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第3章:聖地ウスクヴェサール編

第66話:水の大精霊を救え!

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 精霊王が妖精と消えた後、泉の精霊ナイアドが大騒ぎした。

『精霊王様ステキ~!』
『シブイワ、シブイワ~!』

 キャイキャイと騒ぐ泉の精霊ナイアドはまるで女学生のようだ。ぽかんと口を開けミヤコが見つめていると、ハッと我に返った泉の精霊ナイアドがコホンと喉を整えた。

『トットト、用意シナサイヨ!』
「えっ、ああ。はい…」

 顔を赤らめてツンとする泉の精霊ナイアドを見てミヤコは「結局もともとこんな性質なんだわ、泉の精霊ナイアドって」と冷めた頭で考えた。

「んん。ともかく、歌が必要なのよね?」

 キミヨがふむ、と考えながらつぶやく。

 疲れ果てた大精霊の負の部分を抑えるには、正の部分を増長させなければならない。清涼と生きる力が必要になる。ミヤコの生命力の強さが助けになるかもしれない。何せ水は生命の源なのだ。だから、水の大精霊はミヤコに頼んだのだろう。ミヤコの生命力の高さに導かれて。

「息吹の歌を作るわ」

 キミヨの作る歌は、歌というよりも祈祷《チャント》だ。もともと巫女だったキミヨは短い祈りのような詠唱で魔力を込める。ミヤコ自身、魔力がないと思っているし他人からも魔力として認可されないが、大精霊たちとほど同格の力を持っているということを、ミヤコ自身まだ気がついていない。ミヤコの生命力は魔力のようなもので、本心から歌うことで生命の強さを歌に乗せることができるのだ。

 生命の力はどんな魔力よりも強い。生きている限り、その力は尽きることがない。魂の底から湧き上がる生への執着と、まっすぐな願望がミヤコの力の元なのだ。その欲求に負の気持ちや瘴気は消滅する他、道はない。

 ただ、ミヤコが正気を失って負の感情にとらわれて歌った時に、20年前のような悲劇が生まれるのだが。

 キミヨが贈る歌は、単にミヤコを方向づけるための手段でしかないのだ。親鳥が雛に飛び方を教えるように、キミヨはミヤコに正しく生きて欲しいと願う。その手助けをしているのだ。



 *****



 キミヨの作った「息吹の歌」を覚えて、ミヤコは今、泉の中に足を踏み入れた。泉の清涼さがミヤコの肺を握りしめるように感じる。

 泉の精霊ナイアドが4人、ミヤコの両側を支える。

「おばあちゃん、行ってきます」
「ん。頑張れ。ミヤコならきっと大丈夫」

 ふわふわとミヤコの横に浮かびながら、キミヨがミヤコの頭を撫でる。その瞳には信頼が浮かぶ。ミヤコはこくりと頷き、泉の精霊ナイアドを見る。

 泉の精霊ナイアドに支えられて、ミヤコは泉に仰向けで浮かんだ。

『目ヲ閉ジテ』
『心静カニ』

 泉の精霊ナイアドに言われるまま、目を閉じて、大きく息を吸い込みゆっくり吐き出した。

(大丈夫。助けてみせる)

 夢を介して水魔に対峙し、大精霊へ歌を紡ぐ。語りかける命の尊さ、愛の深さ、大切な誰かへ向ける思い。守りたい全てを歌に乗せる。それができれば、大精霊はきっと助けられる。そう心に念じ、泉の精霊ナイアドに付き添われてミヤコはゆっくり泉に沈んでいった。

 水鏡の世界は水の中より冷たく、風が動かない。時が止まったような世界。鏡の中のような世界だった。ふと、ミヤコは水魔が言った言葉を思い出す。

『お前に手出しはできまい。歌も言霊も我には通じぬ』

 通じるかどうか、試してみようじゃないの。

 目を開けてみると、ミヤコは一人水の上に立っていた。靴底は水に触れているものの沈むでもなく、まるで地面に立っているようだ。だが、水面に触れればそれは波紋を呼び、水なのだということがわかる。

「ここが、水鏡の世界…」

 小さくつぶやいて、ミヤコは周りを見渡した。全体に青く、夜のような中で、だが暗くて見えないというほどでもないひどく静かな場所。

『ママ!』

 子供の声が響き、ミヤコはぎくりとして硬直した。

『ママ、どうしてこっち見てくれないの』
『わ、私の子供じゃない!あんたなんか知らないわ!』
『ママ!?』

(あの、声は)

『ミヤコのこと見て!』
『こないで!近寄らないで!』
『どうして?ミヤコ、悪いことした?』
『気味が悪いわ!雅也さん!この子、どこかに連れて行って!』

(母だ)

 ミヤコの心臓がどくりと音を立てた。

『こ、こないで!やめて!』

 ミヤコはそっと目を瞑る。これは、過去だ。心の中に残った残酷な記憶の残骸。

『本当は毎日会いたい』

 ミヤコはハッとして顔を上げた。

『ミヤ、好きだよ』

(クルトさん)

『感謝してるわよ、聖女様』

(あれは、ヒルダさん)

『俺達にはどうにもできねえっつってんだ。あんたには力があるんだろ?何うじうじ言ってんだよ!出来ることがあるくせに、なんでやらねえんだよ!』

(ムカつくけど、アイザックは正しい。私には出来ることがある。うじうじして怖気付いて、メソメソして、我ながら鬱陶しいことこの上ない)

 ミヤコはキュッと顔を引き締めて、仁王立ちになり誰へとなく大声を張り上げた。

「変えたい過去があるから、大切にしたい未来があるから、強く生きたいと願うのよ!後悔するから、二度と後悔しないように前を向くのよ!あんたみたいなウジウジした奴に負けないんだから!鬱陶しい真似しないで出てきなさいよ!」

 過去に怯えて未来を閉じるなんて馬鹿げてる。間違えたのなら、同じ間違いを犯さなければいい。辛くても、後悔しても、生きてやる。そう強く願い、ミヤコは声を大にした。

「未来を見たいのなら!誰かを守りたいなら顔を上げなさい!水の!」

「くくっ…変な人間だな、お前は」

 気がつくと、目の前にぼんやりと影が浮かんだ。

「水魔…」
「ほう、誰の入れ知恵かな?精霊王か。妖精王か?」
「…どっちでもいいわ。水の精霊を返して」
「俺とこいつは二人で一人。返せとは随分じゃないか」
「影のくせに。あんたは前面に出てこなくても結構なのよ。影らしく本体にくっついて後ろに下がっていたら?」
「……生意気な女だ。遺恨に触れて泣きじゃくるかと思えば、跳ね返すとはな。お前は家族に、友に、そして恋人にも裏切られ、捨てられたのではなかったか」

 フンッとミヤコは踏ん反り返って腰に手を当てた。

「……すべての人に理解されなくても、信じてくれる人が一人でもいる。それで十分だわ」

 水魔はピクリと片眉を持ち上げた。水魔の左手には子供と化した大精霊の長い髪が掴まれている。引きずられるように子供は横たわり、しくしくと泣いているのが目に入った。頭をかばいながら、「助けて、助けて」とつぶやいている。

「水の。立ちなさい!」

 ミヤコが強い口調で言い放つと、ビクッとして子供は顔を上げた。目をまん丸にしてミヤコを見つめる。

「みんな待ってるよ。勇気出して」
「……怖いよ。助けてよ」
「大精霊でしょ。情けないこと言わないの。あなたが守ってくれたおかげで、みんな浄化されたよ。妖精王も助かったんだよ。私も、聖地も、みんな無事だよ」

 子供は、手をついてミヤコをまじまじと見つめ、ワナワナと口を歪ませた。

「た、助かった…?妖精王も?」
「そうだよ。ちゃんとみんな生きてるよ。あなたが守っててくれたんだよね。ありがとう」
「…ほ、ホントに…?」

 呆然とする子供に、苛立ったように水魔が声を荒げた。

「嘘だ!人はそうやって持ち上げておいて、叩き落とすような真似をする!嘘をつくんだ。信じられるか!お前の親のように力を恐れ拒絶する!」

 水魔が声を荒げて抵抗するが、ミヤコは構わず子供に話しかける。

「嘘じゃないわ。聞いて?」

 水魔が何かを言う前に、ミヤコは目をつむり両手を広げた。ミヤコから溢れ出すのは、皆から伝えられた感謝の気持ち。お礼の言葉。驚きと喜び。慈しむ心と、豊かな愛情。薄暗かった青の部屋に光が溢れ、暖かな風と共に水が波立った。かすかに香るのは新緑の若葉と土の匂い。暖かな日差しの香り。

「聞こえる?」
「…うん」
「息吹の声よ」
「うん」

「だ、ダメだ!嘘だ!信じるな!裏切られるのがオチだ!俺が、俺たちがしたことに、感謝なんてされる日はない!恐ろしく疎ましいと思うくせに、もっともっとと醜い欲望だけを押し付けてくる。与えられることを望み、与えようとしないのが常だ!誰も俺のことなど望まないのに…!」

 水魔が焦ったように言葉を紡ぎ、ミヤコに手を伸ばす。

「お前にも絶望を与えてやろう!同じ絶望を、たっぷりと感じるがいい!」

 それまで静かだった水面が俄かに泡立った。黒い泡が盛り上がり形を作り上げていく。

『お、前の、せい、で。私はーーー』

 形成された水泡は、かつてもミヤコの母親へと姿を変えた。顔色は悪く、老婆のような姿でうめき声をあげる。

『お前なんか、産まなければよかった。なぜ私が、後ろ指を指されて気味の悪い悪魔だと恐れられて、ま、雅也さんまで、私から離れていった』
「ママ…」

 憎々しげに地面を叩き、ミヤコを罵ったと思えば、その姿は移ろいながら瞳が潤む。

『都…都?私の可愛い子…。ああ、どうして。あの女が私の娘を取り上げるから、あの子は』
「ママ?あの女って…?」
『どこへ連れて行かれたの?あの日から私の娘は変わってしまった。すり替えられたのに違いないわ。私の可愛い娘。都を返して!』

 ミヤコの母を象った水泡は、その姿を若き日の彼女へと姿を変え泣き崩れた。あの子を返して、と何度もなんども口にして泣きじゃくる姿を見て、ミヤコは顔を歪めた。これは過去だ、現実ではないと分かっているのにも関わらず、ミヤコは思わず目の前に泣き崩れる母に手を伸ばそうと一歩踏み出した。その動きにガバッと顔を上げた母の姿をした水泡の瞳には狂気が映る。

『あれは私の娘よ!あの子は私のもの。お前には渡さない!』


 しまった、と思った時はすでに遅く、その姿は獰猛な影となりミヤコに襲いかかった。
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