っても、所詮は半妖だったな。」
かはっと血を吐いた天乱王の傍らに、黄金は膝をついた。
(死の間際まで、変わらんな。)
誇り高く、残酷で、血と争いを好む。鬼の中の鬼。
紅夜に敗れ、さぞや業腹だろうと思えば、存外、悪くないという顔をして、真冬の空を見上げていた。
自身の瞳と同じ、澄んだ蒼天を。
穏やかにも見える顔を、黄金は不思議に思う。
「悔いはないのか、天乱王。」
「ああ。面白いやつと戦えたからな。」
すうっと閉じていく、青藍の瞳。
同時に、さあっとその姿がほどけ、一陣の風に舞った。
風より生まれた鬼だ。風の中に還る。
黄金は、自分とは全く違う道を選んだ、かつての同胞とも言える相手を見送った。
(思えば、この千年、我は多くの同胞を見送ったものだ。)
寂しいとは思わない。自ら選んだ道なのだから。
狐の耳が、ぴく、と動いた。
「陵。天乱王は逝ったぞ。」
振り向かないままに声をかければ、聞き慣れた靴音が近づいて来る。
ふと、何の気まぐれか、昔話がしたくなった。
「陵。天乱王は、平安の都を荒らしまわり、悪逆非道の限りを尽くし、おまえの祖先、安倍晴明に封じられた鬼だ。天乱王は、幾たびか封印を破り、当時の陰陽師たちが相当の犠牲を払って、再度封じてきた。」
「安倍晴明…。」
陵にとってその名は、遠い先祖という以上の意味をもたない。本来ならば。
「弟の宿敵というわけですか、黄金様?」
黄金は肩ごしに振り向いた。金の髪がさらりと流れる。
「いや。我は妖の側だったからな。」
人と、妖狐との間に生まれた双子。
兄は、妖として、弟は人として生きることを選んだ。
弟は、人としての天寿をまっとうし、兄は。
「我は、あいつが人としての生を選んだ理由が、実は今でもわからぬ。だから、晴明の子孫を見守って来た。その答えを知るために。」
「答えは見つかりそうですか?」
問いかける声は、式神に対するものではなく。
親愛と敬慕が等分に含まれている。
「…どうだかな。だが、火の玉小僧が選ぶ道には興味がある。」
黄金は、立ち上がり、空を見上げる。
妖にとっても、千年は長い。ましてや、黄金は半分は人の子だ。それでも。
(我は、まだ、おまえのところにはいけぬぞ、銀。)
今はもう、自分しか知らない弟の幼名を呼ぶ。
弟の妖狐としての姿は、自分とそっくりで、けれど毛並の色だけが白銀だった。
美しい銀狐の姿を捨てて、弟は人であることを選んだ。
(おまえはどうする?)
紅夜が選ぶのは。
☆
黄金に教えられた廃ビルは、白雪の目の前で崩れ落ちた。
たちこめる粉塵。
それが晴れると、廃ビルは、半壊していた。フロアの床や天井は穴と亀裂だらけ。かろうじて残っている壁や柱も、崩壊は時間の問題に見えた。
大騒ぎになるはずだが、野次馬が集まってくることも、警察やマスコミが駆けつけることもない。
(公安が動いてんのか?)
予想はつくが、確かめようがない。そして、白雪にとって、そんなことはどうでもいい。
「紅!!」
瓦礫の山をかきわけて呼ぶ。
腹の傷が痛むが、構っていられない。
「紅、いるんだろ!!返事しろよ!!」
擦り傷だらけになった手に血が滲み、真っ赤になった頃、白雪はようやく、倒れている紅夜を見つけて駆け寄った。
全身を切り刻まれて、鮮血の中に横たわる紅夜を抱き起こす。
恐怖で、手が震えた。
否。全身が。
血の気が引く。肌が粟立つ。呼吸すら浅くなる。
今まで生きてきて、一番怖かった。
「紅!!おい、しっかりしろ!!」
長いまつ毛がぴくりと動き、紅夜のまぶたが開いたとき、白雪は安堵のあまり涙ぐんだ。
紅夜の瞳が、ルビーの色に変わっていることも、鋭い牙も、こめかみから伸びる角も、白雪にとってはささいなことだった。
「紅、よかった…。」
ぎゅっとすがりつかれて、紅夜はまだ半覚醒の状態で、かすかな吐息をもらすように呼ぶ。
「…雪…?おまえ…どうして…。」
「あのなあっ!おまえがいなくなったら、探すに決まってんだろ!!」
キッとにらみつけてくる白雪の瞳には、本気の怒りがある。
それは、長い付き合いの中でも、初めてのことかもしれなかった。白雪が、紅夜に対して激怒するのは。
紅夜は、ふっと、冷たい笑みに口角をつり上げる。嗜虐の色をまとって。
紅夜はたいてい、白雪に対して素っ気ない態度だが、今までとは明らかに違う、完全に突き放す声だった。
「で、どうするつもりだ?」
「病院連れてくに決まってんだろ!」
スマートフォンを取り出した白雪の手を、紅夜は押さえた。
「鬼のオレをか?」
紅夜が、白雪を振り払う。
人間の体なら、身動き一つできない深手のはずだった。
弾かれたスマートフォンが、ガシャンと落ちる。
紅夜は、胸の高さほどまで残っていた壁に手をついて体を支え、ゆっくりと立ち上がる。
「見たらわかるだろう?オレは、もう鬼だ。だから、おまえともここでお別れだ。帰れ。」
「やだね。」
白雪は即答した。
曇りのない、澄んだ眼差しだった。いっそ狂気を帯びるほど純粋な。
まっすぐに、紅夜を見て、寸分たりとも反らさない。
視線で絡め取る。
「おまえが鬼だろうと悪魔だろうと、そんなの、おまえをあきらめる理由になんねーよ。」
「馬鹿が。」
紅夜が吐き捨てた。
烈火の激情が燃え上がる。
反対に、声音は、極寒の冷気を孕んだ。
「オレが今、何を考えているかも知らないくせに、よくそんなことが言える。」
紅夜は、白雪の腕をつかんで引き寄せる。
「おまえの血が欲しい。」
獲物を前にした肉食獣のように、真紅の瞳がぬらりと光る。
紅夜にとって、白雪の血は特別だ。
鬼の感情は、人とは違う。
大切なものを守るのが人。
鬼は、気に入ったモノは、引き裂き、喰らい、己の一部とする。
だから、紅夜にとって、白雪の血は極上の餌。
「オレはもう、そういう化け物だ。だから。」
「オレは、おまえの牙にかかるなら本望だぜ。」
あっけらかんと、いつもの顔で笑われて、紅夜は真紅の目を丸くした。
呼吸すら忘れて、白雪を凝視した。
「おまえがそんな顔すんの超レアじゃん。びっくりすると、けっこうかわいー顔だよな。」
あははっと、子どもがはしゃぐように笑う。
「血だけじゃなくてさ、オレの命でも魂でも、おまえが欲しいなら全部やるよ。」
白雪はシャツのボタンを一つはずし、首筋をさらした。
「だいたい、今さらじゃん?」
おぼえていたのか、と紅夜は言いかけて、のみこんだ。
忘れるはずもないのだ。あの遠い夏の夜を。
紅夜は、白雪の首筋に唇を寄せる。
ふっと吐息がかかる。
白雪は動かない。
肌を貫いて、二本の牙が肉を刺す。
激痛に上がりそうになる悲鳴を、白雪はかみ殺す。
紅夜の喉が、ごくりと動く。
紅夜の唇が、白雪の肌に、そっと落ちた。牙とは裏腹の優しさで、羽毛のように触れて。
けれど、次の瞬間に、同じ唇が、あふれ出る鮮血を吸い上げる。
喉を通って胃の腑に落ちる甘露。
全身が熱くて溶けそうになる。
頭の芯が甘くしびれていく。
酩酊。
くら、と白雪の意識が遠のいた。
「ごめん。」
と耳朶をかすめた紅夜の声に
「気にすんなよ。」
と返したところで、意識が闇に沈んだ。
終幕
斜めに差し込む月光が、雪の顔を照らしている。
ガキみたいな寝顔だ。本当に、変わっていない。
「…紅…。」
「なんだ?」
返る言葉がない。どういうことだ、と思ったら、雪はすうすうと平和な寝息をたてていた。
(寝言か。)
どんな夢を見ているか知らないが、まぎらわしい。
と、思ったら、雪がぱちっと目を開けた。
「紅!!」
ぎしっとベッドが軋む勢いで身を起こした雪が、力任せにオレの両肩をつかんでくる。
ベッドの端に座っていたオレは、突き飛ばされそうになって、何とか踏み止まった。
落すとす気か、と言いかけて、オレは何も言えなくなった。
「あーよかったあ…。」
雪が、ぱすっと、額をオレの胸に押し付けてきた。
「おい。」
「わりー。安心したら気が抜けた。」
ずるっと、オレの両肩から、雪の手が落ちる。そのまま、胸の辺りをつかまれた。
「おまえが、オレが寝てる間にどっか行っちまう夢みててさあ…。」
はーっと、心底安心した、みたいな、大きな息をついている。
くっついたままの雪。
「離せ。」
「えー、もうちょっといーじゃん。減るもんじゃねーだろ。」
どうしてこいつは、何も無かったかのように、いつも通りなのか。
「わかっているのか、オレは。」
「わかってるって。」
雪が、顔を上げた。いつもと変わらず、底抜けに明るく笑っている。
本当に、こいつは。
両手で、オレの服をつかんだまま、雪が言う。きょとんと首をかしげて。
「あれ?おまえ、角、どした?」
なぜ、そんなに簡単に訊くのか。対抗意識でもないが、オレもいつも通りに言う。
「折った。」
「折ったあ?うわ、痛そう…。」
雪は、大げさに眉を上げている。相変わらず表情がよく変わるやつだ。
「腹に穴の開いたやつに言われたくはない。」
「いや、オレは自分で開けたわけじゃねーし。」
駄目だ。論点がずれてきている。
「だが、牙も眼もこのままだ。吸血衝動も。」
声から、すっと、一切の感情が抜けた。
オレは、雪にどんな答えを期待しているのだろう。
「おまえは、一生、オレに血を差し出すつもりなのか。」
「うん。だって、それなら、オレは、一生おまえを縛っておけるじゃん。」
オレは、相当間抜けな顔をさらしていたらしい。
雪は、オレの胸から手を離して、ばしばしとオレの体中を叩き出す。笑い転げながら。
「やめろ、傷にひびく!」
「あ、悪い!!」
慌てて、パッと離れた雪は、自分の腹の傷も痛んだのか、一瞬、顔をしかめた。やっぱり馬鹿だ。けれど、すぐに悪戯が成功したガキみたいに笑う。
「幻想ぶち壊して悪いけどさ、オレ、そんなに健気なヤツじゃねーの。」
明るい色の瞳。
月光を映して金色に光る。
「オレ、おまえっていつかオレ置いてどっか行っちまうんじゃないかって、ガキの頃から心配だったんだぜ。でも、これで安心だ。」
ぎゅっと抱きつかれて、オレは固まった。
どうして、おまえは、こんなにあたたかい?
ふりほどかず、逆に雪の背中に腕を回した。
え、と上がった小さな声。無視していたら、ふ、と笑う気配がして、こめられた力が強くなる。
泣きそうになった顔を見られたくなかったからだ。それだけだ。
☆
何年も後になって、雪が、何の脈絡もなく言い出したことがある。
「おまえは、青の王祖って鬼と戦ってる時から、鬼じゃなくて人を選んでたぜ。だって、朱雀呼んでたじゃん。」
キレイな赤だったぜ、マジで神の鳥って感じだった。あ、でも、おまえの目の色には負けるけど、と雪は目を細めて。
「それって、陰陽師として戦ったってことだろ。」
もし、オレが無意識にでも人であることを選んだのなら、それは、きっと。
雪、おまえの隣にもどるためだ。
終
白雪が病院のベッドで目を覚ましたとき、そばには、陵だけがいた。
一睡もしていないのだろうとわかる、疲労の濃い顔。それは、被害の大きさとそれにかかる処理の膨大さを物語る。
しかし、やつれてはいても、最後の一線を保ってぴしりと伸びた背筋が、彼の矜持を示している。
そして、部下に任せず、自ら白雪についていた姿勢は、責任感か、優しさか。
夜が明けて間もないことがわかる、透明な朝日の中で、シーツの白さがやけにまぶしい。
ここが、公安の息のかかった病院なのは知っている。今までの任務でも幾度か世話になったことがある。
「紅は?」
白雪の第一声はそれだった。
壊滅しかけた街も、自身の怪我も二の次にして、紅夜のことを。
明晰な頭脳をもつ陵が、珍しく口ごもった。わずかな逡巡の後、あえて、事実のみを告げる。
「行方不明です。」
白雪の顔から一気に血の気がひいた。
「火叢くんに怪我はありません。キミを零課本部に運んできたのは彼です。キミの手術が終わり、命に別状がないと医師に告げられて、その後姿を消しました。」
眼鏡の奥の、理知的な眼差しは、憂いを帯びているが、混乱している様子はない。
陵は予想していたのではないかと、白雪は思う。
自分も薄々予感していたことだった。
それは、この仕事を始めた時から。
否。
故郷の村にいた時から。
いつか、紅夜は、と。
そうならないように、手は尽くしてきたつもりだった。白雪は。
ガバッと身を起こそうとした白雪を、陵が制する。
「安静に。」
「だけど、紅が!」
食ってかかる白雪を、陵が低く静かに恫喝する。
「火叢くんが助けた命ですよ。」
「っ!」
白雪は、目を閉じ、自らを落ち着かせるために、ゆっくりと呼吸をする。
「私は、これまで、キミに実戦面の知識しか与えてきませんでした。」
独り言のように、陵が語りだす。
白雪は、黙って耳を傾けた。
わかっていた。
ことがここに至ったからこそ、明かす真実なのだと。
「それ以上を語れば、どうしても火叢くんの事情を知ることになる。彼はそれを望まなかった。けれど、今のキミは知るべきでしょう。」
☆
異類婚姻譚というのを、知っていますか?
人間と、人間以外の種が、結婚する説話の総称です。
雪女?いえいえ、馬鹿になどしていませんよ。それもれっきとした異類婚姻譚の一つで、代表的なものですね。
土御門家は、遡れば安倍晴明に行き着くのですが、かの有名な陰陽師の母も、霊力をもった狐の妖怪だったと言われています。
ええ、問題は、そこなのです。
異類婚姻の果てに生まれた子ども。
人には無い特徴や、力を得ている場合が多い彼らは、共同体の中で、「福子」と歓迎されることも「鬼子」と迫害されることもありました。
どちらの場合も、人に無い力を活かそうとしたでしょう。歓迎された場合は、共同体の役に立つために。迫害された場合は、生き抜くために。或いは、復讐のために。
日本には、人外の血の混じった家系が、いくつも存在する。
キミの本家筋、「火叢」は、そのうちの一つです。
日本でも五本の指に入る、強力な異形を祖先に持つ血筋です。我々公安の監視対象。
もちろん、代を重ねれば、異形の血は薄まる。力も弱まる。けれど、異形の血は強力です。一滴でも残っていれば、時に、「先祖がえり」が起きる。我々は、それを恐れているのです。
もうわかりますね。
火叢紅夜は、吸血鬼の先祖返りです。
彼は、一度、吸血鬼として覚醒している。
もちろん、キミも知っていますね。
私は、吸血鬼の因子を封印することと引き換えに、彼をスカウトしました。この世界に。
卑怯であることは百も承知です。
私は、土御門の当主として、無辜の民を守ることを最優先します。今までも、これからも。
だから、火叢紅夜の抹殺を命じました。
彼が、キミを置いて姿を消す理由は一つしかありません。
封印は解けた。
彼の姿を見た者は、その牙と瞳の色を確認しています。
今の彼は、人類の敵です。
☆
ビュウッと、凍てつく風が吹き抜ける、廃ビルの屋上。人気はない。
それは当然。見晴らしはいいが、真冬に、こんな場所に立つもの好きはいない。
骨まで凍りそうな風だが、今の紅夜は、ほとんど寒さを感じない。
肉体が、別の物になったのを感じる。
昨夜から一睡もしていないが、眠気は訪れず、空腹感もない。
ただ、喉が渇く。焼けるように。
勢いのない、弱々しい冬の日射しに、紅夜は、白雪はもう目が覚めただろうかと考える。
白雪の寝顔なんて、見飽きるくらいに見ている。
けれど、これが最後だと思って見つめたその顔に、ひどく苦しくなった。白雪の寝顔が、幼い頃のままで。無垢で無邪気で。あまりにも変わっていなくて。
(おまえは、どうして、ずっとオレと一緒にいたんだ?)
白雪の血を吸ったあの夜のことについて、白雪が紅夜に尋ねたことは、一度もない。だから紅夜も、触れなかった。
何も言わないまま、時だけが過ぎだ。
(おまえは、どこまで知っていたんだ?)
火叢の直系は、祖先が鬼だったことを語り継いできた。その身に宿る力の由来と、いつか目覚めるかもしれない、鬼の因子についても。しかし、分家の叢雨には知らされていないだろう。
それなのに、突然、東京に行くと告げた紅夜に、白雪は、いともあっさり言い放ったのだ。
「じゃあ、オレも行く。」
と。あれは、キャンプが終わってから数日たった、真夏の昼下がり。
うるさいくらいに、蝉が鳴いていた。
明るい陽射しを浴びて、白雪の栗色の髪が金褐色に、瞳は琥珀色に光っていた。
真夏の日射しをたっぷり浴びて咲く、大輪のヒマワリみたいな白雪の笑顔が、紅夜の中に焼き付いている。
その後に続いた、白雪の言葉も。
いつも通りの、軽やかな笑みを浮かべて。
「おまえがだめつっても、無理やりひっついてくから。オレがしつこいの、知ってるだろ?いつも、おまえがいやがっても、ずーっとまとわりついてんだから。」
いつの頃からか、白雪は、気が付くと紅夜の隣にいた。当然のような顔をして。
紅夜が、どんなに邪険にしても、まったくめげることなく。
明るくてノリがよくて、誰にでも好かれる白雪が、どうして自分の隣を選ぶのか、紅夜は尋ねたことはない。
白雪が親をどう説得したのかも、紅夜は知らない。
どういうわけなのか、陵も白雪の要望をあっさりと受け入れ、諸々の手続きを進めた。二人で東京に来て、小・中学生の頃は学生寮で、高校に入ってからは、陵が…というより公安が用意したマンションで暮らしてきた。修行は、東京に来た当日から、仕事は、中学生になった頃からこなすようになり、今に至る。
「何を考えている?赤の王祖の末裔。」
背後からかけられた、甘やかな美声に、紅夜は冷淡に返す。
「貴様に関係ない。」
「つれないことを。我らは同胞ではないか。それに、俺を目覚めさせたのは、おまえだ。」
膝裏までの、滝のようにまっすぐ流れ落ちる黒髪を風に遊ばせ、美貌の鬼が紅夜の隣に立つ。
「鵺と戦っただろう?あの時のおまえの気で、俺の眠りが破られたのだ。おまえには感謝している。だから、礼代わりに、教えてやろう。」
蒼天の双眸を、妖しく細めて。
「おまえの祖先は、ただの鬼ではない。全ての鬼は、その五鬼から始まった。ゆえに、王祖と呼ぶ。自然の気が凝って誕生した五鬼は、それぞれ、五行に通じる力を備える。おまえの祖、赤の王祖は、劫火の。そして、この俺は、烈風の。」
鬼は紅夜をのぞきこむ。
全てを冷たくはね返す、紅玉の瞳を。
「おまえは、赤の王祖に生き写しだな。光栄に思え。俺に匹敵する鬼だった。」
吐息のかかる距離で。
「おまえには、俺の名を呼ぶ権利をやろう。俺の名は、天乱王だ。」
☆
陵が立ち去り、一人きりになった病室で、白雪は、静かに覚悟を決める。
否。きっと、もっとずっと前から、覚悟なんて決まっていた。今さら、迷いはしない。
「黄金!黄金!いるんだろ!出て来てくれ!!」
さあっと、黄金の髪が流れた。
いつもとは違い、黄金は音もなく姿を現す。
出てきたとたんに、偉そうに騒々しく話し出すのが常なのだが、今は無言で白雪を見つめている。
見た目は十歳ほどの子どもなのだが、そうしていると、けして見た目通りの年ではないことを思い知らされる。
白雪は、ごくりとつばを飲み込んだ。
初めて、本当の黄金と向き合う気がした。
「黄金、頼む。何でもするから、オレを、紅のところに連れていってくれ。」
白雪にはわかっている。
陵は、既に紅夜を切り捨てた。彼にとって、優先されるべきは、この国の安寧。
(あの人は、情に流される人じゃない。)
白雪が取引できるとすれば、見返り次第で力を貸すかもしれない黄金だけ。
「言葉を軽く使うな、小僧。」
黄金の声は、底冷えのする冷たさだった。
「妖相手に、命取りと心得よ。一時の感情に流されれば後悔するぞ。」
物を知らない、愚かな子どもを叱責するように。そして、憐れむように。
「友が死ぬのは悲しいだろう。だが、人は一生のうちで、いくつもの死に遭遇するものだ。おまえにとって、これはそのうちの一つにすぎぬと知れ。耐えらぬ悲しみではない。己の命と天秤にかけるな。」
「ああ、そりゃ無理だ。オレ、紅が死ぬのには、たえられねーから。」
白雪の声は、いつもと何ら変わりなく。笑みさえ含んでいる。
「他の誰かなら、秤に乗せるまでもなく、自分の命が大事なんだけどさあ。」
さらさらと舞い落ちる粉雪のような。
「オレにとって、自分よりも紅のが断然重いって、もうとっくに決まってる。」
静かすぎるその瞳に、黄金は気圧された。
自分の五十分の一も生きていない人の子に。
「なぜ、そこまで固執する?」
「オレが、あいつのこと、そこまで好きな理由?」
☆
白雪の話を聞いて、黄金は、深く深くため息をついた。
幼さゆえの愚かさだと、そんなことで命を投げ出すのかと、否定することはたやすい。
けれど黄金は無意味だと悟る。
たとえ、自分が手を貸さずとも、この少年は自分の意志を貫き通すだろうと。
紅夜と白雪を、ずっとそばで見てきた黄金にはわかってしまう。
無駄と知りつつ、黄金は言う。
「あれはもう、鬼に堕ちた。封印が解けることが証明されてしまった。再封印が可能かどうかもわからん。再封印できたとして、それがいつまでもつのかも。だから、陵は殺すと決めた。」
苦渋の選択だっただろうと思う。凌は、けして非情な男ではないから。
「おまえが全てを失っても、あいつを取り戻せる保証はないぞ。」
白雪は、ただ笑って、頷いた。
全てわかった上で、それでもあきらめきれない渇望なのだと。
☆
凍った風が吹く、廃ビルの屋上。
紅夜は、天乱王を見据えて、薄く笑った。
天乱王が、一瞬息を止めたほどの…鬼さえ魅了する氷の微笑だった。
「オレは戦いにしか興味がない。それが、鬼の性だというなら、オレは確かに鬼だろう。」
爛々と輝く、紅蓮の瞳。
これから始まる命がけの戦いを、心底喜んでいる自分は修羅だなと自覚し、自嘲する。
結局、黄金の忠告を無駄にした。
(雪。もう、おまえのもとへは戻れない。せめて、オレが目覚めさせた鬼だけは。)
紅夜は宣告する。傲然と。
「だが、おまえと共に行く気は無い。おまえは、オレが倒す。」
天乱王は、鼻白むかと思ったが、真逆の反応だった。くくっと、喉の奥で笑う。愉悦に、碧玉の双眸がとろける。
「いいぞ。それでこそ、赤の王祖の末裔だ。」
その言葉が、合図だった。
風がうなる。
紅夜は、直感で横に飛ぶ。
コンクリートが抉り取られた。
飛散した細かい破片の一つが、紅夜の頬をかすめ、鮮血が軌跡を描く。
凄まじい威力だが、紅夜はひるまない。
頬の血を、親指の腹で、ピッと払う。
長い指で取り出したカードを、風の中に飛ばした。
「大八咫烏召喚、急急如律令!」
出現した、三本足の鴉。太陽に住む霊鳥。
「群舞!!」
紅夜の声に応えて、分裂する。
瞬き一つの間に、八咫烏の翼が、空を黒く覆い隠す。
「行け!!」
八咫烏が、一斉に羽ばたいた。
巻き起こる業火。
四方八方から、炎の波が、天乱王を襲う。
しかし、風を統べる鬼は、余裕の笑みを唇に飾る。
腕の一振り。
白藍の狩衣の袖を乱す。
それだけで、突風が吹き荒れた。
炎どころか、八咫烏も数十羽まとめて撃ち落とす。
「烈火雷鳥召喚。」
紅夜が、新たな式神を呼ぶよりも、天乱王が距離を詰める方が早い。
長い黒髪が、ザッとなびいた。
その膂力は、人間とは桁違い。たおやかなその四肢からは有り得ない速さ。
骨を軋ませる強さで肩をつかまれ、その痛みを感じるより先に、コンクリートの床に押し倒された。
背骨が悲鳴を上げる。
息もできなかった。
上から抑え込まれ、四肢はびくともしない。
長い黒髪が、帳のように紅夜を囲う。
それでも、怯えた様子もなく、紅夜は、下から天乱王をにらみつける。
鮮血の真紅の双眸は、ぎらぎらと狂おしく燃えている。
天乱王は、目を輝かせて、それに見入る。麗しい顔にはそぐわない、遊びに夢中になる童のような。
「ノウマク。」
動いた紅夜の唇を、天乱王の掌が封じる。
「それを見逃す俺ではないと、知っているだろう?無駄な。」
掌に、激痛が奔った。
天乱王が、初めて動揺を見せる。
「貴様っ…。」
紅夜から手を引き、離れた時には、既に、掌の肉が齧り取られていた。
紅夜の牙によって。
紅夜が、紅玉の双眸に、凶悪な笑みを閃かせた。
天乱王の背筋が寒くなるほどの、それでいて目を反らせない、圧倒的な蠱惑があった。
紅夜は、肉の塊を咀嚼し、ごくん、と呑みこんだ。
唇を赤く染めた天乱王の血を、舌先で舐めとる。
ドクンッと、紅夜の全身がはねる。
肉体が別のものに作り替えられる。
取り込んだのは、鬼の王の血。
それだけの威力がある。
ずずっと、紅夜の右のこめかみを割って、突き出たものがある。
角、だ。
ぽたぽたと流れる血をぬぐいもせず、紅夜は笑みを深くする。
「一口で一本か。もう一度、貴様の血をすすれば、角が二本になるのか?」
もう、もどれないと、覚悟した。だから、手段を選びはしない。
天乱王は、ぽかん、と紅夜を見つめて、肩を震わせて笑い出した。
「面白いっ!おまえは本当に面白いな!!」
心の底からこみ上げる笑み。
「おまえ、名は?」
「火叢紅夜。」
なぜ、素直に答えるのだろうと自問し、紅夜は気づいてしまう。
自分は、もう、この鬼を同胞と認めてしまっていることに。
人ならば、気に入った相手は慈しむのだろう。けれど、自分たちは、鬼だから、殺し合い、その血肉をすすることを望むのだ。
(楽しい。)
この、命がけの死闘が。
背筋に快感が駆け上って、ゾクゾクする。
ゴウッと、炎のオーラが、紅夜を包む。
同様に、天乱王は、風をまとう。
全てを焼き尽くす地獄の業火と。
あらゆるものを切り刻む、烈風の刃。
「朱雀召喚、急急如律令!!」
紅夜がカードを投げる。最後の切り札。格段に力を増した今なら使える。しかし、これで、霊力は尽きる。
炎に属する式神の頂点。南方の守護者。不浄を焼き清める神鳥。
天乱王が起こした暴風が、竜巻と化して朱雀に激突する。
閃光。
爆音。
全てが弾け飛び、廃ビルが粉塵の中に崩れ落ちた。
全身に激痛が走る。
遠のく意識の中で、馴染んだ声に呼ばれた気がした。
☆
「色男が台無しよな、青の王祖。」
全身が焼け爛れ、無惨な姿で横たわる昔馴染みに、幼い姿の化生は、そう声をかけた。
天乱王は、瞳だけを動かして、その姿を視界に入れる。
「はっ…。人間などの式神に堕ちた分際で、偉そうなことを言う。いや、貴様には似合いか。白狐の姫の仔と言っても、所詮は半妖だったな。」
かはっと血を吐いた天乱王の傍らに、黄金は膝をついた。
(死の間際まで、変わらんな。)
誇り高く、残酷で、血と争いを好む。鬼の中の鬼。
紅夜に敗れ、さぞや業腹だろうと思えば、存外、悪くないという顔をして、真冬の空を見上げていた。
自身の瞳と同じ、澄んだ蒼天を。
穏やかにも見える顔を、黄金は不思議に思う。
「悔いはないのか、天乱王。」
「ああ。面白いやつと戦えたからな。」
すうっと閉じていく、青藍の瞳。
同時に、さあっとその姿がほどけ、一陣の風に舞った。
風より生まれた鬼だ。風の中に還る。
黄金は、自分とは全く違う道を選んだ、かつての同胞とも言える相手を見送った。
(思えば、この千年、我は多くの同胞を見送ったものだ。)
寂しいとは思わない。自ら選んだ道なのだから。
狐の耳が、ぴく、と動いた。
「陵。天乱王は逝ったぞ。」
振り向かないままに声をかければ、聞き慣れた靴音が近づいて来る。
ふと、何の気まぐれか、昔話がしたくなった。
「陵。天乱王は、平安の都を荒らしまわり、悪逆非道の限りを尽くし、おまえの祖先、安倍晴明に封じられた鬼だ。天乱王は、幾たびか封印を破り、当時の陰陽師たちが相当の犠牲を払って、再度封じてきた。」
「安倍晴明…。」
陵にとってその名は、遠い先祖という以上の意味をもたない。本来ならば。
「弟の宿敵というわけですか、黄金様?」
黄金は肩ごしに振り向いた。金の髪がさらりと流れる。
「いや。我は妖の側だったからな。」
人と、妖狐との間に生まれた双子。
兄は、妖として、弟は人として生きることを選んだ。
弟は、人としての天寿をまっとうし、兄は。
「我は、あいつが人としての生を選んだ理由が、実は今でもわからぬ。だから、晴明の子孫を見守って来た。その答えを知るために。」
「答えは見つかりそうですか?」
問いかける声は、式神に対するものではなく。
親愛と敬慕が等分に含まれている。
「…どうだかな。だが、火の玉小僧が選ぶ道には興味がある。」
黄金は、立ち上がり、空を見上げる。
妖にとっても、千年は長い。ましてや、黄金は半分は人の子だ。それでも。
(我は、まだ、おまえのところにはいけぬぞ、銀。)
今はもう、自分しか知らない弟の幼名を呼ぶ。
弟の妖狐としての姿は、自分とそっくりで、けれど毛並の色だけが白銀だった。
美しい銀狐の姿を捨てて、弟は人であることを選んだ。
(おまえはどうする?)
紅夜が選ぶのは。
☆
黄金に教えられた廃ビルは、白雪の目の前で崩れ落ちた。
たちこめる粉塵。
それが晴れると、廃ビルは、半壊していた。フロアの床や天井は穴と亀裂だらけ。かろうじて残っている壁や柱も、崩壊は時間の問題に見えた。
大騒ぎになるはずだが、野次馬が集まってくることも、警察やマスコミが駆けつけることもない。
(公安が動いてんのか?)
予想はつくが、確かめようがない。そして、白雪にとって、そんなことはどうでもいい。
「紅!!」
瓦礫の山をかきわけて呼ぶ。
腹の傷が痛むが、構っていられない。
「紅、いるんだろ!!返事しろよ!!」
擦り傷だらけになった手に血が滲み、真っ赤になった頃、白雪はようやく、倒れている紅夜を見つけて駆け寄った。
全身を切り刻まれて、鮮血の中に横たわる紅夜を抱き起こす。
恐怖で、手が震えた。
否。全身が。
血の気が引く。肌が粟立つ。呼吸すら浅くなる。
今まで生きてきて、一番怖かった。
「紅!!おい、しっかりしろ!!」
長いまつ毛がぴくりと動き、紅夜のまぶたが開いたとき、白雪は安堵のあまり涙ぐんだ。
紅夜の瞳が、ルビーの色に変わっていることも、鋭い牙も、こめかみから伸びる角も、白雪にとってはささいなことだった。
「紅、よかった…。」
ぎゅっとすがりつかれて、紅夜はまだ半覚醒の状態で、かすかな吐息をもらすように呼ぶ。
「…雪…?おまえ…どうして…。」
「あのなあっ!おまえがいなくなったら、探すに決まってんだろ!!」
キッとにらみつけてくる白雪の瞳には、本気の怒りがある。
それは、長い付き合いの中でも、初めてのことかもしれなかった。白雪が、紅夜に対して激怒するのは。
紅夜は、ふっと、冷たい笑みに口角をつり上げる。嗜虐の色をまとって。
紅夜はたいてい、白雪に対して素っ気ない態度だが、今までとは明らかに違う、完全に突き放す声だった。
「で、どうするつもりだ?」
「病院連れてくに決まってんだろ!」
スマートフォンを取り出した白雪の手を、紅夜は押さえた。
「鬼のオレをか?」
紅夜が、白雪を振り払う。
人間の体なら、身動き一つできない深手のはずだった。
弾かれたスマートフォンが、ガシャンと落ちる。
紅夜は、胸の高さほどまで残っていた壁に手をついて体を支え、ゆっくりと立ち上がる。
「見たらわかるだろう?オレは、もう鬼だ。だから、おまえともここでお別れだ。帰れ。」
「やだね。」
白雪は即答した。
曇りのない、澄んだ眼差しだった。いっそ狂気を帯びるほど純粋な。
まっすぐに、紅夜を見て、寸分たりとも反らさない。
視線で絡め取る。
「おまえが鬼だろうと悪魔だろうと、そんなの、おまえをあきらめる理由になんねーよ。」
「馬鹿が。」
紅夜が吐き捨てた。
烈火の激情が燃え上がる。
反対に、声音は、極寒の冷気を孕んだ。
「オレが今、何を考えているかも知らないくせに、よくそんなことが言える。」
紅夜は、白雪の腕をつかんで引き寄せる。
「おまえの血が欲しい。」
獲物を前にした肉食獣のように、真紅の瞳がぬらりと光る。
紅夜にとって、白雪の血は特別だ。
鬼の感情は、人とは違う。
大切なものを守るのが人。
鬼は、気に入ったモノは、引き裂き、喰らい、己の一部とする。
だから、紅夜にとって、白雪の血は極上の餌。
「オレはもう、そういう化け物だ。だから。」
「オレは、おまえの牙にかかるなら本望だぜ。」
あっけらかんと、いつもの顔で笑われて、紅夜は真紅の目を丸くした。
呼吸すら忘れて、白雪を凝視した。
「おまえがそんな顔すんの超レアじゃん。びっくりすると、けっこうかわいー顔だよな。」
あははっと、子どもがはしゃぐように笑う。
「血だけじゃなくてさ、オレの命でも魂でも、おまえが欲しいなら全部やるよ。」
白雪はシャツのボタンを一つはずし、首筋をさらした。
「だいたい、今さらじゃん?」
おぼえていたのか、と紅夜は言いかけて、のみこんだ。
忘れるはずもないのだ。あの遠い夏の夜を。
紅夜は、白雪の首筋に唇を寄せる。
ふっと吐息がかかる。
白雪は動かない。
肌を貫いて、二本の牙が肉を刺す。
激痛に上がりそうになる悲鳴を、白雪はかみ殺す。
紅夜の喉が、ごくりと動く。
紅夜の唇が、白雪の肌に、そっと落ちた。牙とは裏腹の優しさで、羽毛のように触れて。
けれど、次の瞬間に、同じ唇が、あふれ出る鮮血を吸い上げる。
喉を通って胃の腑に落ちる甘露。
全身が熱くて溶けそうになる。
頭の芯が甘くしびれていく。
酩酊。
くら、と白雪の意識が遠のいた。
「ごめん。」
と耳朶をかすめた紅夜の声に
「気にすんなよ。」
と返したところで、意識が闇に沈んだ。
終幕
斜めに差し込む月光が、雪の顔を照らしている。
ガキみたいな寝顔だ。本当に、変わっていない。
「…紅…。」
「なんだ?」
返る言葉がない。どういうことだ、と思ったら、雪はすうすうと平和な寝息をたてていた。
(寝言か。)
どんな夢を見ているか知らないが、まぎらわしい。
と、思ったら、雪がぱちっと目を開けた。
「紅!!」
ぎしっとベッドが軋む勢いで身を起こした雪が、力任せにオレの両肩をつかんでくる。
ベッドの端に座っていたオレは、突き飛ばされそうになって、何とか踏み止まった。
落すとす気か、と言いかけて、オレは何も言えなくなった。
「あーよかったあ…。」
雪が、ぱすっと、額をオレの胸に押し付けてきた。
「おい。」
「わりー。安心したら気が抜けた。」
ずるっと、オレの両肩から、雪の手が落ちる。そのまま、胸の辺りをつかまれた。
「おまえが、オレが寝てる間にどっか行っちまう夢みててさあ…。」
はーっと、心底安心した、みたいな、大きな息をついている。
くっついたままの雪。
「離せ。」
「えー、もうちょっといーじゃん。減るもんじゃねーだろ。」
どうしてこいつは、何も無かったかのように、いつも通りなのか。
「わかっているのか、オレは。」
「わかってるって。」
雪が、顔を上げた。いつもと変わらず、底抜けに明るく笑っている。
本当に、こいつは。
両手で、オレの服をつかんだまま、雪が言う。きょとんと首をかしげて。
「あれ?おまえ、角、どした?」
なぜ、そんなに簡単に訊くのか。対抗意識でもないが、オレもいつも通りに言う。
「折った。」
「折ったあ?うわ、痛そう…。」
雪は、大げさに眉を上げている。相変わらず表情がよく変わるやつだ。
「腹に穴の開いたやつに言われたくはない。」
「いや、オレは自分で開けたわけじゃねーし。」
駄目だ。論点がずれてきている。
「だが、牙も眼もこのままだ。吸血衝動も。」
声から、すっと、一切の感情が抜けた。
オレは、雪にどんな答えを期待しているのだろう。
「おまえは、一生、オレに血を差し出すつもりなのか。」
「うん。だって、それなら、オレは、一生おまえを縛っておけるじゃん。」
オレは、相当間抜けな顔をさらしていたらしい。
雪は、オレの胸から手を離して、ばしばしとオレの体中を叩き出す。笑い転げながら。
「やめろ、傷にひびく!」
「あ、悪い!!」
慌てて、パッと離れた雪は、自分の腹の傷も痛んだのか、一瞬、顔をしかめた。やっぱり馬鹿だ。けれど、すぐに悪戯が成功したガキみたいに笑う。
「幻想ぶち壊して悪いけどさ、オレ、そんなに健気なヤツじゃねーの。」
明るい色の瞳。
月光を映して金色に光る。
「オレ、おまえっていつかオレ置いてどっか行っちまうんじゃないかって、ガキの頃から心配だったんだぜ。でも、これで安心だ。」
ぎゅっと抱きつかれて、オレは固まった。
どうして、おまえは、こんなにあたたかい?
ふりほどかず、逆に雪の背中に腕を回した。
え、と上がった小さな声。無視していたら、ふ、と笑う気配がして、こめられた力が強くなる。
泣きそうになった顔を見られたくなかったからだ。それだけだ。
☆
何年も後になって、雪が、何の脈絡もなく言い出したことがある。
「おまえは、青の王祖って鬼と戦ってる時から、鬼じゃなくて人を選んでたぜ。だって、朱雀呼んでたじゃん。」
キレイな赤だったぜ、マジで神の鳥って感じだった。あ、でも、おまえの目の色には負けるけど、と雪は目を細めて。
「それって、陰陽師として戦ったってことだろ。」
もし、オレが無意識にでも人であることを選んだのなら、それは、きっと。
雪、おまえの隣にもどるためだ。
終
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ブラウンロード伯爵家では、なぜか一家のみならず屋敷で働く使用人達のすべてがアッシュのことを嫌悪していた。
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淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。
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カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
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