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Episode② 港区ラプソディ
第8章|右肩上がりの市場価値 <11>やっぱり鈴木セブン
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<11>
鈴木先生が、うーん、と小さく声を上げた。
(ま、まずい。起きる。寝顔を盗み見ていたのがバレるっ! )
なんか後ろめたい。
――――今はこういうの、「逆セクハラ」って言われちゃうかもしれないっ……!
急いで部屋を出ようとドアを開けたけど、ちょっと遅かった。
後ろから鈴木先生に声をかけられた。
「……足立さん。そこで何をしていらっしゃるんですか」
「ぎ、ぎくっ。何も、何もしてません。何も、悪いことはっ」
両手と両足をバタバタさせながら振りむくと、鈴木先生は眼鏡を装着して起き上がっていて、……いつもの鈴木セブン・モードに戻っていた。
「そうですか。うっかり寝ていました。……おや、もう7時ですね。そろそろお帰りになったほうがよいのでは? 」
「あ……はい。ですが、仕事のことで、モヤモヤしてしまいまして」
「モヤモヤ? 」
「はい。それで先生に、ご意見伺えれば、と思って、お部屋にお伺いしたのですがっ」
決してあなたの寝顔をぼんやり見ていたわけではないのです、と、真面目そうな言い回しと表情で、仕事感を全力アピールした。
「なるほど。お聞きしましょう、どうぞお座りください」
「あ……ありがとうございます」
鈴木先生に勧められて、向かいのソファに座る。
「で? どんなことがモヤモヤするのでしょうか」
既にモードは完全に、エリートサラリーマン鈴木、だ。
胸元のネクタイも、いつの間にか真っ直ぐに戻っている。
あ、でもちょっとだけ、後ろ髪に寝癖が。ふっ、可愛い。
――――鈴木先生の寝顔を見てしまい、普段とのギャップがありすぎたので、今、胸がドキドキ・モヤモヤしています。――――
……などと、言えるわけもなく。
いけない里菜。今は“仕・事・中”だ!
私は、自分に言い聞かせて、できる限りの平静を装った。
「『ジュリー・マリー・キャピタル』の江鳩さんの件ですが……。具合が悪そうなので、休職してもらったほうがよいのではないか、心配しています」
「そうですね。その点については僕も、産業医に求められる判断の中で、最も難しいものの一つ、と考えています。
基本的に、本人が休職を希望している場合、または主治医が休職指示を出している場合は、休職をさせるべきと考えます。
しかし問題は、状態は悪そうなのに、主治医から休職指示は出ておらず、本人も休職を希望していない場合ですね」
「はい……メンタル不調時の治療の第一の柱は、”休息”と習いました。それなら、病気の治療だけを考えれば、お仕事を休んで頂くのが一番いいと思いますが……江鳩さんは、状況次第で症状が出たり出なかったりすると話しておられますし、ご本人が働き続けたいと言っていて、会社側もできれば休職してほしくないというものを、産業保健スタッフの判断で、無理やり休職させるというのも気が退けますし……」
江鳩さんが心配だ、という想いと、
江鳩さんが働く機会を奪ってはいけない、という想いの、微妙なバランス。
本当に難しい。
「今回のようなメンタル疾患の場合、目安となる検査数値がありませんので、なおさらですね。しかし判断が難しいからこそ、経験値を積んだ産業保健職の存在意義があるケース、とも言えます。江鳩さんにはきっと、働き続けたい理由もあるはず。ならば僕は、江鳩さんが治療と仕事を両立できる可能性がないか、模索したいと思っています」
「働く人にとって、病気のせいで不本意ながら仕事を中断させられてしまうのはつらいですよね……」
私も”病気”のせいでクビになってしまったから、……そうなった時の悲しさ、悔しさ、手に取るように想像できる。
「そうですね。制度上、産業医からの意見書には、強制力はありません。しかし過去の判例などから、会社側として産業医の意見を完全に無視することは難しいのが現実。ということは、意見書という紙切れ一枚で、産業医が、その人の職業生活を大きく変えてしまう可能性もあるんですよ」
「責任重大……ですね」
「そう思います。一方で、健康や命は全ての土台です。これ以上働けないほど健康状態が悪化しているときや、仕事を続けることでさらに病状を悪化させてしまうようなときには、適切に休職勧告を出せるよう、サポートしたいですね」
「はい……」
『産業医』は、医療ドラマでよく見る、救命救急センターのお医者さんや天才外科医のように、ヒーローみたいに病気の人を救命したり、治療したりしているわけじゃない。
私がこれまで一緒に働いてきたお医者さんのように、直接、外来診察や入院患者さんの治療をしてるわけでもない。
だけど、鈴木先生は、この社会で今日も働いている人達が社会に参加することを助ける、お医者さんならではの仕事をしているんだな……。
鈴木先生が、うーん、と小さく声を上げた。
(ま、まずい。起きる。寝顔を盗み見ていたのがバレるっ! )
なんか後ろめたい。
――――今はこういうの、「逆セクハラ」って言われちゃうかもしれないっ……!
急いで部屋を出ようとドアを開けたけど、ちょっと遅かった。
後ろから鈴木先生に声をかけられた。
「……足立さん。そこで何をしていらっしゃるんですか」
「ぎ、ぎくっ。何も、何もしてません。何も、悪いことはっ」
両手と両足をバタバタさせながら振りむくと、鈴木先生は眼鏡を装着して起き上がっていて、……いつもの鈴木セブン・モードに戻っていた。
「そうですか。うっかり寝ていました。……おや、もう7時ですね。そろそろお帰りになったほうがよいのでは? 」
「あ……はい。ですが、仕事のことで、モヤモヤしてしまいまして」
「モヤモヤ? 」
「はい。それで先生に、ご意見伺えれば、と思って、お部屋にお伺いしたのですがっ」
決してあなたの寝顔をぼんやり見ていたわけではないのです、と、真面目そうな言い回しと表情で、仕事感を全力アピールした。
「なるほど。お聞きしましょう、どうぞお座りください」
「あ……ありがとうございます」
鈴木先生に勧められて、向かいのソファに座る。
「で? どんなことがモヤモヤするのでしょうか」
既にモードは完全に、エリートサラリーマン鈴木、だ。
胸元のネクタイも、いつの間にか真っ直ぐに戻っている。
あ、でもちょっとだけ、後ろ髪に寝癖が。ふっ、可愛い。
――――鈴木先生の寝顔を見てしまい、普段とのギャップがありすぎたので、今、胸がドキドキ・モヤモヤしています。――――
……などと、言えるわけもなく。
いけない里菜。今は“仕・事・中”だ!
私は、自分に言い聞かせて、できる限りの平静を装った。
「『ジュリー・マリー・キャピタル』の江鳩さんの件ですが……。具合が悪そうなので、休職してもらったほうがよいのではないか、心配しています」
「そうですね。その点については僕も、産業医に求められる判断の中で、最も難しいものの一つ、と考えています。
基本的に、本人が休職を希望している場合、または主治医が休職指示を出している場合は、休職をさせるべきと考えます。
しかし問題は、状態は悪そうなのに、主治医から休職指示は出ておらず、本人も休職を希望していない場合ですね」
「はい……メンタル不調時の治療の第一の柱は、”休息”と習いました。それなら、病気の治療だけを考えれば、お仕事を休んで頂くのが一番いいと思いますが……江鳩さんは、状況次第で症状が出たり出なかったりすると話しておられますし、ご本人が働き続けたいと言っていて、会社側もできれば休職してほしくないというものを、産業保健スタッフの判断で、無理やり休職させるというのも気が退けますし……」
江鳩さんが心配だ、という想いと、
江鳩さんが働く機会を奪ってはいけない、という想いの、微妙なバランス。
本当に難しい。
「今回のようなメンタル疾患の場合、目安となる検査数値がありませんので、なおさらですね。しかし判断が難しいからこそ、経験値を積んだ産業保健職の存在意義があるケース、とも言えます。江鳩さんにはきっと、働き続けたい理由もあるはず。ならば僕は、江鳩さんが治療と仕事を両立できる可能性がないか、模索したいと思っています」
「働く人にとって、病気のせいで不本意ながら仕事を中断させられてしまうのはつらいですよね……」
私も”病気”のせいでクビになってしまったから、……そうなった時の悲しさ、悔しさ、手に取るように想像できる。
「そうですね。制度上、産業医からの意見書には、強制力はありません。しかし過去の判例などから、会社側として産業医の意見を完全に無視することは難しいのが現実。ということは、意見書という紙切れ一枚で、産業医が、その人の職業生活を大きく変えてしまう可能性もあるんですよ」
「責任重大……ですね」
「そう思います。一方で、健康や命は全ての土台です。これ以上働けないほど健康状態が悪化しているときや、仕事を続けることでさらに病状を悪化させてしまうようなときには、適切に休職勧告を出せるよう、サポートしたいですね」
「はい……」
『産業医』は、医療ドラマでよく見る、救命救急センターのお医者さんや天才外科医のように、ヒーローみたいに病気の人を救命したり、治療したりしているわけじゃない。
私がこれまで一緒に働いてきたお医者さんのように、直接、外来診察や入院患者さんの治療をしてるわけでもない。
だけど、鈴木先生は、この社会で今日も働いている人達が社会に参加することを助ける、お医者さんならではの仕事をしているんだな……。
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