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第四幕&終幕
「あの人とは違う形で、あなたを支えてみせます。」~最強の魔法使い師弟~
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幕間
彼に会ったのは、もう二十年近くも前にこと。
出会った頃は、大人になってからの彼しか知らない人間には想像もつかないくらい、暗く荒んだ目をした少年だった。
尖ったナイフのような、関わる者を見境なく容赦なく切り刻む、危険な存在。
血に飢えた獣。
いつ見ても傷だらけで、常に血のにおいをまとっていた。
生傷が絶えないのと、返り血を浴びているせいで。
彼は、毎晩のように部屋を抜け出して、<黒き魔性の森>で魔獣と戦っていたのだ。その頃は、治癒の魔法も使えなかったくせに。命にかかわるような大怪我をしたら、どうするつもりだったのだろう。
なぜそんな危険なことをするのかと尋ねた。彼は
『強くなりたいからだ。』
と、ただ一言答えた。
彼の無茶を通り越して無謀な行動は、彼が孤児で、<光の家>に引き取られるまで、奴隷同然の生活を強いられていたせいだった。彼がそれを明かしてくれたのは、ずっと後になってからだったけれど。
出会ったばかりの頃、何を言っても、どんなに心配しても、彼は全く聞いてくれなかった。
それでも言い続けたのは、なぜだったのだろう。
不遇な境遇から、必死で、自分の力で這い上がろうともがく彼の強さに惹かれた。そのまっすぐな眼差しに。
あきらめずにそばにい続けると、彼の態度は少しずつ変わっていった。
初めて笑ってくれたとき、とても大切なものを手に入れた気がした。
大好きだよ。
今でもずっと。
誰よりも大切なんだ。それは本当。
でも、だから。
第四幕
<星の塔>、北区、処刑場。
魔法使いを裁く場である性質上、処刑場は、常時、あらゆる魔法を使用不可にする結界が張られている。
今回の死刑執行にあたり、万が一にも間違いがあってはならないと、<元老院>は、百人以上の高位の魔法使いたちを使って、魔法禁じの結界を強化させた。それは、明らかに<風の賢者>、フェレト・リウスへの警戒。賢者にも破れぬように、結界は厳重かつ念入りに強化されたのだ。
ふだんは、全く人気のない場所に、今日は大勢の魔法使いが集まっていた。
処刑場は、南区の<コロシアム>と似た造りになっている。円形で、中央の処刑場を囲むように客席が設けられている。
天井に、特殊な硝子が張られていることも同じだが、<コロシアム>とは異なり、その硝子天井には、魔法を封じる術が施されている。その下の空間において、一切の魔法が使えない。<黒封環>を広範囲に、より強固にしたもの、と考えていい。そして、その硝子天井自体が、金剛石をしのぐ強度を持つ。
見物人がひしめき合っている点も、<アカデミア>卒業試験のようだ。しかし、あの時のような熱気や興奮、陽気で開放的な、祭のような雰囲気とは真逆。
重苦しい、低く垂れこめた暗雲のような空気が場を支配している。
ひそひそと、あちこちで憶測に満ちた会話が交わされている。
「本当に、あんな子どもが、<光の賢者>様を?」
「貴公は、<アカデミア>の卒業試験を見ておられないのですね。あの者は、卒業試験の優勝者。賢者様を殺す力があったとしても不思議はない。」
「恐ろしいことだ。なまじ力があったばかりに、己の才に溺れたか。」
「しかし、いくら天才と言っても、卒業したばかりだぞ。実戦を積んだ賢者様に敵うものなのか?」
「隙をつけば可能では?あの者は、<風の賢者>の弟子と聞く。<光の賢者>様は、<風の賢者>と親しかった。友の弟子ならば油断もしよう。」
「ですが、動機はなんなのです?賢者の弟子なら将来は約束されておりましょう。なぜ、それを捨ててまで、<光の賢者>様を殺さねばならないのです?あの方は、人から恨まれるような方ではありませんでした。」
「それについては、完全に口を閉ざしているそうですよ。そもそも、殺したことすら認めていないとか。」
「しかし、状況から見て、他に犯人はいないのだろう?」
一つ一つの会話が、聞き取れるわけではない。だが、処刑場全体を包む悪意と疑惑と猜疑を、ディアスは肌で感じ取った。
十字架にかけられた状態で。
高く作られた磔台は、無駄に遠くまで見通せた。
首には、<黒封環>がはめられたまま。この処刑場では魔法が使えないのに、外されることはなかった。手枷は外されたが、代わりに手首足首を荒縄で十字架に縛り付けられた。
手荒に扱われたので、かろうじて塞がっていた、昨夜の傷が開いてしまった。じくじくと、鈍い痛みがおさまらない。滲みだした血の一滴ごとに、体力が削られていく。ここ数日、ろくな食事をとっていないせいで、気を抜くと意識が朦朧とする。
磔台の下に、長い槍を手にした死刑執行人が立つ。
ディアスは、ぐ、と両手を握りしめる。爪が掌に食い込む痛みで、意識を保つ。
顔を上げる。歯を喰いしばる。
諦めない。
(フェレトさまは、助けると言ってくれた。)
槍が、ぎらりと薄日を反射した、まさにその瞬間。
硝子の天井に、影が落ちた。
トン、と長身が降り立ち、
「吹き荒れよ、<緑風刃>!!」
低い美声とともに、轟音をとどろかせて、風の斬撃が荒れ狂う。
ピシイッ、と閃光にように、硝子天井に亀裂が入る。
バキバキバキバキバキッ!!
金剛石を誇る強度の天井が。
<星の塔>選りすぐりの魔法使いたちが強化した、絶対不可侵のはずの結界が。
凄まじい烈風の威力の前に、木端微塵に砕け散る!
きらきらと光り輝きながら降り注ぐ硝子の破片の中。
「羽ばたけ、<碧風翼>!」
力強い声音が響き渡った。
その背に、エメラルドのように輝く風の翼を広げ、フェレトは、ディアスの前に舞い下りた。
風をまとって、大きく翻る深緑のマント。
「フェレトさまっ!!」
ディアスは、ぱあ、と顔を輝かせて叫ぶ。
つんと澄まし返っている印象の強いディアスが、滅多に見せない、幼いくらいの無防備な笑顔になった。
フェレトは、にやりと笑みを返す。光が弾けるまばゆい笑顔。ディアスが待ち望んだ、大胆不敵で自信に満ち溢れた、見慣れたフェレトの笑顔。
「待たせたな。」
それは、古の英雄譚の主役さながらに。
「吹き荒れよ、<緑風刃>。」
風の刃が、ディアスの手首足首を縛めていた荒縄を、四つ同時に断ち切った。
ずる、と十字架から落ちかけたディアスを、風の翼を広げたままのフェレトが受け止めた。
ディアスの背と膝裏に手を回し、フェレトは危うげなくディアスを抱えた。
ディアスを横抱きにしたまま、高度を上げる。
鮮やかな救出劇を、呆気にとられて眺めている群衆に、フェレトは高らかに宣言する。
勝利を謳いあげるように堂々と、たった一人で、<星の塔>に宣戦布告した。
「オレの弟子は返してもらうぜ。」
☆
フェレトは、ディアスを軽々と抱えたまま、<碧風翼>で飛ぶ。
フェレトの派手な乱入に、度肝を抜かれた魔法使いたちだが、そのままずっと呆けて見逃すほど、<星の塔>の魔法使いたちは、無能ではない。
魔法を封じていた結界は破られた。
数を頼みにして、一斉に攻撃をしかけてくる。
紅蓮の炎の玉が飛び交い、吹雪が吹き荒れ、天を裂く雷光が打ち下ろされる。
四方八方から繰り出される魔法。視界が極彩色に彩られる。
「弾けろ、<翠風弾>!」
爆風が炸裂し、全ての攻撃を弾き飛ばす。
炎も氷も雷も、全て一瞬でかき消され、フェレトにもディアスにもかすりもしない。
(…すごい。)
状況を忘れ、ディアスは見惚れていた。
<星の塔>最強の二つ名は、伊達ではない。処刑場を埋め尽くしていた、数百人の魔法使いの同時攻撃を、フェレトの風は防ぎきった。
「あばよ。」
さらりと告げて、フェレトは一気にスピードを上げた。
追いかけて来る魔法使いもいたが、とても追いつけず、見失う。
フェレトはディアスを抱えているというのに。
ごうごうと、ディアスの耳元で、容赦なく体温を奪う、冷え切った風がうなりを上げる。
不思議と、少しも怖くなかった。むしろ、触れているところから流れ込むフェレトのぬくもりに、心の底から安堵する。
フェレトは、素肌に制服を羽織り、胸元を開けている。風でいつもよりはだけているので、ディアスの頬にはフェレトの肌が直接触れる。くすぐったくて、あたたかくて、こんな状況なのに、ディアスは少し笑った。
フェレトの体温に触れると、ほっとする。
生きていると、実感する。
<星の塔>の敷地は既に遠く、魔法使いたちも豆粒ほどの黒い点になった。それもすぐに見えなくなる。<空の街>すらあっという間に遠ざかっていく。
徐々に、吹き付ける風がゆるやかになる。フェレトは、空中で一度止まった。
眼下に広がるのは、一面の、深く濃い緑。<黒き魔性の森>の上空だった。
フェレトは、ゆっくりと降りていく。大きな背中に、風の翼とマントがはためく様は、うっとりするほど華麗で雄々しかった。
フェレトの両足が地について草を踏み、背中の翼が音もなく消える。マントがすとんと元の位置にもどる。
フェレトはディアスを下ろし、
「ちょっと待ってろよ。」
傷に手をかざした。
「治せ、<白癒光>。」
柔らかな乳白色の光が、ディアスの傷を包む。ほんのりと暖かな光が、傷口に溶け込んで、癒した。傷口が、跡形もなく消え失せる。
かざした手はそのままに、別の魔法がかけられる。
「吹き荒れよ、<緑風刃>。」
風の刃が、ディアスの首で禍々しく光る<黒封環>に亀裂を入れる。ぱっくりと二つに割れた首輪は、地に落ちて転がった。
ディアスは、自分の両手を見る。
封じられていた力が、解放されたのがわかる。凪いでいた空に、風が吹き始めたように。止められて淀んでいた水が、流れ始めたように。
ディアスは、片膝をつき、フェレトに向かって深く頭を下げた。
「ありがとうございます、フェレトさま。」
フェレトの前に跪いたまま、ディアスは告げる。百万の言葉を尽くしても、思いは伝えきれないけれど、少しでも伝えたくて、声が熱を帯びた。
「御恩は生涯忘れません。フェレトさまに救っていただいたこの命、必ずフェレトさまのために使います。」
「…。」
フェレトは、唇だけで微苦笑した。頭をたれたままのディアスには、声をたてずに笑うフェレトの表情はわからない。見る者全てを虜にしたであろう、とろけるように甘い眼差しは、誰の目にも留まることなく光に溶ける。
フェレトは、肩をすくめた。
「おまえに、そんな素直に礼言われると、調子狂うぜ。」
あんまりな台詞だった。ディアスは、がくりと地面に突っ伏しそうになり、かろうじてこらえる。
「フェレトさまの中で、オレはどれだけ恩知らずなやつなんですか!ここで素直に礼を言わない弟子なんて最低じゃないですか!!」
がばっと顔を上げて食ってかかったディアスに、フェレトはくっくっく、と喉で笑う。
「おまえは、その方がらしいぜ、ディアス。」
そして、ふっと声の調子を変えた。空気が緊張を孕んだのを感じ取り、ディアスは言いかけた文句を引っ込める。
「おまえに、一つ聞きたいことがある。」
「何なりと。」
☆
フェレトは、ディアスにアレクトの死体を見つけたときの状況を、詳細に語らせた。途中でいくつか質問を挟みながら。
「…ベッドには、<光の賢者>様の遺体が。はい、ベッドは血の海になっていました。シーツが吸いきれなかった血が、絨毯に血溜まりを。他の家具、ですか。本棚と、テーブルくらいです。テーブルにあったもの?薔薇が活けられていました。オレが泊まった部屋にもあった、青い薔薇です。香り?甘くて…でも薄荷やミントのような、すっとした香りが混じっている、独特の芳香です。ドアを開けたとき、ですか?確かに、その薔薇の香りがしました。だから、この部屋にも同じ薔薇が活けられているのかと思いました。実際にありましたし、不自然なことはないかと。」
「あるだろ、不自然な点は。」
フェレトは、そう言ったきり、唇をかみしめていた。
もしかしたらと、万に一つの可能性として考えていたことだった。
ディアスには、まだわからないが、おぼろげに見えてきたものはある。
しかし、考えをまとめる前に、フェレトの長身がぐら、と倒れかかる。
「フェレトさま!」
ディアスが慌てて手を伸ばすが、華奢で細いディアスの力では、フェレトを支えきれない。
フェレトはその場に座り込む。その額に、玉の汗が浮かんでいるのを見て、ディアスは
「フェレトさま!!」
と、悲鳴を上げた。
フェレトは、ディアスを安心させるために笑ってみせたが、ずいぶん力のない笑みしか作れなかった。
「悪い。情けねえけど、限界だ。」
フェレトは明らかに消耗していた。こめかみから滴り落ちた汗が、胸元にすべり落ちていく。
フェレトは、処刑場に来る前に<元老院>の一室に張られていた結界を、内側から破って脱出している。賢者四人がかりの結界は、いくらフェレトでも、簡単には壊せなかった。
さらに、百人以上の魔法使いが強化した、処刑場の結界も一人で破った。
その後、数百人の魔法使いを蹴散らし、ディアスを抱えて、<碧風翼>で<黒き魔性の森>まで飛んだ。
さすがに無茶だった。もう魔力に変換しうる体力は、一滴たりとも残っていない。気力だけでもたせるのは限度がある。
人間の体に備わる本能が働き、強烈な眠気が襲ってくる。体が、休養を要求していた。
ディアスが、師の耳元で静かにささやく。
「休んでください、フェレトさま。オレがあなたを守ります。」
フェレトは、生意気言ってくれるぜ、と呟きかけたが、唇が動く前にまぶたが下りていた。規則正しい寝息が聞こえだす。
ディアスは、初めて目にする師の寝顔を見つめて、呪文を紡いだ。
「防げ、<金剛壁>。」
ダイヤの壁が、フェレトの周囲に出現する。地属性最強の防御魔法。あらゆる攻撃を無力化する。
それに加えて、
「欺け、<幻白光>。」
フェレトの姿が、<金剛壁>ごとかき消える。森の背景に溶け込んで、全く見えなくなる。
ただし、光の魔法が作用するのは、視覚だけだ。気配までは消せない。だから本当は、魔獣の幻覚でも生み出して、生き物の気配があっても不自然ではないように装った方がいいのだ。しかし、ディアスは、そこまで器用に<幻白光>を操れない。
ディアスは、フェレトに会うまで、敵を倒すための強さだけを追い求めてきた。守るための技術を磨いてこなかったことを、初めて後悔した。
万全ではない。けれど、全力を尽くす。
(フェレトさまは、たくさんのことを、オレに教えてくれた。)
命の重さ。人との関わり方。
そして、人の体温はあたたかいものだということー。
フェレトの大きな手は、ディアスの手を包んでくれた。頭を撫でてくれた。小さな子にするように。
知っておかなければいけなかったのに、知らずにきてしまった大切なことを、フェレトはディアスに教えてくれた。
そして、地位も名誉も捨てて、ディアスを助けてくれた。
(今度はオレが、守ってみせる。)
命がけの決意と覚悟に、アメジストの双眸が輝く。それは、どんな宝石よりも眩い。星の光をかき消して、夜に降臨する満月のよう。
草を踏みしめて現れた相手を、その瞳で見据える。
たとえ誰が相手でも、退く気は欠片もなかった。
☆
歩を進めるたびに、優雅に揺れるのは、足元までのマント。賢者にのみ許された装い。色は、暗紅色。赤に赤を重ねた、紅緋。
襟足の長い亜麻色の髪。胡桃色の瞳。
にこり、と優しげな風貌によく似合う、柔らかな笑みを浮かべ、
「ディアス・パレル。<風の賢者>はどこですか?」
と、問う相手を。
(―違う。)
と、ディアスは断じた。
これは、自分が教えを受けた<アカデミア>の教授ではないし、<火の賢者>でもない。この相手は、昨夜、地下牢で笑いながら自分に攻撃魔法を放った相手だ。
「あなたに教える気はありません。」
完璧な拒絶。
ウルカヌスは…ウルカヌスの姿をした何者かは、ディアスの意志など歯牙にもかけない。
「では、体に聞くことにしましょう。」
笑みさえ浮かべ、涼やかな声音で残酷に言い放つ。
「切り裂け、<白光斬>。」
光の刃が、禍々しく輝きながら、ディアスを襲う。
「吹雪け、<蒼雪乱>!」
荒れ狂う吹雪が、白く輝く光の刃を呑みこんだ、氷雪は、勢いを消さぬまま、ウルカヌスへ向かう。
「焼き尽くせ、<緋炎弾>!」
ウルカヌスの手から、真紅の光球が飛ぶ。火の玉は、吹雪にぶつかると爆発した。雪のひとひらすら残さず、全て弾け飛ぶ。炸裂する光に、視界が白く染まる。
ディアスは、とっさに腕を上げて、目をかばっていた。
「射抜け、<紫雷矢>。」
その背後にまわりこんだウルカヌスは、弓を構えている。つがえられた矢は、紫色に放電していた。
放たれた矢が、ディアスをかすめる。
「!」
反撃の魔法を放つ間はなかった。とっさに身をかわせたのは、ただの幸運。
雷の矢は、ディアスの背後に突き刺さる。
バリバリバリバリッ!!
太い幹が、ばっくりと割れ、炎上する。
ディアスは、ゾッとした。まともに喰らっていたら、黒焦げになっていた。
(何て威力だ…!)
ディアスは、ぎり、と奥歯をかみしめた。それでも引くわけにはいかない。次の魔法を放つ。
「凍てつけ、<青氷刃(せいひょうじん)>!」
地中から、氷の柱が出現する。槍のごとく敵を貫く、強靭な氷だが、当たらなければ意味はない。
ウルカヌスは、大地を蹴ってひらりとかわす。優雅に翻るマント。ウルカヌスは、かわしながら
「切り裂け、<白光斬>。」
光の刃を放つ。
「凍てつけ、<青氷刃>!」
ディアスは再び、氷の柱を出現させるが、今度は攻撃のためではない。自分の前に氷の壁を築いて盾にした。
(まずいっ…。)
正面からの攻撃を防いでいる間に、背後に回られている。予測はできたが、体が追いつかない。
「貫け、<白煌剣>。」
ウルカヌスの手には、純白に輝く光の剣が握られていた。
(あっ…。)
剣の輝きが、ディアスの目の端をよぎる。見えてはいた。だが、反応できない。剣が突き立てられる方が速い!
ざんっ!
腹に、光の剣が突き刺さった。
「あ…。」
熱い、と思った。
かはっと、口から血を吐く。
ふっと目の前が一瞬真っ暗になる。
気がついたら、地面が迫っていた。
どさり、という音に、自分が倒れたことを知る。
剣が貫いた場所から、鮮血が吹き出す。
焼けるような激痛。
「――――!!」
血に染まったディアスの唇から、言葉にならない絶叫がほとばしった。
額から脂汗が流れ落ちる。
猛烈な痛みに襲われて、意識が消えかけるのを、唇をかみしめて耐えた。
「-いい表情になりましたね。」
ウルカヌスが、くすっと残忍に微笑んだ。
「ディアス・パレル。貴方は確かに天才です。貴方の魔法の威力は、どれも申し分ない。けれど、相手の攻撃への反応が遅い。実戦を積まなければ超えられない壁ですから、今の貴方に要求するのは酷ですが。」
的確に指摘する。けれど、これは訓練でも試合でもないのだ。講義でもするような口調は場違いだった。
「さあ、フェレトに居場所を教えなさい。素直に言うなら、すぐに治癒の魔法をかけてあげます。」
肩で息をしながら、ディアスは、ぎっとウルカヌスをにらみつけた。
「あなたに教える気はないと言ったはずです。」
どくどくと血を流しながら、それでも、微塵の躊躇もなく言いきった。
ウルカヌスが、小首をかしげた。肌が粟立つほど冷たい声が、真上から降る。
「その強情さ、いつまでもつか、楽しみです。」
ウルカヌスの手が、ディアスの腹を貫いている光の剣に伸びる。柄を握り、一気に引き抜く!
「っ!!」
ゴボゴボッ!
剣が抜かれ、傷口がより深く抉られた。大量に出血する。傷口を押さえた手が、真っ赤に染まった。
ウルカヌスは、動けないディアスに、
「切り裂け、<白光斬>。」
光の刃を浴びせた。
ドスドスドスドスッ!
わざと急所は外されていた。両腕、肩、太ももや背中から、鮮血が飛ぶ。
「…治…せ、…<白癒光>…。」
途切れ途切れの虫の息で、ディアスは何とか魔法を紡ぐ。乳白色の柔らかな光に包まれ、傷口が塞がる。
ディアスは、ふらつきながら、何とか立ち上がった。
ウルカヌスは、<白煌剣>を弄びながら、その様子を眺めていた。邪魔しようとすれば、いつでもできた、という余裕を漂わせ。
「無駄なことを。」
憐れむように、蔑むように。
「傷が塞がっても、もはや勝ち目などないというのに。」
治癒の魔法は、血を止め、傷口を跡形もなく消す。
しかし、失った血液がもどるわけではない。体力が回復するわけでもない。
そんなことは、百も承知だ。
歴然とした実力の差も。
このウルカヌスは、相当の実戦経験がある。太刀打ちできる相手ではないと。
(だからって、あきらめるわけにいくか…!)
ディアスは、唇をかみしめた。
「穿て、<青雹弾>!!」
天から、ウルカヌス目がけて、氷塊がいくつも降り注ぐ。当たったとたんに、地面が凍りついた。
しかし、ウルカヌスは、マントをなびかせ、舞でも踊るように優雅にかわす。その栗色の髪一筋すらも、凍らせることはできない。
「無駄だというのに。<アカデミア>の天才児も愚かになったものですね。」
全ての氷塊をよけきったウルカヌスが、唇に嘲笑を刻んだ。
ディアスは、がくりと膝を折った。否。崩れ落ちた。
「…限界のようですね。」
ウルカヌスが、嗜虐的な声で言う。<白煌剣>を構え、ディアスに近づく。
ディアスは、火のような目でウルカヌスをにらみつけ、動かない。
ウルカヌスが、ディアスの胸に、<白煌剣>をぴたりと当てた。
つ、とかすかに刃先を喰いこませた。
つーっと、鮮血が伝っていく。
ウルカヌスの瞳が、残酷に煌めいた。
ディアスの胸を、<白煌剣>が、貫いた。
「!!」
胸から、噴水のように鮮血が吹き出した。
がはっと、大量に喀血する。
大地を血の海にした。
「これが、最後です。フェレトは、どこですか?」
ディアスの唇が、かすかに動く。血がふきこぼれる。
「聞こえませんよ。」
ウルカヌスが、一歩近づいたとき。
ディアスは、両手で剣を握るウルカヌスの手をつかんでいた。
「!」
ウルカヌスの顔色が、初めて変わる。
どこに、こんな力が残っていたのか。瀕死の重傷を負っているとは思えない凄まじい力。
ふりほどけない。
ディアスは、残りの力をかき集める。
流血は止まらない。一滴ごとに、体力どころか命が削られていくのがわかる。
それでも、この手だけは、絶対に離すわけにはいかなかった。この至近距離なら、よけられない。
唯一の勝機。
(力を貸してください、フェレトさま!)
渾身の力で、最後の魔法を放つ。
「吹き荒れよ、<緑風刃>!!」
うなりを上げる、暴風。大気の暴走。全てを薙ぎ倒し、切り刻む。
荒れ狂う風の刃が、ウルカヌスを直撃した。
☆
呼ばれた気がした。
耳ではなく、魂に突き刺さってくる、悲愴な声で。
自分の周囲に、二重に築かれていた魔法、<金剛壁>と<幻白光>が、同時にかき消えた。
魔法を施した魔法使いの意志で消したのか、魔法を維持する力が尽きたのか。
答えは明白だった。
フェレトの目の前で、ディアスが崩れ落ちる。
胸を剣で貫かれ、全身を血に染めて。
「ディアス!!」
倒れる直前で、フェレトがディアスを抱き留めた。
息を確認し、かすかに安堵する。フェレトは、ディアスの胸に手をかざした。
「駄目です、フェレトさま。」
ディアスの細い指が、胸にかざされたフェレトの手をつかんだ。その指に、力は少しもこもっていない。
ほとんど吐息だけで、ディアスは言う。
「少し、休んだくらいで…回復なんか、していないでしょう…。オレは、大丈夫ですから、魔力は、温存して…。」
「寝言は寝て言え。」
フェレトは、怒りを通り越して呆れた。
血まみれで、息をするのもやっとの状態で、何を言っているのか。
「すみません、フェレトさま。…あなたを、守れませんでした。あいつを、倒せなかった…。」
ごぼっと、桃花の唇から、鮮血があふれる。
フェレトは、ディアスの指から手を引き抜いた。唇からあごに伝わる血をぬぐい、再び手をかざす。
「消し去れ、<漆黒蝕>。」
闇色のベールが、ディアスの胸に刺さった<白煌剣>を覆う。暗黒に侵食され、光の剣が消え失せる。
「治せ、<白癒光>。」
柔らかなミルク色の光が、ディアスの全身を包み込んだ。すうっと痛みがひいていく。暖かく大きな力が体を満たす。それは、生まれる前にまどろんだ、原初の海の記憶のような。
ディアスは、目を伏せた。長いまつ毛が頬に淡い影を落とす。
フェレトの顔が、まともに見られない。声が震えた。
「駄目だって、言ったじゃないですか…。」
「自分の師匠を信用しろ、馬鹿。」
言葉と裏腹の優しい手つきで、フェレトはディアスの額に、ぽんと手を置いた。ゆっくりと、ディアスを横たえる。
嵐のように立ち上がる。深緑のマントが、ざっとなびいた。
フェレトの海の色の瞳が、荒れ狂う感情の波を宿して、ウルカヌスを見据える。
ウルカヌスは、全身に風の刃を受けながら、それでも平然と立っていた。
頬を、手を、肩を、腹を、足を、鮮血が伝っていく。かわしきれなかったが、全て急所はさけた。
考えてできることではない。体にしみついた、幾多の実戦の記憶が、無意識にそれを可能にした。
ウルカヌスが、手の甲から流れる血を、ぺろりと舐めた。くすくすと笑みをこぼす。
「怖い目ですね、フェレト。そんなにディアスくんが大事ですか?」
「茶番は終わりだ。」
フェレトの声は苦い。
万に一つの可能性。それを、考えていた。
自分の目で、死体を確認してなお、捨てきれなかった可能性。
こうして対峙してみれば、間違えるはずがない。
「アレク。」
「!」
ウルカヌスの表情が凍りついた。
ぱきん、と。
仮面が割れる、儚く空虚な音がする。
「あはは。」
口を開けて、無邪気に笑う、年よりずっと幼い笑顔は、ウルカヌスとは完全に別人だった。
翻るマントは、純白。
小柄で華奢な肢体。十八、九にしか見えない少年めいた面差し。
風に舞う艶やかな黒髪。頬を流れる鮮血よりも赤い、柘榴石の瞳。
ディアスが、紫の瞳を零れ落ちそうなほど大きく見開いた。
「嘘だ。」
この目で、死体を見た。
「どうして。」
呆然と呟きながら、ディアスはどこかで納得もしていた。
やはり、ウルカヌスではなかったのだと。
そして、彼である以上、ここは二人だけの世界だ。
(悔しいけど、オレの出る幕じゃない。)
事実、本来の姿に戻ったアレクト・エリニュスは、ディアスを一顧だにしなかった。フェレトだけに、その真紅の双眸を向ける。
「フェレト、どうしてわかったのさ。」
小首をかしげて尋ねる様は、最後に会ったあの日と同じ。まるで何事もなかったかのように、いつも通りの、日常の続きのような。
「ディアスは、おまえの部屋は薔薇の香りがしたと言った。シーツが吸いきれなかった血が、床に流れ落ちているなら、血は乾いていない。その状況で、薔薇の香りなんかするはずがないんだ。血の臭いにかき消されて。」
フェレトも、その紺碧の双眸に、アレクトだけを映す。
「おまえの<幻白光>は完璧だが、操れるのは視覚だけだ。だから、死体を燃やして見せた。手を触れられれば終わりだからな。」
フェレトたちが見たアレクトの死体は、魔法で作りだした幻影。光の魔法を極めた賢者の幻覚は、限りなく本物に近い。ウルカヌスの姿も、本人と見分けがつかなかった。ディアスが感じた違和感は、ウルカヌスの言動にであって、外見から気づいたわけではない。
「だけど、そんなことは関係ねえよ。」
フェレトが、組み立てた推理を、ばっさりと切り捨てる。
「オレが、おまえを見間違えるわけがねえ。」
青と赤の視線が強く絡んだ。
二十年近い付き合いの幼馴染。フェレトとアレクトは、ずっと共に会った。誰よりも近い場所に。
絶対の信頼を置いていた親友だった。
魔法の技を競い合うライバルだった。
フェレトの声は静かだったが、その奥に全てを焼き尽くす激怒を孕み、アレクトの肌を粟立たせた。
「答えろ、アレク。これは一体何の真似だ。」
嘘もごまかしも通用しない。口先だけの言い訳を切って捨てる本気の怒り。
もちろん、アレクトも、ここでフェレトを言いくるめようなどと、思ってはいない。
むしろ、アレクトはフェレトに真実を告げることこそが目的だ。
「いい顔だね、フェレト。」
楽しそうに、本当に満足そうに、アレクトは紅の瞳を細める。天真爛漫にも見える、いつものアレクトの笑顔。満腹の猫が喉を鳴らしているような。
「ボクは、ずっとずっと、キミのそんな顔が見たかったよ。」
この想いが、いつから自分に巣食っていたのか、アレクト自身も知らない。
気がついたら、心の奥底に…引き抜けば魂ごと壊れるほど深くに根付いていた、暗い欲望。
「ボクは、キミを本気で怒らせてみたかった。キミを出し抜いて、罠に嵌めて、追い詰めてやりたかった。」
アレクトは、ゆっくりと、フェレトに向かって歩き出す。
揺れていた純白のマントが止まる。
真紅の瞳に影を落とす、長い睫毛の一本一本まで鮮明に見える距離で。
「ボクは、キミに勝ちたかった。だって、ボクはキミに一度も勝てたことがないから。」
アレクト自身が、一流の魔法使いであるからこそ、そして誰よりもフェレトのそばにいたからこそ、肌で感じていた。
フェレトとの絶対の差を。壁の厚さを。
どうしても敵わないことから生まれた苛立ち。いつしか身を焦がすほどに大きくなった嫉妬の炎。
それを宿して見上げてくる、緋の瞳は、フェレトにとって見慣れた親友のもの。けれど、初めて見る表情だった。
「…オレに勝つために、自分を殺したのか。」
フェレトは、吐息だけで呟いた。痛みをこらえるように、唇を引き結ぶフェレトを下からのぞきこみ、アレクトはあっさりと肯定する。
「キミに勝てるなら、ボクは何もいらなかった。自分自身にだって、未練は無いよ。」
アレクトは、「アレクト・エリニュス」を自らの手で社会的に抹殺している。もう、<星の塔>にアレクトが帰れる場所は、どこにも無い。
フェレトの青い瞳が、辛そうに細められた。
「おまえ、そんなにオレが憎かったのか?」
今まで築き上げてきたものの全てを、捨ててしまえるほどに。
「ちがうよ。」
アレクトは首を振った。肩につかない黒髪が、さらりと揺れる。
「ボクはキミが好きだよ。だから、離れたくなかった。離れられなかった。」
そばにいるのが辛くても、隣にいたかった。
「信じてもらえなくていいけれど、今でも友達だって思ってる。でも、だから…キミに勝ちたい。」
アレクトは、ふと瞬きした。ひどく寂しい微笑みが、その頬に広がる。
「フェレトにはわからない。わからなくていいよ。キミは、ボクとはちがって、まっすぐだから。昔のキミは、冷たくて鋭くて、人を寄せつけない刃みたいだったけど…あの頃も今も、キミは純粋だ。」
昔を懐かしむように、うっとりと遠い目で。
「キミは変わったね。でも、昔のキミも今のキミも好きだよ。誰よりも強いフェレト。ボクの大事な親友だ。」
にこりと。
それは、光の花が咲き、風に舞い散るような華やかな笑顔。
フェレトは、ただ、事実だけを伝えた。
「おまえが、オレを変えたんだ。」
共に過ごした日々が。隣で笑いあった時間が。その積み重ねこそが、絆だった。
力だけが全てではないと、フェレトに教えたのは、アレクトの存在そのもの。
フェレトは、アレクトが自分のために流してくれた涙に救われた。あの夜を、フェレトは一生忘れない。この先もずっと、フェレトの芯を支えるもの。
アレクトは、虚を突かれたように、え、と呟いた。
幼な子のように見開かれた瞳が、驚愕に染まる。
「…そう。そうだったんだね…。」
視線を落としたアレクトが、薄紅の唇でふふっと笑う。成人男性にしては細い肩が震え、マントが揺れる。
「ごめん、フェレト。それでも、ボクは…ボクは、キミに勝ちたい。」
再び親友を見上げた赤い瞳。
後戻りはできないのだと、語っていた。
これは、人生を賭けた勝負だ。
ここで降りたら、一生後悔する。
「わかった。」
フェレトは頷いた。アレクトの覚悟を丸ごと受け止めて。
「おまえが始めたことなら、幕を引くのはオレの役目だ。」
アレクトがそう望むなら。
全力で迎え撃つ。
一切の容赦なく、完膚なきまでに。
それだけが、フェレトがアレクトに示せる、友情の証。
(ありがとな、ディアス。)
心の中で、弟子にささやく。ディアスが命がけで時間を作ってくれたから、今、ここでアレクトを倒せる。
二人の賢者が、全く同時に叫んだ。
「吹き荒れよ!全てを薙ぎ払う嵐、天すら落とせ、<緑風刃>!!」
「切り裂け!全てを照らす光、闇すら切り刻め、<白光斬>!!」
最強の風。
究極の光。
至近距離で、真正面から激突した。
衝撃で、木々が弾け飛び、大地が砕け、空が割れた。
世界が停止する。
時間が凍りついた。
それは、永遠のようでありながら、実際には刹那。
最後に立っていたのは、フェレトだった。
<白光斬>が、その身に無数の傷を刻み、全身血まみれだったが、それでも揺るぎなく。
「やっぱり、ボクはキミには勝てなかったね…。」
<緑風刃>は、アレクトの全身をズタズタに切り裂いていた。白皙の肌は真っ赤に染まり、アレクトは虫の息だった。アレクトが倒れた大地に、血溜まりが広がっていく。切り刻まれたマントの切れ端が、花びらのように風に舞う。
「でも、いいや。」
ふっきれたように、微笑んで。
「すっきりした。ごめんね、フェレト。」
大きな紅玉の瞳から、真珠のような涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう。」
それは、遠い日と同じように、透明に煌めいて頬に弾けた。
終幕
髪に、額に、ぬくもりが伝わる。いつの間にか馴染んだ感触。この大きな優しい手に頭を撫でられると、自分がとても小さな子どもにもどったような気がする…。
ディアスは、ゆっくりと目を開けた。
映るのは、見慣れない天井。おそらくは医務室だろうと、ディアスは察する。そして、青空の瞳。
「…気がついたか。」
フェレトが、低い美声でささやく。
ディアスは頷いた。まだ霞がかって、はっきりしない意識のまま身を起こしかけ、フェレトの手に肩を押さえられる。
「まだ寝とけ。どこか痛むか?」
ディアスは素直に従い、ベッドに寝転んだまま首を振った。
「特には。体は重いですが。」
「それくらい我慢しな。魔法で傷は塞いだが、血が足りてねーんだから。造血作用のある薬は飲ませたけど、回復にゃ時間がかかる。」
「はい…。」
全身がだるいのは、失血死寸前まで血を流してしまったからだ。
「無茶しやがって。」
フェレトに横目でにらまれ、ディアスは目を反らした。無理やり話題を変える。
「フェレトさま、オレはどれくらい寝ていましたか?」
ディアスの意識がもったのは、フェレトがアレクトを倒したところまでだ。その後どうなったのかは分からない。
「丸一日だ。もうすぐ昼だぜ。」
「そうですか、あの…。」
ディアスは、彼にしては珍しく、遠慮して言い淀む。目を伏せて聞いた。
「<光の賢者>様は…どうなるんですか?」
「<元老院>で会議中だ。」
フェレトは、感情を含まない声で答えた。
「<元老院>の会議なら、賢者も出席するんでしょう。いいんですか、こんなところにいて。」
「ちゃんと出てるぜ。今、休憩中だから、おまえの様子見に来たんだよ。」
さすがに、今回はさぼれねえだろ、と言い添えた。
議題は、<光の賢者>、アレクト・エリニュスの処分について、なのだから。
「賢者の位剥奪に、<星の塔>を永久追放ってことになるだろうな。」
フェレトは、あえて、あっさり告げた。
結果だけを見れば、アレクトは誰一人として殺したわけではない。おそらく、ディアスを殺す気もなかっただろう。アレクトがそのつもりなら、いつでも簡単に殺せた。アレクトの狙いはディアスの命などではなかった。全て、フェレトを本気にさせるためにした行動。
だが、賢者は、<星の塔>に属する全魔法使いの範。その賢者が、<星の塔>を混乱させた罪は重いのだ。
光と影は等分。
名誉ある地位に在る者は、それに見合う責務がある。
だが。
ディアスは顔を上げ、フェレトに手を伸ばす。細い指が、フェレトの手をつかんだ。
「フェレトさまは…それでいいんですか…?」
ディアス自身は、騙され、罠に嵌められ、殺されかけたというのに、<光の賢者>を心底憎むことができないでいる。自分が寛大でも穏和でもないことは自覚しているので、不思議なのだが。
(だって、フェレトさまを救ってくれたのは、<光の賢者>様だ。それに、今でも、フェレトさまは、<光の賢者>様を…。)
「あいつ自身が、どんな処分でも受けますって言ってんだから、オレもウルカヌス先生も、どうしよーもねーだろ。」
フェレトが、ため息混じりに言う。
「あいつは、あんなツラして頑固なんだよ。」
苦笑が混じる。
「全部覚悟の上で、しでかしたことなんだろ。」
寂しそうな笑みだ。痛みをこらえるような、師のそんな表情をディアスは初めて見た。
誰よりもそばにありながら、親友の苦悩に気づかなかった自分を責めているのだろう。
フェレトさまのせいではありません、と言いかけて、ディアスは寸前でその言葉を呑みこむ。その言葉を言う資格は、自分にはないとわかっているから。それを言って許されるのは、アレクトだけだから。
ディアスは、フェレトの手をつかんでいる指に、ぐ、と力を込めた。
「フェレトさまっ…。」
どんな言葉をかければいいかわからない。泣きそうな顔で見上げてくる弟子に、フェレトは笑ってみせる。
「心配すんな。そんなに落ちこんじゃいねーよ。」
その声には、虚勢ではない、本当の強さがあった。
「アレクが生きてたんだからな。」
澄み切った、青い瞳。
全てを呑みこみ、受け入れ、なお輝きを増す、雄大な海の青。
「いいさ。どんなことしでかしても、生きていてくれたからそれでいい。」
アレクトが死んだと思ったあの時の恐怖と絶望に比べれば。
生きてさえいれば、また会える。ここではない、どこかで。わだかまりを乗り越えて、再び笑い合える日を信じられる。
(ああ、そうか…。)
ディアスは、やっとわかった気がした。
どうして、フェレトがアレクトの計画を見破ったのか。
親友の死を前に、冷静だったからではない。
その逆。
アレクトの死を認めたくなかったから、万に一つの可能性に賭けた。
必死で探した。アレクトが生きている可能性を。
その愚かなまでの一途さが、真実をつかんだ。
「フェレトさま。」
ディアスがふらつきながら、身を起こす。フェレトの手を握りしめたまま。
今度はフェレトも止めなかった。
まっすぐにぶつけられた視線に、覚悟と決意を読み取って。
ディアスは、食い入るように、師を見つめる。
フェレトは、弟子の視線を受け止めた。
「オレは、<光の賢者>様の代わりにはなれません。なりたいとも思いません。」
フェレトにとって、アレクトがどれだけ大切か、知っている。
二人の間にあった、親密で特別な空気。フェレトは、アレクトにだけは甘えるような無理を平気で言って、アレクトはフェレトにだけは、遠慮も容赦も気遣いもしなくて。
「だけど、あの人とは違う形で、あなたを支えてみせます。」
それはまるで、宣戦布告のように。
つながれた手から、ディアスのぬくもりと思いが、流れ込んでくる気がする。
フェレトの耳に、跪いたディアスの誓いが甦る。
『御恩は生涯忘れません。フェレトさまに救っていただいたこの命、必ずフェレトさまのために使います。』
フェレトが笑った。
それは、今までディアスが目にしてきた中で、一番うれしそうで、一番魅惑的で、思わず見惚れるような笑顔だった。
「生意気言ってくれるぜ。」
ありがとう、の代わりに、そんな台詞を投げながら、フェレトは思う。
自分の愛弟子は、いつか、本当に強い魔法使いになるだろう。
終
彼に会ったのは、もう二十年近くも前にこと。
出会った頃は、大人になってからの彼しか知らない人間には想像もつかないくらい、暗く荒んだ目をした少年だった。
尖ったナイフのような、関わる者を見境なく容赦なく切り刻む、危険な存在。
血に飢えた獣。
いつ見ても傷だらけで、常に血のにおいをまとっていた。
生傷が絶えないのと、返り血を浴びているせいで。
彼は、毎晩のように部屋を抜け出して、<黒き魔性の森>で魔獣と戦っていたのだ。その頃は、治癒の魔法も使えなかったくせに。命にかかわるような大怪我をしたら、どうするつもりだったのだろう。
なぜそんな危険なことをするのかと尋ねた。彼は
『強くなりたいからだ。』
と、ただ一言答えた。
彼の無茶を通り越して無謀な行動は、彼が孤児で、<光の家>に引き取られるまで、奴隷同然の生活を強いられていたせいだった。彼がそれを明かしてくれたのは、ずっと後になってからだったけれど。
出会ったばかりの頃、何を言っても、どんなに心配しても、彼は全く聞いてくれなかった。
それでも言い続けたのは、なぜだったのだろう。
不遇な境遇から、必死で、自分の力で這い上がろうともがく彼の強さに惹かれた。そのまっすぐな眼差しに。
あきらめずにそばにい続けると、彼の態度は少しずつ変わっていった。
初めて笑ってくれたとき、とても大切なものを手に入れた気がした。
大好きだよ。
今でもずっと。
誰よりも大切なんだ。それは本当。
でも、だから。
第四幕
<星の塔>、北区、処刑場。
魔法使いを裁く場である性質上、処刑場は、常時、あらゆる魔法を使用不可にする結界が張られている。
今回の死刑執行にあたり、万が一にも間違いがあってはならないと、<元老院>は、百人以上の高位の魔法使いたちを使って、魔法禁じの結界を強化させた。それは、明らかに<風の賢者>、フェレト・リウスへの警戒。賢者にも破れぬように、結界は厳重かつ念入りに強化されたのだ。
ふだんは、全く人気のない場所に、今日は大勢の魔法使いが集まっていた。
処刑場は、南区の<コロシアム>と似た造りになっている。円形で、中央の処刑場を囲むように客席が設けられている。
天井に、特殊な硝子が張られていることも同じだが、<コロシアム>とは異なり、その硝子天井には、魔法を封じる術が施されている。その下の空間において、一切の魔法が使えない。<黒封環>を広範囲に、より強固にしたもの、と考えていい。そして、その硝子天井自体が、金剛石をしのぐ強度を持つ。
見物人がひしめき合っている点も、<アカデミア>卒業試験のようだ。しかし、あの時のような熱気や興奮、陽気で開放的な、祭のような雰囲気とは真逆。
重苦しい、低く垂れこめた暗雲のような空気が場を支配している。
ひそひそと、あちこちで憶測に満ちた会話が交わされている。
「本当に、あんな子どもが、<光の賢者>様を?」
「貴公は、<アカデミア>の卒業試験を見ておられないのですね。あの者は、卒業試験の優勝者。賢者様を殺す力があったとしても不思議はない。」
「恐ろしいことだ。なまじ力があったばかりに、己の才に溺れたか。」
「しかし、いくら天才と言っても、卒業したばかりだぞ。実戦を積んだ賢者様に敵うものなのか?」
「隙をつけば可能では?あの者は、<風の賢者>の弟子と聞く。<光の賢者>様は、<風の賢者>と親しかった。友の弟子ならば油断もしよう。」
「ですが、動機はなんなのです?賢者の弟子なら将来は約束されておりましょう。なぜ、それを捨ててまで、<光の賢者>様を殺さねばならないのです?あの方は、人から恨まれるような方ではありませんでした。」
「それについては、完全に口を閉ざしているそうですよ。そもそも、殺したことすら認めていないとか。」
「しかし、状況から見て、他に犯人はいないのだろう?」
一つ一つの会話が、聞き取れるわけではない。だが、処刑場全体を包む悪意と疑惑と猜疑を、ディアスは肌で感じ取った。
十字架にかけられた状態で。
高く作られた磔台は、無駄に遠くまで見通せた。
首には、<黒封環>がはめられたまま。この処刑場では魔法が使えないのに、外されることはなかった。手枷は外されたが、代わりに手首足首を荒縄で十字架に縛り付けられた。
手荒に扱われたので、かろうじて塞がっていた、昨夜の傷が開いてしまった。じくじくと、鈍い痛みがおさまらない。滲みだした血の一滴ごとに、体力が削られていく。ここ数日、ろくな食事をとっていないせいで、気を抜くと意識が朦朧とする。
磔台の下に、長い槍を手にした死刑執行人が立つ。
ディアスは、ぐ、と両手を握りしめる。爪が掌に食い込む痛みで、意識を保つ。
顔を上げる。歯を喰いしばる。
諦めない。
(フェレトさまは、助けると言ってくれた。)
槍が、ぎらりと薄日を反射した、まさにその瞬間。
硝子の天井に、影が落ちた。
トン、と長身が降り立ち、
「吹き荒れよ、<緑風刃>!!」
低い美声とともに、轟音をとどろかせて、風の斬撃が荒れ狂う。
ピシイッ、と閃光にように、硝子天井に亀裂が入る。
バキバキバキバキバキッ!!
金剛石を誇る強度の天井が。
<星の塔>選りすぐりの魔法使いたちが強化した、絶対不可侵のはずの結界が。
凄まじい烈風の威力の前に、木端微塵に砕け散る!
きらきらと光り輝きながら降り注ぐ硝子の破片の中。
「羽ばたけ、<碧風翼>!」
力強い声音が響き渡った。
その背に、エメラルドのように輝く風の翼を広げ、フェレトは、ディアスの前に舞い下りた。
風をまとって、大きく翻る深緑のマント。
「フェレトさまっ!!」
ディアスは、ぱあ、と顔を輝かせて叫ぶ。
つんと澄まし返っている印象の強いディアスが、滅多に見せない、幼いくらいの無防備な笑顔になった。
フェレトは、にやりと笑みを返す。光が弾けるまばゆい笑顔。ディアスが待ち望んだ、大胆不敵で自信に満ち溢れた、見慣れたフェレトの笑顔。
「待たせたな。」
それは、古の英雄譚の主役さながらに。
「吹き荒れよ、<緑風刃>。」
風の刃が、ディアスの手首足首を縛めていた荒縄を、四つ同時に断ち切った。
ずる、と十字架から落ちかけたディアスを、風の翼を広げたままのフェレトが受け止めた。
ディアスの背と膝裏に手を回し、フェレトは危うげなくディアスを抱えた。
ディアスを横抱きにしたまま、高度を上げる。
鮮やかな救出劇を、呆気にとられて眺めている群衆に、フェレトは高らかに宣言する。
勝利を謳いあげるように堂々と、たった一人で、<星の塔>に宣戦布告した。
「オレの弟子は返してもらうぜ。」
☆
フェレトは、ディアスを軽々と抱えたまま、<碧風翼>で飛ぶ。
フェレトの派手な乱入に、度肝を抜かれた魔法使いたちだが、そのままずっと呆けて見逃すほど、<星の塔>の魔法使いたちは、無能ではない。
魔法を封じていた結界は破られた。
数を頼みにして、一斉に攻撃をしかけてくる。
紅蓮の炎の玉が飛び交い、吹雪が吹き荒れ、天を裂く雷光が打ち下ろされる。
四方八方から繰り出される魔法。視界が極彩色に彩られる。
「弾けろ、<翠風弾>!」
爆風が炸裂し、全ての攻撃を弾き飛ばす。
炎も氷も雷も、全て一瞬でかき消され、フェレトにもディアスにもかすりもしない。
(…すごい。)
状況を忘れ、ディアスは見惚れていた。
<星の塔>最強の二つ名は、伊達ではない。処刑場を埋め尽くしていた、数百人の魔法使いの同時攻撃を、フェレトの風は防ぎきった。
「あばよ。」
さらりと告げて、フェレトは一気にスピードを上げた。
追いかけて来る魔法使いもいたが、とても追いつけず、見失う。
フェレトはディアスを抱えているというのに。
ごうごうと、ディアスの耳元で、容赦なく体温を奪う、冷え切った風がうなりを上げる。
不思議と、少しも怖くなかった。むしろ、触れているところから流れ込むフェレトのぬくもりに、心の底から安堵する。
フェレトは、素肌に制服を羽織り、胸元を開けている。風でいつもよりはだけているので、ディアスの頬にはフェレトの肌が直接触れる。くすぐったくて、あたたかくて、こんな状況なのに、ディアスは少し笑った。
フェレトの体温に触れると、ほっとする。
生きていると、実感する。
<星の塔>の敷地は既に遠く、魔法使いたちも豆粒ほどの黒い点になった。それもすぐに見えなくなる。<空の街>すらあっという間に遠ざかっていく。
徐々に、吹き付ける風がゆるやかになる。フェレトは、空中で一度止まった。
眼下に広がるのは、一面の、深く濃い緑。<黒き魔性の森>の上空だった。
フェレトは、ゆっくりと降りていく。大きな背中に、風の翼とマントがはためく様は、うっとりするほど華麗で雄々しかった。
フェレトの両足が地について草を踏み、背中の翼が音もなく消える。マントがすとんと元の位置にもどる。
フェレトはディアスを下ろし、
「ちょっと待ってろよ。」
傷に手をかざした。
「治せ、<白癒光>。」
柔らかな乳白色の光が、ディアスの傷を包む。ほんのりと暖かな光が、傷口に溶け込んで、癒した。傷口が、跡形もなく消え失せる。
かざした手はそのままに、別の魔法がかけられる。
「吹き荒れよ、<緑風刃>。」
風の刃が、ディアスの首で禍々しく光る<黒封環>に亀裂を入れる。ぱっくりと二つに割れた首輪は、地に落ちて転がった。
ディアスは、自分の両手を見る。
封じられていた力が、解放されたのがわかる。凪いでいた空に、風が吹き始めたように。止められて淀んでいた水が、流れ始めたように。
ディアスは、片膝をつき、フェレトに向かって深く頭を下げた。
「ありがとうございます、フェレトさま。」
フェレトの前に跪いたまま、ディアスは告げる。百万の言葉を尽くしても、思いは伝えきれないけれど、少しでも伝えたくて、声が熱を帯びた。
「御恩は生涯忘れません。フェレトさまに救っていただいたこの命、必ずフェレトさまのために使います。」
「…。」
フェレトは、唇だけで微苦笑した。頭をたれたままのディアスには、声をたてずに笑うフェレトの表情はわからない。見る者全てを虜にしたであろう、とろけるように甘い眼差しは、誰の目にも留まることなく光に溶ける。
フェレトは、肩をすくめた。
「おまえに、そんな素直に礼言われると、調子狂うぜ。」
あんまりな台詞だった。ディアスは、がくりと地面に突っ伏しそうになり、かろうじてこらえる。
「フェレトさまの中で、オレはどれだけ恩知らずなやつなんですか!ここで素直に礼を言わない弟子なんて最低じゃないですか!!」
がばっと顔を上げて食ってかかったディアスに、フェレトはくっくっく、と喉で笑う。
「おまえは、その方がらしいぜ、ディアス。」
そして、ふっと声の調子を変えた。空気が緊張を孕んだのを感じ取り、ディアスは言いかけた文句を引っ込める。
「おまえに、一つ聞きたいことがある。」
「何なりと。」
☆
フェレトは、ディアスにアレクトの死体を見つけたときの状況を、詳細に語らせた。途中でいくつか質問を挟みながら。
「…ベッドには、<光の賢者>様の遺体が。はい、ベッドは血の海になっていました。シーツが吸いきれなかった血が、絨毯に血溜まりを。他の家具、ですか。本棚と、テーブルくらいです。テーブルにあったもの?薔薇が活けられていました。オレが泊まった部屋にもあった、青い薔薇です。香り?甘くて…でも薄荷やミントのような、すっとした香りが混じっている、独特の芳香です。ドアを開けたとき、ですか?確かに、その薔薇の香りがしました。だから、この部屋にも同じ薔薇が活けられているのかと思いました。実際にありましたし、不自然なことはないかと。」
「あるだろ、不自然な点は。」
フェレトは、そう言ったきり、唇をかみしめていた。
もしかしたらと、万に一つの可能性として考えていたことだった。
ディアスには、まだわからないが、おぼろげに見えてきたものはある。
しかし、考えをまとめる前に、フェレトの長身がぐら、と倒れかかる。
「フェレトさま!」
ディアスが慌てて手を伸ばすが、華奢で細いディアスの力では、フェレトを支えきれない。
フェレトはその場に座り込む。その額に、玉の汗が浮かんでいるのを見て、ディアスは
「フェレトさま!!」
と、悲鳴を上げた。
フェレトは、ディアスを安心させるために笑ってみせたが、ずいぶん力のない笑みしか作れなかった。
「悪い。情けねえけど、限界だ。」
フェレトは明らかに消耗していた。こめかみから滴り落ちた汗が、胸元にすべり落ちていく。
フェレトは、処刑場に来る前に<元老院>の一室に張られていた結界を、内側から破って脱出している。賢者四人がかりの結界は、いくらフェレトでも、簡単には壊せなかった。
さらに、百人以上の魔法使いが強化した、処刑場の結界も一人で破った。
その後、数百人の魔法使いを蹴散らし、ディアスを抱えて、<碧風翼>で<黒き魔性の森>まで飛んだ。
さすがに無茶だった。もう魔力に変換しうる体力は、一滴たりとも残っていない。気力だけでもたせるのは限度がある。
人間の体に備わる本能が働き、強烈な眠気が襲ってくる。体が、休養を要求していた。
ディアスが、師の耳元で静かにささやく。
「休んでください、フェレトさま。オレがあなたを守ります。」
フェレトは、生意気言ってくれるぜ、と呟きかけたが、唇が動く前にまぶたが下りていた。規則正しい寝息が聞こえだす。
ディアスは、初めて目にする師の寝顔を見つめて、呪文を紡いだ。
「防げ、<金剛壁>。」
ダイヤの壁が、フェレトの周囲に出現する。地属性最強の防御魔法。あらゆる攻撃を無力化する。
それに加えて、
「欺け、<幻白光>。」
フェレトの姿が、<金剛壁>ごとかき消える。森の背景に溶け込んで、全く見えなくなる。
ただし、光の魔法が作用するのは、視覚だけだ。気配までは消せない。だから本当は、魔獣の幻覚でも生み出して、生き物の気配があっても不自然ではないように装った方がいいのだ。しかし、ディアスは、そこまで器用に<幻白光>を操れない。
ディアスは、フェレトに会うまで、敵を倒すための強さだけを追い求めてきた。守るための技術を磨いてこなかったことを、初めて後悔した。
万全ではない。けれど、全力を尽くす。
(フェレトさまは、たくさんのことを、オレに教えてくれた。)
命の重さ。人との関わり方。
そして、人の体温はあたたかいものだということー。
フェレトの大きな手は、ディアスの手を包んでくれた。頭を撫でてくれた。小さな子にするように。
知っておかなければいけなかったのに、知らずにきてしまった大切なことを、フェレトはディアスに教えてくれた。
そして、地位も名誉も捨てて、ディアスを助けてくれた。
(今度はオレが、守ってみせる。)
命がけの決意と覚悟に、アメジストの双眸が輝く。それは、どんな宝石よりも眩い。星の光をかき消して、夜に降臨する満月のよう。
草を踏みしめて現れた相手を、その瞳で見据える。
たとえ誰が相手でも、退く気は欠片もなかった。
☆
歩を進めるたびに、優雅に揺れるのは、足元までのマント。賢者にのみ許された装い。色は、暗紅色。赤に赤を重ねた、紅緋。
襟足の長い亜麻色の髪。胡桃色の瞳。
にこり、と優しげな風貌によく似合う、柔らかな笑みを浮かべ、
「ディアス・パレル。<風の賢者>はどこですか?」
と、問う相手を。
(―違う。)
と、ディアスは断じた。
これは、自分が教えを受けた<アカデミア>の教授ではないし、<火の賢者>でもない。この相手は、昨夜、地下牢で笑いながら自分に攻撃魔法を放った相手だ。
「あなたに教える気はありません。」
完璧な拒絶。
ウルカヌスは…ウルカヌスの姿をした何者かは、ディアスの意志など歯牙にもかけない。
「では、体に聞くことにしましょう。」
笑みさえ浮かべ、涼やかな声音で残酷に言い放つ。
「切り裂け、<白光斬>。」
光の刃が、禍々しく輝きながら、ディアスを襲う。
「吹雪け、<蒼雪乱>!」
荒れ狂う吹雪が、白く輝く光の刃を呑みこんだ、氷雪は、勢いを消さぬまま、ウルカヌスへ向かう。
「焼き尽くせ、<緋炎弾>!」
ウルカヌスの手から、真紅の光球が飛ぶ。火の玉は、吹雪にぶつかると爆発した。雪のひとひらすら残さず、全て弾け飛ぶ。炸裂する光に、視界が白く染まる。
ディアスは、とっさに腕を上げて、目をかばっていた。
「射抜け、<紫雷矢>。」
その背後にまわりこんだウルカヌスは、弓を構えている。つがえられた矢は、紫色に放電していた。
放たれた矢が、ディアスをかすめる。
「!」
反撃の魔法を放つ間はなかった。とっさに身をかわせたのは、ただの幸運。
雷の矢は、ディアスの背後に突き刺さる。
バリバリバリバリッ!!
太い幹が、ばっくりと割れ、炎上する。
ディアスは、ゾッとした。まともに喰らっていたら、黒焦げになっていた。
(何て威力だ…!)
ディアスは、ぎり、と奥歯をかみしめた。それでも引くわけにはいかない。次の魔法を放つ。
「凍てつけ、<青氷刃(せいひょうじん)>!」
地中から、氷の柱が出現する。槍のごとく敵を貫く、強靭な氷だが、当たらなければ意味はない。
ウルカヌスは、大地を蹴ってひらりとかわす。優雅に翻るマント。ウルカヌスは、かわしながら
「切り裂け、<白光斬>。」
光の刃を放つ。
「凍てつけ、<青氷刃>!」
ディアスは再び、氷の柱を出現させるが、今度は攻撃のためではない。自分の前に氷の壁を築いて盾にした。
(まずいっ…。)
正面からの攻撃を防いでいる間に、背後に回られている。予測はできたが、体が追いつかない。
「貫け、<白煌剣>。」
ウルカヌスの手には、純白に輝く光の剣が握られていた。
(あっ…。)
剣の輝きが、ディアスの目の端をよぎる。見えてはいた。だが、反応できない。剣が突き立てられる方が速い!
ざんっ!
腹に、光の剣が突き刺さった。
「あ…。」
熱い、と思った。
かはっと、口から血を吐く。
ふっと目の前が一瞬真っ暗になる。
気がついたら、地面が迫っていた。
どさり、という音に、自分が倒れたことを知る。
剣が貫いた場所から、鮮血が吹き出す。
焼けるような激痛。
「――――!!」
血に染まったディアスの唇から、言葉にならない絶叫がほとばしった。
額から脂汗が流れ落ちる。
猛烈な痛みに襲われて、意識が消えかけるのを、唇をかみしめて耐えた。
「-いい表情になりましたね。」
ウルカヌスが、くすっと残忍に微笑んだ。
「ディアス・パレル。貴方は確かに天才です。貴方の魔法の威力は、どれも申し分ない。けれど、相手の攻撃への反応が遅い。実戦を積まなければ超えられない壁ですから、今の貴方に要求するのは酷ですが。」
的確に指摘する。けれど、これは訓練でも試合でもないのだ。講義でもするような口調は場違いだった。
「さあ、フェレトに居場所を教えなさい。素直に言うなら、すぐに治癒の魔法をかけてあげます。」
肩で息をしながら、ディアスは、ぎっとウルカヌスをにらみつけた。
「あなたに教える気はないと言ったはずです。」
どくどくと血を流しながら、それでも、微塵の躊躇もなく言いきった。
ウルカヌスが、小首をかしげた。肌が粟立つほど冷たい声が、真上から降る。
「その強情さ、いつまでもつか、楽しみです。」
ウルカヌスの手が、ディアスの腹を貫いている光の剣に伸びる。柄を握り、一気に引き抜く!
「っ!!」
ゴボゴボッ!
剣が抜かれ、傷口がより深く抉られた。大量に出血する。傷口を押さえた手が、真っ赤に染まった。
ウルカヌスは、動けないディアスに、
「切り裂け、<白光斬>。」
光の刃を浴びせた。
ドスドスドスドスッ!
わざと急所は外されていた。両腕、肩、太ももや背中から、鮮血が飛ぶ。
「…治…せ、…<白癒光>…。」
途切れ途切れの虫の息で、ディアスは何とか魔法を紡ぐ。乳白色の柔らかな光に包まれ、傷口が塞がる。
ディアスは、ふらつきながら、何とか立ち上がった。
ウルカヌスは、<白煌剣>を弄びながら、その様子を眺めていた。邪魔しようとすれば、いつでもできた、という余裕を漂わせ。
「無駄なことを。」
憐れむように、蔑むように。
「傷が塞がっても、もはや勝ち目などないというのに。」
治癒の魔法は、血を止め、傷口を跡形もなく消す。
しかし、失った血液がもどるわけではない。体力が回復するわけでもない。
そんなことは、百も承知だ。
歴然とした実力の差も。
このウルカヌスは、相当の実戦経験がある。太刀打ちできる相手ではないと。
(だからって、あきらめるわけにいくか…!)
ディアスは、唇をかみしめた。
「穿て、<青雹弾>!!」
天から、ウルカヌス目がけて、氷塊がいくつも降り注ぐ。当たったとたんに、地面が凍りついた。
しかし、ウルカヌスは、マントをなびかせ、舞でも踊るように優雅にかわす。その栗色の髪一筋すらも、凍らせることはできない。
「無駄だというのに。<アカデミア>の天才児も愚かになったものですね。」
全ての氷塊をよけきったウルカヌスが、唇に嘲笑を刻んだ。
ディアスは、がくりと膝を折った。否。崩れ落ちた。
「…限界のようですね。」
ウルカヌスが、嗜虐的な声で言う。<白煌剣>を構え、ディアスに近づく。
ディアスは、火のような目でウルカヌスをにらみつけ、動かない。
ウルカヌスが、ディアスの胸に、<白煌剣>をぴたりと当てた。
つ、とかすかに刃先を喰いこませた。
つーっと、鮮血が伝っていく。
ウルカヌスの瞳が、残酷に煌めいた。
ディアスの胸を、<白煌剣>が、貫いた。
「!!」
胸から、噴水のように鮮血が吹き出した。
がはっと、大量に喀血する。
大地を血の海にした。
「これが、最後です。フェレトは、どこですか?」
ディアスの唇が、かすかに動く。血がふきこぼれる。
「聞こえませんよ。」
ウルカヌスが、一歩近づいたとき。
ディアスは、両手で剣を握るウルカヌスの手をつかんでいた。
「!」
ウルカヌスの顔色が、初めて変わる。
どこに、こんな力が残っていたのか。瀕死の重傷を負っているとは思えない凄まじい力。
ふりほどけない。
ディアスは、残りの力をかき集める。
流血は止まらない。一滴ごとに、体力どころか命が削られていくのがわかる。
それでも、この手だけは、絶対に離すわけにはいかなかった。この至近距離なら、よけられない。
唯一の勝機。
(力を貸してください、フェレトさま!)
渾身の力で、最後の魔法を放つ。
「吹き荒れよ、<緑風刃>!!」
うなりを上げる、暴風。大気の暴走。全てを薙ぎ倒し、切り刻む。
荒れ狂う風の刃が、ウルカヌスを直撃した。
☆
呼ばれた気がした。
耳ではなく、魂に突き刺さってくる、悲愴な声で。
自分の周囲に、二重に築かれていた魔法、<金剛壁>と<幻白光>が、同時にかき消えた。
魔法を施した魔法使いの意志で消したのか、魔法を維持する力が尽きたのか。
答えは明白だった。
フェレトの目の前で、ディアスが崩れ落ちる。
胸を剣で貫かれ、全身を血に染めて。
「ディアス!!」
倒れる直前で、フェレトがディアスを抱き留めた。
息を確認し、かすかに安堵する。フェレトは、ディアスの胸に手をかざした。
「駄目です、フェレトさま。」
ディアスの細い指が、胸にかざされたフェレトの手をつかんだ。その指に、力は少しもこもっていない。
ほとんど吐息だけで、ディアスは言う。
「少し、休んだくらいで…回復なんか、していないでしょう…。オレは、大丈夫ですから、魔力は、温存して…。」
「寝言は寝て言え。」
フェレトは、怒りを通り越して呆れた。
血まみれで、息をするのもやっとの状態で、何を言っているのか。
「すみません、フェレトさま。…あなたを、守れませんでした。あいつを、倒せなかった…。」
ごぼっと、桃花の唇から、鮮血があふれる。
フェレトは、ディアスの指から手を引き抜いた。唇からあごに伝わる血をぬぐい、再び手をかざす。
「消し去れ、<漆黒蝕>。」
闇色のベールが、ディアスの胸に刺さった<白煌剣>を覆う。暗黒に侵食され、光の剣が消え失せる。
「治せ、<白癒光>。」
柔らかなミルク色の光が、ディアスの全身を包み込んだ。すうっと痛みがひいていく。暖かく大きな力が体を満たす。それは、生まれる前にまどろんだ、原初の海の記憶のような。
ディアスは、目を伏せた。長いまつ毛が頬に淡い影を落とす。
フェレトの顔が、まともに見られない。声が震えた。
「駄目だって、言ったじゃないですか…。」
「自分の師匠を信用しろ、馬鹿。」
言葉と裏腹の優しい手つきで、フェレトはディアスの額に、ぽんと手を置いた。ゆっくりと、ディアスを横たえる。
嵐のように立ち上がる。深緑のマントが、ざっとなびいた。
フェレトの海の色の瞳が、荒れ狂う感情の波を宿して、ウルカヌスを見据える。
ウルカヌスは、全身に風の刃を受けながら、それでも平然と立っていた。
頬を、手を、肩を、腹を、足を、鮮血が伝っていく。かわしきれなかったが、全て急所はさけた。
考えてできることではない。体にしみついた、幾多の実戦の記憶が、無意識にそれを可能にした。
ウルカヌスが、手の甲から流れる血を、ぺろりと舐めた。くすくすと笑みをこぼす。
「怖い目ですね、フェレト。そんなにディアスくんが大事ですか?」
「茶番は終わりだ。」
フェレトの声は苦い。
万に一つの可能性。それを、考えていた。
自分の目で、死体を確認してなお、捨てきれなかった可能性。
こうして対峙してみれば、間違えるはずがない。
「アレク。」
「!」
ウルカヌスの表情が凍りついた。
ぱきん、と。
仮面が割れる、儚く空虚な音がする。
「あはは。」
口を開けて、無邪気に笑う、年よりずっと幼い笑顔は、ウルカヌスとは完全に別人だった。
翻るマントは、純白。
小柄で華奢な肢体。十八、九にしか見えない少年めいた面差し。
風に舞う艶やかな黒髪。頬を流れる鮮血よりも赤い、柘榴石の瞳。
ディアスが、紫の瞳を零れ落ちそうなほど大きく見開いた。
「嘘だ。」
この目で、死体を見た。
「どうして。」
呆然と呟きながら、ディアスはどこかで納得もしていた。
やはり、ウルカヌスではなかったのだと。
そして、彼である以上、ここは二人だけの世界だ。
(悔しいけど、オレの出る幕じゃない。)
事実、本来の姿に戻ったアレクト・エリニュスは、ディアスを一顧だにしなかった。フェレトだけに、その真紅の双眸を向ける。
「フェレト、どうしてわかったのさ。」
小首をかしげて尋ねる様は、最後に会ったあの日と同じ。まるで何事もなかったかのように、いつも通りの、日常の続きのような。
「ディアスは、おまえの部屋は薔薇の香りがしたと言った。シーツが吸いきれなかった血が、床に流れ落ちているなら、血は乾いていない。その状況で、薔薇の香りなんかするはずがないんだ。血の臭いにかき消されて。」
フェレトも、その紺碧の双眸に、アレクトだけを映す。
「おまえの<幻白光>は完璧だが、操れるのは視覚だけだ。だから、死体を燃やして見せた。手を触れられれば終わりだからな。」
フェレトたちが見たアレクトの死体は、魔法で作りだした幻影。光の魔法を極めた賢者の幻覚は、限りなく本物に近い。ウルカヌスの姿も、本人と見分けがつかなかった。ディアスが感じた違和感は、ウルカヌスの言動にであって、外見から気づいたわけではない。
「だけど、そんなことは関係ねえよ。」
フェレトが、組み立てた推理を、ばっさりと切り捨てる。
「オレが、おまえを見間違えるわけがねえ。」
青と赤の視線が強く絡んだ。
二十年近い付き合いの幼馴染。フェレトとアレクトは、ずっと共に会った。誰よりも近い場所に。
絶対の信頼を置いていた親友だった。
魔法の技を競い合うライバルだった。
フェレトの声は静かだったが、その奥に全てを焼き尽くす激怒を孕み、アレクトの肌を粟立たせた。
「答えろ、アレク。これは一体何の真似だ。」
嘘もごまかしも通用しない。口先だけの言い訳を切って捨てる本気の怒り。
もちろん、アレクトも、ここでフェレトを言いくるめようなどと、思ってはいない。
むしろ、アレクトはフェレトに真実を告げることこそが目的だ。
「いい顔だね、フェレト。」
楽しそうに、本当に満足そうに、アレクトは紅の瞳を細める。天真爛漫にも見える、いつものアレクトの笑顔。満腹の猫が喉を鳴らしているような。
「ボクは、ずっとずっと、キミのそんな顔が見たかったよ。」
この想いが、いつから自分に巣食っていたのか、アレクト自身も知らない。
気がついたら、心の奥底に…引き抜けば魂ごと壊れるほど深くに根付いていた、暗い欲望。
「ボクは、キミを本気で怒らせてみたかった。キミを出し抜いて、罠に嵌めて、追い詰めてやりたかった。」
アレクトは、ゆっくりと、フェレトに向かって歩き出す。
揺れていた純白のマントが止まる。
真紅の瞳に影を落とす、長い睫毛の一本一本まで鮮明に見える距離で。
「ボクは、キミに勝ちたかった。だって、ボクはキミに一度も勝てたことがないから。」
アレクト自身が、一流の魔法使いであるからこそ、そして誰よりもフェレトのそばにいたからこそ、肌で感じていた。
フェレトとの絶対の差を。壁の厚さを。
どうしても敵わないことから生まれた苛立ち。いつしか身を焦がすほどに大きくなった嫉妬の炎。
それを宿して見上げてくる、緋の瞳は、フェレトにとって見慣れた親友のもの。けれど、初めて見る表情だった。
「…オレに勝つために、自分を殺したのか。」
フェレトは、吐息だけで呟いた。痛みをこらえるように、唇を引き結ぶフェレトを下からのぞきこみ、アレクトはあっさりと肯定する。
「キミに勝てるなら、ボクは何もいらなかった。自分自身にだって、未練は無いよ。」
アレクトは、「アレクト・エリニュス」を自らの手で社会的に抹殺している。もう、<星の塔>にアレクトが帰れる場所は、どこにも無い。
フェレトの青い瞳が、辛そうに細められた。
「おまえ、そんなにオレが憎かったのか?」
今まで築き上げてきたものの全てを、捨ててしまえるほどに。
「ちがうよ。」
アレクトは首を振った。肩につかない黒髪が、さらりと揺れる。
「ボクはキミが好きだよ。だから、離れたくなかった。離れられなかった。」
そばにいるのが辛くても、隣にいたかった。
「信じてもらえなくていいけれど、今でも友達だって思ってる。でも、だから…キミに勝ちたい。」
アレクトは、ふと瞬きした。ひどく寂しい微笑みが、その頬に広がる。
「フェレトにはわからない。わからなくていいよ。キミは、ボクとはちがって、まっすぐだから。昔のキミは、冷たくて鋭くて、人を寄せつけない刃みたいだったけど…あの頃も今も、キミは純粋だ。」
昔を懐かしむように、うっとりと遠い目で。
「キミは変わったね。でも、昔のキミも今のキミも好きだよ。誰よりも強いフェレト。ボクの大事な親友だ。」
にこりと。
それは、光の花が咲き、風に舞い散るような華やかな笑顔。
フェレトは、ただ、事実だけを伝えた。
「おまえが、オレを変えたんだ。」
共に過ごした日々が。隣で笑いあった時間が。その積み重ねこそが、絆だった。
力だけが全てではないと、フェレトに教えたのは、アレクトの存在そのもの。
フェレトは、アレクトが自分のために流してくれた涙に救われた。あの夜を、フェレトは一生忘れない。この先もずっと、フェレトの芯を支えるもの。
アレクトは、虚を突かれたように、え、と呟いた。
幼な子のように見開かれた瞳が、驚愕に染まる。
「…そう。そうだったんだね…。」
視線を落としたアレクトが、薄紅の唇でふふっと笑う。成人男性にしては細い肩が震え、マントが揺れる。
「ごめん、フェレト。それでも、ボクは…ボクは、キミに勝ちたい。」
再び親友を見上げた赤い瞳。
後戻りはできないのだと、語っていた。
これは、人生を賭けた勝負だ。
ここで降りたら、一生後悔する。
「わかった。」
フェレトは頷いた。アレクトの覚悟を丸ごと受け止めて。
「おまえが始めたことなら、幕を引くのはオレの役目だ。」
アレクトがそう望むなら。
全力で迎え撃つ。
一切の容赦なく、完膚なきまでに。
それだけが、フェレトがアレクトに示せる、友情の証。
(ありがとな、ディアス。)
心の中で、弟子にささやく。ディアスが命がけで時間を作ってくれたから、今、ここでアレクトを倒せる。
二人の賢者が、全く同時に叫んだ。
「吹き荒れよ!全てを薙ぎ払う嵐、天すら落とせ、<緑風刃>!!」
「切り裂け!全てを照らす光、闇すら切り刻め、<白光斬>!!」
最強の風。
究極の光。
至近距離で、真正面から激突した。
衝撃で、木々が弾け飛び、大地が砕け、空が割れた。
世界が停止する。
時間が凍りついた。
それは、永遠のようでありながら、実際には刹那。
最後に立っていたのは、フェレトだった。
<白光斬>が、その身に無数の傷を刻み、全身血まみれだったが、それでも揺るぎなく。
「やっぱり、ボクはキミには勝てなかったね…。」
<緑風刃>は、アレクトの全身をズタズタに切り裂いていた。白皙の肌は真っ赤に染まり、アレクトは虫の息だった。アレクトが倒れた大地に、血溜まりが広がっていく。切り刻まれたマントの切れ端が、花びらのように風に舞う。
「でも、いいや。」
ふっきれたように、微笑んで。
「すっきりした。ごめんね、フェレト。」
大きな紅玉の瞳から、真珠のような涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう。」
それは、遠い日と同じように、透明に煌めいて頬に弾けた。
終幕
髪に、額に、ぬくもりが伝わる。いつの間にか馴染んだ感触。この大きな優しい手に頭を撫でられると、自分がとても小さな子どもにもどったような気がする…。
ディアスは、ゆっくりと目を開けた。
映るのは、見慣れない天井。おそらくは医務室だろうと、ディアスは察する。そして、青空の瞳。
「…気がついたか。」
フェレトが、低い美声でささやく。
ディアスは頷いた。まだ霞がかって、はっきりしない意識のまま身を起こしかけ、フェレトの手に肩を押さえられる。
「まだ寝とけ。どこか痛むか?」
ディアスは素直に従い、ベッドに寝転んだまま首を振った。
「特には。体は重いですが。」
「それくらい我慢しな。魔法で傷は塞いだが、血が足りてねーんだから。造血作用のある薬は飲ませたけど、回復にゃ時間がかかる。」
「はい…。」
全身がだるいのは、失血死寸前まで血を流してしまったからだ。
「無茶しやがって。」
フェレトに横目でにらまれ、ディアスは目を反らした。無理やり話題を変える。
「フェレトさま、オレはどれくらい寝ていましたか?」
ディアスの意識がもったのは、フェレトがアレクトを倒したところまでだ。その後どうなったのかは分からない。
「丸一日だ。もうすぐ昼だぜ。」
「そうですか、あの…。」
ディアスは、彼にしては珍しく、遠慮して言い淀む。目を伏せて聞いた。
「<光の賢者>様は…どうなるんですか?」
「<元老院>で会議中だ。」
フェレトは、感情を含まない声で答えた。
「<元老院>の会議なら、賢者も出席するんでしょう。いいんですか、こんなところにいて。」
「ちゃんと出てるぜ。今、休憩中だから、おまえの様子見に来たんだよ。」
さすがに、今回はさぼれねえだろ、と言い添えた。
議題は、<光の賢者>、アレクト・エリニュスの処分について、なのだから。
「賢者の位剥奪に、<星の塔>を永久追放ってことになるだろうな。」
フェレトは、あえて、あっさり告げた。
結果だけを見れば、アレクトは誰一人として殺したわけではない。おそらく、ディアスを殺す気もなかっただろう。アレクトがそのつもりなら、いつでも簡単に殺せた。アレクトの狙いはディアスの命などではなかった。全て、フェレトを本気にさせるためにした行動。
だが、賢者は、<星の塔>に属する全魔法使いの範。その賢者が、<星の塔>を混乱させた罪は重いのだ。
光と影は等分。
名誉ある地位に在る者は、それに見合う責務がある。
だが。
ディアスは顔を上げ、フェレトに手を伸ばす。細い指が、フェレトの手をつかんだ。
「フェレトさまは…それでいいんですか…?」
ディアス自身は、騙され、罠に嵌められ、殺されかけたというのに、<光の賢者>を心底憎むことができないでいる。自分が寛大でも穏和でもないことは自覚しているので、不思議なのだが。
(だって、フェレトさまを救ってくれたのは、<光の賢者>様だ。それに、今でも、フェレトさまは、<光の賢者>様を…。)
「あいつ自身が、どんな処分でも受けますって言ってんだから、オレもウルカヌス先生も、どうしよーもねーだろ。」
フェレトが、ため息混じりに言う。
「あいつは、あんなツラして頑固なんだよ。」
苦笑が混じる。
「全部覚悟の上で、しでかしたことなんだろ。」
寂しそうな笑みだ。痛みをこらえるような、師のそんな表情をディアスは初めて見た。
誰よりもそばにありながら、親友の苦悩に気づかなかった自分を責めているのだろう。
フェレトさまのせいではありません、と言いかけて、ディアスは寸前でその言葉を呑みこむ。その言葉を言う資格は、自分にはないとわかっているから。それを言って許されるのは、アレクトだけだから。
ディアスは、フェレトの手をつかんでいる指に、ぐ、と力を込めた。
「フェレトさまっ…。」
どんな言葉をかければいいかわからない。泣きそうな顔で見上げてくる弟子に、フェレトは笑ってみせる。
「心配すんな。そんなに落ちこんじゃいねーよ。」
その声には、虚勢ではない、本当の強さがあった。
「アレクが生きてたんだからな。」
澄み切った、青い瞳。
全てを呑みこみ、受け入れ、なお輝きを増す、雄大な海の青。
「いいさ。どんなことしでかしても、生きていてくれたからそれでいい。」
アレクトが死んだと思ったあの時の恐怖と絶望に比べれば。
生きてさえいれば、また会える。ここではない、どこかで。わだかまりを乗り越えて、再び笑い合える日を信じられる。
(ああ、そうか…。)
ディアスは、やっとわかった気がした。
どうして、フェレトがアレクトの計画を見破ったのか。
親友の死を前に、冷静だったからではない。
その逆。
アレクトの死を認めたくなかったから、万に一つの可能性に賭けた。
必死で探した。アレクトが生きている可能性を。
その愚かなまでの一途さが、真実をつかんだ。
「フェレトさま。」
ディアスがふらつきながら、身を起こす。フェレトの手を握りしめたまま。
今度はフェレトも止めなかった。
まっすぐにぶつけられた視線に、覚悟と決意を読み取って。
ディアスは、食い入るように、師を見つめる。
フェレトは、弟子の視線を受け止めた。
「オレは、<光の賢者>様の代わりにはなれません。なりたいとも思いません。」
フェレトにとって、アレクトがどれだけ大切か、知っている。
二人の間にあった、親密で特別な空気。フェレトは、アレクトにだけは甘えるような無理を平気で言って、アレクトはフェレトにだけは、遠慮も容赦も気遣いもしなくて。
「だけど、あの人とは違う形で、あなたを支えてみせます。」
それはまるで、宣戦布告のように。
つながれた手から、ディアスのぬくもりと思いが、流れ込んでくる気がする。
フェレトの耳に、跪いたディアスの誓いが甦る。
『御恩は生涯忘れません。フェレトさまに救っていただいたこの命、必ずフェレトさまのために使います。』
フェレトが笑った。
それは、今までディアスが目にしてきた中で、一番うれしそうで、一番魅惑的で、思わず見惚れるような笑顔だった。
「生意気言ってくれるぜ。」
ありがとう、の代わりに、そんな台詞を投げながら、フェレトは思う。
自分の愛弟子は、いつか、本当に強い魔法使いになるだろう。
終
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マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
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