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#28 そんな約束しただろうか
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「……な……ん……」
ディナ先輩、今、なんて言った?
俺に? 死ねって?
「ルブルムがやけにお前との同室にこだわると思っていたんだ。まさかルブルムにあんな約束させていたとはな」
「……あ……」
あんなってどんな?
――って、このままじゃラチあかない。特に今のこの体が痺れて動かなくなりつつある感じ――パイアの毒にやられたときを思い出す。時間がない――と思ったときにはもう『パイア毒の解毒』を発動した。
その瞬間、ディナ先輩が細身の剣を抜き俺を刺そうとした。
とっさに左手を前に出して身をかばおうとした、その左手の甲をディナ先輩の剣の切っ先が突き抜けるのが見えて、反射的に『ぶん殴る』を左手に発動した。
俺の左手の内側で何かが弾け、ディナ先輩が体勢を崩して後ろへと下がる。
「魔法を覚えたばかりでここまで使いこなせることが不自然だということに気付いてないのか? それにお前、今、何の魔法を使った?」
「……」
すぐには舌は回らないが、徐々に体の自由が戻ってくる。
ゲームに出てくる一般的な毒消しと異なり、ホルトゥスにおける解毒というのは万能ではないとカエルレウム師匠からうかがっていた。それぞれの毒の成分ごとに対処法が異なると。
ということはパイアの毒に似た成分だったのか?
なんて思考を続けられないくらいの痛みが左手の甲に――そこには、剣の切っ先の折れたのが突き出たまま。それを抜く……痛ぇぇぇ。
なんだこの痛み。
つーか何で俺、自分の手で剣を止められると思ったよ?
うわ、ディナ先輩は凄まじい形相で俺を睨んでいる。しかも消費命を集中して――でかいぞこれ。使われて初めて分かる、他人にでかい魔法代償の魔法を使われることの恐ろしさ――とか言ってる場合じゃなくて。
俺が習っている相手の魔法を打ち消す魔法は『魔力消散』――だけどこれは発動前に触れないといけない。あ、そうだ!
俺は体を揺らしながら反復横跳び気味に机や椅子を挟んで不規則に移動し始める。
ホルトゥスの魔法は原則、触れた場所に効果を発動する。『魔法転移』を使えば魔法の発動する場所を自分の触れていない場所へ移動が可能だが、それには発動時に自分の位置と魔法の発動場所との座標のズレを魔法に設定してあげなければならない。その設定後に魔法代償が決定するので、素早く動く相手にはかけづらいとのこと。
カエルレウム師匠に教わった対魔術師の立ち回り方をまさか先輩に対して使うことになるなんて。
「お前は何者だっ!」
ディナ先輩が怒鳴ったと同時に俺の背後の窓が勢いよく割れ、突風が俺の背中を押した。
そうか。動く俺じゃなく動かない周囲のモノを狙ったのか――じゃない。立ち止まったらダメだ。と、動いた俺の足元がぬるりと滑る。
視線を落とすと床がガラスの破片と血にまみれている――俺の血?
ふっと意識が遠のきかける。貧血? 体を支えようと机に右手をついた途端、背中に幾つもの痛みが走る。
ああそうか、割れたガラスが刺さっているのか。だがここで気絶でもしようものなら殺されかねない。
俺は消費命を集中する。まずは傷口を塞がないと――ああ、痛みで集中しにくい。ディナ先輩が俺を指している。次の魔法かも――時間を稼がなくては。
「約束、って、なん、ですか」
スローモーションのように遅くなった世界で発した自分の最期になるかもしれないセリフが、それだった。
「やめてっ! ディナ先輩っ!」
「ディナ様っ! おやめくださいっ!」
視界の中のディナ先輩が、悲壮な表情のルブルムの向こうに隠れる。
周囲の風が急に凪ぐ。
「ルブルム、危ない。巻き込ま、れる」
その自分の声が、やけに遠くに聞こえた。
目が覚めたとき、見開いた俺の目に最初に映ったのは、ルブルムの泣きはらした顔だった。
ルブルムは俺の顔を右側から覗き込んでいて、左側にはウェスさんがいて、俺の左手を握りしめている。冬の朝みたいに冷たい手。
「リテル君、左手の指を一本ずつ、順番に曲げてみてくれないか」
なんでそんなこと言うのはわからないが、ウェスさんが俺の左手を放したので、親指側から一本ずつ動かしていった――中指がなんかつっぱる感じ?
「中指がなんだか」
ルブルムとウェスさんとが揃って見た先に、ディナ先輩が居る。
ディナ先輩は渋々といった感じで俺に近寄ってくる。自然と身が竦む。
だが、ディナ先輩は俺の左手をつかむと、奥歯が砕けそうなくらいの凄まじい形相で俺を睨みつけながら……あ。左手が少し軽くなる。
今使ってくれたのって魔法――触れていたからわかった――『再生』。俺の体が、自分の形を思い出す、みたいなイメージが伝わってきた。
「もう一度動かしてみろ」
左手の中指を動かしてみると、つっぱっていた感覚が消えた。
「今の『再生』は、体が覚えている自分の本来の体の形を思い出す魔法だ。傷ができた直後ならば傷がつく前の状態へと戻すことができる。大きな傷については魔法代償が増えるし、傷がついて時間が経ち、傷があることに慣れてしまうとどんなに『再生』を発動しても傷がつく前には戻せない。『生命回復』は塞ぐだけだが『再生』は戻すことができる。ただし対象は気をつけろ。他人に使う場合、そいつの体に傷がつく前のことをよっぽどしっかり覚えていないと何の効果もない」
「は、はい。覚えます。ありがとうございます」
魔法を受けた感覚を忘れないために、今の『再生』の消費命の集中までを何度も繰り返す。
こんな便利魔法、生き延びるためには超必須だろ。これは絶対に覚えてやる。
「なるほど。勉強熱心なうえに寿命の渦の扱いも初心者とは思えないほど巧みだ。そこで一つ質問だ。ダクワスは知っているか?」
ダクワス……リテルの記憶を探すと……領監さんかな。
「ストウ村に確か三年前と……あとそれより前に二回くらいいらした領監さんだったら知っています。そうでないならば知らないです」
「ウェス、娼館街に行ったときにこいつに教えたりしていないのだな?」
「はい。ディナ様」
「そうか。ダクワスはストウ村の狩人はマクミラ一人だと言っていたが」
「俺が狩人見習いになったのは二年半前です。テニール兄貴の結婚式のすぐ後です。ダクワスさんはその前に別の村に移っていきました」
「なぜ狩人を目指したのか」
リテルはケティに釣り合う男になりたかったから。それはそのまま答えた方がいいだろう。
「早く一人前になりたいと思ったからです」
「狩人としてはもう一人前になったのか?」
「まだです」
「ではなぜそのような中途半端な身で、魔術師の弟子になろうとした」
それについては狩人のときとはちょっと違う。なろうと思ってなったわけじゃないから。
「カエルレウム様が目の前で魔法を使われたのを見ていたら、興味があるのかと聞かれましたので、あると答えました。すると魔法を教えてくださいました。最初は『発火』です。そして私も教わった通りに『発火』を使ってみました。その『発火』を見て、カエルレウム様が面白いとおっしゃって……魔法の話をいろいろとして……ラビツを追いかけるという計画をしていたときに、これをいただきました」
俺は、シャツの袖を左肩まであげ、二の腕に着けていた革の小さなベルトを外して裏返し、そこに嵌められている白魔石を見せた。
カエルレウム師匠から「弟子の証だ」と言われて渡されたもの。
「もう一度聞くが、お前の方から弟子入りを申し出たわけじゃないんだな」
「はい」
「ディナ先輩! 誘ったのはカエルレウム様の方からです!」
ルブルムがフォローしてくれたけど、言い方。
「そうか。では次の質問だ」
ディナ先輩は表情を変えない。
殺されかけた身としては何を答えるにも不安でいっぱい。
だけど今の俺は誠実に答えるしかない。
「お前、さっき『パイア毒の解毒』を使ったな。それはパイアに襲われる前から覚えていたか?」
「いえ。カエルレウム様に治療していただいたときに教えていただきました」
「それにしては使い慣れていたな。辺境の村人の子供にしては戦いにも慣れている」
「毒消しの魔法はそれしか知りませんし……それに、パイアの毒を受けた時と症状が似ていたように感じましたから。戦いについては、テニール兄貴……ストウ村の門番さんに習いました。テニール兄貴はフォーリーで領兵をした後、傭兵をしていたこともあります。あと狩人のマクミラ師匠より常に冷静でいなさいと普段から教えられております」
ディナ先輩は俺をじっと見つめている。
「そうか。では次。ルブルムにさせた約束を覚えているか?」
ルブルムとの約束……あれかな。
「えっと敬語を使わないこと。それから、ルブルムが俺に尋ねたことについて俺にできる限りなんでも答えること、です」
「まだある」
「えっ」
ルブルムの言った「まだある」って――あの約束の直後にルブルムが家族だって言い逃げして寝ちゃったやつのことか?
いやでもそれは約束じゃないよな?
「覚えてないのか? それともあまりにも破廉恥で言い淀んでいるだけか?」
破廉恥?
「リテル、私は待っているのだぞ?」
ルブルムが待っている?
何を?
「すみません、ルブルム。何かを待ってほしいとお願いしましたっけ?」
「お前! ルブルムに互いの生殖器を見せ合う約束をしていただろうがっ!」
えっ?
なんだその約束……したか?
「していませんっ」
「リテルはちょっと待てと言った。だから私は待っている」
「ちょ」
ちょっと待ってって言った気がする。でもそういう意味じゃない――ってその時も言ったはず。
つーか、俺が純粋無垢なルブルムとそんな約束していたと勘違いしたのならば、ただでさえ男嫌いっぽいディナ先輩が烈火のごとく憤るのも――わかりたくはないが、まあわからなくはない。
「すみません。俺の拒絶が言葉足らずだったせいで、ルブルムに誤解させてしまったようです。パイア毒の治療を受けていたとき、俺の股間をルブルムとアルブムが見つめていたことに意識の戻った俺が気付いて隠したんです……股間を。もっと見せてほしいと言われたのを俺が拒絶したら、ルブルムがお詫びに自分のを見せるとか言い出して」
「お詫びじゃなくお礼と言った」
「……だから俺は、股間は他人に見せていいものじゃないって断ったんです」
「でもリテルは家族だと言ってくれた! 家族なら他人じゃない!」
「お前っ!」
ディナ先輩が俺の首に手をかけた。
絞められる、と思ったそのとき、ルブルムがディナ先輩の手から俺を奪って抱き寄せた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
呪詛に感染中の身で、呪詛の原因たるラビツ一行をルブルム、マドハトと共に追いかけている。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
フォーリーではやはり娼館街を訪れていたっぽい。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。街中で魔法を使い捕まった。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。リテルと互いの生殖器を見せ合う約束をしたと思っていた。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌いっぽいが、感情にまかせて動いているわけではなさげ。
カエルレウムより連絡を受けた直後から娼館街へラビツたちを探すよう依頼していた。ルブルムをとても大事にしている。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
リテルに対して貧民街での最低限の知識やマナーを教えてくれた。
・テニール兄貴
ストウ村の門番。犬種の男性。リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
フォーリーで領兵をしたのち、傭兵を経て、嫁を連れて故郷へ戻ってきた。
・マクミラ師匠。
ストウ村の住人。リテルにとって狩人の師匠。猿種の男性。かなりの紳士。
■ はみ出しコラム【食肉事情】
今回は、獣種の食肉事情について紹介する。
先祖返りや半返りを含め、全ての獣種の消化器官はその獣種に限らず、地球における人間にかなり近い。
そのため、草食動物の獣種であろうとも食肉は可能であるし、肉食動物の獣種であろうとも草食は可能であるし、実際にどちらも食べている。
主に食される肉は家畜の肉、そして森などで狩猟により得られる肉である。
前者は、牛、羊、豚、山羊、家禽が多い。
後者は、鹿、兎、野禽が主で、熊や猿、ネズミ、亀の類も食べられることがある。
ちなみに馬は移動用として大切にされ、同様に犬は有能なパートナーとして、猫はネズミ捕りとして、食用よりも仕事仲間として位置づけられている。
・先祖獣と系列獣種
獣種の先祖とされる獣のことを先祖獣と呼び、とある獣を先祖とする獣種を系列獣種と呼ぶ。
獣種の亜種を含んだ表現の場合は、上記の前に「大」を付ける。
例)
猫種から見た猫は先祖獣。
猫種から見た獅子や虎は大先祖獣。
豚に対して猪種は大系列獣種だが、鳥種のように非常に多くの種類をまとめて鳥種と呼んでいるような獣種の場合、鳥に対しての鳥種は大がつかない系列獣種と表現される。
・共食い
獣種は基本的に獣種を食べることはない。これは自分とは異なる獣種であっても同様であり、例えば犬種の狼亜種が鹿種を食べるなどということもない。
獣種が獣種を食べない理由は、精神的な理由よりもむしろ肉体的な理由に拠る所が大きい。
獣種は獣種の肉を食べた場合、激しい下痢や酷い嘔吐を伴う激痛の腹痛に襲われる。食べた以上の水分と栄養を体外へ排出してしまうため、閉じ込められた環境で生存を望むような場合でも、死者の肉を食べない方が命を長くつなげる。
・先祖食い
一般的に獣種は、先祖獣や大先祖獣の肉を食べることを避ける傾向にある。これに関しては肉体的な理由ではなく、獣種の一定数が先祖返りであることからの、精神的な理由だと思われる。
客に料理を振る舞う場合も、基本的には先祖食いを避けるのがマナーとされている。
先祖食いを気にしない者については特に「先祖食い」という言葉が用意されているが、先祖食いを避けることについては特定の呼称は用意されていない。それほど「先祖食い」は珍しい。
また、先祖獣は食べないが大先祖獣は厳密には先祖食いではないと主張する者も「先祖食い」よりは多少居るが、それでもマナーとしては、大先祖獣を避けて食肉を用意するのが一般的である。
・同席
複数の獣種が混在する地域では、先祖食いの回避は個々の問題として処理される。
例えば複数の獣種で一つの食卓を囲む場合、その席に着く一人の獣種の先祖獣が食肉として供されるとき、系列獣種《ポステラム》本人は「先祖食い」を避けるが、同席する他の獣種に対しても食肉を避けるように求めることは滅多にないし、その食肉を供すること自体もマナー違反という意識は一般に持たれていない。
・先祖倣い
先祖獣と同じ食事をしようとする者を「先祖倣い」と呼ぶ。
例えば馬種や羊種などについては、肉を食べず野菜のみを食べるなど。
先祖倣いを恒常的にしている者は少ないが、一部地域では、成人や半成人を迎える誕生日前の一週間など儀式的に先祖倣いを取り入れているところもある。
ディナ先輩、今、なんて言った?
俺に? 死ねって?
「ルブルムがやけにお前との同室にこだわると思っていたんだ。まさかルブルムにあんな約束させていたとはな」
「……あ……」
あんなってどんな?
――って、このままじゃラチあかない。特に今のこの体が痺れて動かなくなりつつある感じ――パイアの毒にやられたときを思い出す。時間がない――と思ったときにはもう『パイア毒の解毒』を発動した。
その瞬間、ディナ先輩が細身の剣を抜き俺を刺そうとした。
とっさに左手を前に出して身をかばおうとした、その左手の甲をディナ先輩の剣の切っ先が突き抜けるのが見えて、反射的に『ぶん殴る』を左手に発動した。
俺の左手の内側で何かが弾け、ディナ先輩が体勢を崩して後ろへと下がる。
「魔法を覚えたばかりでここまで使いこなせることが不自然だということに気付いてないのか? それにお前、今、何の魔法を使った?」
「……」
すぐには舌は回らないが、徐々に体の自由が戻ってくる。
ゲームに出てくる一般的な毒消しと異なり、ホルトゥスにおける解毒というのは万能ではないとカエルレウム師匠からうかがっていた。それぞれの毒の成分ごとに対処法が異なると。
ということはパイアの毒に似た成分だったのか?
なんて思考を続けられないくらいの痛みが左手の甲に――そこには、剣の切っ先の折れたのが突き出たまま。それを抜く……痛ぇぇぇ。
なんだこの痛み。
つーか何で俺、自分の手で剣を止められると思ったよ?
うわ、ディナ先輩は凄まじい形相で俺を睨んでいる。しかも消費命を集中して――でかいぞこれ。使われて初めて分かる、他人にでかい魔法代償の魔法を使われることの恐ろしさ――とか言ってる場合じゃなくて。
俺が習っている相手の魔法を打ち消す魔法は『魔力消散』――だけどこれは発動前に触れないといけない。あ、そうだ!
俺は体を揺らしながら反復横跳び気味に机や椅子を挟んで不規則に移動し始める。
ホルトゥスの魔法は原則、触れた場所に効果を発動する。『魔法転移』を使えば魔法の発動する場所を自分の触れていない場所へ移動が可能だが、それには発動時に自分の位置と魔法の発動場所との座標のズレを魔法に設定してあげなければならない。その設定後に魔法代償が決定するので、素早く動く相手にはかけづらいとのこと。
カエルレウム師匠に教わった対魔術師の立ち回り方をまさか先輩に対して使うことになるなんて。
「お前は何者だっ!」
ディナ先輩が怒鳴ったと同時に俺の背後の窓が勢いよく割れ、突風が俺の背中を押した。
そうか。動く俺じゃなく動かない周囲のモノを狙ったのか――じゃない。立ち止まったらダメだ。と、動いた俺の足元がぬるりと滑る。
視線を落とすと床がガラスの破片と血にまみれている――俺の血?
ふっと意識が遠のきかける。貧血? 体を支えようと机に右手をついた途端、背中に幾つもの痛みが走る。
ああそうか、割れたガラスが刺さっているのか。だがここで気絶でもしようものなら殺されかねない。
俺は消費命を集中する。まずは傷口を塞がないと――ああ、痛みで集中しにくい。ディナ先輩が俺を指している。次の魔法かも――時間を稼がなくては。
「約束、って、なん、ですか」
スローモーションのように遅くなった世界で発した自分の最期になるかもしれないセリフが、それだった。
「やめてっ! ディナ先輩っ!」
「ディナ様っ! おやめくださいっ!」
視界の中のディナ先輩が、悲壮な表情のルブルムの向こうに隠れる。
周囲の風が急に凪ぐ。
「ルブルム、危ない。巻き込ま、れる」
その自分の声が、やけに遠くに聞こえた。
目が覚めたとき、見開いた俺の目に最初に映ったのは、ルブルムの泣きはらした顔だった。
ルブルムは俺の顔を右側から覗き込んでいて、左側にはウェスさんがいて、俺の左手を握りしめている。冬の朝みたいに冷たい手。
「リテル君、左手の指を一本ずつ、順番に曲げてみてくれないか」
なんでそんなこと言うのはわからないが、ウェスさんが俺の左手を放したので、親指側から一本ずつ動かしていった――中指がなんかつっぱる感じ?
「中指がなんだか」
ルブルムとウェスさんとが揃って見た先に、ディナ先輩が居る。
ディナ先輩は渋々といった感じで俺に近寄ってくる。自然と身が竦む。
だが、ディナ先輩は俺の左手をつかむと、奥歯が砕けそうなくらいの凄まじい形相で俺を睨みつけながら……あ。左手が少し軽くなる。
今使ってくれたのって魔法――触れていたからわかった――『再生』。俺の体が、自分の形を思い出す、みたいなイメージが伝わってきた。
「もう一度動かしてみろ」
左手の中指を動かしてみると、つっぱっていた感覚が消えた。
「今の『再生』は、体が覚えている自分の本来の体の形を思い出す魔法だ。傷ができた直後ならば傷がつく前の状態へと戻すことができる。大きな傷については魔法代償が増えるし、傷がついて時間が経ち、傷があることに慣れてしまうとどんなに『再生』を発動しても傷がつく前には戻せない。『生命回復』は塞ぐだけだが『再生』は戻すことができる。ただし対象は気をつけろ。他人に使う場合、そいつの体に傷がつく前のことをよっぽどしっかり覚えていないと何の効果もない」
「は、はい。覚えます。ありがとうございます」
魔法を受けた感覚を忘れないために、今の『再生』の消費命の集中までを何度も繰り返す。
こんな便利魔法、生き延びるためには超必須だろ。これは絶対に覚えてやる。
「なるほど。勉強熱心なうえに寿命の渦の扱いも初心者とは思えないほど巧みだ。そこで一つ質問だ。ダクワスは知っているか?」
ダクワス……リテルの記憶を探すと……領監さんかな。
「ストウ村に確か三年前と……あとそれより前に二回くらいいらした領監さんだったら知っています。そうでないならば知らないです」
「ウェス、娼館街に行ったときにこいつに教えたりしていないのだな?」
「はい。ディナ様」
「そうか。ダクワスはストウ村の狩人はマクミラ一人だと言っていたが」
「俺が狩人見習いになったのは二年半前です。テニール兄貴の結婚式のすぐ後です。ダクワスさんはその前に別の村に移っていきました」
「なぜ狩人を目指したのか」
リテルはケティに釣り合う男になりたかったから。それはそのまま答えた方がいいだろう。
「早く一人前になりたいと思ったからです」
「狩人としてはもう一人前になったのか?」
「まだです」
「ではなぜそのような中途半端な身で、魔術師の弟子になろうとした」
それについては狩人のときとはちょっと違う。なろうと思ってなったわけじゃないから。
「カエルレウム様が目の前で魔法を使われたのを見ていたら、興味があるのかと聞かれましたので、あると答えました。すると魔法を教えてくださいました。最初は『発火』です。そして私も教わった通りに『発火』を使ってみました。その『発火』を見て、カエルレウム様が面白いとおっしゃって……魔法の話をいろいろとして……ラビツを追いかけるという計画をしていたときに、これをいただきました」
俺は、シャツの袖を左肩まであげ、二の腕に着けていた革の小さなベルトを外して裏返し、そこに嵌められている白魔石を見せた。
カエルレウム師匠から「弟子の証だ」と言われて渡されたもの。
「もう一度聞くが、お前の方から弟子入りを申し出たわけじゃないんだな」
「はい」
「ディナ先輩! 誘ったのはカエルレウム様の方からです!」
ルブルムがフォローしてくれたけど、言い方。
「そうか。では次の質問だ」
ディナ先輩は表情を変えない。
殺されかけた身としては何を答えるにも不安でいっぱい。
だけど今の俺は誠実に答えるしかない。
「お前、さっき『パイア毒の解毒』を使ったな。それはパイアに襲われる前から覚えていたか?」
「いえ。カエルレウム様に治療していただいたときに教えていただきました」
「それにしては使い慣れていたな。辺境の村人の子供にしては戦いにも慣れている」
「毒消しの魔法はそれしか知りませんし……それに、パイアの毒を受けた時と症状が似ていたように感じましたから。戦いについては、テニール兄貴……ストウ村の門番さんに習いました。テニール兄貴はフォーリーで領兵をした後、傭兵をしていたこともあります。あと狩人のマクミラ師匠より常に冷静でいなさいと普段から教えられております」
ディナ先輩は俺をじっと見つめている。
「そうか。では次。ルブルムにさせた約束を覚えているか?」
ルブルムとの約束……あれかな。
「えっと敬語を使わないこと。それから、ルブルムが俺に尋ねたことについて俺にできる限りなんでも答えること、です」
「まだある」
「えっ」
ルブルムの言った「まだある」って――あの約束の直後にルブルムが家族だって言い逃げして寝ちゃったやつのことか?
いやでもそれは約束じゃないよな?
「覚えてないのか? それともあまりにも破廉恥で言い淀んでいるだけか?」
破廉恥?
「リテル、私は待っているのだぞ?」
ルブルムが待っている?
何を?
「すみません、ルブルム。何かを待ってほしいとお願いしましたっけ?」
「お前! ルブルムに互いの生殖器を見せ合う約束をしていただろうがっ!」
えっ?
なんだその約束……したか?
「していませんっ」
「リテルはちょっと待てと言った。だから私は待っている」
「ちょ」
ちょっと待ってって言った気がする。でもそういう意味じゃない――ってその時も言ったはず。
つーか、俺が純粋無垢なルブルムとそんな約束していたと勘違いしたのならば、ただでさえ男嫌いっぽいディナ先輩が烈火のごとく憤るのも――わかりたくはないが、まあわからなくはない。
「すみません。俺の拒絶が言葉足らずだったせいで、ルブルムに誤解させてしまったようです。パイア毒の治療を受けていたとき、俺の股間をルブルムとアルブムが見つめていたことに意識の戻った俺が気付いて隠したんです……股間を。もっと見せてほしいと言われたのを俺が拒絶したら、ルブルムがお詫びに自分のを見せるとか言い出して」
「お詫びじゃなくお礼と言った」
「……だから俺は、股間は他人に見せていいものじゃないって断ったんです」
「でもリテルは家族だと言ってくれた! 家族なら他人じゃない!」
「お前っ!」
ディナ先輩が俺の首に手をかけた。
絞められる、と思ったそのとき、ルブルムがディナ先輩の手から俺を奪って抱き寄せた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
呪詛に感染中の身で、呪詛の原因たるラビツ一行をルブルム、マドハトと共に追いかけている。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
フォーリーではやはり娼館街を訪れていたっぽい。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。街中で魔法を使い捕まった。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。リテルと互いの生殖器を見せ合う約束をしたと思っていた。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌いっぽいが、感情にまかせて動いているわけではなさげ。
カエルレウムより連絡を受けた直後から娼館街へラビツたちを探すよう依頼していた。ルブルムをとても大事にしている。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
リテルに対して貧民街での最低限の知識やマナーを教えてくれた。
・テニール兄貴
ストウ村の門番。犬種の男性。リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
フォーリーで領兵をしたのち、傭兵を経て、嫁を連れて故郷へ戻ってきた。
・マクミラ師匠。
ストウ村の住人。リテルにとって狩人の師匠。猿種の男性。かなりの紳士。
■ はみ出しコラム【食肉事情】
今回は、獣種の食肉事情について紹介する。
先祖返りや半返りを含め、全ての獣種の消化器官はその獣種に限らず、地球における人間にかなり近い。
そのため、草食動物の獣種であろうとも食肉は可能であるし、肉食動物の獣種であろうとも草食は可能であるし、実際にどちらも食べている。
主に食される肉は家畜の肉、そして森などで狩猟により得られる肉である。
前者は、牛、羊、豚、山羊、家禽が多い。
後者は、鹿、兎、野禽が主で、熊や猿、ネズミ、亀の類も食べられることがある。
ちなみに馬は移動用として大切にされ、同様に犬は有能なパートナーとして、猫はネズミ捕りとして、食用よりも仕事仲間として位置づけられている。
・先祖獣と系列獣種
獣種の先祖とされる獣のことを先祖獣と呼び、とある獣を先祖とする獣種を系列獣種と呼ぶ。
獣種の亜種を含んだ表現の場合は、上記の前に「大」を付ける。
例)
猫種から見た猫は先祖獣。
猫種から見た獅子や虎は大先祖獣。
豚に対して猪種は大系列獣種だが、鳥種のように非常に多くの種類をまとめて鳥種と呼んでいるような獣種の場合、鳥に対しての鳥種は大がつかない系列獣種と表現される。
・共食い
獣種は基本的に獣種を食べることはない。これは自分とは異なる獣種であっても同様であり、例えば犬種の狼亜種が鹿種を食べるなどということもない。
獣種が獣種を食べない理由は、精神的な理由よりもむしろ肉体的な理由に拠る所が大きい。
獣種は獣種の肉を食べた場合、激しい下痢や酷い嘔吐を伴う激痛の腹痛に襲われる。食べた以上の水分と栄養を体外へ排出してしまうため、閉じ込められた環境で生存を望むような場合でも、死者の肉を食べない方が命を長くつなげる。
・先祖食い
一般的に獣種は、先祖獣や大先祖獣の肉を食べることを避ける傾向にある。これに関しては肉体的な理由ではなく、獣種の一定数が先祖返りであることからの、精神的な理由だと思われる。
客に料理を振る舞う場合も、基本的には先祖食いを避けるのがマナーとされている。
先祖食いを気にしない者については特に「先祖食い」という言葉が用意されているが、先祖食いを避けることについては特定の呼称は用意されていない。それほど「先祖食い」は珍しい。
また、先祖獣は食べないが大先祖獣は厳密には先祖食いではないと主張する者も「先祖食い」よりは多少居るが、それでもマナーとしては、大先祖獣を避けて食肉を用意するのが一般的である。
・同席
複数の獣種が混在する地域では、先祖食いの回避は個々の問題として処理される。
例えば複数の獣種で一つの食卓を囲む場合、その席に着く一人の獣種の先祖獣が食肉として供されるとき、系列獣種《ポステラム》本人は「先祖食い」を避けるが、同席する他の獣種に対しても食肉を避けるように求めることは滅多にないし、その食肉を供すること自体もマナー違反という意識は一般に持たれていない。
・先祖倣い
先祖獣と同じ食事をしようとする者を「先祖倣い」と呼ぶ。
例えば馬種や羊種などについては、肉を食べず野菜のみを食べるなど。
先祖倣いを恒常的にしている者は少ないが、一部地域では、成人や半成人を迎える誕生日前の一週間など儀式的に先祖倣いを取り入れているところもある。
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