死神の誤算と策略、私の運命はもう変わらない

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第十五章 よく言われる

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第十五章一話 よく言われる

 午前十一時過ぎ――
遥は、昨日も足を運んだ団地の前に立っていた。
古びた鉄階段を上がり、例の部屋の前へ。
もう慣れた動作でインターホンを押す。
……反応はない。
(今日も、いないのかな)
わずかに肩を落とし、振り返ったそのとき――
「……おまえ、なんでここにいんの?」
目の前に立っていたのは、ジャケットの襟を立て、煙草の匂いを身に纏った若い男――仁科陸翔だった。
「えっ……あっ……!」
遥が言葉に詰まると、陸翔は眉をひそめた。
「なに? もしかして……家、調べたのかよ?」

 「言ったでしょ、私は仁科陸翔の“すべて”を知ってるって」
「……うわ、マジで気持ち悪い、こいつ……」
 陸翔は小さく後ずさりし、ポケットに手を突っ込む。
「で? 何の用だよ。またなんか説教でも?」
 「話があるの、入っていい? ちょっとだけ時間ちょうだい」
「いや無理。俺んちゴミ屋敷だし、人なんか入れていい部屋じゃねーから」
 「じゃあ――どこか、静かなカフェにでも行きましょう」
 遥は一歩、彼に近づきながら言った。
その言葉には、有無を言わせぬ迫力があった。
「は? 何だよその勢い。おまえ、マジで強引すぎ……」
 「大丈夫。お金なら私が出すし、長居もしない。
 ……でも、あなたと話さなきゃいけないの。今しかないから」
 その真剣な眼差しに、陸翔は眉を寄せながらも観念したように溜息を吐いた。
「……ったく。わかったよ、もう。じゃ、近くのドトールでいいだろ」
 「だめ。もうちょっと静かなとこがいい。たとえば――」
遥はスマホを取り出して地図アプリを見せた。

 「このへんに、こぢんまりしたカフェがあるの。昼前は空いてるってクチコミも良かったし」
「……ほんと抜け目ねぇな、おまえ……」
しぶしぶ歩き出す陸翔。その隣を、遥は自然な足取りで並んでいく。
 道の途中、無言の時間が流れた。
けれど遥は――焦っていなかった。
(この距離で、言葉を交わせてる。ちゃんと、私の“世界”に彼がいる)
そんな実感が、彼女に小さな確信をくれていた。
 この日、遥は陸翔に、いくつかの“真実”を告げるつもりだった。
そして、そのすべてが――奏を生かす希望へとつながることを、信じていた。


 住宅街の外れにある、木造一軒家を改装した小さなカフェ。
まだ昼には少し早い時間帯、店内は静かで、他に客はいなかった。
 「……へぇ。思ったより、落ち着くな」
陸翔はソファに身を沈めながら、店内をぐるりと見回した。
 木目のテーブル、淡いレースのカーテン、控えめなジャズのBGM。
 遥は、メニューも見ずにブレンドコーヒーを頼み、対面に座った陸翔を見つめた。

 「ありがとう。来てくれて」
「まぁな……怖いもん見たさってやつ? おまえ、普通じゃねぇし」
 「よく言われる」
遥は、うっすら笑って返した。
 店員がコーヒーを運んできて、軽く頭を下げると再び店内に静寂が戻った。
 「で? 何を知りたくて、俺を引っぱってきたんだ?」
 「……あなたが、“死ぬことになってる”って、知ってる?」
陸翔の表情が一瞬止まった。
「……何、それ。脅しか?」
 「違う。事実。あなたのそばには死神がいる。姿、見えないかもしれないけど」
 陸翔は鼻で笑った。
「言ったろ? おまえ、気持ち悪いって」
 「でも、本当のことだよ。あなたは……日曜の夕方、命を落とす。
 その時間に、あなたと同じ地域で、もう一人――“篠原奏”って人も死ぬことになってるの」
その名前に、陸翔の目が鋭くなった。
「誰だよ、それ」

 「私の、……大切な人」
 遥はまっすぐに言った。そこに迷いはなかった。
 「彼もあなたも、なぜ同じ日に、同じ場所で死ぬのか。私はそれが偶然だとは思えない。
 だから、あなたから何か、彼を救うヒントが得られるかもしれないって思ったの」
 陸翔は黙ってコーヒーをひと口飲んだ。
「……なんでそんな必死なんだ、おまえ」
 「わかんない。でも……人が死ぬのを見て、何もしないままでいるのが、どうしてもできない。
 私自身も、死ぬはずだった。でも、生きてる。
死神に運命を告げられても、それを変えることができたの。……奇跡かもしれないけど」
陸翔はその言葉に目を細めた。
「じゃあ、“俺も変われる”とでも?」
 「そう信じたい。だから、お願い。話を聞かせて。
 あなたが、何を抱えてて、何をしようとしているのか」
 陸翔はしばらく黙ったまま、テーブルの上の指をゆっくり動かした。
その仕草に、迷いと、どこか諦めにも似た感情がにじんでいた。
「……俺がどんな世界で生きてるか、知らないくせに」
 「教えてよ。知らなきゃ、何も変えられないから」
 遥の声は、静かだけれど確かな力があった。
そのまなざしに――陸翔は初めて、視線を正面から向けた。
「……わかった。じゃあ、一つだけ質問させろ」
 「なに?」

「おまえは、“殺人犯”でも救う価値があるって思うか?」
 遥は、一瞬だけ息を呑んだ。
 (……碧人のことを思い出す)
そして、ゆっくり頷いた。
 「人は、過去に何をしたかだけじゃ決められない。
 今、この瞬間をどう生きるかで、未来は変わるって思ってる」
 陸翔はわずかに口角を上げた。
それが、嘲りだったのか、ほんの僅かな安堵だったのか――遥にはまだ、わからなかった。
 「……おまえ、面倒くせぇな」
コーヒーカップを置いて、陸翔がぽつりと呟いた。
 「そんな綺麗事でどうにかなるほど、俺のやってきたことは甘くねぇよ。血も、嘘も、全部背負ってきた。途中で引き返す道なんて、最初からなかった」
 「でも、それでも今ここにいる。私とこうして話してる。
 その時点で、もう“引き返さない”なんて言い訳は、通用しないよ」
遥の瞳には、決意が宿っていた。
「……勝手に決めつけるなよ」
 「じゃあ、今すぐ強盗に行く? 今すぐ人を傷つける? できるの?」
 沈黙。
 「できないでしょ? 本当はしたくないんだよね。だから、今ここに来てくれたんでしょ?」
陸翔は睨むように視線を外し、舌打ちした。
「……わかったよ。話せば気が済むんだろ」

その瞬間、遥の表情が少しだけ緩んだ。
 「ありがとう。……ねぇ、仁科陸翔って、どこで働いてるの?」
「働いてねぇよ。今は“日雇い”と称した闇バイト漬け。まあ、クズだな」
 「じゃあ、どうやって生活してるの?」
「さっきも言ったろ。汚ぇ稼ぎ方だよ。知り合いに呼ばれて“やばい仕事”やるだけ。
 この前なんて、“抜けたい”って言ったら、“じゃあ最後にこれやれ”ってさ。笑えるだろ?」

 「……それが、“日曜の強盗”?」
 陸翔は視線を遥に戻す。
「……ちょっと待てよ」
カップに口をつけかけた陸翔が、じっと遥を睨む。
「今、“日曜の強盗”って言ったな。俺、そんなことお前に話したっけ?」
 遥は少し目を伏せて、黙ったままスプーンでコーヒーをかき回す。
「まさか……おまえ、盗聴とかしてんのか?」
 「してないよ。そんなことできるわけないじゃん」
「じゃあ、どうやって知ったんだよ。知ってるヤツなんて限られてんだ。
 田沼と、バイト仲間と……俺だけだぞ」
 「私は……聞いたの。死神から」
「は?」
 「……あなたにも“死神”が憑いてる。でしょ? 黒いコートの男。ずっとあなたの周りをうろついてる。
 彼が、あなたのこと観測してるの」
「……」
 陸翔は言葉を失った。背中にじっとりと汗がにじむ。
「もしかして、本当に見えてるのか? あいつのこと」
 「うん。私も見える。私自身が、死ぬ運命にあった人間だったから」
「……!」
 陸翔は、信じられないものを見るように遥を見つめた。

「――じゃあ、お前……“あの日”から生き延びたってことか?」
 「うん。運命が変わった。奇跡みたいに。でも、それが可能だってことを、私は知ってる」
「……信じられねぇ」
陸翔は椅子に背中を預け、天井を仰いだ。
「じゃあ、あんたが言ってた“全部知ってる”ってのは……」
 「うん、死ぬ日も、場所も、おおよその流れも……知ってる。
でも、“止める方法”はわからない。だから、あなたに会いにきたの」
「……おまえ、マジでバカだろ」
 「よく言われる」
陸翔は頭を抱えた。
「俺が何をやろうとしてるか知ってるってんなら、普通は逃げるだろ。
 “やめてください!”って説得するとか、警察に通報するとか、そういうのが普通なんだよ」
 「……でも、私はあなたを“止めたい”んじゃない。
 “変わってほしい”って思ってるの。あなた自身が、変わろうとしてくれないと意味がないから」

「……変われると思ってんのかよ。俺みたいなクズでも」
 「思ってる。だから、こうして話してるんだよ」
 沈黙が流れる。
 店内のスピーカーから、懐かしいバンドのバラードが流れてきた。
 ふと陸翔が笑う。
「……なんか、ほんとに変なやつに会っちまったな、俺」
 「よく言われる」
陸翔は急に遥の目を見て言った。
「おまえ、死ぬって分かったとき、死ぬ前にやりたいことって、なんかあった?」
 遥は、少し考えて、にこりと笑った。
 「うん、あった。でも、今はもう、それが変わった気がする。
 “誰かを救うこと”が、それにすり替わってた。――今は、あなたのこと」
「……そっか」
 陸翔はその言葉を、受け入れるようにゆっくりと噛みしめた。
 
 「じゃあ、――陸翔くんは、死ぬ前にやりたいことある?」
遥が陸翔の目を真っすぐに見た。
 陸翔は少し驚いたように視線を逸らし、指先でコーヒーカップの縁をなぞる。
「……なんだよその聞き方。おまえ、望みを叶えてくれる女神かなんかかよ」
 「ううん。ただ……私も同じような立場だったから。だから、気になるの」
「……」
 しばらく黙ってから、陸翔がぼそりと呟く。
「……かあちゃんになんか……親孝行みたいなこと……できたらいいかな。 ま、何していいかわかんねぇけどな」
 その一言に、遥の心が針で突かれたようにチクリと痛んだ。
遥はしばらく考えて、ゆっくりと言った。

 「……やろうよ」
「いや、だから何をすればいいか分かんねえって…」
 「お母さん、好きなもの何?」
「うーん…やっぱ、酒かなぁ。完全に飲んべえだよ、うちのかあちゃん。
 朝から焼酎いけるタイプ。すぐ赤くなるけど止めないし、口も悪い」
 「じゃあ、お酒が飲める素敵なレストランに連れていくのはどう?」
「はあ? 俺、そんなとこ行ったことねーし、知らねぇよ。
 どうせスーツとか着なきゃいけないやつだろ?持ってねえし」
 「だったら、私が探すよ、カジュアルでも素敵なレストラン」
陸翔は唖然と遥を見た。
「……なに、勝手に決めてんだよ」
 「ねぇ、お母さんは今どこにいるの?」
「静岡。実家にいる。でも、パート忙しいって言ってたし……来るかなぁ」
 「じゃあ、電話してみよう。明日、土曜日の夜なら来れるかもしれないじゃん」
「……」
 「明日、あなたがちゃんと生きてる時間を使って、お母さんを喜ばせようよ。
 今ならまだ間に合う。ちゃんと覚えてもらえるよ。
 『最後にこんなことしてくれた』って」
「最後って、完全に俺死ぬ前提じゃん。
しかし、……おまえ、マジでさ……とことんおせっかいだな」
 「よく言われる」
陸翔はふっと目を伏せ、鼻で笑った。
「……ほんと、変なやつに会っちまった」
 「でも、悪くないでしょ?」
しばらくの沈黙の後、陸翔はスマホを取り出し、ゆっくりと母の番号を表示した。

仁科陸翔 死亡推定日時まで あと二日
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