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第一部 第三章 夢の灯火─レイナス団編─
愛する人 1
しおりを挟む──イルネルベリ城城壁、見張塔
眼前に広がる夕焼けに染まる広大な大地。
ノヒンが見張塔の頂上までくると、そんな心洗われる光景が広がっていた。
夕陽ならばニャールやトマンズでも数え切れないほど見てきたが、このイルネルベリで見る夕陽は少し違って見えた。それはノヒンの心の変化によるものだが、その変化にノヒンは戸惑っていた。
「……今回は助かったぜヨーコ……。やっぱここに魂……あんだな……」
ヨーコの魔石を握りしめ、ゆっくりと胃に酒を流し込む。食堂から持ってきた、この地方特産のスーリャと呼ばれる葡萄を使った果実酒。アルコール度数は高くはないが、葡萄の香りがふわりと香り、ほのかに甘い。
これならばヨーコも飲めそうだなと思い、コップの縁に魔石を触れさせる。
「ああそうだ……そういや持ってきたんだったな。ヨーコも食うか?」
ノヒンが腰元に付けた袋から、粉々に砕けた焼き菓子のクッキーを出す。イルネルベリに向かう前、家の前に落ちていたクッキーと砂糖菓子を拾って持ってきていた。
「驚くなよヨーコ? これよぉ……お前の妹が作ったんだぜ……? はは……すげぇ偶然だよなぁ……。こんなことあるんだな……」
粉々に砕けたクッキーの欠片を口に放り込み、スーリャで流し込む。クッキーは想像以上に美味しく、これなら店で出しても売れるだろうなと思う。
「……ちっ、うめぇじゃねぇかよ……。文句の一つでも言ってやろうと思ってたんだけどな……。うめぇ……うめぇよ……。なぁヨーコ……? 一緒に食いてぇなぁ……」
ノヒンの目からボロボロと涙が溢れる。これはいつもの事で、ノヒンが戦いの後に酒を飲み、ヨーコの魔石に語りかけながら泣かない日はなかった。だが今回はいつも以上に涙が溢れる。
「……すげぇヨーコのこと好きなんだ……。今でも愛してんだよ……。ヨーコのことぉ考えるとよぉ……マジで頭がおかしくなりそうなんだ……。でもな……俺……ヨーコの妹のことぉ……気になっちまってんだ……。はは……最低だよな……屑だ屑……。ヨーコは許してくれねぇよな……嫉妬深かったもんなぁ……」
ノヒンの中でも想いは固まっている。ジェシカが好きだ。だが……ヨーコのことは忘れられない。ジェシカに想いを伝えることが、ヨーコに対する裏切りになるような気がして胸が苦しくなる。
「……そういやぁランドも許しちゃくれねぇよなぁ……。たぶんぶっ殺されんだろぉな……。なぁヨーコ……? 俺ぁどうしたらいい……? ……ってヨーコに聞くのも最低だな……分かってる……分かってんだ……。もう心の中じゃ決まってんだ……。悪ぃヨーコ……俺はジェシカが好きだ……守ってやりてぇんだ……。許してくれるか……?」
魔石を手に取り、目の前に翳す。
「ノヒン……今のは……」
翳した魔石の向こうに、ジェシカが立っていた。
魔石とジェシカが重なり、一瞬だがヨーコが立っているようにノヒンには見え──
ヨーコの顔が寂しそうに笑った気がした。
「な、なんだジェシカ。目ぇ覚めたんだな? あれだろ? だいぶ無理したからよ、もうちょい休んでた方がいいんじゃねぇか?」
「誤魔化すなよノヒン! 私のことが好きだって! 今そう言っただろ! でも何故だ? 何故お前は泣いているんだ? 許すとはなんだ? やはりその魔石か? ヨーコとは誰だ? 前にも魔石を眺めながら泣いていたよな!? ……なあノヒン! バルマンと戦う前! 終わったら話したいことがあると言ったじゃないか! 全部話してくれるんだろ!? 知っているんだ! お前が何か痛みを抱えていることを! いつも聞きたくて……聞きたくて! 聞けずに! 私に……私にも! ……お前の痛みを背負わせてくれないか!?」
「……聞き間違いじゃねぇのか……? とにかくおめぇは……ぐうぅ……疲れてんだって……。ふぐ……うぅ……戻れ……戻ってくれねぇかな……。ぐふ……う……うぅ……悪ぃ……ほんと……悪ぃ……。ごめん……やっぱだめだ……怖ぇ……怖ぇんだよ……。今回だって怖かったんだ! また……また俺の大切なもんが壊されちまうってよ! もう……怖ぇよ……だから……戻ってくれ……。一人……一人でいいんだ俺ぁ……悪ぃ……」
「ノヒン! 逃げるなよ! こっちを向けノヒン!!」
ジェシカが駆け寄り、ノヒンを思い切り抱きしめる。ジェシカの姿がヨーコと重なり、ノヒンの心は激しく乱される。思い出したくもない、心を握りつぶされるようなあの日の光景。
手足が千切れ、目を潰され……
白濁した液体に塗れたヨーコの姿。
舌を引き千切られ、話すことさえ出来ないヨーコの姿。
自分が向かった時はまだ生きていた。
助けさえすれば、半魔のヨーコならば何とかなったはず。
心の傷は自分が傍らで支えながら癒せばいい。
だが……
ヨーコはもういない。
目の前で首を切り落とされ……
死んだ。
ノヒンが来たことさえ気付かず、孤独と苦痛の中で一人戦って……
「……うぅ……ぐふ……ぅ……うぅ……う……やめてくれ……やめてくれよ……。ごめんヨーコ……ま……守ってやれ……なくてよぉ……。うぅ……分かってる……分かってる……。い、痛かったよなぁ……怖かった……よなぁ……。うぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ごめん……ごめんなさい……。ヨーコぉ……死な……死なせて……。うぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ノヒン! 私は生きてる! 私は生きてるぞ! お前が! お前が助けてくれたんだ! なあノヒン!? 私を見てくれ! ノヒン!!」
ジェシカがノヒンの顔を抑えて語りかけるが、もはやノヒンにはヨーコにしか見えていない。目を潰され、暗い空洞となった二つの穴が、ノヒンをじっと見つめる。
「……頼むから……私を見てくれ……」
ジェシカがノヒンの唇に自分の唇を重ね、舌先から自身の体温を伝える。
「……んん……ぷは……なぁノヒン……? 私は私……だ。ヨーコ……ではないぞ? これまでのお前の行動を見ていて……おそらくだが……そのお前の大切なヨーコとやらは、私に似ているんだろ? だけどな……私は私だ。私を……見てくれないか……? 好きなんだ……お前が……」
「ジェシ……カ……?」
ノヒンの目に、苦しそうに笑うジェシカの顔が映る。
「そう……私はジェシカだ。聞いて……いいか?」
ノヒンが苦しそうな顔で涙を流し、力なく頷く。
「ヨーコはお前の目の前で……死んだのか……? あの時……か? ザザンの砦でお前と出会った……あの時……お前の大切な誰かが死んでいるのは分かった……。だがお前もラグナスも……何も話してはくれなかったから……」
「……話せねぇ……話せねぇよ……。無理なんだ……ダメなんだ……。お前にだけは……絶対に話せねぇんだ!」
「なぜだ!? なぜ私には話せない!? お前は初めて私を見た時『ヨーコ』と言った! それほどに似ているのか!? そんなわけがないだろう!? お前にとって大切な相手なら尚更だ! なんなんだ!? ヨーコとは……お前の心をそれほどに捉えて離さないヨーコとは! いったい誰なんだ!!」
ジェシカが絶叫し、しばらく沈黙が流れる。
時間にすればそれほどではないが、長い……
長い沈黙に感じられる。
ノヒンはいつかジェシカには話そうと思っていた。だがどうしても話せない。話そうとすると息が詰まる。目眩がする。
だからと言って話さないままでいられる問題ではない。
意を決したように、ノヒンが口を開く。
「……姉……だ。お前の姉……だ……」
「なん……だと……」
「……お前の姉……なんだよ! ヨーコは! 顔も声も瓜二つの姉なんだ!! だめなんだ! お前を見てるとヨーコが重なるんだ!! 痛てぇんだ! 心が! おかしくなりそうなんだ! 頭が!!」
「……嘘……だろ……? なあ嘘だろノヒン……? 私の姉さん? お前の大切な相手が? ザザンの砦で死んだのが私の姉さん? え……? あれ……? じゃあ……じゃあお前は私に姉さんを重ね……て……? それで……あれか? 私を守るように戦ってたのは……私をじゃなく……て? 私の中に姉さんを感じ……て? 嘘……だ……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!! じゃあなんだ!? 私はそれをお前の優しさだと勘違いして? 嬉しくなって? お前を好きになって? ……馬鹿……みたいじゃないか……馬鹿みたいじゃないか!! なあノヒン!? あれか? 話したいことってのは勘違いしてんじゃねぇよってことか!? 俺が見てるのはお前じゃねぇ! お前の中のヨーコを見てるんだ! ……って……そういうこと……か? やめろよ……。なんで……なんでなんだ……? じゃあ優しくするなよ……うぅ……うっうっ……勘違い……しちゃっただろ……? ……う……うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
ジェシカが泣き崩れ、絶叫する。
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