【完結】悪女を断罪した王太子が聖女を最愛とするまで

空原海

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第三章 カタブツ王太子は愛妻家

最終話 王太子リヒャードと王太子妃バチルダ

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 胸元の空いた夜着を身に纏い、バチルダはしどけなく寝台に身を横たえていた。
 バチルダのすぐ隣に横臥おうがするリヒャードの目に、自身が散らした小さな赤い花が写りこむ。
 つっと指先でその花をなぞると、バチルダが僅かに身をよじった。


「……これをあの子は見つけるだろうか」


 罪悪感の滲んだ声色。
 上目遣いで懇願するようにバチルダを見上げるリヒャードに、バチルダは呆れたように嘆息する。


「何を今更。……しかしわらわとて、見せびらかす趣味はない。明日は襟元の詰まったドレスを用意させるとしよう」


 バチルダの言葉に安堵し表情を緩めるリヒャード。バチルダはその様子を見て、チクリと刺す。


「懐妊中、締め付けられる装いは何かと苦しいのだぞ? 先の妊娠で、リヒャードも知っておろう」

「……悪かった……」


 ガックリと項垂れるリヒャードにバチルダは苦笑した。


「そのように可愛い姿を見せられては仕方がない。惚れた弱みよの」


 バチルダはリヒャードの艶のある濃い黄金色の髪をゆっくりと撫でく。リヒャードが目を瞑る。


「愛しいリヒャード。今日は何か、よいことがあったのだな?」


 リヒャードはバチルダに撫でられながら、ぽつりぽつりと言葉にする。


「ああ。弟妹ていまいと語らった」

「そうか。それはよき時間を過ごしたな」

「うむ。……バルドゥールはガルボーイ王国第一王女の胸部に触れたらしい」


 バチルダは可笑しそうに声をあげた。


「ははは! あのわっぱも遂にそのようなことに興味を示す頃合いか! 子供の成長は早いのう」


 リヒャードと共にゲルプ王国末王子の成長を見守ってきたバチルダ。
 バルドゥールはもう間もなく十八になる青年なのだが、バチルダの中では未だ恋も知らぬいとけない少年のままだ。


「そうだな。しかしあの子も間もなく成人する。それを鑑みるに、あの子は初心うぶだ。閨の講義すら拒む」

「ふっふふ……。まるでかつてのリヒャードのようじゃの?」


 相変わらずバチルダに頭を撫でられながら、リヒャードはムッと微かに拗ねたような声色を出す。


「……私は十三の頃だったぞ」

「ははは! しかしリヒャードは涙ながらに、わらわに問うてきたではないか。わらわ以外の女人を抱きたくないが、どうすればよいのかと」


 リヒャードは恥じ入るかのように頬を赤らめるが、瞑っていた目を開けバチルダの蒼い瞳を見つめた。


「その思いは今も変わらぬ。バチルダ以外の女を抱くなど考えられぬ。……我儘が押し通るのならば、夜会も君とだけ踊っていたい」

「はは! それはわらわもじゃ! しかしさすがに叶わぬなぁ」


 愛おしさを滲ませ、バチルダはリヒャードの髪を梳く。が、そこでバチルダは形のよい眉を顰め、手を止めた。
 リヒャードから離れ、両手で口元を覆うバチルダ。
 慌ててリヒャードは起き上がり、バチルダの背を撫でる。


「っ……! すまぬ! 無理をさせた!」


 バチルダは口元を抑えたまま首を振る。


たらいがいるか? それとも間に合わぬか? 私の胸へ吐け! こらえるな!」


 オロオロと狼狽えるリヒャード。
 バチルダは生理的な涙を目に浮かべて、優しくも頼りない夫の肩にすがった。
 リヒャードの肩口に引き結んだ口を強く押し当て、迫り上がってくる吐き気と止めどなく溢れ出てくる唾液をやり過ごす。リヒャードの肩がバチルダの唾液でぐっしょりと濡れた。

 ぐっと篭った呻き声を零すバチルダに、リヒャードは何も出来ぬ無力さを胸中で嘆く。
 愛する妻が我が子を腹に宿し、育んでくれているのに、男のリヒャードは何もできない。それどころか己の欲望のままに懐妊中の妻に無体を働いた。
 情けない。
 リヒャードはバチルダの苦しむ姿が痛ましく、また申し訳ない。
 ゆっくりと優しくバチルダの背を撫ぜ、バチルダの苦しみが薄れることを願う。

 バチルダはふぅーっと細く長い息を吐き出した。徐々に落ち着いた吐き気。
 口腔内に溜まった唾液をゴクリと飲み込み、リヒャードにしがみついていた手を緩める。
 リヒャードは未だバチルダの背を撫ぜてくれている。
 眉尻を下げて泣きそうな顔をしているリヒャードに、バチルダは笑った。


「そのような顔をするでない。わらわは嬉しかったのだぞ?       最近あまりにリヒャードがわらわに触れぬから。気を遣っていることはわかっていたが、もはや女として求められぬのかと」

「そんな筈がなかろう!」


 ニヤリと笑うバチルダにリヒャードは思わず身を乗り出しそうになったが、踏みとどまってバチルダの背を一定の速度で撫ぜ続ける。


「ふふ。妊婦とて愛しい夫に触れたい時がある。しかし、悪阻とは自制の利かぬもの。突然苛立つこともあれば、わけもわからず嘆き悲しむこともある。何が吐き気を催すのかわからぬことも多い。先の懐妊時はあんなに好ましかったリヒャードの匂いに辟易としたものよ……」


 第一子を妊娠した折のことを思い出し、バチルダが遠くを眺める。リヒャードもまた、愛する妻に「寄るな!」と激しく拒まれたことを思い出す。


「……バチルダには不自由を強いているな。すまぬ。だが感謝している。我が子をその身でもって育んでくれてありがとう」


 外では決して見せぬ、バチルダだけが知るリヒャードの顔。厳しく冷酷非情だと恐れられる王太子の顔は、ここにはない。
 バチルダは逞しいリヒャードの胸元に凭れ掛かる。


「リヒャードほどよい男は他におらぬな……。わらわは本に幸せな妃である」


 バチルダはリヒャードの背に腕を回し、ギュッと力を込めた。リヒャードはバチルダの背を撫ぜていた手とは逆の手で、バチルダの後頭部を軽く引き寄せる。


「私がよい男となれたのはバチルダのお陰だ。君なくして私はここまで歩むことは出来なかった」


 バチルダを締め付け過ぎぬよう気遣いながら、リヒャードはバチルダの額に口づけた。
 バチルダの蒼い目とリヒャードの琥珀色の目がぶつかり、二人は微笑み合う。


「……愛している。バチルダ。君が私に愛も幸せも、全てを与えてくれた。これからも共に歩んでくれ。私にも君へと愛を捧げさせてくれ」

「無論だ。わらわの人生はリヒャードと共にある」


 蒼と琥珀の瞳が閉じたとき、二人は静かに口づけを交わした。







「して、コーエンはどうなった?」


 明け方、微睡みの中でバチルダがリヒャードに問う。
 リヒャードはバチルダがまだ夢の中にいる頃、湯浴みを済ませた。今は昨夜からのシャツに代わって、離宮に備えてあった自身の新しいシャツに袖を通しているところだ。
 リヒャードはバチルダの横たえる寝台に腰掛け、腰を捻って振り返る。すると僅かに白檀サンダルウッドが、ふうわり香った。懐妊中のバチルダが気分を害することのない香りであり、リヒャードを感じる香りでもある。


「君はコーエンがお気に入りだな」


 眉尻を下げたリヒャードは、バチルダの額にかかった亜麻色の髪をそっと手で押し上げる。バチルダは気持ちよさそうに、うっとりと目を細めた。


「何。あ奴はわらわの最大の好敵手ライバルじゃからな。リヒャードの可愛い顔を引き出すことができるのは、わらわの他にコーエンしかおらんだろう」


 バチルダの自慢げな口振りに、リヒャードは苦笑する。


「私の素顔など、バチルダしか知るまい」

「それは当然のこと。しかして昔からリヒャードの関心を引き続ける小憎たらしいやつよ」


 ふん、と鼻を鳴らすバチルダ。
 レースのカーテン越しに、窓の外は朝ぼらけの白む様子が見えた。


「それも間もなく終わるだろう。エーベルが嫁ぐ前に落ち着きそうだ」

「……そうか。それはよかった」


 しみじみと頷くバチルダに、リヒャードも小さく頷く。


「ああ。可愛い弟だからな」

「うむ。わらわも不幸は望まぬよ」


 バチルダはゆっくりと上半身を起こした。リヒャードはそんなバチルダの体を支える。


「気分はどうだ」

「うむ。非常によい。リヒャードと共寝できたからじゃな」

「……頻繁に通ってもよいのか?」


 おそるおそる尋ねるリヒャードにバチルダは腕を組んで首を傾げる。それからリヒャードに向き直った。


「わからん。良いと思うときもあれば、嫌だと思うときもある」

「そうか」


 歯に衣着せぬ妻の率直な返答に、リヒャードは頷いた。寂しくないわけではないが、悪阻中のバチルダに負担を強いたいわけではない。バチルダが単なる我儘女ではないと知っているからこそ。


「すまぬな。だがわらわの心は常にリヒャードの元にある」

「わかっている。バチルダが良く過ごせればよい」


 リヒャードはシャツのボタンを全て留め終えると、バチルダの手を取りその指先に口づけを落とした。


「王城へ戻らなくてはならない。あの子の寝顔を覗いた後、ここを出る」

「うむ。またの訪れを待っておる」

「……そんなことを言われれば、今宵も足を運ぶぞ」

「来ればよい。追い返すやもしれんが」

「わかった。追い返される覚悟でまた来よう」


 バチルダの言葉に頷いたあと、バチルダの夫としてではなく、王太子としての厳しい顔つきへと変えたリヒャード。バチルダは寝台の上に身を置きながらも、王太子妃として起こした上半身をぴんと伸ばす。


「いってらっしゃいませ」

「ああ。行ってくる」


 リヒャードは上掛けを手に取り、バチルダに背を向けた。ぱたり、と閉まる扉。
 バチルダは頭を垂れて王太子リヒャードの背を見送った。部屋には微かに白檀の香りが漂っていた。





(第三章 「カタブツ王太子は愛妻家」 了)
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