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Episode③ 魂の居場所
第12章|みんなの記憶に残るもの <3>新商品案のサンプル(鶴木翼の回想 その2)
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<3>
初めて2人で食事に行ってから、広瀬くんはちょくちょく研究開発課に遊びに来るようになった。
その頃、私は新商品の開発プロジェクトに関わっていた。“今までと違う感性の製品”というテーマで、若手社員中心にいくつか案を持ち寄ることになり、考えていた。
香りのサンプルボトルを並べてプレゼン案を考えていたら、いつものようにふらりと現れた広瀬くんが、研究開発課の冷蔵庫から自然な手つきで飲み物を取り出した。
もういちいち注意するのも疲れたから、研究開発課の冷蔵庫を使うことを、黙認していた。
「おっ。ツーツーちゃん、何やってんの~」
「ん~、新商品の開発」
「これサンプル? 嗅いでいい? 」
どうぞ、と私が答えると、広瀬くんがひとつずつ蓋を開けてにおいを嗅いだ。
「うーん………どれもいまいちだな」
彼は顔をしかめた。
「えっ。結構頑張って作ったのに」
というのは嘘で、正直なところ、少々やっつけ仕事で作ったサンプルだった。
洗剤とか柔軟剤とかで、奇抜な匂いは好まれにくい。
そうなるとどうしても、前例踏襲になりがちだ。会社としては想定の範囲を超えた新商品が欲しいんだろうけど、私が若手だからといって必ずしもアイディアが豊富なわけでもない。
「いや~、なんかさぁ。欲しいのはこういうのじゃないんだよねぇ」
広瀬くんは評論めいた口調で言いながら、私の向かいの椅子にひらりと腰掛けた。
「それって、どういう意味? 」
「最近、柔軟剤の匂いってどんどんキツくなってない? しかもフローラルとか、フルーティとか、女子っぽい匂いが多いじゃん」
「うん、そういうのが売れてるからね」
「わかるよ、そりゃ。俺だって辰原さとみチャン、好きだしさ。人気女優を使ったCM打ちまくって、香りがステキ! ってアピールされたら、興味は持つよ。でもああいう匂いって、俺みたいな独身一人暮らしの男にはちょっと甘すぎる」
「それならほら、うちの商品ラインナップにも『ピップーカ・オム』があるじゃない」
『ピップーカ・オム』は、広瀬くんが言うような男性客をターゲットにして発売された製品だった。香りはメンズ寄りで、パッケージデザインも従来の『ピップーカちゃん』の可愛いイメージを捨てて、大人っぽくシンプルにしている。あんまり売れてないけど。
「『ピップーカ・オム』は超ムスクじゃん。世間じゃメンズっていうと、すぐ、ムスクかマリンの香りに寄せるのよ。俺は、夏のサーファーみたいな匂いは嫌なの」
「じゃあどういう香りがいいの? 」
「わかんないけど、アレだよ、もっと自然体で、居心地のいい匂いがいいんだよ」
「なんだそれ」
私はずっこけた。漠然としすぎている。
「新感覚の香りとかねぇの? ツーツーちゃん開発して」
「私の専門は香りじゃなくて界面活性剤ですので、それは無理です。香りについては香料メーカーさんと打ち合わせて、要望に近いものを持ってきてもらってるだけなので。
それに商品に香りを付けるときって、意外と考えることが色々あるのよ。例えば、花言葉とかね」
「花言葉? 」
「そう。“○○の香り”って商品を売り出す時に、その花に毒があるとか、悪い花言葉の意味があると縁起が悪い。だから新しい製品を作るときは、匂いそのものだけじゃなくて、使われてる花の意味とか、その匂いでどんな景色をイメージさせるかとか、総合的に気を遣うんだよ。ただ珍しい、新しいものを提案するだけじゃダメなの」
「ふーん…………。じゃ、ツーツーちゃん、俺とイソタン行ってみない? 」
「なんで? 」
『五越・伊祖丹』は、呉服屋が起源の有名デパートだ。もとは別々のデパートだったのが経営統合した。五越は保守的で上品な中高年向け、伊祖丹はファッション感度の高い若者~ミドルエイジ向け、というイメージがある。
「オシャレスポット『新宿イソタン』に行けば、きっと最新のメンズ香水がたくさん置いてるよね? そこで色々と嗅いでみたら、俺のインスピレーションが広がると思う。もう発売されてる香りなら、香料会社に問い合わせたら材料も手に入るだろうし、縁起が悪い花は使われてないはず」
「新商品案のプレゼン締切、明後日なんだよ。今からじわじわインスピレーション湧かせても、間に合わないよ」
「えっ。じゃあ今日行こう」
「はぁ? 急だなぁ。っていうか広瀬くんは、総務部の人でしょ」
「だって、俺もたまには製品開発に口出ししたいじゃん。裏庭の草むしりとか、備品の調達とか飽きたよ。ものづくりジャパン、格好いい。ツーツーちゃん、お願い。付き合ってよ~」
「もうっ。仕方ないなぁ…………」
初めて2人で食事に行ってから、広瀬くんはちょくちょく研究開発課に遊びに来るようになった。
その頃、私は新商品の開発プロジェクトに関わっていた。“今までと違う感性の製品”というテーマで、若手社員中心にいくつか案を持ち寄ることになり、考えていた。
香りのサンプルボトルを並べてプレゼン案を考えていたら、いつものようにふらりと現れた広瀬くんが、研究開発課の冷蔵庫から自然な手つきで飲み物を取り出した。
もういちいち注意するのも疲れたから、研究開発課の冷蔵庫を使うことを、黙認していた。
「おっ。ツーツーちゃん、何やってんの~」
「ん~、新商品の開発」
「これサンプル? 嗅いでいい? 」
どうぞ、と私が答えると、広瀬くんがひとつずつ蓋を開けてにおいを嗅いだ。
「うーん………どれもいまいちだな」
彼は顔をしかめた。
「えっ。結構頑張って作ったのに」
というのは嘘で、正直なところ、少々やっつけ仕事で作ったサンプルだった。
洗剤とか柔軟剤とかで、奇抜な匂いは好まれにくい。
そうなるとどうしても、前例踏襲になりがちだ。会社としては想定の範囲を超えた新商品が欲しいんだろうけど、私が若手だからといって必ずしもアイディアが豊富なわけでもない。
「いや~、なんかさぁ。欲しいのはこういうのじゃないんだよねぇ」
広瀬くんは評論めいた口調で言いながら、私の向かいの椅子にひらりと腰掛けた。
「それって、どういう意味? 」
「最近、柔軟剤の匂いってどんどんキツくなってない? しかもフローラルとか、フルーティとか、女子っぽい匂いが多いじゃん」
「うん、そういうのが売れてるからね」
「わかるよ、そりゃ。俺だって辰原さとみチャン、好きだしさ。人気女優を使ったCM打ちまくって、香りがステキ! ってアピールされたら、興味は持つよ。でもああいう匂いって、俺みたいな独身一人暮らしの男にはちょっと甘すぎる」
「それならほら、うちの商品ラインナップにも『ピップーカ・オム』があるじゃない」
『ピップーカ・オム』は、広瀬くんが言うような男性客をターゲットにして発売された製品だった。香りはメンズ寄りで、パッケージデザインも従来の『ピップーカちゃん』の可愛いイメージを捨てて、大人っぽくシンプルにしている。あんまり売れてないけど。
「『ピップーカ・オム』は超ムスクじゃん。世間じゃメンズっていうと、すぐ、ムスクかマリンの香りに寄せるのよ。俺は、夏のサーファーみたいな匂いは嫌なの」
「じゃあどういう香りがいいの? 」
「わかんないけど、アレだよ、もっと自然体で、居心地のいい匂いがいいんだよ」
「なんだそれ」
私はずっこけた。漠然としすぎている。
「新感覚の香りとかねぇの? ツーツーちゃん開発して」
「私の専門は香りじゃなくて界面活性剤ですので、それは無理です。香りについては香料メーカーさんと打ち合わせて、要望に近いものを持ってきてもらってるだけなので。
それに商品に香りを付けるときって、意外と考えることが色々あるのよ。例えば、花言葉とかね」
「花言葉? 」
「そう。“○○の香り”って商品を売り出す時に、その花に毒があるとか、悪い花言葉の意味があると縁起が悪い。だから新しい製品を作るときは、匂いそのものだけじゃなくて、使われてる花の意味とか、その匂いでどんな景色をイメージさせるかとか、総合的に気を遣うんだよ。ただ珍しい、新しいものを提案するだけじゃダメなの」
「ふーん…………。じゃ、ツーツーちゃん、俺とイソタン行ってみない? 」
「なんで? 」
『五越・伊祖丹』は、呉服屋が起源の有名デパートだ。もとは別々のデパートだったのが経営統合した。五越は保守的で上品な中高年向け、伊祖丹はファッション感度の高い若者~ミドルエイジ向け、というイメージがある。
「オシャレスポット『新宿イソタン』に行けば、きっと最新のメンズ香水がたくさん置いてるよね? そこで色々と嗅いでみたら、俺のインスピレーションが広がると思う。もう発売されてる香りなら、香料会社に問い合わせたら材料も手に入るだろうし、縁起が悪い花は使われてないはず」
「新商品案のプレゼン締切、明後日なんだよ。今からじわじわインスピレーション湧かせても、間に合わないよ」
「えっ。じゃあ今日行こう」
「はぁ? 急だなぁ。っていうか広瀬くんは、総務部の人でしょ」
「だって、俺もたまには製品開発に口出ししたいじゃん。裏庭の草むしりとか、備品の調達とか飽きたよ。ものづくりジャパン、格好いい。ツーツーちゃん、お願い。付き合ってよ~」
「もうっ。仕方ないなぁ…………」
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