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第二幕
「おまえはオレのものだ。だから、オレもおまえのものだ。」~龍神少年 参~
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第二幕
「うーん、方角は合ってるはずなんだけどなあ…。」
翡蓮が、地図と目の前の風景を見比べながら首をひねると。
「だけど、ここ、来た道とは絶対違うぜ。あんな道祖神は無かった。」
緋皇が、道端の石像を親指で指し、不吉なことをきっぱりと言う。
「確かに、あんな変わった道祖神なら覚えてるよね。」
「うん、蛇なんて珍しいもん。」
と、玻璃と瑠璃も頷いた。
「ごめん、完全に迷った…。」
翡蓮が申し訳なさそうに項垂れる。
「翡蓮のせいじゃないって!」
「そうだよ、緋皇が近道しようなんて言い出したから!」
「それで、元の道にもどれないなんて、最悪だよ!」
「おまえらだって、賛成したじゃねーか!」
「こんなところで喧嘩はやめよう。」
緋皇と双子が怒鳴りだしたので、翡蓮が慌てて止める。実際、喧嘩している場合ではないのだ。
夕日は山の端に沈みかけている。晩秋のこの時期、日が暮れるのは早い。青い夕闇が音もなく忍び寄っている。夜の山の危険さは、神殿を発つ前に嫌と言うほど教えられた。
鬼を調伏してから、既に三日たっている。翡蓮は、翌日には出発するつもりだったのだが、結局、琥珀の言葉に甘えて、延泊した。というより、「けが人が無理するんじゃねーよ。途中で倒れたら、かえって着くの遅れるだろ。」と言い張った緋皇に押し切られた。
翡蓮は、歩くのはもちろん、戦うのも可能なほど回復したが、それでも余裕をもって、昼前に宿を出発した。夕刻には、神殿にもどれるはずだった。だが、道に迷ったせいで、大幅に予定が狂ってしまった。
魔除けの役割を担う石像、道祖神は村と村との境に置かれている。風雨にさらされているが、今にも動き出しそうな精巧さの蛇の石像だ。黄昏の薄闇の中で見るせいか、そこはかとなく不気味である。
「道祖神があるから、この辺りには村があるはずだ。今夜はそこで泊まらせてもらおう。街道にもどる道も教えてもらえるだろうし。」
どういう状況でも、翡蓮は、落ち着いて思考を巡らせる。事実、それから四半時ほどで、翡蓮たちは村を探し当てることができた。
☆
「それは難儀なさいましたなあ、候補生様方。この辺りは街道沿いではあるのですが、わかりにくい道ですからな。迷い込む旅人も多いのですよ。」
あと十年もすれば、好々爺というのがふさしくなりそうな初老の男は、村の庄屋だと名乗り、翡蓮たちを快く迎え入れてくれた。
屋敷の離れに泊めてもらうことになり、あたたかい夕食も振る舞われる。夜も更け、すっかりくつろいでしまった。しかし、しっかり者の翡蓮は、礼儀正しく頭を下げ、
「ありがとうございます。これは少ないですが。」
と、金子を差し出すことを忘れなかった。
神官は、候補生も含め、龍神国のどこであっても丁重に扱われる。妖の脅威から民を守るために命がけで戦う彼らは、常に敬意を払われる。
しかし、蓄えがほとんど無いような貧しい村もあり、そうした村では突然の客が負担になる。民を救うために存在する神殿は、そうした村への配慮を欠いてはいない。
しかし、庄屋は
「いえ、候補生様からそのような物をいただくわけには。」
と固辞する。翡蓮が
「しかし。」
と言いかけるのを、
「この村は、今年も豊作でしてな。お気遣いは無用です。」
と制した。
翡蓮は、遠慮しているわけでも、見栄を張っているわけでもなさそうだと判断し
「では、お言葉に甘えます。」
と金子を引っ込める。
村にたどり着いたのは、日が落ちる直前だったので、村の全容を把握したわけではない。しかし、庄屋の屋敷は、広大で、玄関から離れに着くまでに、下働きの者に何人もすれ違った。きびきびと、忙しそうに立ち働く彼らの、肌の色艶や肉付きから、この村がかなり裕福であることはわかる。
翡蓮は、他意なく、単に会話を続けるために、
「今年の神殿領は、凶作とは言わないまでも、そこそこの収穫量と聞いていますから、この村は運が良かったですね。」
と話しかけた。
神殿は、龍神国の各地に神殿領と呼ばれる荘園を持ち、そこからの税収が神官の生活を支える。
何気ない翡蓮の一言だったが、庄屋は、なぜか表情を強張らせた。
「そ、そうなのです。これも、七龍のお恵みと、皆、感謝しております。」
取り繕うように言う。
緋皇が、(へぇ。)と、真紅の目を細めて、薄く笑う。
翡蓮は、緋皇の表情に目敏く気づく。緋皇が、こういう顔をするときは、何かを企んでいるときで、たいてい、ろくでもないことを仕出かす。翡蓮は、緋皇が失礼なことを言い出さないように、慌てて言葉を継ぐ。
「そう言えば、もう遅いのに、みなさん、まだ忙しそうですね。」
離れなので、うるさく感じるほどではないが、足音や話し声は途切れない。
庄屋は、早口で、釈明のように説明する。
「その、今夜は祭がありまして。」
「え、すみません。そんな大事な日にご迷惑をおかけして。」
「いえ、迷惑などと。ただ、その、そういうわけですから、今夜はこの屋敷の外には出ないでいただけると…。」
「もちろんです。大切な祭の邪魔をするようなことはしません。」
と、翡蓮が答えると。
「庄屋様、大変です!」
と、男が飛びこんでくる。村人だろうか。下働きの者同様、健康そのもので、さらに野良仕事で鍛えられているせいか、屈強そうだ。
「何事です。今、神官候補生の皆様がいらしているのですよ。」
「ですが、庄屋様…」
男に耳打ちされ、庄屋の顔色がさっと変わった。
緋皇は、血相を変えた庄屋の顔を一瞥し、くくっと喉の奥で嗤う。
「候補生様方、申し訳ありませんが、ここで失礼させていただきます。」
庄屋は、慌ただしく立ち上がり、村人とともに離れを後にした。
☆
玻璃と瑠璃は、緋皇や翡蓮よりも小柄な分、体力も劣る。半日、山道を歩き回って疲れ切ってしまったらしく、すぐに眠りに落ちた。
双子が眠りにつき、翡蓮と二人きりになるのを待っていたように、緋皇が言い出す。人を喰った笑みを浮かべて。
「何か隠してるぜ、この村の連中。」
権謀術数の渦巻く、政と権力の中枢で生まれ育ったせいか、単に性格が悪いのか、(翡蓮は両方だと思っている)緋皇は、人の心の闇を見透かし、暴き立てるのが得意だ。
対照的に翡蓮は、人の善の部分を信じて、そちらを見ようとする。
「よそ者の、しかも行きずりのオレたちには、明かせないことがあるのは当然だろう。」
「おまえって、頭いいくせに、なんでそう何でも信じるんだよ。あいつら、絶対、後ろ暗いことがあるぜ。」
緋皇は根拠があるらしく、自信たっぷりだ。
「おまえ、変だと思わなかったのか?今年も豊作っての、妙だろ?」
「確かに、今年の米の出来は、東の地も西の地も例年並みのところが多いって聞いているけど、例外があったって、おかしくないだろ。天候も土地によって多少違うだろうし…。」
翡蓮は、(緋皇の見方って、穿ちすぎじゃないかなあ。)と思いながら言葉を返す。
「そーじゃねーよ。今年も、ってことは、あいつら、毎年豊作になるのが当然って思ってんだよ。そんなこと有り得ねえだろ?なんかあるんだよ。たぶん、今夜の祭が、それに関係してるはずだ。」
緋皇が、しゅるっと絹ずれの音をさせて立ち上がる。
「夏祭じゃねえんだぜ?収穫の祭を夜中にやるなんて、明らかにあやしい。」
と、扉に手をかけたので、翡蓮も慌てて立ち上がり、今にも扉を開け放ちそうな緋皇の手を押さえた。
「って、ちょっと待て。おまえ、どこに行くつもりだよ!?」
「納屋。さっき入って来た男が、納屋がどうのって庄屋に言ってた。全部は聞き取れなかったけどな。」
「おまえ、勝手に歩き回るつもりか!?」
翡蓮は、緋皇の地獄耳よりも、そっちに驚いたが、緋皇は
「当然。面白そうじゃん。それに、屋敷の外に出るなって言われただけだろ?見つかったって、喉が渇いたとか厠とか、いくらでも言い訳できるじゃねーか。」
と、堂々と胸を張る。
「水差しは部屋にあるし、厠も離れにあるだろ。全然言い訳になってないじゃないか。」
そもそも、面白そうという理由で、一宿一飯の恩がある相手の屋敷を引っかき回そうとする緋皇の思考は、翡蓮には理解できない。傍若無人もここまで行くといっそ清々しい。
「じゃあ、寝ぼけたとか、何でもいいだろ。ほら、行くぜ。」
と、緋皇は、翡蓮に押さえられていた手を、くるっとひっくり返して掌を上にし、逆に翡蓮の手首をつかんだ。
ぐい、と翡蓮を引き寄せてニヤリと笑う。
間近に緋皇の真紅の瞳が迫り、そこに、悪戯っぽい光がきらきら踊っているのを見て、翡蓮は息を詰めて瞬きした。そして、肺が空になりそうなため息をつく。
「しょうがないなあ…。」
この状態の緋皇を放置したら、何をしでかすかわからない。それよりは、一緒に行った方がずっとましだと結論付けた、苦労性の翡蓮だった。
その奥で。翡蓮自身は認めたくはないのだけれど。
緋皇と一緒に冒険じみた探索に乗り出すことに、わくわくしている心も、確かに存在している。
☆
暗い敷地を、緋皇と翡蓮は進む。
離れに案内されるときに通ったので、納屋の位置はわかっている。立派な門から入ってすぐ脇のはずだった。
緋皇が「劫火狂獣」の炎の狼を、掌に乗るほどの大きさで出現させ、灯りの代わりにしている。満月から少し欠けだした、十六夜の月は、十分に明るいが、揺らめく炎の暖かい朱色は、背中を押すような力強さがある。
途中、深夜だというのに、慌ただしく行き来する下働きの男女に何度も遭遇したのだが、緋皇は「庄屋に呼ばれたんだけど、部屋ってこっちか?」と声をかけ、そのたびに、皆、親切に庄屋の部屋への道を教えてくれた。
世間的に信用が厚い神官候補生だから、というより、(ここまで堂々としていると、かえって疑われないものなんだな…。)と、翡蓮は呆れるよりいっそ感心した。
たどり着いた納屋もまた、広大な屋敷にふさわしく大きい。
鍵はかかっていなかった。緋皇が、薄い刃の笑みに、唇をつり上げる。
「みんなグルってことだな。」
「この村の人たちが何か悪いことをしているって決まっているわけじゃないだろ。」
翡蓮はため息混じりに返す。
緋皇は、周囲に人がいないことを確かめてから扉を開け、二人は素早く内側に身を滑り込ませる。
納屋の中は真っ暗だった。
緋皇は、炎の狼を仔犬ほどの大きさにした。
炎が照らしだしたのは、手足をきつく縛り上げられ、猿ぐつわをかませられた子どもだった。緋皇や翡蓮たちよりも幼い。おそらく十かそこらであろう少年。すり切れ、色あせた着物の。
翡蓮が駆け寄り、猿ぐつわを外す。
「きみ、大丈夫?どうしてこんなことを。」
「助けて!」
翡蓮の言葉を遮り、少年が叫んだ。それでも、外に漏れるのを恐れて、声はひそめている。その分、必死さと、切羽詰まった様子が伝わる。
「兄ちゃんたち、神官候補生さまなんだろう?姉ちゃんを助けて!」
手足を縛られていなければ、翡蓮にとりすがっていただろう。
翡蓮は、少年に目を合わせ、深く頷いた。
「落ち着いて話して。きみのお姉さんを助けてって、どういうこと?」
「姉ちゃんは、蛇神の生贄にされるんだ!!」
緋皇の瞳が、不敵に輝く。
「大当たり、だな。」
☆
この村は、十年に一度、蛇神に生贄を差し出してきたんだ。
百年くらい前に、日照りで何日も雨が降らない日が続いたときに、村の巫女が蛇神に身を捧げて村を救ってくれるように祈ったんだ。蛇神は願いを聞き届けて雨を降らせてくれたけど、その代わりに、生贄を要求するようになったんだって。
反対する人?昔はいたらしい。でも、生贄を捧げないと、蛇神は瘴気をまき散らしたり、大雨を降らせて川を氾濫させたりしたって。稲が全部水につかって、駄目になって、飢え死にする人が出た年もあったって、長老が言ってた。その代わり、生贄を差し出せば、蛇神は、雨をちょうどいいだけ降らせるから、毎年豊作になる。
生贄を捧げなければ、瘴気や大雨のせいで、死人が出るんだから、十年に一人の犠牲はしかたがないって、みんな言うんだ。
だけど、オレは嫌だ。
絶対に嫌だ。
たった一人の姉ちゃんなんだ。
姉ちゃんが犠牲になるくらいなら、こんな村どうなったっていい。
でも、一緒に逃げようって言っても、姉ちゃんは聞いてくれないんだ。
「今までお世話になってきたんだから。」「これは、あんたを守るためでもあるんだから。」って。
確かに、オレたち、父ちゃんと母ちゃんが死んでから、村のみんなは、食い物を分けてくれたり、畑仕事を手伝ってくれたりした。だけど、それも全部、姉ちゃんを蛇神の生贄にするためにしたことなんだ。
兄ちゃんたち、神官候補生なんだろ。
蛇神を倒せるんだろ。
頼むよ、姉ちゃんを助けてくれ!
☆
翡蓮に縄を解かれ、晴太と名乗った少年は、一気にそこまでしゃべった。
「姉ちゃんを助けてくれ!!お願いだ!!」
泣きながら絶叫した晴太に、緋皇は辛辣だった。彼は、翡蓮以外の人間をどうでもいいと思っているので、同情などしない。相手が年下の子どもでも関係ない。村よりも姉一人が大事な晴太の思考は、翡蓮以外に見向きもしない緋皇の身勝手さと似ているが、それでも共感などしないのだ。冷たく言い放つ。
「自分は何もしねーで、会ったばっかの相手に、全部丸投げかよ。」
「緋皇!」
翡蓮が咎めるよりも早く。
「姉ちゃんを連れて逃げようとしたんだよ!!生贄の儀式の前に!!」
晴太が、憎悪の炎を瞳に燃やして怒鳴り返した。しかし、その憎しみは、緋皇に向かうものではなく。
「だけど、見つかって、ここに閉じ込められた。オレじゃだめなんだよ…!!」
握りしめた拳を、ドンと打ちつける。骨が砕けたのではないかと心配になるほどの烈しさだった。
知っている、と翡蓮は思う。
この少年の怒りと嘆きを。
「ちくしょう!!なんで!!なんでオレには何の力もないんだ…!!」
「力はなくても、きみの心が、オレたちを動かすよ。」
翡蓮が、晴太に視線を合わせて微笑んだ。
心に沁み渡る声音だった。
晴太の瞳から、新たな涙がこぼれ落ちる。
「オレたちが、必ずきみの姉上を助ける。オレは翡蓮。こいつは、緋皇。口は悪いけど、本当はいいやつだから。」
気高く高潔で、慈悲に満ちたその姿こそ、民が思い描く理想の神官。
「今まで一人で、よくがんばったね。」
晴太は、瞠目し、泣き崩れた。
しかし、泣き続ける年下の少年を前にしても、緋皇は非情だった。
「翡蓮、おまえ、情にほだされてなんでもホイホイ引き受け。んぐっ。」
翡蓮が無理やり緋皇の口をふさぎ、晴太に聞こえないように納屋の隅まで引きずって行く。
抑えた声だが、厳しく言う。
「もう!晴太くんに聞こえる声でそういうこと言うなよ。」
緋皇は、翡蓮の手を引きはがし、不満たっぷりに文句を言う。
「おまえって、ホント誰にでも甘いよな。ご立派な神官候補生サマだな。」
緋皇は、翡蓮が自分以外に目を向けると機嫌が悪くなる。もともと、何か裏がありそうだと見抜いて、探ろうとしたのは緋皇の方で、騒動は大歓迎のはずだが、勝手なものである。マヨヒガの一件以来、ひどい荒れ方はしなくなったが、拗ねるのは変わらない。
翡蓮は首を振った。薄暗い納屋の中でも、金髪がきらりと眩い。
「今回は、神官候補生として、というより、ちょっと私情が入ってる。」
翡蓮が緋皇を見つめた。
緋皇が少し戸惑う。
翡蓮の翠玉の瞳は、いつも通り、まっすぐで強くて、けれどその奥に切ない光が揺れる。今、翡蓮が見ているのは、六歳の緋皇だ。
「あの子の気持ちが、オレにはよくわかる。オレも、おまえを助けたくて、でも何もできなかった時があるから。あの時の悔しさと怒りを、オレは絶対に忘れることはできない。」
運命よりも、他者よりも、何よりも先に、自分を呪った。
大切な人を守れない、己の無力こそが憎悪の対象だった。
身を焼かれるように渇望した。強くなりたいと。
「翡蓮…。」
緋皇は何を言っていいかわからず、ただ、名前を呼ぶ。翡蓮のせいではなく、翡蓮には何の咎も責も義務もないことだった。そう告げたこともある。けれど、翡蓮は納得しなかった。
だから、緋皇にできることは。
「あーもう、しょうがねえな。」
にやりと唇をつり上げて、いつもの顔で、尊大に笑う。
「つき合ってやるよ。」
「ありがとう、緋皇!」
光が弾けるように翡蓮は笑い、緋皇は目を細める。くるりと振り返る。
「で?ガキ、生贄の儀式っていつだ?」
「今夜なんだ。もう、時間がない。」
その目に、新たな涙が滲む。
☆
「へえ、今夜ね。じゃあ、のんびりしてちゃ手遅れだな。」
どおりで、夜中なのにバタバタ騒がしかったわけだぜ、と緋皇の目が、不穏に剣呑にキラリと光る。
翡蓮は嫌な予感に、つ、と汗が一筋頬を伝う。
「緋皇、」
と、呼ぶよりも早く。緋皇が納屋の扉を蹴破った。納屋の外に飛びだす。
南中した十六夜の月光を浴びて。
「二級神術発動、天裂炎槍!」
ドオオオオン!!
地響きを立てて。
大地から、天空へ、炎の柱が立つ。
ごうごうと、火の粉を巻き上げ、周囲を真昼の明るさで照らし出す。
「えええええええっ!?」
緋皇の後を追った翡蓮が、卒倒しそうな悲鳴を上げた。
思わず緋皇の胸倉をつかんでしめ上げる。
「ちょっと待て緋皇!!おまえ一体何考えて!!」
「手っ取り早いだろ?」
「なんで得意げ!?」
胸を張る緋皇、焦る翡蓮。晴太は、泣くのも忘れてぽかんと口を開けている。
そうこうしているうちに
「火事だ、急げ!」
「納屋の方だぞ!」
「早く水を!!」
足音。怒号。次々に集まって来た下働きの男女や村人は、天を貫くように燃え盛る炎の柱を、唖然として見上げている。
「神官候補生様、これは一体何事ですか!?」
穏和な仮面を脱ぎ捨てた庄屋が、怒りに満ちた詰問を投げる。
しかし、緋皇の人を小馬鹿にした笑みは揺らがない。傲慢尊大、傍若無人に言い放つ。
「なあ、庄屋サン。それから、この村のやつ。おまえらを苦しめてる蛇神、オレたちが倒してやるよ。」
「なっ…。」
庄屋に、村人に衝撃が走る。
あごを反らしてその様を睥睨し、緋皇は真紅の双眸をすうっと細めた。
「まさか、嫌とは言わねーよなあ?それとも、十年に一人犠牲にすりゃ、豊作が約束される暮らしが捨てられねーか?」
極寒の烈風が吹き荒れるかのような緋皇の声が、周囲を凍てつかせる。
「蛇神に屈して、媚びて、他人差し出して美味い汁吸うか?てめえら、人として終わってんな。」
「緋皇!言い過ぎた。やめろ。」
翡蓮が遮った。神術を使える神官候補生が、妖に対抗する術を持たない民に言ってはならない言葉だ。それは、「持つ者」が上から、「持たざる者」を見下す行為に他ならないのだから。
「非礼はお詫びします。ですが、神官候補生として、人に害を為す邪神を放っておくことはできません。蛇神は、オレたちに任せていただきます。」
丁寧だが、反論を許さない強さで、翡蓮が凛と言い切った。
☆
「人にあだなす妖を放っておくわけにはいかないから、反対はしないけど、決める前に、一応、ボクたちにも相談してよ。」
「…で、蛇神を倒すことはわかったけど、具体的な策は?」
玻璃と瑠璃が、ちょっとムッとした顔で、緋皇に向かって言う。気持ちよく眠っていたところを叩き起こされた上に、今から妖の調伏だと言われれば無理もない。
「うるせーな。今、ちゃんと話してやってんだからガタガタ言うな。文句言うなら、てめーらはやんなくていいっつーの。オレと翡蓮だけで十分だ。」
緋皇は、罪悪感の欠片も感じていない顔で、腕を組んでふんぞり返っている。玻璃と瑠璃ももう慣れたのでそこは流す。
「ああもういいよ。ちゃんとやるって。で、策は?」
「翡蓮が囮になる。蛇神は、生贄を喰う時にしか姿を現さないっつーことだからな。おい、翡蓮、着替え終わったか?」
緋皇が背後を振り向く。双子も翡蓮の方を向いた。
「…囮役は構わないけど、この衣装着る必要ってあるのか?」
しゅるっと、衣擦れの音をさせて進み出た翡蓮は。
純白の白無垢をまとっていた。
正絹に、銀糸で牡丹が刺繍された、豪奢な衣装が重たげに見える、可憐で初々しい花嫁。
高貴な姫君は政略結婚の駒にされがちなので、龍神国では、十代前半で嫁ぐ少女も珍しくない。しかし、これほど愛らしい乙女は滅多にいないだろう。
清雅な美貌は、白一色の装いに映えて、夢幻的ですらある。かすかに眉をひそめたその表情が儚げで。
緋皇は、一瞬、いつも鋭い目を丸くして、すぐに弾けるように笑い出した。
「あはははははっ!すっげー上玉!!似合うじゃん!おまえ、女顔だもんな!」
腹を抱えて大笑いした挙句、翡蓮の肩や背中をばしばし叩き出す。
「いっそ化粧もしてみろよ。」
「ふざけるな!て言うか、痛いからやめろ!おまえ、完全に面白がっているな。他人事だと思って!」
「他人事だし。」
「本っ当に嫌な性格だな…おぼえてろよ。」
ぎろっとにらむ翡蓮。ふだん、翡蓮は緋皇には甘いのだが、今は本気で怒っているので、若干、口調が乱暴である。
「ああ、びっくりしたあ…。一瞬、誰かわかんなかったよ。」
「でも、緋皇と話しだしたら、いつもの翡蓮にもどったね。」
玻璃と瑠璃が、こっそり胸を撫で下ろす。
下界に舞い下りた天女のような美少女だったのに、緋皇が笑い出したとたん、いつもの翡蓮にもどった。柳眉を逆立てた表情は、どこから見ても少年だ。
双子がこそこそ話している声は、緋皇にも翡蓮にも聞こえていない。
「にしても、おまえ、なんで振袖着れんの?そういう趣味でも。」
「そんなわけあるか!」
首をかしげて翡蓮の顔をのぞきこんだ緋皇に、翡蓮がぴしゃりと返す。
「オレの家、男三人兄弟なんだよ。オレが長男で、弟二人。母上は、女の子が欲しかったらしくて、振袖着せられたことがあるんだよ。母上、身内びいきを差し引いても、淑やかな美人だったと思うけど、中身は結構変な人だったんだよなあ…。父上は真面目な人だったから、時々振り回されて大変そうだった…。」
昔をふりかえっていた翡蓮に。緋皇がふいに訊いた。
「帰りたいか?」
いきなり脈絡のないことを訊かれたので、翡蓮はきょとんとしてしまった。
「?この格好は嫌だけど、だからって、この件を放り出して帰れるわけないだろ。そりゃ、ずいぶん講義に出てないけど、仕事で出られなかった分の講義は補講があるから、そんなに心配は。」
「そうじゃねえよ。」
緋皇がひどく真剣な顔をしているので、翡蓮はやっと気づいた。ふわりと、花がほころぶように笑う。
「オレの帰る場所は、神殿の、おまえと一緒の部屋だよ。」
「翡蓮。」
思わず呼んだ緋皇に、翡蓮が頷いた。
「だから、蛇神を倒して、みんなで一緒に帰ろう。」
「うーん、方角は合ってるはずなんだけどなあ…。」
翡蓮が、地図と目の前の風景を見比べながら首をひねると。
「だけど、ここ、来た道とは絶対違うぜ。あんな道祖神は無かった。」
緋皇が、道端の石像を親指で指し、不吉なことをきっぱりと言う。
「確かに、あんな変わった道祖神なら覚えてるよね。」
「うん、蛇なんて珍しいもん。」
と、玻璃と瑠璃も頷いた。
「ごめん、完全に迷った…。」
翡蓮が申し訳なさそうに項垂れる。
「翡蓮のせいじゃないって!」
「そうだよ、緋皇が近道しようなんて言い出したから!」
「それで、元の道にもどれないなんて、最悪だよ!」
「おまえらだって、賛成したじゃねーか!」
「こんなところで喧嘩はやめよう。」
緋皇と双子が怒鳴りだしたので、翡蓮が慌てて止める。実際、喧嘩している場合ではないのだ。
夕日は山の端に沈みかけている。晩秋のこの時期、日が暮れるのは早い。青い夕闇が音もなく忍び寄っている。夜の山の危険さは、神殿を発つ前に嫌と言うほど教えられた。
鬼を調伏してから、既に三日たっている。翡蓮は、翌日には出発するつもりだったのだが、結局、琥珀の言葉に甘えて、延泊した。というより、「けが人が無理するんじゃねーよ。途中で倒れたら、かえって着くの遅れるだろ。」と言い張った緋皇に押し切られた。
翡蓮は、歩くのはもちろん、戦うのも可能なほど回復したが、それでも余裕をもって、昼前に宿を出発した。夕刻には、神殿にもどれるはずだった。だが、道に迷ったせいで、大幅に予定が狂ってしまった。
魔除けの役割を担う石像、道祖神は村と村との境に置かれている。風雨にさらされているが、今にも動き出しそうな精巧さの蛇の石像だ。黄昏の薄闇の中で見るせいか、そこはかとなく不気味である。
「道祖神があるから、この辺りには村があるはずだ。今夜はそこで泊まらせてもらおう。街道にもどる道も教えてもらえるだろうし。」
どういう状況でも、翡蓮は、落ち着いて思考を巡らせる。事実、それから四半時ほどで、翡蓮たちは村を探し当てることができた。
☆
「それは難儀なさいましたなあ、候補生様方。この辺りは街道沿いではあるのですが、わかりにくい道ですからな。迷い込む旅人も多いのですよ。」
あと十年もすれば、好々爺というのがふさしくなりそうな初老の男は、村の庄屋だと名乗り、翡蓮たちを快く迎え入れてくれた。
屋敷の離れに泊めてもらうことになり、あたたかい夕食も振る舞われる。夜も更け、すっかりくつろいでしまった。しかし、しっかり者の翡蓮は、礼儀正しく頭を下げ、
「ありがとうございます。これは少ないですが。」
と、金子を差し出すことを忘れなかった。
神官は、候補生も含め、龍神国のどこであっても丁重に扱われる。妖の脅威から民を守るために命がけで戦う彼らは、常に敬意を払われる。
しかし、蓄えがほとんど無いような貧しい村もあり、そうした村では突然の客が負担になる。民を救うために存在する神殿は、そうした村への配慮を欠いてはいない。
しかし、庄屋は
「いえ、候補生様からそのような物をいただくわけには。」
と固辞する。翡蓮が
「しかし。」
と言いかけるのを、
「この村は、今年も豊作でしてな。お気遣いは無用です。」
と制した。
翡蓮は、遠慮しているわけでも、見栄を張っているわけでもなさそうだと判断し
「では、お言葉に甘えます。」
と金子を引っ込める。
村にたどり着いたのは、日が落ちる直前だったので、村の全容を把握したわけではない。しかし、庄屋の屋敷は、広大で、玄関から離れに着くまでに、下働きの者に何人もすれ違った。きびきびと、忙しそうに立ち働く彼らの、肌の色艶や肉付きから、この村がかなり裕福であることはわかる。
翡蓮は、他意なく、単に会話を続けるために、
「今年の神殿領は、凶作とは言わないまでも、そこそこの収穫量と聞いていますから、この村は運が良かったですね。」
と話しかけた。
神殿は、龍神国の各地に神殿領と呼ばれる荘園を持ち、そこからの税収が神官の生活を支える。
何気ない翡蓮の一言だったが、庄屋は、なぜか表情を強張らせた。
「そ、そうなのです。これも、七龍のお恵みと、皆、感謝しております。」
取り繕うように言う。
緋皇が、(へぇ。)と、真紅の目を細めて、薄く笑う。
翡蓮は、緋皇の表情に目敏く気づく。緋皇が、こういう顔をするときは、何かを企んでいるときで、たいてい、ろくでもないことを仕出かす。翡蓮は、緋皇が失礼なことを言い出さないように、慌てて言葉を継ぐ。
「そう言えば、もう遅いのに、みなさん、まだ忙しそうですね。」
離れなので、うるさく感じるほどではないが、足音や話し声は途切れない。
庄屋は、早口で、釈明のように説明する。
「その、今夜は祭がありまして。」
「え、すみません。そんな大事な日にご迷惑をおかけして。」
「いえ、迷惑などと。ただ、その、そういうわけですから、今夜はこの屋敷の外には出ないでいただけると…。」
「もちろんです。大切な祭の邪魔をするようなことはしません。」
と、翡蓮が答えると。
「庄屋様、大変です!」
と、男が飛びこんでくる。村人だろうか。下働きの者同様、健康そのもので、さらに野良仕事で鍛えられているせいか、屈強そうだ。
「何事です。今、神官候補生の皆様がいらしているのですよ。」
「ですが、庄屋様…」
男に耳打ちされ、庄屋の顔色がさっと変わった。
緋皇は、血相を変えた庄屋の顔を一瞥し、くくっと喉の奥で嗤う。
「候補生様方、申し訳ありませんが、ここで失礼させていただきます。」
庄屋は、慌ただしく立ち上がり、村人とともに離れを後にした。
☆
玻璃と瑠璃は、緋皇や翡蓮よりも小柄な分、体力も劣る。半日、山道を歩き回って疲れ切ってしまったらしく、すぐに眠りに落ちた。
双子が眠りにつき、翡蓮と二人きりになるのを待っていたように、緋皇が言い出す。人を喰った笑みを浮かべて。
「何か隠してるぜ、この村の連中。」
権謀術数の渦巻く、政と権力の中枢で生まれ育ったせいか、単に性格が悪いのか、(翡蓮は両方だと思っている)緋皇は、人の心の闇を見透かし、暴き立てるのが得意だ。
対照的に翡蓮は、人の善の部分を信じて、そちらを見ようとする。
「よそ者の、しかも行きずりのオレたちには、明かせないことがあるのは当然だろう。」
「おまえって、頭いいくせに、なんでそう何でも信じるんだよ。あいつら、絶対、後ろ暗いことがあるぜ。」
緋皇は根拠があるらしく、自信たっぷりだ。
「おまえ、変だと思わなかったのか?今年も豊作っての、妙だろ?」
「確かに、今年の米の出来は、東の地も西の地も例年並みのところが多いって聞いているけど、例外があったって、おかしくないだろ。天候も土地によって多少違うだろうし…。」
翡蓮は、(緋皇の見方って、穿ちすぎじゃないかなあ。)と思いながら言葉を返す。
「そーじゃねーよ。今年も、ってことは、あいつら、毎年豊作になるのが当然って思ってんだよ。そんなこと有り得ねえだろ?なんかあるんだよ。たぶん、今夜の祭が、それに関係してるはずだ。」
緋皇が、しゅるっと絹ずれの音をさせて立ち上がる。
「夏祭じゃねえんだぜ?収穫の祭を夜中にやるなんて、明らかにあやしい。」
と、扉に手をかけたので、翡蓮も慌てて立ち上がり、今にも扉を開け放ちそうな緋皇の手を押さえた。
「って、ちょっと待て。おまえ、どこに行くつもりだよ!?」
「納屋。さっき入って来た男が、納屋がどうのって庄屋に言ってた。全部は聞き取れなかったけどな。」
「おまえ、勝手に歩き回るつもりか!?」
翡蓮は、緋皇の地獄耳よりも、そっちに驚いたが、緋皇は
「当然。面白そうじゃん。それに、屋敷の外に出るなって言われただけだろ?見つかったって、喉が渇いたとか厠とか、いくらでも言い訳できるじゃねーか。」
と、堂々と胸を張る。
「水差しは部屋にあるし、厠も離れにあるだろ。全然言い訳になってないじゃないか。」
そもそも、面白そうという理由で、一宿一飯の恩がある相手の屋敷を引っかき回そうとする緋皇の思考は、翡蓮には理解できない。傍若無人もここまで行くといっそ清々しい。
「じゃあ、寝ぼけたとか、何でもいいだろ。ほら、行くぜ。」
と、緋皇は、翡蓮に押さえられていた手を、くるっとひっくり返して掌を上にし、逆に翡蓮の手首をつかんだ。
ぐい、と翡蓮を引き寄せてニヤリと笑う。
間近に緋皇の真紅の瞳が迫り、そこに、悪戯っぽい光がきらきら踊っているのを見て、翡蓮は息を詰めて瞬きした。そして、肺が空になりそうなため息をつく。
「しょうがないなあ…。」
この状態の緋皇を放置したら、何をしでかすかわからない。それよりは、一緒に行った方がずっとましだと結論付けた、苦労性の翡蓮だった。
その奥で。翡蓮自身は認めたくはないのだけれど。
緋皇と一緒に冒険じみた探索に乗り出すことに、わくわくしている心も、確かに存在している。
☆
暗い敷地を、緋皇と翡蓮は進む。
離れに案内されるときに通ったので、納屋の位置はわかっている。立派な門から入ってすぐ脇のはずだった。
緋皇が「劫火狂獣」の炎の狼を、掌に乗るほどの大きさで出現させ、灯りの代わりにしている。満月から少し欠けだした、十六夜の月は、十分に明るいが、揺らめく炎の暖かい朱色は、背中を押すような力強さがある。
途中、深夜だというのに、慌ただしく行き来する下働きの男女に何度も遭遇したのだが、緋皇は「庄屋に呼ばれたんだけど、部屋ってこっちか?」と声をかけ、そのたびに、皆、親切に庄屋の部屋への道を教えてくれた。
世間的に信用が厚い神官候補生だから、というより、(ここまで堂々としていると、かえって疑われないものなんだな…。)と、翡蓮は呆れるよりいっそ感心した。
たどり着いた納屋もまた、広大な屋敷にふさわしく大きい。
鍵はかかっていなかった。緋皇が、薄い刃の笑みに、唇をつり上げる。
「みんなグルってことだな。」
「この村の人たちが何か悪いことをしているって決まっているわけじゃないだろ。」
翡蓮はため息混じりに返す。
緋皇は、周囲に人がいないことを確かめてから扉を開け、二人は素早く内側に身を滑り込ませる。
納屋の中は真っ暗だった。
緋皇は、炎の狼を仔犬ほどの大きさにした。
炎が照らしだしたのは、手足をきつく縛り上げられ、猿ぐつわをかませられた子どもだった。緋皇や翡蓮たちよりも幼い。おそらく十かそこらであろう少年。すり切れ、色あせた着物の。
翡蓮が駆け寄り、猿ぐつわを外す。
「きみ、大丈夫?どうしてこんなことを。」
「助けて!」
翡蓮の言葉を遮り、少年が叫んだ。それでも、外に漏れるのを恐れて、声はひそめている。その分、必死さと、切羽詰まった様子が伝わる。
「兄ちゃんたち、神官候補生さまなんだろう?姉ちゃんを助けて!」
手足を縛られていなければ、翡蓮にとりすがっていただろう。
翡蓮は、少年に目を合わせ、深く頷いた。
「落ち着いて話して。きみのお姉さんを助けてって、どういうこと?」
「姉ちゃんは、蛇神の生贄にされるんだ!!」
緋皇の瞳が、不敵に輝く。
「大当たり、だな。」
☆
この村は、十年に一度、蛇神に生贄を差し出してきたんだ。
百年くらい前に、日照りで何日も雨が降らない日が続いたときに、村の巫女が蛇神に身を捧げて村を救ってくれるように祈ったんだ。蛇神は願いを聞き届けて雨を降らせてくれたけど、その代わりに、生贄を要求するようになったんだって。
反対する人?昔はいたらしい。でも、生贄を捧げないと、蛇神は瘴気をまき散らしたり、大雨を降らせて川を氾濫させたりしたって。稲が全部水につかって、駄目になって、飢え死にする人が出た年もあったって、長老が言ってた。その代わり、生贄を差し出せば、蛇神は、雨をちょうどいいだけ降らせるから、毎年豊作になる。
生贄を捧げなければ、瘴気や大雨のせいで、死人が出るんだから、十年に一人の犠牲はしかたがないって、みんな言うんだ。
だけど、オレは嫌だ。
絶対に嫌だ。
たった一人の姉ちゃんなんだ。
姉ちゃんが犠牲になるくらいなら、こんな村どうなったっていい。
でも、一緒に逃げようって言っても、姉ちゃんは聞いてくれないんだ。
「今までお世話になってきたんだから。」「これは、あんたを守るためでもあるんだから。」って。
確かに、オレたち、父ちゃんと母ちゃんが死んでから、村のみんなは、食い物を分けてくれたり、畑仕事を手伝ってくれたりした。だけど、それも全部、姉ちゃんを蛇神の生贄にするためにしたことなんだ。
兄ちゃんたち、神官候補生なんだろ。
蛇神を倒せるんだろ。
頼むよ、姉ちゃんを助けてくれ!
☆
翡蓮に縄を解かれ、晴太と名乗った少年は、一気にそこまでしゃべった。
「姉ちゃんを助けてくれ!!お願いだ!!」
泣きながら絶叫した晴太に、緋皇は辛辣だった。彼は、翡蓮以外の人間をどうでもいいと思っているので、同情などしない。相手が年下の子どもでも関係ない。村よりも姉一人が大事な晴太の思考は、翡蓮以外に見向きもしない緋皇の身勝手さと似ているが、それでも共感などしないのだ。冷たく言い放つ。
「自分は何もしねーで、会ったばっかの相手に、全部丸投げかよ。」
「緋皇!」
翡蓮が咎めるよりも早く。
「姉ちゃんを連れて逃げようとしたんだよ!!生贄の儀式の前に!!」
晴太が、憎悪の炎を瞳に燃やして怒鳴り返した。しかし、その憎しみは、緋皇に向かうものではなく。
「だけど、見つかって、ここに閉じ込められた。オレじゃだめなんだよ…!!」
握りしめた拳を、ドンと打ちつける。骨が砕けたのではないかと心配になるほどの烈しさだった。
知っている、と翡蓮は思う。
この少年の怒りと嘆きを。
「ちくしょう!!なんで!!なんでオレには何の力もないんだ…!!」
「力はなくても、きみの心が、オレたちを動かすよ。」
翡蓮が、晴太に視線を合わせて微笑んだ。
心に沁み渡る声音だった。
晴太の瞳から、新たな涙がこぼれ落ちる。
「オレたちが、必ずきみの姉上を助ける。オレは翡蓮。こいつは、緋皇。口は悪いけど、本当はいいやつだから。」
気高く高潔で、慈悲に満ちたその姿こそ、民が思い描く理想の神官。
「今まで一人で、よくがんばったね。」
晴太は、瞠目し、泣き崩れた。
しかし、泣き続ける年下の少年を前にしても、緋皇は非情だった。
「翡蓮、おまえ、情にほだされてなんでもホイホイ引き受け。んぐっ。」
翡蓮が無理やり緋皇の口をふさぎ、晴太に聞こえないように納屋の隅まで引きずって行く。
抑えた声だが、厳しく言う。
「もう!晴太くんに聞こえる声でそういうこと言うなよ。」
緋皇は、翡蓮の手を引きはがし、不満たっぷりに文句を言う。
「おまえって、ホント誰にでも甘いよな。ご立派な神官候補生サマだな。」
緋皇は、翡蓮が自分以外に目を向けると機嫌が悪くなる。もともと、何か裏がありそうだと見抜いて、探ろうとしたのは緋皇の方で、騒動は大歓迎のはずだが、勝手なものである。マヨヒガの一件以来、ひどい荒れ方はしなくなったが、拗ねるのは変わらない。
翡蓮は首を振った。薄暗い納屋の中でも、金髪がきらりと眩い。
「今回は、神官候補生として、というより、ちょっと私情が入ってる。」
翡蓮が緋皇を見つめた。
緋皇が少し戸惑う。
翡蓮の翠玉の瞳は、いつも通り、まっすぐで強くて、けれどその奥に切ない光が揺れる。今、翡蓮が見ているのは、六歳の緋皇だ。
「あの子の気持ちが、オレにはよくわかる。オレも、おまえを助けたくて、でも何もできなかった時があるから。あの時の悔しさと怒りを、オレは絶対に忘れることはできない。」
運命よりも、他者よりも、何よりも先に、自分を呪った。
大切な人を守れない、己の無力こそが憎悪の対象だった。
身を焼かれるように渇望した。強くなりたいと。
「翡蓮…。」
緋皇は何を言っていいかわからず、ただ、名前を呼ぶ。翡蓮のせいではなく、翡蓮には何の咎も責も義務もないことだった。そう告げたこともある。けれど、翡蓮は納得しなかった。
だから、緋皇にできることは。
「あーもう、しょうがねえな。」
にやりと唇をつり上げて、いつもの顔で、尊大に笑う。
「つき合ってやるよ。」
「ありがとう、緋皇!」
光が弾けるように翡蓮は笑い、緋皇は目を細める。くるりと振り返る。
「で?ガキ、生贄の儀式っていつだ?」
「今夜なんだ。もう、時間がない。」
その目に、新たな涙が滲む。
☆
「へえ、今夜ね。じゃあ、のんびりしてちゃ手遅れだな。」
どおりで、夜中なのにバタバタ騒がしかったわけだぜ、と緋皇の目が、不穏に剣呑にキラリと光る。
翡蓮は嫌な予感に、つ、と汗が一筋頬を伝う。
「緋皇、」
と、呼ぶよりも早く。緋皇が納屋の扉を蹴破った。納屋の外に飛びだす。
南中した十六夜の月光を浴びて。
「二級神術発動、天裂炎槍!」
ドオオオオン!!
地響きを立てて。
大地から、天空へ、炎の柱が立つ。
ごうごうと、火の粉を巻き上げ、周囲を真昼の明るさで照らし出す。
「えええええええっ!?」
緋皇の後を追った翡蓮が、卒倒しそうな悲鳴を上げた。
思わず緋皇の胸倉をつかんでしめ上げる。
「ちょっと待て緋皇!!おまえ一体何考えて!!」
「手っ取り早いだろ?」
「なんで得意げ!?」
胸を張る緋皇、焦る翡蓮。晴太は、泣くのも忘れてぽかんと口を開けている。
そうこうしているうちに
「火事だ、急げ!」
「納屋の方だぞ!」
「早く水を!!」
足音。怒号。次々に集まって来た下働きの男女や村人は、天を貫くように燃え盛る炎の柱を、唖然として見上げている。
「神官候補生様、これは一体何事ですか!?」
穏和な仮面を脱ぎ捨てた庄屋が、怒りに満ちた詰問を投げる。
しかし、緋皇の人を小馬鹿にした笑みは揺らがない。傲慢尊大、傍若無人に言い放つ。
「なあ、庄屋サン。それから、この村のやつ。おまえらを苦しめてる蛇神、オレたちが倒してやるよ。」
「なっ…。」
庄屋に、村人に衝撃が走る。
あごを反らしてその様を睥睨し、緋皇は真紅の双眸をすうっと細めた。
「まさか、嫌とは言わねーよなあ?それとも、十年に一人犠牲にすりゃ、豊作が約束される暮らしが捨てられねーか?」
極寒の烈風が吹き荒れるかのような緋皇の声が、周囲を凍てつかせる。
「蛇神に屈して、媚びて、他人差し出して美味い汁吸うか?てめえら、人として終わってんな。」
「緋皇!言い過ぎた。やめろ。」
翡蓮が遮った。神術を使える神官候補生が、妖に対抗する術を持たない民に言ってはならない言葉だ。それは、「持つ者」が上から、「持たざる者」を見下す行為に他ならないのだから。
「非礼はお詫びします。ですが、神官候補生として、人に害を為す邪神を放っておくことはできません。蛇神は、オレたちに任せていただきます。」
丁寧だが、反論を許さない強さで、翡蓮が凛と言い切った。
☆
「人にあだなす妖を放っておくわけにはいかないから、反対はしないけど、決める前に、一応、ボクたちにも相談してよ。」
「…で、蛇神を倒すことはわかったけど、具体的な策は?」
玻璃と瑠璃が、ちょっとムッとした顔で、緋皇に向かって言う。気持ちよく眠っていたところを叩き起こされた上に、今から妖の調伏だと言われれば無理もない。
「うるせーな。今、ちゃんと話してやってんだからガタガタ言うな。文句言うなら、てめーらはやんなくていいっつーの。オレと翡蓮だけで十分だ。」
緋皇は、罪悪感の欠片も感じていない顔で、腕を組んでふんぞり返っている。玻璃と瑠璃ももう慣れたのでそこは流す。
「ああもういいよ。ちゃんとやるって。で、策は?」
「翡蓮が囮になる。蛇神は、生贄を喰う時にしか姿を現さないっつーことだからな。おい、翡蓮、着替え終わったか?」
緋皇が背後を振り向く。双子も翡蓮の方を向いた。
「…囮役は構わないけど、この衣装着る必要ってあるのか?」
しゅるっと、衣擦れの音をさせて進み出た翡蓮は。
純白の白無垢をまとっていた。
正絹に、銀糸で牡丹が刺繍された、豪奢な衣装が重たげに見える、可憐で初々しい花嫁。
高貴な姫君は政略結婚の駒にされがちなので、龍神国では、十代前半で嫁ぐ少女も珍しくない。しかし、これほど愛らしい乙女は滅多にいないだろう。
清雅な美貌は、白一色の装いに映えて、夢幻的ですらある。かすかに眉をひそめたその表情が儚げで。
緋皇は、一瞬、いつも鋭い目を丸くして、すぐに弾けるように笑い出した。
「あはははははっ!すっげー上玉!!似合うじゃん!おまえ、女顔だもんな!」
腹を抱えて大笑いした挙句、翡蓮の肩や背中をばしばし叩き出す。
「いっそ化粧もしてみろよ。」
「ふざけるな!て言うか、痛いからやめろ!おまえ、完全に面白がっているな。他人事だと思って!」
「他人事だし。」
「本っ当に嫌な性格だな…おぼえてろよ。」
ぎろっとにらむ翡蓮。ふだん、翡蓮は緋皇には甘いのだが、今は本気で怒っているので、若干、口調が乱暴である。
「ああ、びっくりしたあ…。一瞬、誰かわかんなかったよ。」
「でも、緋皇と話しだしたら、いつもの翡蓮にもどったね。」
玻璃と瑠璃が、こっそり胸を撫で下ろす。
下界に舞い下りた天女のような美少女だったのに、緋皇が笑い出したとたん、いつもの翡蓮にもどった。柳眉を逆立てた表情は、どこから見ても少年だ。
双子がこそこそ話している声は、緋皇にも翡蓮にも聞こえていない。
「にしても、おまえ、なんで振袖着れんの?そういう趣味でも。」
「そんなわけあるか!」
首をかしげて翡蓮の顔をのぞきこんだ緋皇に、翡蓮がぴしゃりと返す。
「オレの家、男三人兄弟なんだよ。オレが長男で、弟二人。母上は、女の子が欲しかったらしくて、振袖着せられたことがあるんだよ。母上、身内びいきを差し引いても、淑やかな美人だったと思うけど、中身は結構変な人だったんだよなあ…。父上は真面目な人だったから、時々振り回されて大変そうだった…。」
昔をふりかえっていた翡蓮に。緋皇がふいに訊いた。
「帰りたいか?」
いきなり脈絡のないことを訊かれたので、翡蓮はきょとんとしてしまった。
「?この格好は嫌だけど、だからって、この件を放り出して帰れるわけないだろ。そりゃ、ずいぶん講義に出てないけど、仕事で出られなかった分の講義は補講があるから、そんなに心配は。」
「そうじゃねえよ。」
緋皇がひどく真剣な顔をしているので、翡蓮はやっと気づいた。ふわりと、花がほころぶように笑う。
「オレの帰る場所は、神殿の、おまえと一緒の部屋だよ。」
「翡蓮。」
思わず呼んだ緋皇に、翡蓮が頷いた。
「だから、蛇神を倒して、みんなで一緒に帰ろう。」
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