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65 白い結婚の終わり
それから7日ほどローゼリアは耐えた。いや、正確に言うとローゼリアには7日間を耐えるのがやっとだった。
その日はオルコット伯爵が、王都のタウンハウスへやってくる日だった。
表向きは怪我をしたイアンの見舞いだったが、王太子交代の話を聞いたイアンがその事を直接伯爵に伝える為に自分の怪我の他に急を要する用件が出来たと伯爵を呼んだのだった。
この7日間、ローゼリアはなるべくいつも通りにイアンと接する努力をしてきた。しかし、イアンも自分と同じ思いを持っていると知ってしまった為、ローゼリアの気持ちはさらに高まってしまったのだ。
これまでイアンはイアンでしかなかったのに、好きになった途端彼がキラキラして見えてしまい、彼を見るだけで自分の顔が熱くなってしまうのだ。
イアンと目が合うだけで顔が赤くなってすぐに俯いてしまう事や、会話をしようとすると吃音気味になったり、不自然なところも多くなってしまっていた。ローゼリアなりに恋愛感情という生まれて初めて対峙する強い気持ちの波を何とか乗りこなそうと努力をしていたが、すっかり波にのまれているのが現状だった。
そんな必死なローゼリアを見る度に、イアンはローゼリアが可愛らしくて愛おしいと思ってしまうようで、ローゼリアを見ては頬が緩んだり、嬉しさのあまり笑いそうになるのをこらえている様子が見られるのだった。
こうして王都のオルコット伯爵家は、新婚家庭のような甘い雰囲気に変わってた。
「ん?どうした?」
伯爵はそんな家の変化を、晩餐が始まった頃に気が付いた。
ローゼリアはひと言も喋る事なく、チラチラとイアンを見ては頬を赤くして下を向いてしまうのだ。
社交界では老成した婦人のように表情を読ませない令嬢であったのに、今のローゼリアは感情を隠せない初心な令嬢にしか見えなかった。
イアンの方はといえば、ローゼリアをにこやかに、……いや伯爵の目にはすっかり鼻の下を伸ばしただらしない表情を浮かべてローゼリアを見つめているように見える。
そして壁際に控えている使用人たちを見ると、まるで幼子でも見守るように、温かい眼差しで二人を見ているのだった。
一人冷静な伯爵は、自分だけが何かに取り残されたような気分になったが、先ほどはイアンからエーヴェルト立太子の話を聞いた。
政局が大きく変わり、エーヴェルトが立太子するとなると、予定よりずっと早いがそろそろローゼリアを手放す時期がやってきたのだと思ったが、このままなら義息子の嫁として迎えるようになりそうだと思い、今後の結婚式までの算段を頭の中で考えるのだった。
「はっ、伯爵様、食事が終わりましたらお話をしたい事がございますの。お時間を作っていただけますかしらぁ?……まあっ、わ、わたくしったら、申し訳ございませんっ」
“ら”の音だけローゼリアの声が裏返ってしまい、ローゼリアはまたもや赤くなって下を向いてしまった。そんなローゼリアをより眉を下げて見つめるイアン。
さらにそんな二人を見ては「はあ~」と嬉しそうにため息をつく三人の中年のメイドたち……。
二年前、ローゼリアが不意打ちのように知人の男爵令嬢を紹介した事でイアンが臍を曲げた時の、あの真冬のような晩餐の空気を思い出しながら、あの頃とは全く違うこの二人はしばらく使い物にならないだろうと伯爵は一人で遠い目をしていた。
◆◆◆
晩餐後の応接室にオルコット伯爵はいた。目の前の長いソファにはイアンとローゼリアが仲良く並んで座っている。さすがにくっついてはいないが、ふとした拍子にイアンの二の腕がローゼリアの肩に触れた瞬間、二人同時に小さな声を上げ、お互いに謝り合っていた。
「それで話とはどういう事だ、忙しいので手短に頼む」
伯爵は別に忙しくはなかったのだが、無駄な時間を過ごしているような気がしていたので、この空気から早く抜け出したいと思っていた。
「はい、実はイアン様の結婚相手を見つけてしまいましたの!」
ローゼリアの言葉にイアンが分かり易いように動揺した表情を浮かべて、ローゼリアを見る。
「……続けてくれ」
「伯爵様とイアン様共にご納得いただける相手ですわ。血筋もしっかりした高位貴族出身でオルコット家の家政を任せられる上にある程度の社交もこなせますのよ」
「………」
「あら伯爵様、どなたか気になりませんの?」
これだけ見せつけられているのに、今さらもったいぶったように切り出された伯爵はあきれた表情を浮かべていた。
しかし、伯爵の気持ちをよく分かっていないのはローゼリアだけではなかった。
「ちょっと待ってくれロゼ、それはもしかして……その話は今夜俺から義父上に言うつもりだったんだっ!」
まさかのイアンからの“ちょっと待った”に伯爵は片方の眉を上げる。
「いいえ、私から言わせて下さい。その方をこの家に迎えるにはひとつだけ条件がありますの、たったひとつですのよ、それは……」
「義父上っ、すぐに離縁して俺にローゼリアを下さいっ!」
イアンが勢いよく頭を下げ過ぎたため、ローテーブルに頭を打ち付けてしまい、言葉と共にゴンと派手な音がした。相当痛かったと思われるが、ぷるぷると震えながらもイアンは動かなかった。
「きゃあ! イアン様っ! 意識はありますかっ?! もうこれ以上頭は打たないで下さいなっ!」
伯爵はいい加減話を仕舞いにしようと席を立つ。
「イアン、白い結婚の証明書を持ってこい。婚姻の無効届けにはいつでもサインをしてやる」
「ありがとうございますっ、義父上!」
頭を下げたままの姿勢でイアンは伯爵に感謝の言葉を言った。
そしてイアンに倣うように、ローゼリアもゆっくりと深く頭を下げた。
オルコット家に嫁いで三年目にして、ローゼリアの白い結婚の終わりと次の結婚が同時に決まったのだった。
その日はオルコット伯爵が、王都のタウンハウスへやってくる日だった。
表向きは怪我をしたイアンの見舞いだったが、王太子交代の話を聞いたイアンがその事を直接伯爵に伝える為に自分の怪我の他に急を要する用件が出来たと伯爵を呼んだのだった。
この7日間、ローゼリアはなるべくいつも通りにイアンと接する努力をしてきた。しかし、イアンも自分と同じ思いを持っていると知ってしまった為、ローゼリアの気持ちはさらに高まってしまったのだ。
これまでイアンはイアンでしかなかったのに、好きになった途端彼がキラキラして見えてしまい、彼を見るだけで自分の顔が熱くなってしまうのだ。
イアンと目が合うだけで顔が赤くなってすぐに俯いてしまう事や、会話をしようとすると吃音気味になったり、不自然なところも多くなってしまっていた。ローゼリアなりに恋愛感情という生まれて初めて対峙する強い気持ちの波を何とか乗りこなそうと努力をしていたが、すっかり波にのまれているのが現状だった。
そんな必死なローゼリアを見る度に、イアンはローゼリアが可愛らしくて愛おしいと思ってしまうようで、ローゼリアを見ては頬が緩んだり、嬉しさのあまり笑いそうになるのをこらえている様子が見られるのだった。
こうして王都のオルコット伯爵家は、新婚家庭のような甘い雰囲気に変わってた。
「ん?どうした?」
伯爵はそんな家の変化を、晩餐が始まった頃に気が付いた。
ローゼリアはひと言も喋る事なく、チラチラとイアンを見ては頬を赤くして下を向いてしまうのだ。
社交界では老成した婦人のように表情を読ませない令嬢であったのに、今のローゼリアは感情を隠せない初心な令嬢にしか見えなかった。
イアンの方はといえば、ローゼリアをにこやかに、……いや伯爵の目にはすっかり鼻の下を伸ばしただらしない表情を浮かべてローゼリアを見つめているように見える。
そして壁際に控えている使用人たちを見ると、まるで幼子でも見守るように、温かい眼差しで二人を見ているのだった。
一人冷静な伯爵は、自分だけが何かに取り残されたような気分になったが、先ほどはイアンからエーヴェルト立太子の話を聞いた。
政局が大きく変わり、エーヴェルトが立太子するとなると、予定よりずっと早いがそろそろローゼリアを手放す時期がやってきたのだと思ったが、このままなら義息子の嫁として迎えるようになりそうだと思い、今後の結婚式までの算段を頭の中で考えるのだった。
「はっ、伯爵様、食事が終わりましたらお話をしたい事がございますの。お時間を作っていただけますかしらぁ?……まあっ、わ、わたくしったら、申し訳ございませんっ」
“ら”の音だけローゼリアの声が裏返ってしまい、ローゼリアはまたもや赤くなって下を向いてしまった。そんなローゼリアをより眉を下げて見つめるイアン。
さらにそんな二人を見ては「はあ~」と嬉しそうにため息をつく三人の中年のメイドたち……。
二年前、ローゼリアが不意打ちのように知人の男爵令嬢を紹介した事でイアンが臍を曲げた時の、あの真冬のような晩餐の空気を思い出しながら、あの頃とは全く違うこの二人はしばらく使い物にならないだろうと伯爵は一人で遠い目をしていた。
◆◆◆
晩餐後の応接室にオルコット伯爵はいた。目の前の長いソファにはイアンとローゼリアが仲良く並んで座っている。さすがにくっついてはいないが、ふとした拍子にイアンの二の腕がローゼリアの肩に触れた瞬間、二人同時に小さな声を上げ、お互いに謝り合っていた。
「それで話とはどういう事だ、忙しいので手短に頼む」
伯爵は別に忙しくはなかったのだが、無駄な時間を過ごしているような気がしていたので、この空気から早く抜け出したいと思っていた。
「はい、実はイアン様の結婚相手を見つけてしまいましたの!」
ローゼリアの言葉にイアンが分かり易いように動揺した表情を浮かべて、ローゼリアを見る。
「……続けてくれ」
「伯爵様とイアン様共にご納得いただける相手ですわ。血筋もしっかりした高位貴族出身でオルコット家の家政を任せられる上にある程度の社交もこなせますのよ」
「………」
「あら伯爵様、どなたか気になりませんの?」
これだけ見せつけられているのに、今さらもったいぶったように切り出された伯爵はあきれた表情を浮かべていた。
しかし、伯爵の気持ちをよく分かっていないのはローゼリアだけではなかった。
「ちょっと待ってくれロゼ、それはもしかして……その話は今夜俺から義父上に言うつもりだったんだっ!」
まさかのイアンからの“ちょっと待った”に伯爵は片方の眉を上げる。
「いいえ、私から言わせて下さい。その方をこの家に迎えるにはひとつだけ条件がありますの、たったひとつですのよ、それは……」
「義父上っ、すぐに離縁して俺にローゼリアを下さいっ!」
イアンが勢いよく頭を下げ過ぎたため、ローテーブルに頭を打ち付けてしまい、言葉と共にゴンと派手な音がした。相当痛かったと思われるが、ぷるぷると震えながらもイアンは動かなかった。
「きゃあ! イアン様っ! 意識はありますかっ?! もうこれ以上頭は打たないで下さいなっ!」
伯爵はいい加減話を仕舞いにしようと席を立つ。
「イアン、白い結婚の証明書を持ってこい。婚姻の無効届けにはいつでもサインをしてやる」
「ありがとうございますっ、義父上!」
頭を下げたままの姿勢でイアンは伯爵に感謝の言葉を言った。
そしてイアンに倣うように、ローゼリアもゆっくりと深く頭を下げた。
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