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第31話 使命を果たす
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私とマノンさんが庭から戻ってきた時、部屋はちょうど清掃が終わったところだったようだ。中にはまだ侍女が三人いた。
「エふぁリスとライあー」
掃除道具を片付け中の彼女らにお礼を述べていると、テーブルの上に新しい花が生けられているのが目に入った。青みがかった赤色のお花だ。針のような細い花弁が天を刺すように上向いていて、花の下のふくらみや茎は外敵から身を守るように棘に覆われている。
この生けられたばかりのお花にもお礼を述べようとしたところ。
「クリスタル様、このお花は」
私よりも先にマノンさんが声を上げた。
「ええ。とても愛らしいですね」
「何を呑気なことをおっしゃっているのです。この花は復讐とか報復という意味を持つものですよ。穏やかな花ではありません」
「そうなのですか? わたくしは存じませんでした。侍女の皆さんも深い意味でご用意したのではないのでしょう。サンティルノではその意味がないのかもしれませんし」
波風を立てるのを控えたくてそう言ったけれど、マノンさんにしては珍しく頑なに首を振った。
「そうだとしても、うっかり触れば棘で傷つきますし。クリスタル様のお部屋に飾るお花ではありません。変えていただきます」
私が止める前に彼女は、まだ部屋にいた侍女さんに指示している。その内、一人がマノンさんと私を交互に見た後、黙って小さく頷いた。
「あ。ス――」
「クリスタル様、どんなお花を用意していただきますか? 可憐なピンク色のお花にしていただきます?」
「え? あ、ああ。そうですね」
振り返ったマノンさんが尋ねてきたために、謝罪の機会を逃したまま、三人は掃除道具と花瓶を抱えて出て行ってしまった。
「わたくしはあの花でも良かったのですが」
「確かにお花に罪はありませんけど、それを生ける人間には罪がありますわ。クリスタル様は微妙な立場でいらっしゃるのですから。意図的にしたらなおのことですが、無知だとしても罪です」
「無知は罪ですか」
マノンさんの言う通りかもしれない。私は世界を知らない。何も知らない。このたびの戦争だってどのように起こったのか、詳しい実情は知らないのだ。いえ。祖国内だって何も知らないのだ。何も知らないというということは、何もできないということでもある。知らないことは罪というのはそのことだろう。
「あ! いえ! クリスタル様のことを申し上げているわけではないのですよ。ただ、互いにわざわざ火種を作る必要はないなと。近頃、屋敷内の雰囲気が……その。何だか重い感じですし」
マノンさんは少し言葉を濁したが、私にもその空気は何となく感じ取っている。私たちが屋敷内を歩いていると、侍女さんたちの表情が険しくなっている気がするから。言葉が通じなくも、悪意や嫌悪という人間の感情だけは万国共通なのかもしれない。
「わたくしが皆さんに色々聞いて回ったせいでしょうか」
「そんなことはないと思いますよ! むしろあれで他の侍女との交遊も広がったわけですし」
「ですがあの頃よりおかしくなっている気がします」
「そんなに気に病まないでください。私がまた皆に話しておきますから!」
「……ええ。ありがとうございます」
自分で説明する術を持たない私は、ただ彼女の言葉に頷くしかなかった。
「どうかしたのか。もう食べないのか」
夕食時、レイヴァン様の言葉ではっと顔を上げる。気付けば私はフォークとナイフを置いていた。この頃は頑張って食事を取っていたけれど、今日はまた久々にほとんど取れていない。
この言葉は何度も聞いているせいか、マノンさんが訳してくれる前に理解していた。それだけ私はレイヴァン様に気遣っていただいているということなのか。きっとそれだけじゃない。心の余裕が無かった自分では気づけなかっただけで、他の皆さんにも気遣ってもらっているのだろう。
「はい。とても美味しかったです」
反射的にグランテーレ語で答えてしまった。しかもレイヴァン様は別にお料理のことを聞いているわけではないのに。
言い直そうとしたけれど、すでにマノンさんが伝えている。
「クリスタル様、レイヴァン様が後で部屋に来てほしいとおっしゃっています」
「え? はい。分かりました」
一度私のほうから訪れたけれど、レイヴァン様から部屋に呼ばれたのは初めてだ。何のお話だろう。自室ということは聞かれては困るようなお話なのだろうか。何か咎められたりするのだろうか。
食事を続けるレイヴァン様を前に私は色々と想像していた。
「――え? わたくし一人ですか?」
夕食後、部屋でマノンさんに告げられた。
「ええ。レイヴァン様は、クリスタル様お一人でお部屋に来るようにとおっしゃいました」
マノンさんがいなければ、ほとんどお話しなんてできないのに一体何のご用なのだろう。
「これはクリスタル様念願の初夜ですね!」
「そう、なのですか?」
念願というわけでもないのだけれど。それにしても結局初夜というものは何だろうか。マノンさんに聞く機会もなかった。と言うか、何度も話を逸らされた。ただ、通訳のマノンさんが同席しないということは、初夜はベッドで一晩中語り合うということではなさそうだ。
「ええ! 間違いありませんよ。早速入浴のご準備をいたしますね!」
「はい。ではお願いいたします」
もしかしてレイヴァン様も、ここ最近の屋敷内の雰囲気を感じ取られたのだろうか。そこで二国間和平を皆に分かりやすい形で示すために、使命を果たそうと思われたということなのか。
当初は元敵国の王女をいつでも切り捨てられるように距離を置いていたレイヴァン様も、しばらく生活を共にしてそれなりに情を寄せてくださったのかもしれない。あるいはそろそろ周りに示さなければならないと思ったのかもしれない。責任感あるレイヴァン様のことだ。今がきっとその時と判断されたのだろう。私もまたグランテーレ国の王女として使命を果たそう。そう思った。
「エふぁリスとライあー」
掃除道具を片付け中の彼女らにお礼を述べていると、テーブルの上に新しい花が生けられているのが目に入った。青みがかった赤色のお花だ。針のような細い花弁が天を刺すように上向いていて、花の下のふくらみや茎は外敵から身を守るように棘に覆われている。
この生けられたばかりのお花にもお礼を述べようとしたところ。
「クリスタル様、このお花は」
私よりも先にマノンさんが声を上げた。
「ええ。とても愛らしいですね」
「何を呑気なことをおっしゃっているのです。この花は復讐とか報復という意味を持つものですよ。穏やかな花ではありません」
「そうなのですか? わたくしは存じませんでした。侍女の皆さんも深い意味でご用意したのではないのでしょう。サンティルノではその意味がないのかもしれませんし」
波風を立てるのを控えたくてそう言ったけれど、マノンさんにしては珍しく頑なに首を振った。
「そうだとしても、うっかり触れば棘で傷つきますし。クリスタル様のお部屋に飾るお花ではありません。変えていただきます」
私が止める前に彼女は、まだ部屋にいた侍女さんに指示している。その内、一人がマノンさんと私を交互に見た後、黙って小さく頷いた。
「あ。ス――」
「クリスタル様、どんなお花を用意していただきますか? 可憐なピンク色のお花にしていただきます?」
「え? あ、ああ。そうですね」
振り返ったマノンさんが尋ねてきたために、謝罪の機会を逃したまま、三人は掃除道具と花瓶を抱えて出て行ってしまった。
「わたくしはあの花でも良かったのですが」
「確かにお花に罪はありませんけど、それを生ける人間には罪がありますわ。クリスタル様は微妙な立場でいらっしゃるのですから。意図的にしたらなおのことですが、無知だとしても罪です」
「無知は罪ですか」
マノンさんの言う通りかもしれない。私は世界を知らない。何も知らない。このたびの戦争だってどのように起こったのか、詳しい実情は知らないのだ。いえ。祖国内だって何も知らないのだ。何も知らないというということは、何もできないということでもある。知らないことは罪というのはそのことだろう。
「あ! いえ! クリスタル様のことを申し上げているわけではないのですよ。ただ、互いにわざわざ火種を作る必要はないなと。近頃、屋敷内の雰囲気が……その。何だか重い感じですし」
マノンさんは少し言葉を濁したが、私にもその空気は何となく感じ取っている。私たちが屋敷内を歩いていると、侍女さんたちの表情が険しくなっている気がするから。言葉が通じなくも、悪意や嫌悪という人間の感情だけは万国共通なのかもしれない。
「わたくしが皆さんに色々聞いて回ったせいでしょうか」
「そんなことはないと思いますよ! むしろあれで他の侍女との交遊も広がったわけですし」
「ですがあの頃よりおかしくなっている気がします」
「そんなに気に病まないでください。私がまた皆に話しておきますから!」
「……ええ。ありがとうございます」
自分で説明する術を持たない私は、ただ彼女の言葉に頷くしかなかった。
「どうかしたのか。もう食べないのか」
夕食時、レイヴァン様の言葉ではっと顔を上げる。気付けば私はフォークとナイフを置いていた。この頃は頑張って食事を取っていたけれど、今日はまた久々にほとんど取れていない。
この言葉は何度も聞いているせいか、マノンさんが訳してくれる前に理解していた。それだけ私はレイヴァン様に気遣っていただいているということなのか。きっとそれだけじゃない。心の余裕が無かった自分では気づけなかっただけで、他の皆さんにも気遣ってもらっているのだろう。
「はい。とても美味しかったです」
反射的にグランテーレ語で答えてしまった。しかもレイヴァン様は別にお料理のことを聞いているわけではないのに。
言い直そうとしたけれど、すでにマノンさんが伝えている。
「クリスタル様、レイヴァン様が後で部屋に来てほしいとおっしゃっています」
「え? はい。分かりました」
一度私のほうから訪れたけれど、レイヴァン様から部屋に呼ばれたのは初めてだ。何のお話だろう。自室ということは聞かれては困るようなお話なのだろうか。何か咎められたりするのだろうか。
食事を続けるレイヴァン様を前に私は色々と想像していた。
「――え? わたくし一人ですか?」
夕食後、部屋でマノンさんに告げられた。
「ええ。レイヴァン様は、クリスタル様お一人でお部屋に来るようにとおっしゃいました」
マノンさんがいなければ、ほとんどお話しなんてできないのに一体何のご用なのだろう。
「これはクリスタル様念願の初夜ですね!」
「そう、なのですか?」
念願というわけでもないのだけれど。それにしても結局初夜というものは何だろうか。マノンさんに聞く機会もなかった。と言うか、何度も話を逸らされた。ただ、通訳のマノンさんが同席しないということは、初夜はベッドで一晩中語り合うということではなさそうだ。
「ええ! 間違いありませんよ。早速入浴のご準備をいたしますね!」
「はい。ではお願いいたします」
もしかしてレイヴァン様も、ここ最近の屋敷内の雰囲気を感じ取られたのだろうか。そこで二国間和平を皆に分かりやすい形で示すために、使命を果たそうと思われたということなのか。
当初は元敵国の王女をいつでも切り捨てられるように距離を置いていたレイヴァン様も、しばらく生活を共にしてそれなりに情を寄せてくださったのかもしれない。あるいはそろそろ周りに示さなければならないと思ったのかもしれない。責任感あるレイヴァン様のことだ。今がきっとその時と判断されたのだろう。私もまたグランテーレ国の王女として使命を果たそう。そう思った。
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