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第2部

8 悪女、かく語りき

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「まあまあまあ。今宵は貴族の方々のお集まりでしたのね。ねえギル、あたくし達とっても場違いだわ」

 人形のように澄まし顔で、それまで前カドガン伯爵の腕にぶら下がっていた真珠姫は、まさに場違いなほど、体中から喜びを溢れさせ。花が綻ぶかのように、朗らかに笑った。

 この人のこんな姿を見るのは、初めてではないだろうかと、回らない頭で思う。
 前カドガン伯爵が真珠姫を愛おしげに見つめ、微笑みかける。

「そうだな。私達の居るべき場所へ戻ろう」

 アラン様やアボット侯爵に噛み付いていた時の、尊大な威圧感は失せ。前カドガン伯爵の真珠姫に向ける表情に身ぶり、声色は慈愛に満ちている。

 真珠姫は前カドガン伯爵の応えに、それはそれは嬉しそうに頷き、それから絡めた腕を解いた。
 そして衆人環視しゅうじんかんしの中、艷やかな薔薇色の唇を吊り上げる。
 そこには貼り付けた人形のような微笑みしかなかった。

「場を弁えず、社交に慣れず、当然あって然るべき礼儀礼節も、社交における暗黙のマナーも知らない、品性下劣な平民から、最後に一言。挨拶と代えさせていただきますわ。
 貴なる紳士淑女なる方々の間で交わされ続けた流言蜚語についてですの」

 前カドガン伯爵は困ったように真珠姫を見られているが、真珠姫の意図を知りつつも、見守るつもりであるようだ。

「あたくしは陋劣ろうれつな悪女ですので、取り繕った表現は出来ませんの。貴族の皆様、お許しくださいませ」

 明らかな挑発に、これまで好奇の目で事態を眺めていた参席者の方々は眉を顰め、紳士の方々は固く口を引き結び、貴婦人方は皆、扇子でお顔を覆われた。
 その中で真珠姫だけが、なんのしがらみも受けずに軽やかに言葉を紡いでいく。

「そちらのお若い伯爵様。カドガン伯爵、ご機嫌よう。それからウォールデンから独立なされたメアリーさん。お久しぶりね」

 突然話を振られたアラン様は不意を衝かれたようで、軽く身を引いた。
 わたしは生みの母から久々に声をかけられたことにも驚いたが、それ以上にわたしがウォールデンから独立したことを知っていることに面食らった。
 この人はウォールデンの家もわたしのことも、何もかも興味がないのだと思っていたのだ。

 反応を返さないアラン様とわたしを気に留めるでもなく、真珠姫は話を続ける。

「ご婚約おめでとうございます。一度解消したのですってね? ええ、よろしくってよ。ギルは無駄だと言いましたけれど、王家の高貴なる方がその手間を許すと仰せならば、素敵じゃありませんこと?
 お二人の間に契約による愛ではなく、何者にも邪魔だてされることのない、確固とした愛が生まれたのならば、あたくしにとっても望外の喜びですもの」

 ころころと鈴を転がすような声色で、嬉しそうにそう言うと、真珠姫はお母様を一瞥した。
 お母様の銀の瞳に憎悪の炎が垣間見える。
 アスコット子爵の血の気の失せた真っ青なお顔には、その柔和なお顔つきとは対極にある怒気が満ちていた。

 政略結婚にて終ぞ愛の生まれなかった前カドガン伯爵とお母様を、愛人の身たる真珠姫が、痛烈に皮肉っている。

 お母様とアスコット子爵のお怒りはさもありなん、とは思うものの、これまでお母様に接触することのなかった真珠姫の態度からは考えられない様子に、再び疑念が沸く。
 既に前カドガン伯爵とお母様は離縁なされている。
 なぜ今になって、お母様に敵愾心を向け、煽るように振る舞うのか。

 真珠姫の表情は依然として貼りつけられた、美しい人形の微笑そのままで、感情の揺らぎは見いだせない。
 けれど、お母様へ向けた眼差しに、ほんの一瞬、嫌悪の色があったように感じられた。

 お母様が真珠姫に向ける感情ならばわかる。
 けれどなぜ真珠姫が、己の恋人と既に別れた元妻に今更嫌悪を向けるのか。
 これまでまるで興味がないといったように、少しの交わりも避けてきたのに。

「ですからね、あたくしからきちんと正しておかなければいけないと思ったのです。お二人の首途を祝して、あたくしの出来ることといったら悲しいくらい少ないのですから」

 真珠姫の独白に、皆が聞き入る。
 人々は嘲笑や侮蔑、嫌悪の目を隠すことなく向けているが、しかし今この場を支配しているは真珠姫だ。

「陋劣な悪女、かく語りきですわ。皆様、どうぞお広めになってくださいましね」

 一体どのように面白く突飛で、下世話な話がその口から飛び出すのだろう。

 真珠姫の愚かしい振る舞いを蔑みながらも、そんな期待するような好奇の色が人々の表情に下に隠されて、この場の空気を一体化させている。
 真珠姫は社交に慣れない身だと言っていたが、しっかりと人心を把握しているようだった。

「そこなるメアリーさん。貴方は紛れもなくウォールデンの娘。高貴な血は、一滴たりとも流れておりませんわ」

 ざわり、と空気が揺らめく。
 わたしは唇を噛んだ。

 ――知っていた。
 アラン様とわたしとの婚約で囁かれる最大の醜聞を、わたしも知っている。

 アラン様もわたしも、一言もその話題を出すことはなかったけれど、お互いにきっと、疑惑を抱いていた。
 そしてその罪が現実でないよう、ひたすらに願っていた。

 こちらに背を向けるアラン様の表情は窺えない。こちらを振り返ってくださらないだろうか。

 そして真珠姫は念押しするように、もう一度繰り返した。

「メアリーさん、貴方には正統なるウォールデンの血のみ、その体に流れるのですわ」

 正当なるウォールデンの血のみ。

 わたしはそれまで思いもよらなかった可能性に思い当たり、血の気が引く。
 アラン様がわたしを振り返る。
 おそらくお母様もアスコット子爵も、こちらを見ているのだろう。もしかしたらアンジーとエインズワース様も。

 アラン様がこちらへ駆け寄ってこられるお姿が目に映る。

 脳裏には、あの日の光景が浮かび上がる。
 あの日、カドガン伯爵がわたしに、ウォールデンを出ないかお誘いをかけられたときのこと。
 靄のかかった記憶がようやく、鮮やかに蘇った。
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