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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。
話し合いは決裂。
しおりを挟む慎悟から「帰れ」と言われた三浦君は、しばし沈黙していた。私は慎悟の肩に顔を埋めていた上に、三浦君に背中を向けていたので、彼がどんな顔をしているかまでは窺えなかった。
「…慎悟」
「いいんだ」
私のせいで慎悟とその親友の友情がダメになってしまった気がして、恐る恐る声をかけると、慎悟は私の言葉を遮るように返事した。私が何を言うかを予測していたようだ。
後頭部を優しくナデナデして、私を安心させようとしているのがわかる。辛いのは私だけでなく慎悟もだろうに、私のことを心配してくれている。
私は彼らが仲違いすることを望んでいるわけじゃない。彼らは彼らで付き合っていけばいいだけの話だ。私と三浦君が仲良しこよしする必要はまったくないのだ。
それとも、このまま二人の仲が悪くなってしまうのは致し方のないことなのだろうか…
「……慎悟、お前、そんなやつじゃなかったのに…」
三浦君は途方に暮れたような、失望したような呆けた声を出した。
「言ったろ。打算で動いていたら後悔したから、それをやめたって」
それに対して慎悟ははっきりと答えた。
確かに慎悟は、私と出会った頃とは大分変わった気がする。少なくともこんなにベタベタするような性格ではなかったな。去年の私の天に召され事件は彼にとってトラウマかつターニングポイントになったらしい。
「…その女のせいか。その亡霊の…」
「それ以上彼女を傷つけるような発言は控えてもらおうか。…お前のやっていることは、果たして俺のためなのか? …ただ、善意を押し売りしているだけじゃないのか?」
…まぁ、私が憑依した亡霊とかそういうことは置いておいて……興信所を使って友人の恋人の身辺調査するのは、いくらなんでも度が過ぎているなって思う。…多分三浦君は、慎悟の相手が誰であろうと調べたんじゃないかな。
友人を心配するのはわかるけど、慎悟の交際相手の身辺調査は慎悟の両親・親族がすることであって、友人の三浦君がすることじゃないと思うんだな。
「…その女は、死んだ人間なんだぞ、そんな相手と一生を共にすることが異様なことだとわからないのか?」
「俺だってそれは悩んださ。この人の立ち位置は複雑過ぎる。この世にはいないはずの人間なんだって何度も自分に言い聞かせた。悩んで悩んで…その結果、俺が後悔しない道を選んだ。ただそれだけだ」
そりゃそうだよね。慎悟は恋に浮かれる性格じゃない、彼なら冷静に損得を考えて行動していたに違いない。
私に好きだと告げるまでに色々考えることも多かっただろう。慎悟の立場なら尚更、家の利益を考えなければならなかったのだろうから。それでも私を選んだってことは……
「二階堂さんの身体を奪った人間だぞ!? おかしいだろ、この世の理から外れている!」
「生きることを放棄して、笑さんに丸投げしたのはエリカの選択だ。笑さんは何も悪くない」
ギュウッと慎悟の腕に力が入った気がした。ちょっと苦しかったが、口を挟める雰囲気じゃないので私は黙っていた。
始まりは私が刺殺された後、あの世でエリカちゃんに引きとめられたのが始まり。……もしも、あの時私が憑依しないでスムーズに転生していたら、エリカちゃんはきっと今もここにいたはずだ。
エリカちゃんにとっては、あれが苦渋の決断だったんだろう。彼女を庇って死んだことで失ったものは多かったけど、私は何も得なかったわけじゃない。憑依したからこそ、かけがえのない存在ができた。
だからこそ、エリカちゃんの人生を奪ってしまったその代わりに、私はエリカちゃんの分まで生きて幸せになると決めたのだ。慎悟はその中に必ずいなければならない存在だ。
「エリカの選択には思うことはあるが……それでも俺はこの人と再び会えたことを感謝している。……俺はこの人を選んだんだ。三浦、お前の指図は受けない」
「……何だよ…それ……」
──コンコン
呆然とした様子の三浦君の声と重なって、客間の扉がノックされる音が響いた。彼らの会話もそこで一旦中断される。
私は慎悟の腕からそっと離れると、目元を手の甲で拭って扉を開けた。扉の向こうにはお手伝いさんの登紀子さんがいて、彼女は私の顔を見てハッとしていたが、空気を読んでこの場では何も聞かずにいてくれた。
「ご歓談中の所申し訳ございません、エリカお嬢様、家庭教師の井上様がいらしていますが…」
「あ…そしたらリビングにご案内してもらって…」
「…お取り込み中でしたら、また日を改めましょうか?」
死角に入っててわからなかったが、井上さんは登紀子さんの後ろにいたらしい。私は扉から顔を出して井上さんに挨拶をした。
「井上さんこんにちは。大丈夫です…もう帰ってもらうので」
「…そうですか?」
井上さんはいつもの淡々とした表情だが、心配そうにしているのが声音でわかった。
扉も厚いし、防音機能のある部屋なので今までの会話は聞こえていないであろうが、ちょっと焦ってしまったじゃないか。
「悪かったな…ここまで時間が押すとは思っていなかったから」
「いいの、慎悟は何も悪くないでしょ。…悪いけど、あとのこと頼むね」
出入り口で話をしていた私の後ろにやってきた慎悟に声を掛けられたので、後始末を彼に任せた。多分、ここで私が何を言っても三浦君は納得しない気がする。それに私も彼と会話するのがしんどくなって来た。
いくら私が脳筋でも、傷つく時は傷つくのだ。慎悟の親友でも仲良くは出来そうにない。
慎悟も私の気持ちを察して、申し訳無さそうな顔をしている。そんな顔しないでほしいな。慎悟のそんな顔見たくないよ。
気にしなくていいよという気持ちを込めて彼の手をそっと握った。
「…あぁ、彼が噂のファビュラスな慎悟君ですか」
「…………え?」
そこで空気を読まない発言をしたのは、まさかの井上さんである。井上さんは顎に手をやって感心したように頷くと、慎悟をまじまじと観察していた。まるで芸術品を鑑賞する専門家のように。
「エリカさんからお噂はかねがね。どうもはじめまして、家庭教師を担当しております井上と申します」
「……はじめまして、加納です…」
「なるほど、ファビュラスですね」
井上さんに挨拶をされたので慎悟もそれに返していたが、その美麗な顔はひきつっている。井上さん、どうして今そのことを口に出しちゃうの?
慎悟がサッと私に視線を送ってきたので、誤魔化すようにニコッと笑ってみた。だが、彼の疑惑はますます深まるのみ。
別に悪口を言っているわけじゃない。何故そんな疑いの眼差しを向けてくるのか。
「エリカお嬢様は加納様のことが大好きですものね。いつも惚気話をごちそうさまです」
「ちょっと登紀子さん! ここでそれを言わないでくださいよ!」
場の空気を和ませようとしたのかは定かではないが、登紀子さんまでそんな事をバラしてしまう。恥ずかしいなぁ、皆の前で言わなくてもいいじゃないの!
先程までのシリアスな空気から一変して、慎悟は急激な羞恥心に襲われているようであった。蜜たっぷりのフジリンゴのように紅潮している。
紅顔の美少年、眼福である。
「…紹介の仕方がおかしいだろ。なんだよファビュラスって…」
「いやだって、慎悟ハイスペックじゃない、表現するとしたらファビュラスがぴったりだと思って…」
「やめろ、その表現は本当にやめてくれ、恥ずかしい」
「だってさぁ、美形、秀才、スポーツそこそこ出来る、お坊ちゃん、女性にモテるでしょ? その上一途で優しいんだもん。もう伝説レベルじゃん。私、慎悟以上の男にお目にかかったことがないよ。自慢なんだよ」
「だから…」
慎悟は赤面した顔を手のひらで覆って黙り込んでしまった。どうやら言葉が出ない様子である。
私は決して馬鹿にしているわけじゃない。本気ですごいと思ったからそう表現しただけである。私にはもったいないファビュラスな彼氏なんですよって皆に自慢しただけだよ! もっと喜んでよ!
「いい意味で言っているんだよ? 別に馬鹿にしているわけじゃなくてさ」
「…もういい、わかった。もうそれ以上そのファビュラスって単語を使うな」
「じゃあどう表現したら良いのよ。私そんなに語彙力ないのに」
慎悟は更になにか言おうする素振りを見せたが、ため息を吐いて何かを言うのをこらえた。そして、腕を伸ばしたかと思えば、私を客間から追い出すかのように背中をグイグイ押してくるではないか。
「あんたは勉強して足りない語彙を補ってこい」
「もー…わかったよぉ…」
そう言われてしまえば反論はできない。勉強は大事だものね。元々限られた時間で話を聞くつもりだったし、話が決裂した今、私が三浦君と会話するメリットがなにもない。ここにいてもなにも進展は見られないであろう。
お見送りはしなくてもいいだろうかと後ろを振り返ると、放置されたままの三浦君の顔が視界に入ってきた。
彼はなんだかポカーンと間抜け顔を晒していた。口なんてゆで卵が入りそうなくらい大きく開けて……どうしたのであろうか。
「夜に連絡する。後は任せておけ」
「うん…」
後ろ髪引かれる思いだが、私に出来ることはもうなかった。
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