「あんたは、ぼくの獲物だ。」~月は太陽を追う~

火威

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第二幕

「あんたは、ぼくの獲物だ。」~月は太陽を追う~

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第二幕

 昔話をしよう。ボクと、ソールの、出会いと別れの物語を。
 ソールに出会ったのは、真夏の夜。避暑地の森で迷子になった時だった…。
 ボクは、地方貴族の三男として生まれた。跡継ぎの長男でも、長男に何かあったときに、その代わりとなる次男でもない。家を継ぐ可能性は低い気楽な立場。
 教養も武芸も厳しくしつけられていた兄たちとは違って、ずいぶん甘やかされていたなあっていう自覚はある。期待されていないってことだけど。でも、たまに王都で開かれるパーティーなんかで同じ立場の貴族の子弟に会って話をすると、どこも似たような扱いだったから、そういうものなんだろうって思っていた。
 気になるのは、今日のアフターヌーンディーに出るのが、チェリーパイか桃のタルトのどっちかってことと、王都で流行ってる冒険小説の続きはいつ出るのかってことくらい。
 無責任に甘やかしてくる家族と、ちやほやしてくれる使用人。
 大人になって、領地で過ごすなら兄の補佐、王都に出ていくなら宮仕え。そこそこ贅沢できて、でも責任なんかない、呑気でちょっと退屈な人生。
 不満なんて、一切無かったのに。
 迷い込んだ森で、魔獣に襲われて。いともあっさりそれを倒したソールを見た時。
 世界の全部が、ひっくり返った気がしたんだ。
 あの時の、目も眩むような、全身の血が沸騰したような、心臓を素手で鷲掴みにされたような、あの感覚。
 今までの人生で…っていっても、たった十一年だけど、一度も経験したことのない、強烈な、感情の嵐。
 それに突き動かされて、気が付いたら、ボクはソールに縋りついていた。
 出会って数十秒の、名前も素性も知らない少年に。何の躊躇もためらいもなく。
「あなたの弟子にしてくださいっ!!」
と。
 ソールには、一切の容赦なく、振り払われた。
 草の上に膝と手をついたボクを見下ろす真紅の目は、虫けらでも見るように冷ややかで、蔑みすら含んでいるようだった。
「断る。」
 ただそれだけを、吐き捨てて、ソールは歩き出してしまう。完璧な拒絶なのに、ボクは全く怯まなかった。自分でも不思議なくらいの高揚で、ソールを追いかけて、その前に回り込む。
「お願いします!!何でもしますから!!ぼくは、あなたみたいに強くなりたいんです!!」
 そう叫んだあの夜から、ボクはソールを追っている。
 今も、ずっと。

 魔獣を追って旅をするソールを、ボクはひたすら追った。
 立ち寄った街で様子を窺ううちに、その名前も、大人顔負けの、凄腕のハンターだっていうこともわかった。周囲の人たちが話していたから。誰ともパーティーを組まない一匹狼だってことも。
 見失うことは何度もあったけど、街に立ち寄ればどっちに向かったのかはすぐわかった。ハンターのギルドに問い合わせるまでもなく。有名人のソールは街のあちこちで噂されていたから。
 大変だったのは、ソールが山の中とか森の中とか、そういう道なき道を行く時。ソールは、一歩道を踏み外したら、地獄の底まで真っ逆さまって感じの、切り立った渓谷だろうが、垂直に近いんじゃないのってくらい急な、険しい山道だろうが、涼しい顔して進んで行ったけど。
 こっちは、温室育ちの貴族だから、ついていくのは大袈裟じゃなく、命がけだった。多少の武芸は仕込まれてるけど、こういう強行軍向きじゃないし。
 足は、豆がつぶれて血だらけになったし、何度も転んで、時には転がり落ちて、全身傷だらけ。ついでに筋肉痛で、全身が悲鳴を上げていた。
 それなのに。
 自分でも不思議なんだけど。
 ソールを追いかけるのをやめようとは、全く思わなかった。
 あの夜、ボクの魂に刻まれたソールの存在が、ボクの心をわしづかみにして、離さない。
 あれは、炎の刻印だ。
 焦がれて焦がれて、追い求めずにはいられない。
 ソールは、そんなボクのことを、完全に無視していた。一言も声はかけてくれなかった。それどころか、あの紅の視線を向けてくれることさえなかった。
 それが変わったのは…。

 魔獣というのは、あらゆる面で他の生物とは異なった生態をもつ。
 生息する場所というのが不確定な魔獣が多い。生物なら、温度や湿度等の環境が種に適した場所や、餌となる植物や動物の分布した場所でなければ生きられない。しかし、魔獣にとっての肉体は、仮のもので、本来は、核を憑代にした精神生命体であるという説がある。死ぬと、核だけが残るのはそれが理由だと。
 だから、群れで移動してくるわけでもなく、ある日ある時突然に「出現」する。
 ソールを追っていた森の中で、「出現」した魔獣に、ボクは追い詰められていた。
 ボクは、必死で走っていた。
 肺が軋む。息は完全に上がっている。ゼイゼイ、ヒューヒューと、ふだんならしない音が、喉から漏れる。苦しくて、苦しすぎて、視界がチカチカと明滅する。脇腹が刺されたように痛い。
 もう、とっくに限界だった。だけど、足は止められない。木々の間を縫うようにして、必死で走る。
 背中に迫る、ハッハッという荒い獣の息遣い。地響きのような足音。
 振り向く余裕なんかないから、どんな魔獣なのかすらわからない。
 このままじゃ、追いつかれるのは時間の問題だった。
 一か八か。
 ボクは、目の前の枝に跳びつく。
 木に登れる魔獣なら、そこでお終いだ。わかっているけれど、賭けるしかなかった。
 ボクは、ほとんど駆け上がるようにして、天辺に近いところ…ぎりぎりボクの体重を支えてくれるであろうところまで登り切った。
 息を整えながら、おそるおそる下を見ると。
人狼ワーウルフ…。)
 つっと、今までとは違う、冷たい汗が背中に伝わった。
 当然だけど、普通の狼じゃない。熊ほどの巨大さで、二本足で立っている。その鋭く巨大な牙は、ボクの体なんて、一瞬で噛み砕くだろう。
 魔獣の中では中程度のレベルだから、ハンターにとっては脅威じゃない。Sランクのソールなら、片づけるのは一瞬だろう。でも、ボクにとっては…。
 幸い、人狼は、木には登れない。
(ここからは持久戦…。)
と、いう考えは、甘かった。
 ドンッという衝撃に、空中に放り出されそうになった。
 とっさに、全力で枝をつかんで耐える。
 人狼は、その巨躯を幹にぶつけていた。
 そのたびに、幹は大きく揺れる。
 上を…ボクを見て、ニイッと笑う人狼。真っ赤な舌。どろりと垂れる涎。
 幹が折れたその時に、ボクは。
(喰い殺される…。)
 カチカチと、歯が鳴った。震えが止まらなくなった。うまく呼吸ができない。「死」の文字が、心を覆い尽くした時。
「助けてやろうか?」
 すぐ近くで、声がした。綺麗な響きなのに、鋭く心に切り込んでくる、刃のように容赦のない声。言葉だけは優しいのに、それとは裏腹に、甘さは一かけらも含まれていなかった。
「ソール!!…。」
 ボクは、喘ぐようにその名前を呼んでいた。
 ソールは、何もない空中に平然と立っていた。
 その背中に、透き通った緑の翼を広げて。
 その翼からは、常に風が放たれている。ボクが必死でつかんでいる枝が、強風で揺れる。枝についた葉がちぎれ飛ぶ。ボクの髪も、激しくなびいた。
 ソールは、真紅の瞳で冷ややかにボクを見下ろす。その薄い唇が、嘲笑とも冷笑ともとれる、温度のない笑みにつり上がる。
「てめえが、どこまでもオレの後をついて来るのが、いい加減、うっとうしくなったんでな。大人しく家に帰るって言うなら、助けてやるぜ?」
 ルビーの瞳に、酷薄な光が閃いた。
「なあ、貴族のおぼっちゃん。お遊びはここらで終わりにしろよ。」
 プツンッと。
 頭の中のどこかで、何かが切れた音がした。
 腸が煮えくり返るような、真っ赤な怒り。
 生まれて初めて感じた、殺意にすら届くような憤怒。
 だけど、逆に、すうっと、思考だけが冷たく冴えわたった。
 考えろ。考えろ。考えろ。
 今ここにあるもので。ボクにできることで。この危機を脱する手段を。
 パキリと。
 ボクのつかんでいた枝が、音をたてて折れた。
 人狼が幹に体当たりしているせいなのか、ボクが力を込めすぎたのか、ソールの起こす風か。
 片手で幹に抱きついた。折れた枝は離さなかった。
(これしか、ない。)
 折れた枝を、握りしめる。鋭く尖った切っ先を下にして。
 人狼を見下ろす。
 狙いなんて、つけられない。止まっている的じゃない。でも、人狼の体は大きい。それは、的は大きいということ。勝機はある。
 だけど…。
 この位置から地面に叩き付けられたら、足の骨は折れる。逃げられなければ、そこで終わり。
 ボクは、ごく、とつばを飲み込んだ。
 でも、ここで動かなければ、どの道、時間の問題だ。
 立ち上がった。
 ザッと吹き抜けた風に、髪を煽られる。
 ボクはそのまま、枝を蹴って、跳んだ。
 折れた枝一本を握りしめて、人狼目がけて。
 落ちる感覚なんて、一瞬だった。
 ドンッと、降り立ったのは、毛むくじゃらの背中。
 両腕に伝わったのは、肉を貫く感覚。
 ピュッと、生温くて鉄臭い、真っ赤な液体が頬に飛ぶ。
 ギャアアアアアアアッ!!
 耳をつんざいて響き渡ったのは、身の毛もよだつような絶叫。
 ボクは、振り落とされて、地面に転がった。
 ズキッと足首に激痛が走った。ひねったのかもしれない。だけど、無我夢中で立ち上がった。
(逃げなきゃ。)
 頭にはそれだけしかなかった。
 運良く、ボクが握りしめていた枝は、人狼の片目に突き刺さっていた。人狼の体は、固い筋肉に覆われているから、普通だったら、ボクの腕の力じゃ木の枝なんて刺さらない。落下速度で勢いが増したことと、場所が眼球だったのが幸いした。でも、致命傷になんて至っていないはず。
 駆け出そうとした時。
 ガッと、手首をつかまれた。
 容赦のない力だった。伝わってくる体温が熱い。
「え。」
と、見上げた視線の先に、ソールの端正な横顔がある。
 ソールは、ボクを見ていなかった。人狼に、その真紅の視線を据えて、
「見てな。」
と、ボクに言う。
 ボクは、魅入られたように、ソールを見つめた。
 ソールは、ボクの手首をつかまえているのとは逆の手を、人狼に向ける。
 人狼は、片目に生えた木の枝を抜こうと、前脚でつかんだところだった。
「燃え上がれ、烈火の剣!!」
 天から刃が降る。
 真紅に燃え盛り、全てを無に帰す、華やかで非情な剣。
 焔の剣は、人狼を刺し貫き、そのまま劫火に包みこむ。断末魔の悲鳴ごと、魔獣を燃やし尽くすまで、瞬き数回の時間しかかからなかった。
 その場に残ったのは、小さな核一つきり。
「…ソール…。」
 呼びかけると、ソールは真紅の髪を揺らして振り向いた。
 その薄紅の唇には、人を魅惑する笑みが浮かんでいた。
 ピジョン・ブラッドの瞳にも、星が煌めくような輝きがある。
 とっさに思い浮かんだのは、(スター・ルビー…。)という単語だった。
「お遊びじゃねえってことは、見せてもらった。」
「あっ…。」
 ドクンッと心臓がはねた。
「弟子にしてやってもいいぜ。ただし。」
と、ソールは唇に刻む笑みを深くする。
「てめぇが死んでも、オレは責任取らない。覚悟はいいか?」
「はいっ!!」
 それが、初めてソールが、ボクに笑いかけてくれた日。

 死んでも責任は取らない。
 ソールのその言葉は誇張でも冗談でもなかったことを、ボクは痛感することになった。もともと甘い展望を抱いてたわけじゃないけど、これはちょっとひどすぎるっていうレベル。スパルタって言葉じゃ生温い。
 ソールは、半月ほど魔法の基本と、魔獣についての基礎知識を教えてくれただけで、すぐにボクを魔獣の前に引っ張り出した。
「1年修行するより、一度の実戦の方がずっと強くなれる。」
 薄く笑ってそう言ったソールは、木の幹の背を預けて腕を組み、魔獣と対峙するボクを眺めている。
 ボクが死ぬことになっても、助けに入ってはくれないんだろうな、とわかる顔をして。
 ボクは、奥歯をかみしめて、目の前の魔獣を見据える。隙を見せたら、即座に襲い掛かってくるとわかる。
 頭部はライオン。胴体は山羊で、そこから山羊の頭部が突きだしているため、双頭。尾は蛇で、時折、フシューッと威嚇とともに唾を飛ばす。落ちた唾液は、ぐずぐずと地面を溶かしていくから、あれには強い酸か毒が含まれているんだろう。
 キマイラ。寄せ集めの魔獣。
 睨みあう均衡は、一瞬で崩れた。
 跳躍。
(速いっ!!)
 山羊の四肢が、宙を飛ぶ。
 ボクの上に、大きな黒い影が落ちる。
 ライオンの口が大きく開いた。
 放たれる、どす黒い火炎。
「吹雪け、六花の舞!!」
 覚えたての魔法を放つ。
 氷雪をまとった竜巻が、火炎と衝突し、氷の破片が四方八方に弾け飛ぶ。
 全てが純白に埋め尽くされ、視界はきかない。
「射抜け、白銀の矢!!」
 ドスドスドスドス!!
 ボクは、氷の矢を打ちまくる。当たってるかどうかなんてわからない。闇雲に打ち続ける。
 視界が開けた時。
 ドウッと、大きな重いものが、倒れた音がした。
 背に、胸に、腹に、無数の矢を受けたキマイラが、白目を向いて、ひくひくとのたうち回っている。
(倒したっ…。)
と、息をついた時だった。
 シュルシュルッと、何かが地を這う音がした。
 その正体を確かめるよりも速く。
 足首に何かが絡みつく。
 ゾワッと肌が粟立った。
 ひやりと冷たく、おぞましい感触。
 目を向けた時には。
 キマイラの尾、毒蛇の胴体が、ボクの足首に巻き付き。
 カッと開かれた咢からはみ出した牙が、ボクのすねに食い込んでいた。
 痛みよりも、燃えるような熱さに、喉の奥から悲鳴がほとばしる。
 自分の絶叫を聞きながら、ボクの意識は一気に遠ざかった。

「―――――っ!!」
 激痛に飛び起きる。
 部屋の中は真っ暗だった。
(夜!?)
 一体あの後どうなって…ここはどこなのか。
 混乱したまま、状況がつかめないでいたら。
「気がついたか。」
と、素っ気ない声がかけられた。
 ソールは、ボクが眠っていたベッドの隣、自分のベッドに腰かけて、ボクを眺めていた。
 窓から差し込むのは、真円にはほど遠い、頼りない月明かり。だけど、夜目にも鮮やかなその真紅の髪と瞳は、闇の中でもくすまない。
「ソール…。」
 と、名前を呼んで、その紅玉の瞳を見ていたら、じわじわと思い出してくる。
「そうだ…ボクは、キマイラの蛇に…。」
「倒したと思って油断したな。」
 冷ややかに指摘され、ボクはカッと頬に血が上る。羞恥か怒りかわからないまま、ソールに言葉をぶつけている。
「本っ当に、助けてくれないんだね!」
 ソールは、クク、と喉の奥で意地悪く笑う。
「手当てしてやったし、解毒剤も呑ませてやったぜ?」
「…あ…。」
 言われてみれば、足には包帯の感触がある。ここまで運んでくれたのも、ソール以外には有り得ない。
「ありがとう…。」
 さっきとは違う意味で、頬が熱い。赤くなっているかもしれない。この暗さなら気づかれてないと思うけど。でも、ソールって夜目がききそうだし。
 ぐるぐる考えていたら、ソールの手が伸びてきた。
(な、なに?)
と、身構えていたら。
 ぽん、とその手が頭に乗せられた。
(ええっ!?)
 ちょっとこういう不意打ちはっ。
 こっちが大混乱に陥っているのに、ソールは至近距離で笑う。睫毛も赤いんだなって、その時知った。さっきの、意地悪なそれじゃない。もっと柔らかくて、楽しそうな笑顔。
「初陣でこれなら、見所がある。」
(認めてもらえた。)
 誇らしくて、嬉しくて、熱くなった頬がゆるんでしまう。
 ソールは、距離を詰めたまま、ボクの頭を撫でたのとは逆の手を開いた。
 ほのかな月明かりをきらりと反射する、純銀の星。真の銀ミスリルの五芒星。
 ハンターの証だ。
「ディアナ・エクリッシ」と刻まれたプレートに、胸が高鳴った。
 いつの間に、ギルドに申請しておいてくれたんだろう。ちっとも気づかなかった。
(これで、本当に、ボクは、ソールと同じハンターなんだ…。)
 息を詰めて見つめていると。
 ソールが、チェーンの部分を広げたところだった。そのまま、ボクの首にかける。
 ソールの指先がかすめた鎖骨の辺りが、カッと熱くなった気がした。
 ぎゅっと、プレートを握りしめる。
 思っていたのとは違う感触があった。
 平たいはずなのに、凹凸がある。
 プレートをひっくり返してみると、中央に、ビー玉のような丸い物がはまっていた。
 ソールの瞳のような、真紅の珠。遊色効果があって、まるで炎が揺らめいているように見える。
「これ…核?」
「ああ。おまえが仕留めた最初の獲物のな。」
 ボクは、思わず首をかしげていた。ソールはボクの思考を読んだように
「毒蛇は、おまえを噛んですぐに力尽きた。あれが最後の悪あがきだ。キマイラの本体は、ライオンと山羊の方だからな。」
 だから倒したのはおまえだ、と言ってもらえたことは嬉しい。でも、ボクの疑問は、そこだけじゃなかった。
「キマイラの核って、こんな色だっけ?」
 半月で叩きこまれた魔獣についての知識の中には、核の種類や効能、見分け方なんていうのもあった。キマイラの核は、無色透明だったはず。
「…へえ。」
 と、ソールが唇の両端をつり上げた。
「よく覚えてたな。」
(!)
 褒めてもらえたんだと思ったら、心臓の鼓動が速くなった。ドクドクしている。今日はこんなことばっかりで、身がもたない。
 ボクが胸を押えて、何とか心臓を鎮めようとしている間に、ソールが言った。
「キマイラの核には、炎属性の魔力を込められる。おまえは水属性の魔法を使うから、それを相殺する炎属性は使えない。必要な時に使え。」
 魔法の属性には、近いものと、正反対のものがある。たとえば、火は風には近いけれど、水とは相反する。火の熱は風を生むし、風によって燃え広がる。水に近いのは土。水は土に染み込み、土は水を蓄える。ほとんどの魔法使いは、自分が得意とする魔法と正反対の属性の魔法は使えない。
 ソールは、炎属性が使えないボクのために、この核に魔法を込めてくれたんだ…。
 鼻の奥が、ツンとした。うれしすぎて、泣きたくなってしまう。目の縁に滲んだ涙がこぼれないように、上を向く。せいいっぱい声を張り上げたけど
「ありがとう!」
という声は震えていた。
 その夜のことを、ボクは一生忘れない。

 そんな風に、ソールは厳しい師匠だったけど、ボクが魔獣を仕留めるたびに、ちゃんと褒めてくれた。認めてもらえることが誇らしくて、ソールの背中を追えることが、何よりの喜びで。だから、ずっとずっと一緒に旅をしようって、そう思っていたのに。
 破局は、ある日突然やってきた。
 出会ったのは、昼間の熱気がそのまま残っていて、うだるような暑さだった真夏の夜。
 別れは、しんしんと冷えた空気が、指先から全身を凍てつかせていくような、真冬の夜。
 あれは、何かの予感、だったのかな。
 何の夢か覚えていないけれど、嫌な夢を見て飛び起きた。
 ガバッと起き上がったとたん、冷え冷えとした空気が肌を刺す。
「寒い…。」
 思わず呟くと、気配に敏感なソールが、隣のベッドで半身を起こしたところだった。
「ディア、どうした?」
「ちょっと…やな夢見て…。」
 正直に答えたら
「ガキか。」
と、鼻で笑われて、ちょっとムッとする。
 ぴょん、とベッドから跳び下りて、ソールのベッドにもぐりこんでやった。
「おい。」
と、上がる、不機嫌そうなソールの声に。
「起きちゃったら寒いもん。あっためてよ。」
と、構わずくっつく。
 ふざけんな、とベッドから蹴りだされることも覚悟してたんだけど。
 ソールは、呆れたようなため息をついただけだった。
(あ、許してくれるんだ。)
 触れ合ったところから、ソールの熱が伝わってくる。あったかい。痛いくらい心臓がドキドキしだした。眠れないかも、と思ったのに。
 あったかくて気持ちよくて、頬にかかるソールの吐息に、何だかすごく安心してしまって。
 気が付いたら深く深く、ぐっすりと眠りこんでいた。
 だから、突然。
「ディア、起きろ!!」
 と、鞭打つような、鋭い声とともに突き飛ばされて、よく、とっさに受け身が取れたものだと思う。日頃の修行の賜物だった。
 ドン、と体が床に叩き付けられた音をかき消して。
 バキッ!!という轟音がとどろいた。
「なっ…。」
 さっきまで、ボクたちが寝ていたベッドが、木端微塵に砕け散る。
 破片にまとわりつくのは、破壊をもたらした力の名残、漆黒の雷だった。
 ボクをベッドから突き飛ばし、自分は逆方向に跳んだソールが、着地するより早く、
「焼き滅ぼせ、地獄の業火!!」
 と、魔法を放っている。
 一瞬で爆発的に燃え上がった火炎は、突然出現した漆黒の雷に防がれる。
 ソールは、ぎりっと奥歯をかみしめ、射殺しそうな視線で雷を放った相手を見据えた。
「不意打ちを無傷でかわした上に反撃。安心しました。腕は落ちていないようですね、暁の君。」
 くすくすと笑いながら言ったのはー。
 背筋が寒くなるほどの美貌の持ち主だった。
 声を聞かなければ、男か女かもわからなかった。
 ゆるやかに波打つ黒髪は、膝裏に届くほどに長いのに、毛先まで艶々と輝いている。
 双眸は、妖しく輝く紫水晶。どろりと濃い、深い紫は、目を合わせたら魂が引きずり込まれそうな、危険な魅惑を孕んでいる。
 ソールより少し上…十六、七くらいに見える。でも、その目には、十数年生きただけの人間では、けして持ちえない老獪さがある。信じられないくらい長い歳月、はるかな高みから人間を見下ろしてきたかのような…。
 人間離れしたそいつが、本当に人間ではないことは、一目でわかった。漆黒の髪が揺れた時に見えた耳は尖っていた。そして。
 バサリ、と翼が開く音がした。
 そいつの背中には、漆黒の翼が広がっている。
 ゆっくりと宙に浮いたまま、静止した。高みから見下ろされる。
「堕天使!?最高位の魔獣!?」
 思わず叫んだボクに浴びせられたのは、嘲笑だった。虫けらでも見るかのような、一片の価値も認めていない者に対する、冷え冷えとした視線が向けられる。
「魔族、ですよ。魔獣などと一諸にしないでいただきたい。-愚かな人の子。死をもって償うべき失言です。」
 歪められた唇は、血を啜ったように、毒々しいほどに赤い。
 肌に感じた威圧感に、ゾッと産毛が逆立った。
 こいつは、ヤバイ。
 今まで相手にしてきた魔獣とは、レベルが違い過ぎる…!!
 動けなくなったボクを庇うように。
 ソールがボクの前に立つ。
 後ろから見る横顔は、堕天使を鋭く睨み据えていたけれど、ボクのように圧倒されてはいなかった。いつでも攻撃に移れるように腰を落とし、全身に殺気をまとっている。そんなこと思っている場合じゃないのに、かっこいい、と口をつきそうになった。
「ベリアル。」
と、いつもより低い声が、恫喝するように呼ぶ。
 堕天使の中でも、ルシファーやベルゼブブに次ぐ大物だ。ソドムとゴモラ、二つの都市に悪徳を蔓延させ、滅ぼしたとされる。悪魔の中でも最も放埓な、邪悪の化身…。
「貴様の相手はオレだろう。」
 ソールのこの言い方、迷うことなくその名前を呼んだことも含めて、まるで以前から知っている相手みたいだ、と思った。
 ベリアルは、赤い唇をつり上げて笑う。赤い舌がぺろりと自身の唇を舐める様が、ひどく妖しく、官能的だった。
「ええ。もちろん。最近全然相手をしてくれないものですから、待ちくたびれて、こちらから出向いてきてしまったんですよ。」
 紫の眼差しが注がれた。それだけで、背筋が冷える感覚があった。
「そうしたら、こんな、取るに足らない人の子にかまけているとは。」
 ベリアルは、やれやれ、というように肩をすくめ、まるで親切な申し出であるかのようにー。
「消してあげますよ。」
 と、いともあっさり言い放つ。
「暁の君。」
と、ソールに向かって微笑みかける。
「貴方は、私と遊んでいればいいんです。それを邪魔するものは、全て、私が取り除いて差し上げますから。」
「ディア、逃げろ!!」
 ベリアルの語尾にかぶせるように、ソールが叫ぶ。
 同時に
「降り注げ、焼尽の矢!!」
 太陽が落ちた。
 そう錯覚するほどの眩しさだった。
 無数の炎の矢が、ベリアルに激突する。真っ赤な火柱が高く上がる。ガラガラと、天井が、壁が崩れ落ちていく。
 空気そのものが燃えているように熱い。
「ディア!!」
 ガッと、ソールに手首をつかまれた。引き寄せられる。何、と思うより前に横抱きにされた。ソールが、そのまま、窓を蹴り破る。
天翔あまかけろ、疾風の翼!!」
 ソールを中心に、竜巻のように風が渦巻く。風の始点は、ソールの背中だった。風を生み出す翼を広げたソールは、破った窓から夜の空へ飛び出した。

 ソールに抱えられたまま、どれくらいの距離を飛んだのかはわからない。月明かりに照らされた風景が、すごい勢いで遠ざかっていったし、頬に当たる風はビュンビュンと唸りを上げていたから、相当のスピードだったと思う。
 それなのに、ソールがしっかり抱えてくれていたせいか、飛行の魔法を初めて体験したのに、怖くは無かった。
 宿からかなり離れただろう森の中に着地して、ソールはボクを地面に下ろした。
「おまえはここにいろ。」
 ボクの返事も待たずに
「天翔けろ。」
と、同じ魔法を使おうとするソールの手を
「待って。」
とつかんでいた。
「あの悪魔は倒したんじゃないの!?」
「あの程度でくたばる相手じゃねえ。堕天使は、本当は、魔獣の最高位なんてものじゃない。あいつが言っていた通り、魔族って別物だ。」
 こんなに余裕の無いソールは初めて見たと思う。
「だったら、ボクも一緒に戦う!」
 ソールの真紅の瞳が、射抜くようにボクを見た。
「足手まといだ。」
 容赦なく切り捨てられた気がした。ズキン、と胸の奥が刺されたみたいに痛くなる。ソールが、ボクの手を振り払う。
「おまえはここで待っていろ。天翔ろ、疾風の翼!!」
 振り向きもせずに言い捨てて、ソールは再び風を生む。背中に透明な翼を広げ、闇色の空を切り裂くように翔けていった。

 呆然としたまま、ソールの飛び去った空を見上げて、どれくらい経っただろう。この辺りは、冬でも葉が落ちないらしい。そびえ立つ木々が月を隠しているせいで、時間の経過がわからない。ものすごく長い間ソールを待っているような気がしていた。
 悪魔の襲撃を受けたことなんて無かったみたいに、夜の森は静かだった。
 時折吹く風が、木々の間を抜けていく音が、やけに大きく耳につく。
 ボクは、ソールを追いかけたいという気持ちと必死で戦っていた。
 認めるのは辛いけど、足手まといだと言ったソールの言葉は、本当だ。ボクが行ったところで、何の役にも立たない。かえって、ソールの足を引っ張るだけだ。それがわかっているのに、待っているしかできないこの時間に、じりじりと炙られているような焦燥を感じる。
(ソール…。)
 胸元の真の銀ミスリルの五芒星、その中央、ソールが魔法を込めてくれた核を見つめる。鮮やかな紅。オパールのような遊色効果のせいで、内側に揺らめく炎を閉じ込めているように見える。心を落ち着けるために、ぎゅっと握りしめた時。
「見-つけたっ!」
 遊びに興じる幼い子どものような、無邪気な声が、上空から降ってきた。バサリ、と翼が羽ばたく音と、ひらりと舞い下りてくる漆黒の羽根。
「ベリアル!?…じゃない…。」
 男か女かわからない、そんな区別が無意味に思える、桁外れの美貌。波打つ漆黒の髪は、艶々と月明かりを反射し、妖しく細められた目は、夜闇に沈む直前の、夕空の紫。漆黒の翼と、尖った耳。
 そこまでは、さっき宿を襲撃してきたベリアルと全く同じ。
 だけど、ベリアルよりずっと幼い。正体を知らなければ、見た人全員、かわいいと目を細めるだろう。
 十歳くらい?ボクと同じかそれより下か。でも、きっと、そんな見た目の年齢なんて、意味はない。
「おまえも堕天使かっ!」
「せいかーい。でも、はっずれー。」
 馬鹿にしたように語尾を上げる言い方にイラッとする。
「ボクは、ベリアルさまの使い魔のベルちゃんでえーす。よっろしくねー。短いツキアイになるだろうけど。なぜかってー?こたえはー。」
 と、ベルと名乗ったそいつは、右手を高く掲げる。
「キミは今すぐボクに殺されちゃうからでーす!<黒き閃光シュバルツ・シュトラール>!!」
 漆黒の光線が空間を裂く。
「無敵の盾となれ、永久とこしえの氷壁!!」
 とっさに、魔法を放った。周囲が、分厚い氷の壁に囲まれる。一気に空気が冷えて、吐く息が白くなる。
 ぶつかった漆黒の光が、氷の壁を粉々に打ち砕く。ガラガラと音をたて、ボクの盾が崩れ落ちた。
「へえ。結構やるんだ。」
 と、言葉は感心してる風で、でも、そこに込められた感情はただの侮蔑。所詮、敵うレベルじゃないって言いたげな。その声は、ボクのすぐ後ろから響いた。
(いつの間に!?)
 振り向こうとした瞬間。
「<黒き閃光シュバルツ・シュトラール>!」
「―――――!!」
 漆黒の閃光に、全身を絡め取られていた。
 言葉にならない悲鳴が、喉を突き破る。
 全身、毒の塗られた剣でぐちゃぐちゃに突き刺されているみたいで。
「あはは、苦しい?死にそう?ギリギリ、意識失わない、いっちばーん、痛くって苦しいレベルにしてあるんだよねー。いーい顔。そそられるって、こーいう時に使うのかなー?もどったら、ベリアルさまに聞いてみよーっと。」
 歌うように、軽く弾む声で、でも、言ってることは限りなく残忍で、その落差が、こいつは人外なんだと示している…。
 痛みで遠のく意識。
 霞がかった思考が、ハッと引き戻されたのは、堕天使が小さな手をボクの喉元に伸ばしてきたからだ。
 でも、身を引こうにも、指一本動かせない。
 堕天使が、じゃらっと引っ張り出したのは、真の銀ミスリルのプレートだった。何を、と思う間もなく。
 そこにはめられた、魔獣の核が。
 ぱきり、と音をたてて引き剥がされる。
「!!」
 黒いイカヅチよりも大きな衝撃に、呼吸が止まった。
 だって、だって、あれは、ソールが。
『キマイラの核には、炎属性の魔力を込められる。おまえは水属性の魔法を使うから、それを相殺する炎属性は使えない。必要な時に使え。』
 ソールの声が、耳の奥に甦る。
 ソールが、ボクのために。
「これ、もらっていくね。」
「!!」
 視線でこいつの息の根が止められたなら、絶対そうしたのに!
「こっわーい。そんな、殺意こめた目でにらまないでよー。これ、暁の君の魔力でしょ。ニオイがするもの。ベリアルさまは、暁の君にゴシューシンだからねー、取ってこいって、命令なの。まったくもー我がご主人様の、暁の君に対する執着って、恐いよー。」
 くすくすと、愉しげに笑いながら、堕天使は、ボクを見下ろす。
「でも、キミも同じでしょ?」
 妖しく細められた紫水晶の瞳は、人ならざるモノだけが有する、魔性の光を帯びていた。人の心の闇を見透かす光だ。
「本当は、キミを殺そうと思ってたんだけどねー。面白そうだから、生かしておいてあげる。」
 じゃあね、と漆黒の翼を羽ばたかせ、堕天使が夜空に消える。
(ちくしょうっ…。)
 なす術もなくそれを見ていることしかできない自分を呪った。
 自分の無力さに、歯噛みした。
(許さない。)
 強くなる。
 絶対に、取り戻してやる。

 そして、ソールは、ボクの前から姿を消した。
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