「おまえが泣いてんのに、オレが幸せなわけねーだろ!!」~最強の魔法使い師弟5~

火威

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第三幕

「おまえが泣いてんのに、オレが幸せなわけねーだろ!!」~最強の魔法使い師弟5~

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第三幕

 開け放たれた扉の先は、大広間だった。
 ディアスも、王子として過ごしていた頃、数えるほどだが、足を踏み入れたことがある。しかし、記憶にあるものとは桁違いの豪華な空間になっていた。
 頭上に煌めくシャンデリアは、おそらく本物のクリスタル。ところどころに、ルビーやサファイア、エメラルドにトパーズといった、色鮮やかな宝石が埋め込まれている。
 シャンデリアが無い部分の天井には、扉のレリーフと同様のモチーフを描いた、細密画。今にも絵から抜け出してきそうな、生き生きとした筆致だ。床は、極上の大理石。壁はほぼ全面が鏡ばりになっており、空間を広く、そして妖しく見せている。
 長い机にかけられた、真っ白なテーブルクロスには、しみ一つなく、その上には湯気を立てる珍味。海から遠いオルコスでは高価なはずの魚介類もふんだんに使われ、肉は分厚く切られている。グラスに注がれたワインも、その芳醇な香りから、庶民では口にできない酒だとわかる。
 そして、大広間を埋め尽くすのは、おそらく、魔法使いたち。
 <星の塔>と交流がある組織の制服をまとった魔法使いもちらほらいるので、間違いはない。組織の規則に従って、揃いの杖や、護符タリスマンとなる装身具を身に着けている者もいる。
(こんなに大勢の魔法使いを集めて、何が目的だ?)
と、フェレトが訝しむ。
 ここまで案内してきた騎士は、
「お食事やお飲物をお持ちしますんで。」
と、離れていった。
「おかしいです。」
とディアスが、フェレトにだけ聞こえる声で、ささやいた。幸い、大広間は広く、周囲に人はいない、
「オルコスは、複数の、それも一流の魔法使い組合ギルドに依頼できるほど裕福ではないはずなんです。この大広間の内装も、前とは比べものになりません。」
 ディアスは、幼いころから聡明だったのでーそうでなければ生き延びられなかったーこの国の経済状態を正しく把握していた。王宮における食事や調度品、衣服。民の暮らしぶり。判断材料はいくらでもあった。
 民が飢えるほど貧しくは無いが、王族が度を越した贅沢ができるほど富が有り余っているわけではない。その程度の小国。
「じゃあ、可能性は二つだな。」
と、フェレトも声を落とす。
「一つは、無理をしてでも魔法使いをかき集めなきゃどーにもならないくらい、事態が逼迫している。だが、どうやら金が有り余ってるみてーだから、それは無さそうだ。」
「もう一つは?」
「この国に、金の卵を産む雌鶏が来た。」
 フェレトのサファイアの双眸に、刃の煌めきに似た光がよぎる。
「金が絡むと厄介だぜ、人間てのは。」

 豪華な食事を味わいながら、表面上は和やかに談笑している魔法使いたち。
 ふいに、彼らのざわめきが大きくなった。
 視線が一点に集中する。
 フェレトやディアスが入って来たのとは逆、城の奥の方につながる扉が開け放たれていた。
「「「「国王陛下!」」」」
 と、騎士たちが唱和する。
 近衛兵たちを引きつれて大広間に現れたのは、頭上に宝石をちりばめた王冠を戴くオルコスの王。絹の光沢を放つ、天鵞絨ビロードのガウンは、ワインのような深い赤。
 金をかけた装いが滑稽にならない程度には、整った容姿をしている。淡い金の髪と、ブルーグレイの瞳は、色合いだけ見ればディアスのそれと、そうかけ離れてもいない。しかし、誰もが見惚れる、秀麗な美貌のディアスと並べば、明らかに見劣りがするだろう。髪の色一つとっても、ディアスの月光を思わせる輝きに比べ、王の金髪はくすんでいるように見える。
 ディアスにとっては、五年ぶりに目にする父親の姿になる。
 フェレトはそっとディアスの横顔に視線を落とす。ディアスは、フェレトの視線を敏感に感じ取ったのか、顔を上げてフェレトに視線を合わせる。
(心配しすぎですよ。)
と、笑って見せる。自分でも意外なほど、感慨が無い。もともと、月に数度会えばいい方だった父親で、自分を見捨てたも同然の男だ。どうがんばっても、慕わしい気持ちは湧いてこない。がんばる気もないが。
 フェレトがかすかに顎を引き、再びオルコス王に視線を向ける。
「よく集まってくれた。各国の魔法使い諸君。」
 ちょうど、王が声を張り上げたところだった。
「さて、みなには、魔族討伐の名目で、我が国に集ってもらった。しかし、それは正確ではないのだ。」
 もったいをつけるように、王が一度言葉を切る。
 王の周囲を固める近衛兵たちは、恭しく控えているが、ちらりとある一点に視線を向けた。一人の近衛兵が捧げ持つ物に。布がかぶせられているが、近衛兵たちは当然中身を知っているのだろう。
「実は、一月ほど前、我が国には莫大な財宝が眠っていることが判明した。ご存知の方もおられるだろうが、我が祖先、勇者アケロンは、魔獣である三つ首の竜を倒し、このオルコス王国を建国した。」
 ディアスは鼻で笑う。一応、王子として生まれ育ったので、建国神話くらい知っている。どこの国でも似たような話があるなと思う。ようは箔付けなのだろうが。
 魔獣は、魔族には劣るとはいえ、人間には十分に脅威。竜は魔獣の中でも最上位。人の身で倒したなら英雄だ。
「竜は、アケロンに倒されたとき、その体は黄金に、その目はルビーへと変じたとされる。財宝と化した竜の亡骸を、アケロンはばらばらにして、封印した。その封印の地がいずこにあるかは、謎とされてきたのだが…ついひと月前、それが判明したのだ!」
 だんだん胡散臭い話になってきたなと、フェレトは胡乱気な表情になる。
 王が、近衛兵に近づいた。
「見よ!!」
と、布を引いた。
 衆人環視の目を釘付けにしたのは。
 大人の頭ほどもある、巨大なルビーの塊。
 ゴクリ、と誰かの息を呑む音。
 シャンデリアの光がその輝きを拡散させる。
「これは、三つ首の竜の瞳の一つ。余の話が真実である何よりの証。」
 フェレトは、(不味いな。)と感じる。眉間に皺が寄った。周囲の魔法使いたちが、少しずつ呑まれていっているのがわかる。
 王は、忍び寄る熱狂を感じ取ったか、よりいっそう声を張り上げた。
「財宝の在り処は、既に判明している。我が宮殿の三方を取り囲む山の中だ。しかし、この山々には、魔族がひそんでいる。今、手元にある財宝は、魔族と戦い、倒し、命がけで手に入れたものなのだ!」
(命を懸けたのは、おまえじゃないだろう。)
 ディアス冷たい目で、王を眺める。見上げると、フェレトも同感なのか、苦い顔をしている、今にも舌打ちしそうだ。
 魔族、という単語への反応は様々だった。
 冷水を浴びせられたように、冷静になった者は、魔族と戦い、生き延びた者だろう。熱に浮かされたままの者は、その経験がない者。
「魔法使い諸君。諸君らへの依頼は、魔族を倒し、財宝を持ち帰ること。報酬として、得た宝の半分を差し上げよう!!」
 魔法使いたちがどよめいた。
 それは破格の報酬だった。
 大人の頭ほどもあるルビーの塊が、真実竜のまなこだとするなら、その体である純金の量はいかほどか。
 魔族、という単語に、束の間、落ち着きを取り戻した者でさえ、目の色が変わっている。
「諸君らは、準備ができ次第、山に入ってくれたまえ。もっとも、あまりのんびりしていては、他の者に財宝を根こそぎ奪われてしまうかもしれんがな…ハハハハハッ!」
 王は、どこかタガが外れたように聞こえる笑い声を上げる。
 弾かれたように、出口へ殺到する魔法使いたち。
 フェレトとディアスは、王から目を反らす。目に入ったルビーの輝きは、美しくはあるものの、不吉さを帯びており、どうしても血の色を彷彿とさせた。

「すまねえ、魔法使いさま。食うもん取りに行ったら、王さまの演説が始まって、動けなくなっちまって…。少し冷めちまったが、取り替えてくるか?いや、来ますか?」
 薄茶色の眉を下げた情けない顔で、両手に皿を持った騎士が、そばに戻ってきていた。
(いるよな、こういう、間の悪いやつ…。)
と、ディアスは少々辛口だ。自分が、たいていのことは、器用にソツなくこなす優等生だったので、手際が悪い相手に手厳しい。それでも、声に出さなくなったのは成長か。
 フェレトは、その辺りのディアスの思考を読んでいるのか、意味ありげにちらりと弟子を見た。
「悪いが、オレたちは既に飯は済ませてるんで、それはあんたが食ってくれ。」
「いんやあ、これはお客様用だで、オラたちは口にできねえだよ。」
と、騎士は皿をテーブルに置く。
「ほんなら、部屋の案内するだよ。こっち、ついて来てくんな。」
と、先に立って歩き出す。宿泊用の客間へ向かうのだろう。
 ごく当たり前の行動のはずだが、ディアスは、騎士の行動にひっかかりを覚える。何が、とそれがはっきり形になる前に、フェレトがディアスの違和感を突いた。
「へえ。あんた、意外と鋭いな。オレたちが、すぐに財宝探しに行くとは思わねえのか。」
「それは。」
「それは、誰でも見抜けることだ。貴公らが、何の準備もなしに魔族の待ち受ける山に突撃するような、無謀な輩とは違うということくらいは。」
 貴公、というよく言えば育ちの良さそうな、悪く言えば古臭い、その物言いには覚えがあった。
 何より、その音楽的な声。
 フェレトとディアスが、同時に向けた視線の先には、大剣を背負った、黒髪長髪の迫力の美形。
 フェレトが、「へぇ。」と、面白そうに口角をつり上げる。
「カサルじゃねーか。こんなに早く再会するたあ、オレたちとあんたには、縁ってもんがあるらしい。」
 カサルの、『先を急ぐ』用事は、フェレトたちと全く同じだった、ということだ。
 カサルも、礼儀正しい口調はそのままに、初対面のときよりも、いくらか気安い笑みを返す。
「私も、貴公らとまた会えて嬉しい。しかし、妙な雲行きになってきたな。一刻も早く、魔族に苦しめられる民衆を救わんとしてやって来たのだが。」
 魔法使い組合ギルドに示された依頼内容は、<星の塔>も<聖杯の使徒>も同様に、単なる「魔族退治」だったらしい。
 カサルは、法外な報酬に惑わされ、我先にと飛び出して行った魔法使いたちとは一線を画す思慮深さを備えている。
(こいつはやっぱり、ただ者じゃねーな。)
 フェレトは、笑みを消して、首肯した。
「ああ、とんだ宝探しトレジャーハントだな。」

「でぇは、カサル様は、明日の朝、山へ入られるわけですね。今日の夕食、明日の朝食、それから、朝食のときに携帯できる食料も一緒にお持ちしますんで。」
 カサルを部屋まで案内した騎士が、
「他に何かあれば、何なりと申し付けてくだせえ。」
と、つけ足す。
「いや、十分だ。礼を言う。」
と、明らかに下っ端の騎士にも慇懃に礼を言い、カサルは客室の奥に消えた。
「でぇは、<星の塔>の魔法使い様たちのお部屋は、もうちっと歩きますんで、すみませんが、勘弁してくだせえ。」
と、騎士は再び先に立って歩き出す。フェレトとディアスも続く。
 当然だが、大広間に集まった魔法使いの全てが、勇んで山に入ったわけではない。名の通った魔法使い組合の者ほど慎重で、いったん部屋に引き上げるようだ。フェレトたち同様に、騎士に先導されて客室に向かう魔法使いたちがちらほら見える。
 ふいに、
「殿下?」
と、声がかかった。
 侍女…否、まとう衣装は上等なので、女官だろうか。大きく目を見開いて固まっている。
 ディアスは、血の気が引いた。
 貧血を起こしたように、目の前が暗くなる。
(どうしてバレた!?)
と、叫びそうになったが、何とか呑みこむ。
 フェレトと目が合ったからだ。
 深い海の色の瞳に見下ろされて、すうっと、肩の力が抜けた。
 この間、ほんの二、三秒のことだった。
 表面上は、何一つ動揺を悟られることなく、ディアスは周囲に視線を巡らせる。
 声をかけてきた女官の視線が、自分には向いていないことに気づく。
 彼女は、ここまでフェレトとディアスを案内してきた、朴訥な青年騎士を眺めていた。唖然とした表情で。
「キュクロプス殿下。」
と、そう呼ぶ。その名は、先代の王の末子、現王の弟。そして、騎士は、彼の命を受けて動いているのではなかったか。
 女官は、それなりの地位にある女性なのか、王族に対して諌めるような口調で言った。問いの形を取ってはいるが、ほとんど説教だった。
「キュクロプス殿下、その格好は、仮装か何かなのでしょうか?万聖節の前夜祭サウィンはまだ先ですが?」
「あははは!手厳しいなー。ボクいちおー、王族だよー。もうちょっと敬ってー。」
と、朗らかに笑う騎士…否、騎士のふりをしていた青年の口調からは、訛りはすっかり消えており、発音は上流階級のものだ。間延びした物言いは変わっていないので、威厳は全くないが。
「えへへーばれちゃったねー。」
と、亜麻色の髪をかきつつ、フェレトとディアスに向き直る。
「あらためて…キュクロプスです。よろしくー<星の塔>の魔法使いさん?」

 騙そうとなんてしてないよー。もうちょっとしたら、自分で言うつもりだったって。信じて。ね?
 ディアスくんだっけ?キミ、にっこり笑ってたらお姫様で通るんだから、そんな冷たい目で見るのやめて。あ、もっと冷たくなった。
 ああ、すみませんすみません。話進めますねー。
 はっきり言って、財宝の話、胡散臭いと思いません?
 三つ首の竜を倒した勇者が、オルコス王家の祖先、って伝説だけどーあんなの、どこの王家にも似たようなものがあるでしょ?
 財宝の話なんて、ひと月前、急に兄上…陛下が言い出したんですよー。ええ、突然。
 証拠があるって?
 ええ、そこ。そこなんですよねー。
 確かにあるんです。動かぬ証拠が。さっき陛下が見せたのは、ルビーだけですけどねー、竜の体が変化したって金塊、純金も見つかっているんです。かなりの量が。
 でも、おかしいと思いませんか?
 オルコス王家は、小国とはいえ、一応千年近い歴史があるんです。千年、影も形もなかったものが、急に出てくるなんて、裏がありそうじゃないですかー。
 あの財宝、陛下は、何か後ろ暗い方法で手に入れているんじゃないかって。で、国上げて、派手に大勢の魔法使い集めたのは、そのカモフラージュ。
 いや、だからね。ボクはこれでも、王家のはしくれとして、心配してるわけですよー。陛下が非合法な手段…たとえば麻薬とか人身売買で金を儲けていることが明るみになったら、オルコスは周辺の国から袋叩きですもん。
 って、ことで、真相を突き止めるのに協力してくれそーな魔法使いを探してたってわけです。ほら、ちょっと頭が足りないふりしてた方が、素顔をさらしてくれるでしょ。騙したのは謝りますよー。
 どうでしょう。<星の塔>最強の魔法使いサン。
 ボクに…この国に、力、貸してもらえません?

 フェレトは、キュクロプスが話し終えるまで無言だった。女官は、キュクロプスが追い払ったため、ここにいるのはフェレトとディアス、そしてキュクロプスだけだ。
 フェレトは、つ、と鮮やかなサファイアン・ブルーの瞳を眇めた。
 キュクロプスに向ける眼差しは、いつもの陽気さも人好きのする笑みの気配もない。視線一つで、周囲の温度を下げ、空気を張り詰めさせる。
 キュクロプスは、気圧されていることを悟られないよう、仮面の笑みを張り付けた。
「オレたちは、<星の塔>の魔法使いだ。オルコス王家が<星の塔>に依頼した「魔族の退治」は必ず遂行する。」
 <星の塔>を背負って立つ、最高位の魔法使いとしての矜持と誇り。揺るがぬ信念が、フェレトの声に宿っている。
 ああ、この人は、やはり<星の塔>の生きた至宝だと、ディアスは、誇らしい気持ちが胸に満ちた。フェレトを見上げるディアスの瞳が熱を帯びる。
 好き勝手やらかし、上の意向にも平気で逆らう問題児だが、フェレトの芯には覚悟がある。賢者の重責を担う覚悟が。
 そして。
「だが、それは、オルコス王家のためじゃねえ。」
 フェレトの蒼天の瞳は、キュクロプスを突き抜け、もっと遠い何かを見据えていた。
「オレたち魔法使いの力は、無辜の民のためにある。」

 キュクロプスは、「構いません。貴方は、貴方の判断で自由に動いてください。」と言って去っていった。
 広い客用寝室には、フェレトとディアスの二人分の息遣い。そして、フェレトのたてる、かすかな衣擦れの音。
 ディアスは、ベッドに腰掛けて部屋の中を改めるフェレトを見ていた。
 案内された部屋は、二人で使うには広すぎるほどだ。調度も豪華で、ベッドも座っているだけで沈みそうなほど柔らかい。その上、ディアスなら三、四人は寝られそうなサイズだ。寝具の手触りの良さも、上質の品であることを窺わせた。
 棚に並ぶ茶器一つとっても、最近流行りの、東方の国からの輸入品だ。庶民なら一月は遊んで暮らせる値段のティーカップ。猫足が優美な曲線を描く椅子やテーブル。奥にはバスルームも備えている。
 フェレトは、部屋をざっと見て回り、罠が仕掛けられていることもなく、壁は十分厚いことを確認した。それでも念のため、結界を張って、声が漏れないようにしておく。
「今のところ、何か仕掛けられている気配はねーが、物を口に入れるのは、<白浄光はくじょうこう>かけてからにしろよ。」
と、フェレトはディアスに言い聞かせる。フェレトが椅子に腰かけて長い足を組んだので、ディアスもベッドから立ち上がって、フェレトの正面に腰かけた。フェレトが、テーブルに肘をつき、ディアスに視線を合わせる。
「あの王弟殿下は、油断ならねー。あれで全部手札を見せたとは思えねーんだよな。おまえ、あいつについての情報あるか?」
「すみません。前王には子が多かったので…。」
と、ディアスは、何とか記憶を探る。
「享楽的というか、道化役というか…王位継承からは遠い分、そういう態度でも咎められない立ち位置だったと思います。オレは、ほとんど会ったことがないので、詳しいことは。」
 フェレトは、納得した顔になった。
「それで、あいつ、おまえに気づかなかったってわけか。まあ、気づいてねーふりしてるって可能性もあるがな。」
 フェレトの声は、腹にずしんと響き、そのままディアスを穿つ。
「ボロ出すなよ、ディアス。」
「っ。言われるまでもありません。」
 ディアスは肩をそびやかし、いつもの生意気さで言い切ったが、フェレトの舌鋒は鋭い。
「さっき、思い切り動揺してたじゃねーか。」
「それはっ。」
 殿下。それは、国王以外の王族への敬称だ。名ばかりの第二王子ではあっても、ここで過ごした十年間、ディアスもそう呼ばれていた。だから、パニックになりかけた。フェレトが視線で諌めてくれなかったら、叫び声くらい上げていたかもしれない。
「ここは、結構な魔窟だ。切り抜ける自信がないなら、今からでも<星の塔>に。」
「帰りません!!」
 ダンッと、ディアスは卓に両手をついた。立ち上がり、至近距離からフェレトを見下ろす。
「フェレトさまと一緒じゃなきゃ、帰りません。」
 ぶつかったまま、引き合う磁力が生まれたかのように、フェレトとディアスの視線は微動だにしない。
 フェレトは、苦笑気味に唇の片端を引き上げる。
 勝気な眼差しは、いつものディアスだ。
 嫌な思い出の方が圧倒的に多いだろう生まれ故郷。自分を見捨てた父親との再会。そういったものは、ディアスの負けん気を損なうものではないらしい。
「本当に梃子でも動かねーな。わかったから、気ぃ抜くんじゃねーぞ。」
 ディアスの顔が、パッと輝く。
「はい!!」
 深くあごを引き、凛と叫んだ。

 <星の塔>のある大陸中央は、夏真っ盛りで、日光を浴びた木の葉は、濃緑が目に鮮やかだった。時折吹く風も、ねっとりと重く、こもるような熱気を孕んで肌にまとわりついた。
 しかし、山の夏は短い。特に北国では。
 オルコスの宮殿を天然の要塞たらしめている、三方にそびえたつ山。木々はほんのりと色づき始め、落ちている木の実を、リスやノネズミが咥えていく。山に深く分け入っていると、肌を撫でる風は涼気よりも冷気を孕む。
 山に分け入って三、四時間は経過した。山の日暮れは早い。もうしばらくすれば、周囲は茜色に染まるだろう。
かなり広範囲を歩き回ったが、魔族の影すらない。数人、他の魔法使いたちと出会ったが、彼らも同様だった。
「財宝も魔族も嘘、という可能性もありますね。」
と、歩きながらディアスはフェレトに話しかける。
「そうなると、何のために大金使って魔法使いを呼び寄せたか、だな。だが。」
と、フェレトが言葉を切ったとき。
 絹を裂くような悲鳴が上がった。
「嘘と決めつけるのは早かったらしいぜ。」
 フェレトとディアスが同時に叫んだ。
「羽ばたけ、<碧風翼へきふうよく>!」
 絶叫が響いた方向へと飛び立つ。

 駆け付けた場所は、地獄絵図だった。
 一面の深紅。吐き気がするほどの、空気さえ薄く色づいて見えるほどの、濃密な血と、生臭い内臓のにおい。
 血の海に沈む骸は、ある者は、腹を切り裂かれて臓物をさらけ出し、ある者は四肢を引きちぎられている。
 口元を押さえ、顔面蒼白になったディアスを、フェレトが叱咤する。
「ディアス!生存者探して、<白癒光はくゆこう>かけろ!」
 以前のように、「おまえは、見るな。」とは言わない。
 ディアスが、打たれたように、ハッと顔を上げる。
 自分の意志でついて来たのなら、できることをしろと、そう言われたのが、嬉しい。
 一瞬で表情が切り替わる。燦然と輝く紫水晶。
「はい!」
 迷わず血の海に踏み込んだ。
「無駄なことするねー。」
 ふふん、と侮蔑を含んだせせら笑いと共に、そんな言葉を発したのは。
 人間離れした美貌の青年。道を踏み外していそうな、退廃的な空気をまとっている。しかし、それさえも妖しい魅力へ変える、絶世の美貌。
 年の頃は、二十歳前後に見える。見える、だけで、その数百倍は生きているはずだ。人には有り得ない、若葉のような萌黄色の髪を、血に染まった風に遊ばせて嗤っている。瞳も同じペリドットの色彩。
 寒気がするほどの美貌が示すことは一つ。
 フェレトのまとう気配が、一瞬で戦闘態勢になる。
「魔族か。」
「んー半分正解?ヒントあげよーか?」
 小さな子どもに向けた、たわいない謎かけのように笑う。
(まさか。)
と、かすかに息を呑んだフェレトに向かって。
「ボクは怠け者でーす、ていうとわかるかなー?」
「ベルフェゴールか!?」
 それは、魔王の一柱。「怠惰」の王。
 フェレトは、それ以上の無駄口を叩く気は無かった。
「噛み殺せ、<翠嵐獣すいらんじゅう>!!」
 烈風をまとった有翼獅子が、ベルフェゴールに襲い掛かる。目にも止まらない、瞬時の突撃。全てを粉々に打ち砕く、風の形の殺意。
 しかし、
「届かないよー。」
と、ベルフェゴールは戦場とも思えぬ呑気な声を出す。
 彼の周囲には、魔獣の群れが突然出現していた。
 ガーゴイル、サラマンダー、ゴブリン、ライカンスロープ、オーク、ケルピー、ヒュドラ、ドラゴン…。
 強さも大きさも、属性も種族も、全てばらばら。何の統一感もなく、ありとあらゆる魔獣をかき集めた大群。
 無論、魔獣の最上位、ドラゴンでさえ余裕で倒せるフェレトには雑魚同然だ。
 だが。
(数が多すぎる…!)
 相当な修羅場をくぐってきたフェレトだが、ここまでの数の魔獣を目にするのは初めてだ。
 魔獣たちは、殺されると知りつつ、ベルフェゴールを守る肉の壁となって立ち塞がっている。
 <翠嵐獣>の爪や牙で蹴散らされ、暴風をまとった体で体当たりされて、切り刻まれ、それでも次から次へと、ベルフェゴールの前に出る。
 飛び散る血飛沫と、切断されて吹っ飛ぶ四肢。
 凄惨すぎて意識が飛びそうな惨劇。
 仲間が次々と屠られていくのに、次は自分がそうなる運命と知っているのに、魔獣たちは、退かない。否、退けない。
 フェレトは、舌打ちし、<翠嵐獣>を自分の正面に戻し、盾とする。
 ベルフェゴールは、けぶるような薄緑の瞳を、酷薄に細めた。
「ほら、言ったでしょー。ボクは怠け者だって。だから、ボク自身はあんまり動きたくなくてー、このコたちが身を挺して庇ってくれるから、防御しなくて済んでラクなんだよー。」
 魔獣にとって、魔王は絶対。刷り込まれた服従の刻印は、生存本能すら凌駕する。
 魔獣も、人に仇為すものが多いが、全てではない。共存と言わぬまでも、人の領域を侵すことなく生きる種もいる。フェレトはぎり、と奥歯をかみしめた。
 精悍な美貌が、怒りで凄みを増す。
「外道が。」
と、吐き捨てる。眷属の命を使い捨てるやり方には、腹の底から怒りがこみ上げる。これが魔族のやり口と承知していても。
 しかし、だからと言って、魔獣に同情してベルフェゴールを取り逃がすなど論外だ。
 魔王を放置すれば、国が一つ滅んでもおかしくない。
「ディアス!」
 振り向かないまま呼ぶ。
「生存者は?」
「います!一名!<白癒光>はかけましたが、このままでは時間の問題です。」
 打てば響くように、答えが返る。
 阿鼻叫喚の現場で、ディアスはフェレトに求められた役割を果たしている。冷静に、迅速に、救える命を見つけ出した。
 フェレトは、一瞬、ためらった。目の届くところにいると、そう誓わせたのは自分だ。ここは、<星の塔>ではない。ディアスにとって因縁の生まれ故郷であり…今現在、陰謀が渦巻いているであろう魔窟。
 それでも、無辜の民を守ることが、魔法使いの使命。
(ディアス。今のおまえなら。)
 フェレトの声が、ディアスの耳朶を打つ。
「そいつ連れてここを離れろ!」
「っ…はい!」
 返事が一瞬遅れたのは、ディアスにも葛藤があるため。フェレトを置いていきたくないという。それでも、聡明なディアスは、今為すべきことを、理性で選び取った。<白癒光>は、けがは治すが、失った血液も体力も戻らない。致命傷に近い傷を負っていたのなら、一刻も早く医者に診せる必要がある。
「羽ばたけ、<碧風翼>!」
 ディアスが、けが人を連れて、王宮の方角へ飛び立つ。
 魔獣が行く手を阻むが
「吹雪け、<蒼雪乱そうせつらん>!」
と、凍てつく烈風で危うげなく蹴散らしていく。
「大事な弟子を遠ざけて、キミは何を狙っているのかなー?」
 ベルフェゴールは、愉しげな笑みを口元に張り付けて尋ねてくる。ディアスがここにいようといまいと構わないらしい。
(狙いはオレだけか。)
 フェレトにとっては、むしろ好都合。はっと、鼻で笑う。
「オレの狙いなんて、てめえを倒すことに決まってんだろ!一切を彼方へ弾け、<碧颱風へきたいふう>!!」
 フェレトが台風の目と化した。
 立っていられないほどの、凄まじい暴風が、フェレトを中心に吹き荒れる。吹き抜ける。
 耳をつんざく轟音。
 瞬時に、全ての魔獣を弾き飛ばした。視認できる範囲には、一頭たりとも残っていない。
 バサリ、となびいていたフェレトのマントが元の位置に下りた時。
「さっすがだねー。」
 ベルフェゴールがけらけらと笑っていた。
 何らかの魔法を発動して、<碧颱風>を無力化したのだろう。傷一つついないない。どころか、若葉色の髪一筋たりとも乱れていなかった。
「どうする?盾は消えたぜ。」
 挑発するフェレトだが、ベルフェゴールの余裕は崩れない。
「そーだねー。お楽しみは、これからかな?」
 ベルフェゴールは、口元に指を当てる。ピイッと、高い音が鳴る。
 バシャンッ!!
 響いた水音。
「弾けろ、<翠風弾すいふうだん>!」
 フェレトが、風を爆発させて、眼前に迫った水を散らす。ただの水とは思えなかった。そして、その判断は正しい。
 散らされた水が降り注いだ大地は、木々は、そして、人や魔獣の骸は、シュウウッと白い煙を上げながら、どろどろに崩れ落ちていく。
(強酸か。)
 触れたものを一瞬で溶解させる毒の水。
 ピイッ!ピイッ!ピイッ!
 ベルフェゴールの指笛が響くたび、四方八方から強酸の水がフェレトに襲い掛かる。空からも降り注ぎ、地中からも吹き上がり、規則性は全くない。
「羽ばたけ、<碧風翼>!」
 フェレトの背中に、透明な風の翼が広がる。大空を、縦横無尽に翔けながら、迫りくる毒の水を、危うげなくかわしていく。
 深緑のマントをなびかせ、華麗に空中を舞う姿は、風を味方につけているというより、風と一つになっているようだった。
 強酸の水は、一滴たりともフェレトには触れない。
「逃げ足の速いっ…。」
 ベルフェゴールは、初めて、はっきりと不機嫌になった。黄緑の瞳がつり上がる。
「ですが、逃げてばかりでは勝てませんよー。<星の塔>が誇る<風の賢者>が、ずいぶんと逃げ腰ですね!」
 ピイィィィィィッ!
 一際高く、指笛が鳴る。
 バシャアアアアアッ!
 津波のように、大量の水が、フェレトを襲う。
 しかし、フェレトは既に、そこにはいない。
(どこに。)
 あふれた水が視界いっぱいに広がり、確認が遅れた。
「ここだ。」
 すぐ間近に響いた、低い美声。
「!?」
 ベルフェゴールの背後。触れるほど間近に、フェレトの長身があった。
 一瞬で距離を詰めた。<風の賢者>の<碧風翼>の速さは、亜光速。
 この至近距離では、強酸の水は使えない。使えば、ベルフェゴール自身もただでは済まない。それを覚悟して、フェレトを攻撃する手もあった。だが、一瞬の躊躇が明暗を分ける。
 命がけの攻防においては、実力だけでは足りない。度胸と覚悟がものを言う。
 敵の間合いに躊躇わず飛びこんだフェレトの勝ちだった。
「烈風の牢獄で塵と化せ、<碧嵐獄へきらんごく>!!」
 その瞬間、ベルフェゴールは、風の牢獄に封じられた、哀れな虜囚と化す。
 無限の刃が、ベルフェゴールを細切れに切り刻む。
 飛び散るどす黒い血飛沫。木端微塵となっていく肉片。
 まばたき一つの間に、ベルフェゴールの肉体は、ズタズタに分断され、鮮血の海に沈んだ。
 ビュウッと、<碧嵐獄>の最後の風が、その場の空気を清めるように、血のにおいを散らしていく。
「っ…。」
 フェレトは、崩れ落ちるように膝をつく。こめかみから、つ、と汗が伝わってあごから大地に落ちる。
(ディアス遠ざけといて良かったかもな。)
 ディアスにはあまり見せたくない姿だ。プライドもあるし、それ以上に心配はかけたくない。生意気な減らず口ばかり叩いているが、ディアスがフェレトに向ける眼差しはひたむきで素直だ。
 フェレトの吐く息が荒い。
(ほとんど準備なしで<碧嵐獄>は無茶だったか…。)
 破壊力と、消費する魔力が桁違いゆえに、禁呪に準じる大技だ。世界広しとは言え、使える魔法使いは、片手で足りるだろう。実戦で使った経験のある魔法使いは、さらに少ないはず。フェレト自身も、数えるほどだ。
 今回は、十分に魔法を練る時間が作れなかったため、サタンを倒したときほどの威力はなかった。あの時は、ディアスが時間を稼いでくれたのだ。
(それでも倒せたのは、幸運か?それともー。)
 何にせよ、動けるようになるまで回復するには、しばらく時間が必要だ。<碧風翼>程度の魔法も、今は行使できそうもない。
 フェレトは焦りで苛立つ心を鎮めるように、呼吸を整える。
 フェレトの脳裏をよぎるのは、風変わりな魔族のよこした忠告だ。
『気をつけな。あんたの弟子の周辺に。』
 狙うとしたら、フェレトあんたにとって、一番大切なものだと。
 他に手が無かったとはいえ、ディアスから目を離して良かったのか…。目の届く場所にいた方が守れると、そう結論付けたからこそ、フェレトは迷った末にディアスを連れて来たというのに。

 窓から差し込む西日が、部屋に茜色の帯を描いている。
 ディアスは所在なげな様子で、ベッドに腰掛け、左耳のピアスをいじっている。
 ハッと顔を上げたのは、耳に馴染んだ足音と、肌に馴染んだ気配に気づいたからだ。
 飛びつくようにして、扉を開ける。
「おかえりなさい、フェレトさま。」
「おう。」
 フェレトは、部屋に入るとベッドに腰掛ける。
 それだけの動きだったが、ディアスはかすかに眉根を寄せた。フェレトの動きに、いつもの俊敏さが欠けている。フェレトは、闘いの最中はもちろんだが、意識していない日常の所作まで機敏だ。
 今も、けして鈍重なわけではなく、ディアス以外の誰も気づかないほどかすかな変化でしかない。
 ディアスは、フェレトの正面に立った。
「フェレトさま、大丈夫ですか?」
「目敏く気づくんじゃねーよ。」
 フェレトは、ちょっと嫌そうな顔をする。形のよい唇を「へ」の字にした顔が子どもっぽい。ディアスは呆れて、「オレ相手に見栄を張ってどうするんです。」と言いかけたが、それより先に
「おまえが連れて行った怪我人は。」
と問われ、表情を引き締めた。事務的に、事実のみを告げた。
「医師に診せました。命に別状はないと。今は安静にしています。」
「そうか。」
 フェレトはそれ以上を尋ねなかった。ディアスが報告しないなら、必要ない情報なのだと弟子を信じているのか、疲労が濃くて、思考がいつもほど冴えていないのか、ディアスには判断がつかない。
「フェレトさま。今だけでもオレにかけた。」
「却下。」
 ディアスに最後まで言わせずに、フェレトが取りつく島の無い言い方をする。ディアスがため息をついた。
「なら、せめて横になっていてください。夕食が運ばれたら起こします。」
「…。」
 むっつり黙ったフェレトは、負けず嫌いの少年のようだ。ディアスが、ずいっと距離を詰めた。
「何かあったら、絶対起こしますから。ちゃんと休養とれっていつもオレに言うのはフェレトさまですよね。」
「わーったよ。」
 フェレトが渋々頷いた。回復するには休むしかないことくらい、ディアスに言われるまでもないのだ。本当は。それでも、
「ディアス、一人で勝手に動くなよ。」
と、釘を差すのは忘れない。意地っ張りの少年めいた表情だったのに、ふいに、真剣に案じる大人の顔になったので、ディアスはドキリと心臓が高鳴った。
 独断で突っ走った前科が多いディアスには、耳が痛い言葉だ。
「わかってます。今だって、大人しくここで待っていたじゃないですか。」
 ね、と小首をかしげて、フェレトの青い目をのぞきこむ。
 フェレトのそばにいられないなら、結界を張ったこの部屋が一番安全だ。鍵の開閉に関係なく、フェレトとディアス以外には、扉を開けることができないようになっている。
「そこは褒めてやる。だけど、おまえがそーやって、猫かぶる時は信用ならねーんだよな…。」
とぶつぶつ言いつつ、フェレトは眠りに就いた。

 フェレトは、夕食が運ばれてくる前に、自分で目を覚ました。二時間足らずの休息だったが、それで十分回復したらしい。くつろいでいる時にさえ、うっすらと漂わせる凄みがもどっていた。
 この回復の早さも、流石は賢者、と言うべきか。
 <黒影翔こくえいしょう>で、<星の塔>に定期連絡も済ませた。<星の塔>を離れた任務の場合、定期連絡は必ず入れることになっている。これが入らなければ、任務中に何かあったことになる。
 部屋に運ばれた夕食をとりながら、今現在わかっていることと、今後の対応を話し合う。
 夕食は、高価な食材をふんだんに使い、さらに見た目も美しく飾ってある申し分のないものだったが、ディアスは、<風の塔>でフェレトが作ってくれる手料理が懐かしい。
「とりあえず、山に魔族が出る、というのは事実だったわけですね。財宝はともかくとして。でも、怠惰の魔王を倒したなら、これで魔族の脅威はなくなった、ということですか?」
「魔王以外の魔族がいない保証はないぜ?」
「ああ、そうですね…。と、なると、明日からもしばらく今日と同じ動きですか?」
「そうだな。だが、はっきり言って、情報が足りねーな。他の魔法使いにも話聞いてみるか。…だいぶ数は減っただろうな。」
とフェレトがぽつりと呟いた。
 山で魔族に襲われた魔法使いが、何人も死んでいたことは、当然報告済みだ。山に放置されている遺体を見つけた魔法使いがいれば、その話は広まるだろう。怖気づいて逃げ出す輩も出てくるはずだ。欲に目が眩んでいても、現実に死の恐怖を目の当たりにすれば、頭も冷える。命あっての物種だ。
 残るのは、腕に相当の自信がある者か、危険を冒してでも大金を手に入れたい者か。
「王家も一枚岩じゃねーしな。王サマも王弟殿下も、どこまで本当のコト言ってんだかな。」
 わからないことが多すぎる。そもそも、この依頼は、どこまでやれば終わりなのだろう。国王が満足する量の財宝が見つかるまでなのか?
 皿に視線を落としながら、フェレトがため息混じりに言った台詞に、返る言葉はない。ほとんど独り言だったので、べつに返事がなくても構わないのだが、ディアスがフェレトの言葉に反応しないのは滅多にないことだ。ふと気になって、フェレトが顔を上げると。
 ディアスの、食い入るような視線にぶつかって、たじろいだ。
 真剣、というよりは悲愴。
 珊瑚色の唇をかみしめて、何かを必死にこらえている表情で、フェレトを見つめていた。
 見れば、食事はほとんど減っていない。
「ディアス?」
 どうした、と呼びかければ、呪縛が解けたかのように、ハッと紫の目を見開く。
「すみません、ちょっと、疲れてるのかも…。」
 無理やりに、唇の両端をもち上げる。その笑みは、いつもの勝気なディアスとはかけ離れた、儚く力無いものだった。

 深夜、フェレトは気配を感じて、闇の中で目を開く。
 幼い頃から、数えきれないほどの修羅場をくぐって生きてきたフェレトは、気配には敏感だ。
 殺気のような、こちらを害する気配ではなく、むしろその逆の、縋るような眼差しだったが。
 夜目もきくフェレトの目は、差し込む月光だけで、ベッドの脇にぺたんと座ってこちらを見つめているディアスをとらえる。
 淡い月光の中でさえ、くっきりと光を放つような美貌は見慣れたもののはずだが、なぜか胸が騒いだ。今にも消えそうな、この世の者ではないかのような、夢幻の美貌に見えた。
 だから、フェレトはあえて、いつも通りに笑ってみせる。
「寝込みを襲ったところで、今のおまえじゃ、オレには勝てねーぞ。」
 ディアスは、ふっと笑う。泣くのをこらえて笑ったような笑顔だった。
「…そんな卑怯な真似はしませんよ。いつか、正々堂々、正面切って闘って、フェレトさまをこてんぱんに叩きのめしてみせます。」
 言うことだけは、いつもの、生意気でふてぶてしいディアスだ。
 それきり、しん、と沈黙が落ちる。
 今のディアスはおかしい。
 だが、それも当然だと、フェレトは思う。
 ここは、五年ぶりに訪れるディアスの故郷。それも、十年間、虐げられて過ごした場所。そして、母親が惨殺された場所でもある。
 そして、母を見殺しにした父親と再会したその日の夜。
 フェレトは、腹筋を使ってひょいと半身を起こす。予備動作がないので、ディアスはちょっと驚いたようだ。
 フェレトは、ぽん、とディアスの頭に手を置く。
「怖い夢でも見たか?」
 ここにいるのは辛いか、とは訊かない。故郷に来ることを決めたのはディアスだから。
 ディアスは、フェレトの真意に気づいているのだろう。淡雪のような、かすかな笑みを浮かべた。
「そうです、と言ったら。」
 ディアスは、すう、と息を吸いこむ。無意識に上目遣いになった。
「…一緒に寝てくれますか?」
「寝相が悪かったら叩き出すぞ。」
 フェレトが、いともあっさり言ったので、ディアスはぽかんとした。無防備な表情だと、急にあどけなくなる。くしゃっと笑み崩れた。
 掛布を持ち上げて、フェレトの隣にすべりこむ。
 掛布の中はあたたかくて、フェレトのぬくもりだと思うと、泣きたいくらいに安心する。
 フェレトは、ぱたんと横向きになる。もっとずっと小さい子をあやすように、ディアスの背中を軽く叩く。
 ディアスは、フェレトの肩に額をつけた。ほどいている金髪が、すべり落ちる。
「おやすみなさい、フェレトさま。」
「おやすみ、ディアス。」

 翌朝、フェレトが目を覚ました時、ディアスの姿は消えていた。
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