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第一章

□筋肉痛

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「バルザクト様、体がなんだか、思うように動かないんですが」

 食堂で並んで夕食を食べている最中に、シュラが顔を引きつらせてそう申告してきた。
 私は持ち上げていたスプーンを皿に下ろし、さもありなんと頷く。

「疲労は回復すれど、筋肉にかかった負荷は、筋肉の成長に必要だからそのままにしてあるからな。これから筋肉痛になるぞ、早く食事を終わらせて部屋に戻らねば、そこら辺で這いつくばることになる」

 私も何度行き倒れたことか。貴族出の騎士からは騎士の顔に泥を塗るなとか、平民出の騎士からはこれだから貴族のボンボンはなどと罵られ……。

 苦い記憶に蓋をして、ニヤリと笑ってみせる。

「もちろん行き倒れても拾いはせぬよ、だから早く就寝するといい。速やかに食事を終わらせ、ベッドに行きなさい」
「はいっ」

 ガツガツと食事を終わらせた彼を先に部屋に帰して、一人でゆっくりと少量の食事を終える。

 騎士を辞すれば腹一杯ご飯が食べられる、それまではこっそり木の実を食んで空腹をしのぐしかないのが少々辛いが……今日のように、うっかり触れられてすぐにわかるような、柔らかな体になるわけにはいかないものな。

 目論見通りに彼が既に就寝している部屋に戻り、彼から貰ったブーツ……日中、これをシュラに返そうとしたら、「もうバルザクト様で利用者が固定されているので、是非使ってください」と言われて詳しく聞くと、特殊な導具アイテムのなかには、利用者が固定されてしまうものがあるのだと教えられた。

 納得できなくてシュラに履かせようとしたが、爪先すら入れることができなかったことで、確かに私以外には履けないのだと理解した。

 そんな、価値を考えるのが恐ろしいブーツを履き直していると、「折角だから、これも着てみてください、大丈夫です、これは何枚も持ってますから!」と渡された黒い服に手を通すと、軽いうえに動きやすく……これも「利用者登録」され私専用になってしまったらしい。そんなにいくつも特殊な導具があるとは思わないじゃないか、今後は迂闊に物を受け取らぬようにしようと心に誓った。



 薄暮時の訓練場はいつも通りひとけがなく、自主訓練するにはいい時間帯だ。

 シュラからもらった服を着てブーツを履けば、闇に紛れてしまいそうだ。そうなると、この金色の髪は少々目立つだろうか? ……ふふっ、今度町に出たときに髪を隠す帽子など、探してみようか。

「ステータスオープン」

 わくわくする気持ちを理性で宥めて、極力小さな声でステータスを開く。前回見たままの数値だ、ただ、装備の性能が……。

「幻獣の糸から作られた服なんて、国宝級じゃないか」

 そして、彼が言ったように、これも本当に利用者の欄に私の名が気されており、私以外に装備できないことを示していた。深く考えるのはやめておこう、外見は普通の服だからありがたく使うことにする。

 訓練すれば数値が上昇すると言っていた、この数値がどうなるのか、正直楽しみで仕方がない。

 もうひとつ楽しみなのは、シュラに教えて貰った付与魔法の使い方だ。

 武器、防具以外にも使えるそれは、ブーツのみならず衣服にも付与できる。問題だった耐久力は、シュラがくれた国宝級の服と靴で解決された。

 ああ駄目だ、どうにもわくわくしてしまう。

 騎士はいついかなる時にも冷静であらねばならぬのに。緩む頬を自覚しながら、ブーツと衣服に素早さと、軽さ、そして防御力を上げる付与魔法を掛けた。

 その場で軽く跳ねてみれば、遺跡の時と同様、いやそれ以上に軽々と体が宙に浮く。

「わっ! おっとっと、これは、ちょっと加減が難しいな」

 着地でバランスを崩してつんのめったものの、どうしようかこれは凄く楽しい!

 もう一度、もっと力強く地面を蹴る。
 自分の身長よりも高く飛び上がり、空中で一回転して着地した。軽さを付与しているから、着地時も足に負担は掛からない。

「自分の体じゃないみたいだ……っ」

 試しに外周を走ってみるが、これもまるで背中に羽が生えたように体が軽い。服と靴に動きを補助されているのはわかっているが、自在に動く体に嬉しさがわき上がる。

 走ったその勢いのまま、立木を駆け上がれば、木の高いところまで到達することができた。

 少し上がった呼吸を整えるために、近くの枝に足を掛けて幹に腕を回したところで、ズンッと体が重くなり、慌てて幹にすがりついた。

「付与魔法が切れたのか。走ってる最中だったら、派手に転んだところだな」

 木の上とはいえ止まっていた時でよかったと安堵しながら、木の枝に座り『ステータスオープン』した。

「体力が減っているな、魔力も使ったから減っているが……思ったほどじゃないな。付与魔法の効果がある時間を把握しとかなくては。ああ、今度は握力も上げたいからグローブも欲しいな、そうすれば剣を使う時に付与できる」

 そうすれば握力の弱さで、情けなく剣を飛ばされることもなくなるに違いない。剣を落とすなど、騎士の名折れだと嘲笑されることもなくなるだろう。

「いや……駄目だな、こんな状態では……。もっと、自然に、誰にも感づかれることないように、付与できるようにならなければ」

 万が一、衣服等にも付与を掛けられると知られてしまえば、芋ずる式にシュラの特異性が知られてしまうかも知れない。

 彼が穏便にここで生きる為には、目立つような行動をさせてはいけないし、私も同じく目立ってはいけない。

 私はあと一年でここを離れるからいいが、残された彼に辛い思いをさせるわけにはいかない。いっそ、私が帰るときに一緒に領地に連れて行こうか? いや、あんな何もない辺境の地域に行かせるのは酷か、それに実家に預けるにしても、頭の固い偏屈な我が父がなんと言うか……。

 それにしても、自分の能力以上に体が動くというのは思いのほか楽しいな。楽しい――ああ、そうか久しぶりにとても楽しいんだ。シュラが来てから、久しく忘れていた感情を取り戻した気がする。

 顔を上げれば、梢の間からいつもよりも近い空があった。星々がきらめき、吸い込まれそうな夜がそこにあった。


   ◇◆◇


「しまったな……シュラのことを笑えん」

 翌朝、まともに動かない自分の体を無理矢理ベッドに起こし、久しぶりの酷い倦怠感に全身が筋肉痛なのだと理解した。
 こんなのは、騎士団に所属したばかりの頃以来だ。

 動くのもままならない痛みに顔をしかめながら、それでも思わず頬が緩んでしまう。

 シュラに言ったように、筋肉痛を治癒することはしない。折角の筋肉の成長を、魔法で無に帰すのは勿体ないことだから。

 筋肉を解すように手でぐっぐっと足を揉み込んでいく、本来ならば寝る前にやっておけばよかったのだが、仕方ない。
 軽く体を解せば、なんとか動けるくらいまでにはなったので、筋肉痛で悶絶しているシュラをたたき起こして、朝の訓練へと向かった。

 勿論、先輩騎士としての矜持で、私も筋肉痛であることは気付かせない。

 いや気付く以前に、シュラは本格的に参加するようになった訓練に手一杯で、周囲の様子に気を配る事なんてできていないようだった。
 その方がいい、拒絶するような視線や嘲笑など知らぬ方がいい。

「ほら、もう一周あるぞ! いけるか!」
「だ、だ、だいじょぶ、でひゅ……っ」

 必死の形相で喘いでいる彼だが、今日は私は回復魔法を掛けていない。

 朝、彼に請われて筋肉以外を回復させる魔法を教えれば、一度でそれをものにして自分で回復するようになった。

 ――彼のような者こそ天より才を与えられし者、天才なのだろう。

 へばりそうになりながらも足を前に出す彼の姿は本当に見窄(みすぼ)らしくて、憐れを誘う姿なのだが、その黒い瞳は爛々と燃えている。
 終点で待つ私をその瞳に映した彼が、とうとうひとりで完走した。

「バルザクト、様……っ」

 倒れ込みそうになった彼を抱き止めれば、ぐったりと体を預けられる。

「重いぞ。ちゃんと立たないか」
「お、俺、ひゅ……っ、や、やりました……っ」

 もう足に力が入らないのか膝をガクガクさせ、呼吸も酷い有様で今にも倒れそうになって、それでも嬉しそうに。まるで、ご主人様に褒めてほしがる犬のように、盲目的に私にすがりつく彼の頭をひと撫でしてやる。

「ああ、よく走りきった。偉いぞ、シュラ」

 私の首筋に伏せられていた彼の耳元にこっそりと囁いて、もう魔法を使う余裕も無さそうな彼に、最低限の回復の魔法をかけてやる。

「しっかり立ちなさい。訓練はまだまだあるからな」

 突き放すようにして立たせ、耳を押さえて顔を赤くしている彼の尻を叩いて、次の訓練に向かわせる。

「ぼんやりするな、朝の訓練が終わっただけだぞ。今日は剣の訓練もあるし、座学だってあるんだ、のんびりしてる暇はないからな!」
「はっ、はいっ!」

 剣を握るところから教え、素振りを三十回しただけで手の皮を剥いたシュラの手に、細く裂いたハンカチを巻き付け、治癒は禁止する。

「治癒で治せば、いつまで経っても手の皮が厚くならないんだ。大丈夫だ、五回も剥ければそれなりに皮膚が厚くなる」
「サドいです、バルザクト様」

 痛みに涙目の彼から察するに、どうやらサドイというのは酷いとか、そういった意味合いの言葉のようだな。

「今後のためなんだぞ、誰もが通る道だ。ほら、私の手のひらだって、そうして鍛えてきたんだ」

 彼の目の前に突き出した、もう女性のものには見えない手のひらを、彼は大事なものに触れるかのようにそっと指先で撫でる。

「細い綺麗な手なのに……」

 まるで女性にするようなその触れ方に、触れられたところからゾクリと熱を感じて胸が跳ねた。

「綺麗ではないさ。それよりも、もっと握力が欲しいのだがな」

 さり気なく彼の手から手を引き抜き、代わりに彼が落としていた訓練用の剣を渡す。

「さあ、まだまだ素振りを続けるぞ。この重さに慣れたら、もうひと段階重い剣に変えるからな」
「サドい……っ!」

 まだまだ余裕がありそうな彼に頼もしさを感じながら、私も自分の訓練をすべく、剣を取った。

 いつもは黙々とこなしている訓練を、シュラと一緒におこなうのは楽しくて。



 だから、私は忘れていた、彼がどこか他の世界から、たったひとりでこの世界にやってきた孤独を抱えていることを。
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