呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

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一章

贖罪の方法

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 ―――昼休み。
 購買で買ってきたパンを食べを終えた俺は旧校舎の廊下を歩いていた。図書室に向かうためだ。しかし本に興味があるわけではない。そもそも俺は読書家じゃない。目的は別にあった。
 旧校舎の廊下は板張りで、歩くたびにギシギシと嫌な音が鳴った。ここは季節を問わずじめじめしており薄暗く気味が悪いので、ほとんどの生徒は寄り付かない。元々老朽化が原因で今の教室がある新校舎が設立されたのだが、どういうわけか図書室だけは未だにこの旧校舎から移されていなかった。
 図書室の入口前まで行くと、俺はそこで靴を脱ぎ、簀子の上に置いてあったスリッパに履き替える。中は土足厳禁だ。
 扉を開けると、中の暖気がむわりと顔にまとわりついてきた。利用する生徒はほとんどいないにも関わらず、この図書室は、無駄に年中空調が充実している。半年前の夏は、教室のうだるような暑さから逃れたくて、よくこの図書室にお世話になっていたものだ。
 外との寒暖差に少し顔をしかめながら中に入ると、俺は目的の人物を探した。予想通りと言うべきか、部屋の中にはほぼ誰もいない状態だったので、その人物はすぐに見つかった。
 彼女は部屋の奥にある窓際の席で、静かに本に目を落としていた。
 規則正しく並べられた机の間を通って、俺はゆっくりと彼女に近づいて行く。
 スリッパとカーペットの擦れる音が、静かな図書室によく響いた。
 自分に近づいてくるその音に気が付いたのか、彼女が顔を上げる。ちょうど俺と目が合った。
 彼女は少し驚いたような顔をした。
「久しぶりだな、さよ」
 片手を上げて、なるべく自然に俺は声を掛ける。
 彼女の左隣の席が空いていたので、俺はそこに腰を下ろした。
「……本当に久しぶりですね」
 彼女は読んでいた本をパタンと閉じると、こちらに身体を向けた。
 頭の両端に結ばれた純白のリボンが、小さく揺れた。
「あの件以来ですか」
「……ああ」
「急にどうしたんですか?」
「ちょっとな」
 彼女の問いかけに俺は言葉を濁し、机の木目に視線を落とした。
 彼女は俺より一つ上の先輩で、名前は神崎さよ。昼休みには大抵この図書室にいるため、ここに来ればほぼ必然的に彼女に会うことができる。
 彼女と初めて出逢ったのは半年前の夏のこと。ひょんなことから俺は彼女に興味を持ち、そこからある出来事を通して彼女との関係が深まっていった。
 彼女は、この町の外れにある神社の娘で、そこで巫女を務めている。しかしただの巫女ではなく、彼女には不思議な力を扱える才能があった。彼女曰く、それは自分の内に宿る〝霊力〟が他の人よりも極端に多いからだということらしいが、詳しいことはわからない。ただ事実、彼女は常識では考えられないような力を行使することができ、実際に、俺はそれを目の当たりにした。この世には、俺の理解が到底及ばない世界があるのだと思い知らされた。
「何かあったんですか?」
 彼女が俺の顔を覗き込んでくる。
 黒くて大きな瞳に長い睫。桜の花びらのように小さな唇。肩のあたりまで伸びた艶やかな黒髪に、頭の両端に結ばれた純白のリボン。それらの要素がまるで相乗効果のようになって、彼女の持つ潜在的な美しさと可愛らしさを引き出している。いわゆる美少女と呼ぶにふさわしい容姿だ。
「……ちょっと、相談があってな」
 おずおずと俺は話を切り出した。
「相談ですか……?」
 彼女が小さく首を傾げる。
「ああ、夢のことで……」
 咳ばらいを一つしてから、俺は話を切り出した。
 今日見た夢の内容についてさよに打ち明けた。あの恐ろしい光景と痛みが脳と身体全体に染み込んで、どうしても忘れられなかったのだ。
 怖かった。恐ろしかった。
 しかし、その感情は、なにも彼女たちに対するものだけではない。
 本当に恐ろしかったのは、自分が本当は何を考えているのか、わからなくなってきたこと。
 今日まで、俺はあの二人を救えなかったという罪の意識に苛まれながら生きていくことが、自分にできる唯一の罪滅ぼしだと考えてきた。彼女たちもそれを望んでいるはずだと思ったし、俺自身もそうして生きていくべきだと疑わなかった。
 しかし今日の夢で、その根底が揺らぎ始めた。
 自分の本心がわからなくなった。
 俺は死にたいのか? 彼女たちに殺されたいのか? はたまた更なる苦痛を求めているだけなのか?
 わからない。
 彼女たちは俺にどうなってほしいのか? 何を望んでいるのか? どうすれば満足してくれるのか?
 考えても答えは出なかった。
 むしろ考えれば考えるほど、底の見えない真っ暗な海の中に落ちていくような感覚に襲われた。
 その苦悩に耐えかねて、俺は今こうして彼女を訪ねているのだ。常識外れな力に精通している彼女ならば、何か良い言葉や解決策を与えてくれるかもしれないと思った。
「……それは、大変でしたね」
 話を聞き終えた彼女は小さく息を吐いた。
「俺はどうしたらいいと思う?」
「…………」
「こんな夢を見たのは、あの事件以来初めてのことなんだ」
 事件―――というのは、およそ半年前にこの町で起こった連続放火・殺人事件のことである。俺のクラスメイト三人が殺され、その内二人の家が放火され全焼した。この町では前代未聞の凄惨さを極めた事件だった。
 その事件を、俺はさよと一緒に調べていた。正確に言うならば、彼女が調査しているところに俺が割り込んでいったという形だろうか。
 特に理由がなければ自ら首を突っ込んでいく必要はなかったのだが、俺にはどうしてもその事件の真相を突き止めなければならない理由があったのだ。それは、俺の幼馴染である小日向みらいが事件に関与しているかもしれないという疑いがあったから。彼女と事件の繋がりを否定したくて、俺は事件の真相に深く潜り込んでいった。
 だが、結果から言って、そんな俺の努力は徒労に終わった。
 事件にはみらいが密接に関わっていたし、そしてどういうわけか、そこには死んだはずの俺の妹、時坂初音の存在があった。彼女たちこそが、一連の事件の首謀者だったのだ。
 動機は、初音が中学時代に受けたイジメ。その怨みを晴らすために彼女たちは犯行に及んだ。初音が主犯でみらいがそのサポート役といった位置づけ。
 事件には呪いの力が使用されていた。〝呪力〟だ。全く馬鹿げた話だと思うが、俺はその力の凄まじさと恐ろしさをこの身で実際に味わった。そこに常識なんて言葉は通用しなかった。俺の理解が及ぶ範疇を優に超えていた。とてもじゃないが人間が使えていいような力には思えなかった。
 だが、そんな呪いの力に手を染めてまでしても、彼女たちの本懐は叶わなかった。標的は四人いたが、廃ビルの屋上で最後の一人を殺すよりも前に、初音の身体に限界が来た。呪いの代償が彼女の身体を蝕んでいたのだ。結果、悲願を果たせないまま、初音は俺の腕の中で静かに息を引き取った。
 みらいも死んだ。彼女の存在は既にこの世のものではなかったが、最後は初音の手によって殺された。みらいは、俺が四人目の標的を助けようとするのを止めなかった。そのことを初音に裏切りと捉えられ、拳銃で後ろから身体を撃ち抜かれたのだ。彼女は無数の光の粒子となって夜の闇に消えていった。
 二人の死を以って、事件は終息した。
 しかし俺は、最後まで何もできなかった。彼女たちを助けることもできなかったし、彼女たちの異変に気付いてやることすらできなかった。俺が見ていたのは、本当の彼女たちの姿ではなかった。俺はずっと、二人とは違う偽りの現実を生きていたのだ。
 なんと呑気なことだったか。
 あれほどまでに自分の不甲斐なさを痛感したことはない。自分の無力さを呪ったことはない。
 これ以上ないくらいに自分という人間が嫌いになった。
 それからずっと、俺はその罪を背負いながら生きてきた。娯楽は一切捨てた。必要最低限の生活のみをするように心掛けた。人生を楽しむ権利など、俺にはないと思ったからだ。
 二人のことを思い出さない日はなかった。罪悪感に苛まれない日はない。夜は悪夢にうなされ、起きてからは彼女たちのいない空虚な現実に苦しめられる。
 傍から見れば辛い人生だと思われるだろう。しかし俺はそれでいいと思っていた。これが罪を背負って生きていくことだと信じていたから。
 今日までは―――
「俺は、どうなりたいんだ? どうするべきなんだ?」
 彼女に訊ねる。
「本当は苦しむことで罪悪感から逃れようとしているだけなのか? 痛みに酔いしれて、気持ち良くなりたいだけなのか?」
「…………」
「自分という人間がわからないんだ。本心では何を考えているのか、わからない。怖いんだ」
「…………」
「このまま罪悪感に苦しみながら生きていけばいいのか? それとも首でも吊ってさっさとあの世に行けばいいのか? もしくはあいつらに呪い殺されればいいのか?」
 答えが欲しかった。
「教えてくれ……さよ」
 俺は彼女に向かって頭を下げた。
 しかし、
「すみません。それは、私にもわかりません」
 さよは申し訳なさそうに、静かに首を横に振った。
 そんな都合よく、彼女も答えを持ち合わせてはいなかった。俺を導いてはくれなかった。
「……そうか」
 俺の淡い期待は脆く散った。
 だがもちろん、彼女を責めることはできない。
 これは俺個人の問題。心理カウンセラーでもない彼女に助けを求めるのは、そもそもお門違いなのである。
「時間取らせて悪かったな。もう行くよ」
 小さくため息を吐くと、俺は立ち上がり、彼女に背を向けた。
 だがその時、
「時坂優」
 彼女が静かに俺を呼び止めてきた。
 首だけで振り返ると、薄い眉を下げて哀しそうな顔をした彼女と目が合った。普段あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しい表情だと思った。
「こんなことを言っても気休めにもならないとは思いますが……お二人はあなたのことを怨んでなどいないと思いますよ」
 俺の目を見ながらの、静かな声だった。
「死ぬ間際、彼女たちはあなたに対し、小言の一つでも漏らしましたか?」
「…………」
「あなたを憎むようなことを言っていましたか?」
「…………」
「あなたは背負い過ぎです。彼女たちの人生にまで、あなたが責任を感じる必要はありません」
「…………」
「もう少しだけ、楽に考えてみてはどうですか?」
「……ああ」
 俺は小さく頷く。
「ありがとう。そう言ってくれると助かるよ」
 それだけ言うと、俺は彼女を残して図書室を後にした。
 彼女の優しい言葉は俺の胸に確かに沁みてきたが、それでも、半年の時間をかけてゆっくりと堆積した罪悪感はそう簡単には消えてくれそうになかった。
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