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Episode➃ 最後の一滴
第23章|人生ゲーム <9>唐田アンナの産業医面談 その2(鈴木風寿の視点)
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<9>
―――――唐田さんは、比較的、お元気なのではないだろうか………。
足立さんが面談の場に入ってきたあとも、いくつか追加の質問をしたが、聞けば聞くほど、そう思えてくる状況だった。
産業医は、立場上、患者の疾患について診断も治療も行わない。
だが、医師として対象者が働ける状態かどうかを判断する責任を請け負っている以上、ある程度、病状についてのアタリはつけている。
俺の問いかけにたいする唐田さんの応答は、彼女が健康な精神状態であることを推測させるものばかりだった。
しかし患者が病気であることを診断するのも簡単ではないが、不調を訴える患者が病気ではないと診断することは、さらに難しい。
――――………PTSD………………なのか………………?
患者が訴えている病名の重大さ。これまでに見てきた、同じ病気を持つ患者の様子や経過。
頭の中で参照しているそれらと、目の前にいる患者の状態に、差がありすぎる場合……。医師が経験上、微かに感じる、遠いところで流れる不協和音のような矛盾………。
その違和感を口に出すことは、医療者にとって一種の賭けのようなものである。
慎重に行わなければ、失敗したときの代償が非常に大きいからだ。
時には医師と患者との関係性が全破綻するほどに………………。
切れ味のよい産業医面談では、やり取りが予測通り、ビシッと決まるものだ。
しかし時おり、今回のように、こちらが落としどころに迷ったまま、話が宙に浮いてしまうことがある。
(このケース……何かがおかしい。面談後、中泉さんに結論を伝える前に、一度、緒方先生に相談させてもらうほうがいいかもしれない………。)
このまま面談を終えるか迷ってしばらく黙ったとき、隣に座った足立さんが言った。
「唐田さん。………まだお話しいただいていないことが、ありませんか」
「えっ………? 」足立さんの唐突な声かけに、唐田さんが怪訝な表情をする。
足立さんのほうを見ると、彼女はいつになく真剣な表情をしていた。
「唐田さんがつらい思いをしていることがあったら、私たちに話してほしいです。実は私、これを見てしまって………」
足立さんが自分のスマートフォンを取り出した。表示された画面に、短い動画が映り込む。
「!!!!!! 」それを見た時、唐田さんの表情から余裕の色が消えた。
「これは、いったい………? 」俺だけが話題に付いていけていない。
「これ………偶然見つけたんです。唐田さんの『イースタ』アカウント………ですよね……? 」
目をキョロキョロとさせながら、唐田さんが無言で唇を噛んだ。
足立さんが言葉を続けた。
「そして、この、『ストーリーズ』で載せていた…………。
“―――――“強引に手をつながれちゃった夜(^▽^;)”ていう写真………。
唐田さんの手を引っ張ってるのは………、原須支店長の手、ですよね?? 」
「えっ……………? 」「……………!!! 」
足立さんの言うことを聞いて、俺が絶句すると同時に、唐田さんの顔色がみるみる蒼くなっていった。
「私、唐田さんが職場で複数の男性からセクハラを受けているんじゃないかと思って……。折口さんだけじゃなくて、原須支店長からもハラスメントを受けているとしたら、支店長のほうが立場がはるかに上なので、言い出しにくいのじゃないかって……心配しています………! 」
「唐田さん、唐田さん、大丈夫ですか」
唐田さんが吐き気を催したように口元を抑えて横を向いてしまったので、俺が声をかけた。
「………もういいです。もういい………」
「そんな………! 唐田さん、そんなの良くないです! 被害者が黙ってしまったら、組織の悪い慣習がそのまま続いてしまいます。同じ女性として、保健師として、女性が安心して働ける職場づくりを、一緒にお手伝いさせてほしいんです。だからセクハラは、支店長の件も………」
「うるさい!! もういいってば!!! 私、もうこの会社、辞めることにしますから!! セクハラの件なんて、もうどうでもいいです!!! 」
唐田さんが乱暴に席を立つ。
「唐田さん、ちょっと、ちょっと待ってください!! 」
俺も追うように立ち上がった。
もし彼女が会社を辞めてしまうとしても、その前に、医師として絶対に伝えておかなくてはならないことがある…………。
―――――唐田さんは、比較的、お元気なのではないだろうか………。
足立さんが面談の場に入ってきたあとも、いくつか追加の質問をしたが、聞けば聞くほど、そう思えてくる状況だった。
産業医は、立場上、患者の疾患について診断も治療も行わない。
だが、医師として対象者が働ける状態かどうかを判断する責任を請け負っている以上、ある程度、病状についてのアタリはつけている。
俺の問いかけにたいする唐田さんの応答は、彼女が健康な精神状態であることを推測させるものばかりだった。
しかし患者が病気であることを診断するのも簡単ではないが、不調を訴える患者が病気ではないと診断することは、さらに難しい。
――――………PTSD………………なのか………………?
患者が訴えている病名の重大さ。これまでに見てきた、同じ病気を持つ患者の様子や経過。
頭の中で参照しているそれらと、目の前にいる患者の状態に、差がありすぎる場合……。医師が経験上、微かに感じる、遠いところで流れる不協和音のような矛盾………。
その違和感を口に出すことは、医療者にとって一種の賭けのようなものである。
慎重に行わなければ、失敗したときの代償が非常に大きいからだ。
時には医師と患者との関係性が全破綻するほどに………………。
切れ味のよい産業医面談では、やり取りが予測通り、ビシッと決まるものだ。
しかし時おり、今回のように、こちらが落としどころに迷ったまま、話が宙に浮いてしまうことがある。
(このケース……何かがおかしい。面談後、中泉さんに結論を伝える前に、一度、緒方先生に相談させてもらうほうがいいかもしれない………。)
このまま面談を終えるか迷ってしばらく黙ったとき、隣に座った足立さんが言った。
「唐田さん。………まだお話しいただいていないことが、ありませんか」
「えっ………? 」足立さんの唐突な声かけに、唐田さんが怪訝な表情をする。
足立さんのほうを見ると、彼女はいつになく真剣な表情をしていた。
「唐田さんがつらい思いをしていることがあったら、私たちに話してほしいです。実は私、これを見てしまって………」
足立さんが自分のスマートフォンを取り出した。表示された画面に、短い動画が映り込む。
「!!!!!! 」それを見た時、唐田さんの表情から余裕の色が消えた。
「これは、いったい………? 」俺だけが話題に付いていけていない。
「これ………偶然見つけたんです。唐田さんの『イースタ』アカウント………ですよね……? 」
目をキョロキョロとさせながら、唐田さんが無言で唇を噛んだ。
足立さんが言葉を続けた。
「そして、この、『ストーリーズ』で載せていた…………。
“―――――“強引に手をつながれちゃった夜(^▽^;)”ていう写真………。
唐田さんの手を引っ張ってるのは………、原須支店長の手、ですよね?? 」
「えっ……………? 」「……………!!! 」
足立さんの言うことを聞いて、俺が絶句すると同時に、唐田さんの顔色がみるみる蒼くなっていった。
「私、唐田さんが職場で複数の男性からセクハラを受けているんじゃないかと思って……。折口さんだけじゃなくて、原須支店長からもハラスメントを受けているとしたら、支店長のほうが立場がはるかに上なので、言い出しにくいのじゃないかって……心配しています………! 」
「唐田さん、唐田さん、大丈夫ですか」
唐田さんが吐き気を催したように口元を抑えて横を向いてしまったので、俺が声をかけた。
「………もういいです。もういい………」
「そんな………! 唐田さん、そんなの良くないです! 被害者が黙ってしまったら、組織の悪い慣習がそのまま続いてしまいます。同じ女性として、保健師として、女性が安心して働ける職場づくりを、一緒にお手伝いさせてほしいんです。だからセクハラは、支店長の件も………」
「うるさい!! もういいってば!!! 私、もうこの会社、辞めることにしますから!! セクハラの件なんて、もうどうでもいいです!!! 」
唐田さんが乱暴に席を立つ。
「唐田さん、ちょっと、ちょっと待ってください!! 」
俺も追うように立ち上がった。
もし彼女が会社を辞めてしまうとしても、その前に、医師として絶対に伝えておかなくてはならないことがある…………。
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