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第3章:聖地ウスクヴェサール編

第72話:僕の聖女

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 ミヤと初めて会った時、女神か、聖女かと疑った。

 後になってミヤが「あれはきっと、廊下の蛍光灯のせいだよ」と笑っていたが、そうではないと僕は思う。確かに食物庫は薄暗く、ミヤの家の廊下はライトが太陽のように明るくて彼女の背からは後光のように光が溢れていたが、ミヤの持つ光はそんなものではない。

 精霊が、まるで光に群がる蛾のように、ミヤには周りを引き付ける力がある。

 アイザックが「嬢ちゃんは生命力が無駄に溢れている」と言った言葉に納得がいった。彼女の強さは、あの生命力にあるのだと。僕はそれこそ、太陽を求める野草のようにミヤに手を伸ばす。暖かい光に照らされて光合成をする植物のように、ミヤを求めてならない。僕だけのものにしたいのに、捕まえきれないのだ。捉えようと両手を大きく広げても掴み所がなく、指の隙間から擦り抜けていってしまう。

 うかつに近づき過ぎれば、瘴魔のごとく焼き消されてしまうほどの熱を持つミヤなのに、誰もかれもが手を伸ばし、熱に浮かされたようにうっとりと目を細める。

 どうしたら手に入る?

 好きだと言ってもキスをしても、次の瞬間には彼女は僕の腕の中にいない。

 欲しい、欲しい、欲しい。


 彼女だけが。

 誰の目にも映したくないほど。

 子供のように地団駄を踏んで癇癪を起こしてしまいそうだ。

 アイザックやルノーですら、ミヤに向ける目に熱がある。憧憬にすら思えるような視線の中に見え隠れする炎は、僕のものと同じ恋情。少なくともあいつらには絶対に渡さないし、負けない自信はある。

 だけど。

 大精霊となれば、話は別だ。

 ミヤが顔を赤らめて、恥ずかしそうにうつむいた。水の大精霊の腕の中にすっぽりと囚われて、おとなしく翼をたたんだ小鳥のように。挑戦的に僕を見て微笑んだあの男。僕のささやかな自信が一気に散り去ってしまった。

 ミヤはどう思っているのだろう。僕が知らない時間を、あの男と過ごしたのだろうか。無駄に眠っていた間に。あれがミヤを助け出したのだろうか。半分石化したバックパックが己の力のなさを表現しているようで、心に重くのしかかった。僕が守ると豪語したくせに、結局守れなかった。どうして、僕を連れて行かなかったのか。なぜ、守らせてくれなかったんだ。彼女に拒絶されたのかと心が震えた。

「大切な人だからこそ、私も守りたかったんです」

 そういったミヤの瞳がまっすぐ僕を撃ち抜いて、気がついた。この人は、守るだけの対象じゃない。守られることで安心するような人ではなかったのだということに。

「人として何枚も上手なんだよ、嬢ちゃんの方が。俺たちの誰よりも」

 ああ、そうか。アイザックにはわかっていたんだ。僕の小さな矜持なんか、ミヤの前では何の役にも立たなかった。まるで子供の我儘だ。大人になったつもりで。強くなったつもりで。

 情けない。

 握りつぶされそうになった心の痛みに喘いで、懺悔をするようにミヤにすがりついた。

 嫌わないでほしい。

 そばにいてほしい。

 守れないのならせめて、隣においてほしい。

 萎えてしまった自信は、心の隅に追いやられて慄えるしかなかった。ミヤの、その言葉を聞くまでは。

「私も、クルトさんが好きです」

 恐れも、怯えも、嫉妬も、何もかも吹っ飛んだ。真っ白になった空間に、ただミヤがいた。陽だまりのように、心に染み込んで痛みを溶かしていく。

 僕の聖女。

 夢中で抱きしめた。肺が酸素を求めるように、全身でミヤを感じたかった。彼女の全てを絡め取ってしまおうと。くそアイザックさえ邪魔しなければ。

 思わず舌を打ってしまった。




 *****




 クルトとルノーが眠らされてからの一連の経緯を聞いて、妖精王の浄化がどれほど危険だったのか改めて理解し、ハルクルトは青ざめた。加えて水の大精霊の救出劇。水鏡の狭間ユナールなど、文献にもない、お伽噺にも聞いたことがない場所だった。精霊にですら危険な時空の隙間。そこに入り込み、生きながらえたルビラの魂と執念。

 全員絶句して、ミヤコをただ見つめている。

「俺は精霊たちに守られて、妖精王の浄化発光は何とか無事だったが、意識をなくしていたしな。まさかそんな惨事にまで及んでいるとは」

 アイザックが頭をかきながら、付け加える。

「そもそもルブラート教徒じゃなくて、ルビラの怨念だったってわけか。そりゃ穢れも強いわけだ」
「水の大精霊の結界がなかったら、この辺り一帯は全滅だったってコトっすね」
「でもその怨念は結局消滅したんだよな?」
「ウスカーサはそう言ってました。ひとまず、水の聖域は守られた事になりますが」

 今度は火と風の聖域だ。

 ミヤコははあ、とため息をついた。

 もともと一週間程度の旅行だと、叔父夫妻に伝えていたのが、もう既に日程を超えている。あまり長く空ければ、哲也や和子だけでなく淳も心配するだろうし、バジリストハーブ店の納品も滞ってしまう。

「火と風の聖地というのはどうやっていけるんでしょう」
「聖地アードグイは北方にある地獄門ヘルゲートと呼ばれる離島だ。風魔法であれば問題なく渡れるが…北に向かうとなると陸路を行けば10日…いや、二週間ほど必要になるかなほど必要になるかな」
「……遠いね…」
「ミヤは一旦自宅に帰った方がいいか?」
「あ、うん。そうしたいんだけど…でもそうすると、緑の砦に戻らなくちゃいけなくなるし、ここから戻ってってなると、ますます遠くなるし時間もかかるでしょう?」
「どちらにしても、モンドはどうするんっすか?連絡に来いとか言ってましたよね」
「ほっとけ」
「いや、ほっとけって、アイザックさん。あいつら反乱起こすつもりなんでしょう、いいんっスか?」
「どのみちこの国はダメだ。精霊に疎まれて、聖女もなし。ルビラの怨念も消えて、ルブラート教はコアを無くしたようなもんだろう。モンドお抱えの騎士団は弱くて話にならねえし、討伐隊とはぐれの戦士は嬢ちゃんに思い入れてるから、奴が思うようには動かんだろう。今の国王は役立たずだが…あれだ。宰相とルフリスト軍師がまだ健在だからな…。モンドが足掻いたところで、しばらくは大丈夫だろうよ」
「ルフリスト軍師って…クルトさんのお父さん?」
「……ああ。聖騎士団の一部はルブラート教の息がかかってると聞いたが、アッシュが恐らく軍師に報告をしているはずだ。何らかの手は打っているだろう」

 ミヤコの質問にクルトが少し眉を歪ませたのを見て、ミヤコはあれ?と思う。父親という割には「軍師」と呼んでいるしあまり仲が良くないのだろうか。軍人の家庭に生まれたからには恐らく色々厳しく育てられたのかもしれないし、そう呼ばざるを得ない理由もあるのだろう。自分の家庭のこともあるし、人の家庭にことに首をつっこむのは良くないだろうとミヤコは取り立てないことにした。

「僕はミヤをひとまず連れて帰る。アイザックとルノーは一旦グレンフェールに戻って詳細を伝えてくれ。その後問題がなければ討伐隊に連絡を。火の聖地アードグイ風の聖地ラスラッカについてはモンドの耳に入れないよう計らってほしい。アッシュには引き続きモンドの見張りを頼んで、動きを逐一知らせてもらうことにする。お前たちはその足で先に火の聖地アードグイに向かってくれ。ミヤの家族を説得させてから僕らもそちらに向かう」
「おう、任せろ」
「それじゃ、アードグイには二十日後、でイイっすか」
「そうだ、お前にもこれを渡しておく」

 アイザックがポケットに手を突っ込むと手のひらサイズの石を取り出した。

「俺たち執行人の伝達石だ。魔力を流して念話する事ができる。ルノーも持ってるから何かあったらこれで連絡を取り合おう」
「ほう。便利だな」
「執行人は散らばって活動するからな。情報交換には気を配ってるんだ」
「僕は執行人じゃないが、いいのか」
「いや、そもそもハルクルト隊長が執行人じゃないほうがおかしいんっス」

 ルノーが乾いた笑いを漏らした。

「これだけ執行人の行動を取っていながらそうじゃないってんだからな。やっぱ魔女の言う事なんてあてになんねえんだよ」

 クルトは色々な角度から石を眺めると、光に透かして見せてふむと頷いた。

「これ、少し加工を加えてもいいか」
「は?」
「小割りして僕の分とミヤの分に作り直そうと思うんだけど」
「な、そんな事できるのか?」
「ああ。見たところかなり質のいい魔石だし、うまく小分けすればミヤの分はイヤリングかネックレスにして肌に身につけさせる。僕の魔力を通すからミヤに使えるように加工する事ができると思う」
「ホエェ…」
「そ、そうか。まあ、それができれば嬢ちゃんとも交信できるし都合はいいが」

 ルノーとアイザックが呆気にとられる中、クルトはうんうんと大事そうにそれを空間にしまいこんだ。

「おい!?」
「な、いつの間に空間魔法を…!」

 驚いてばかりのアイザックとルノーを見て、クルトが苦笑した。

「まあ、無駄に3年を緑の砦で過ごしたわけじゃないんだ」
「だからって空間魔法…」

 ミヤコは以前クルトが使ったのを見ている。あのバックパックもクルトが加工してくれたのだ。だからそれがある意味特別であるとしても、ルノーやアイザックが驚くべきほどのことだとは思ってもみなかった。

「え、それって特別なの?」
「特別かだって!?ああ、特別だよ!この国じゃ使くらい特別だ」
「いないことになってる?ってことは他にもいる?」
「……ぐ!あ、いや。」

 今度はアイザックが口ごもった。

 クルトがニヤリと笑った。

「なんだ。アイザッックも使えるのか」
「う…あ。ああ、くそ」
「ミヤ、この力は国にとって危険視されているんだよ。だから使えることは声を大にして言わないんだ」

 確かに、空間魔法で武器やら何やら運ばれては危険だろう。そういった人物は危険視されて、国で監視される。そして都合よく使われるか、殺されるかのどちらかなのだ、とクルトがいった。

「僕はミヤと会ってから使えるようになったんだよ」
「えっそうなの?」
「ああ、色々あって魔力が増えただろう。調整をするのに試行錯誤していくうちに、誤算で使えるようになった」
「誤算で…」
「マジか…」
「いい加減、マジでハルクルト隊長、執行人にスカウトしたいっス…」

 ルノーががっくりと肩を落とした。

「執行人探すの、俺すっげえ時間掛かったんっス。ようやくアイザックさん見つけたもののあと何人いるのかすらわかんないし、隊長一人でもう百人力な気がして来たっスよ」
「執行人でなくてもミヤは守れるだろう?」
「はあ、まあ…そうっスね。そう考えれば…」

「まあ、それでも口外はしてくれるなよ。俺はまだ自由に動きたい」

 アイザックがそう付け加えると、クルトはもちろんと答えた。

「じゃあ、もしかしてアイザックさん、ポケットに手を突っ込んで石を取り出したのは見せかけで本当は空間魔法を使ったの?」
「……嬢ちゃんはそういうとこ、目ざといよな」
「え、だってポケット何も入ってなさそうなのにそんな大きな石でてくるんだもん。ちょっと驚いて」
「あ、空間魔法といえば、ミヤ。このバックパックもう使えないよね」

 クルトがそう言って、ボロボロになって半分石化したバックパックを指差した。

「あらら…ひどい状態」
「これを初めて目にした僕がどれだけ心配したか、わかるよね」

 クルトの纏う気が肌寒くなった。このままでは振り出しに戻ってしまうと焦ったミヤコは、ささっとアイザックの後ろに隠れようと後ずさったが、ガシッと肩を抱かれ逃げられなくなってしまった。

「ひぃっ…」
「後で、ちゃんと作り直すから。逃げなくてもいいよ」

 そういったクルトの笑みは、ミヤコをますます硬直させた。
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