裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都

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32 仮初の立場

 結局あの夜会でイアンのお相手は見つからなかった。

 デビュタントをした令嬢達の中の誰かと運命的な出会いをしてくれたらローゼリアとしては万々歳だったのだが、イアンは積極的に令嬢達に話し掛けなかったのだ。

 本の影響でイアンに興味を持った令嬢が何人かいたのだが、自分は本のモデルにはなったが、それは外見だけで自分と本に登場する伯爵さまは違うとイアン自身がはっきり言ってしまったのだった。

 憧れていたはずの本人に夢を壊された令嬢たちは、肩を落として去って行ってしまったらしい。

 伯爵は笑いながら帰りの馬車の中でそれらの出来事をローゼリアに話して聞かせるのだった。

(せっかくの機会だったのに……。これでイアン様の結婚がまた遠のいてしまったわ)

 貴族としては年齢的にも遅いから半ばあきらめているのかもしれないが、そもそもイアンからは結婚をしたいという意志が感じられない。

 イアンがオルコット家の養子になったのは20も半ばにさしかかった頃で、イアンと同年代の令息や令嬢だった彼らは結婚をしていて子供もいる者ばかりだったのだ。だからもう年齢の事は割り切って年下の令嬢を探した方が建設的だとローゼリアは思うのだ。

 イアンには従兄妹も兄弟もいないので、イアンに実子がいなければ遠い親戚の子供に継がせるか爵位を返上するかのどちらかの選択しかなくなる。イアンは巡回騎士をしていた頃に恋愛問題でつまずいた経験があるようだが、貴族なのだから自分の感情よりも政略として結婚を受け入れればいいのにとローゼリアは考える。

(さすがに平民の女性ではこの私でも淑女教育からになりますから無理ですわ)

 ローゼリアはイアンと街歩きをした時に話し掛けてきた平民の女の姿を思い出していた。

 同性のローゼリアから見ても色気の多い、なかなか魅惑的な女性だった。あのレベルを10代の令嬢に求めるというのは無理という話だ。

(伯爵様が離婚歴のある女性でも認めて下されば、ああいった女性を探す事も出来るのでしょうが……、今度相談をしてみようかしら)

 ローゼリアはすっかり袋小路に落ち込んでいた。

 イアンも結婚について何も思っていないというわけではないのだろうが、彼がどのような結婚相手を求めているのかがローゼリアにはさっぱり分からない。

「イアン様が結婚して下さらないと私が離婚できませんのよね」

「義母上、何かおっしゃいました?」

「いえ、何でもございませんわ」

 心の中の声がつい口から出てしまったらしい。ローゼリアは慌ててダンスに集中する。

 王宮での夜会の後に、イアンからダンスの練習をしたいと言われて何回も付き合っていたのだが、ある程度踊れるようになってきたら今度は夜会でもダンスを踊ってみたいと言われたので、こうして他家の夜会へ来てイアンとダンスを踊っているのを忘れていた。

「ダンスをしながら考え事をされるなんて余裕ですね」

 そう言いながらイアンは先日覚えたばかりの少し複雑なステップを踏み出す。

 貴族になるまでダンスなんてやった事がないと言っていたのに、イアンは身体を動かすのは得意なようで、短期間である程度は踊れるようになっていた。

「ええ、ダンスなんて歩き始めた頃からしていましたから得意ですし余裕もありますわ」

 涼しい表情を浮かべたまま、ローゼリアもイアンに合わせたステップを踏む。

 ローゼリアは自分が初めてダンスを踊った時の事は覚えていない。母親の話では本当に歩きたての頃に兄のエーヴェルトに遊びの延長で一緒に踊らされていたらしい。

「……何でも出来るのですね。あなたに苦手なものは無いのですか?」

「苦手なのものはヘビですわ」

 そう答えたタイミングで曲が終わったので、二人はお互いに礼をしてダンスを踊る人々の輪から抜け出す。夫婦や婚約者ではないから二曲続けては踊れない。

「今度剣術をお教え致しましょうか?前に教えて欲しいっておっしゃっていたでしょう」

「やっぱりやめておきますわ。何だか不条理にしごかれそうですもの」

「俺は優しくお教えしますよ」

「まあ、優しいイアン様だなんて怖くて嫌ですわ」

「ひどい言われようだなあ」

 そう言って笑うとイアンは給仕からシャンパンと果実水をもらい、果実水の方をローゼリアに渡す。

「私もシャンパンの方が良かったのに」

「駄目ですよ。あなたはまだ子供なんですから」

「あら、私はとっくに成人していますわ。それに結婚までして大きな息子もいましてよ」

「ええ、ですがあなたは酒の飲み方も知らないし、男の扱い方も知らないのですから、果実水にしなさい」

 いくら優秀でも情緒面ではまだ子供なのだとイアンに指摘されたローゼリアは反論できずに大人しく果実水を受け取って飲む。

 ローゼリアは最近イアンと話す事が楽しいと思えるようになってきていた。これだけローゼリアと話が出来るのなら、夜会に来ている令嬢とも話せばいいのにと思うのだが、今のところイアンは社交界に出ても会話をする女性はローゼリアだけだった。

(イアン様は女性に対してシャイな方なのかしら?)

それにもしかしたら社交界に出たばかりだから気に入った女性がまだいないだけで、これからそういった令嬢との出会いがあるかもしれない。

 ローゼリアとは義理ではあるが家族だから気安く話をしているのだと分かってはいても、こうやって一緒にいるとイアンに特別扱いをされているような気持ちに少しだけなってしまう。

 もう少し彼が社交界に慣れたら状況はきっと変わるだろう。この関係は今だけのものだからと心の中で自分に言い聞かせながらも、長年婚約者に蔑ろにされる事に慣れ続けてしまったローゼリアは、義理ではあっても肉親や親族以外の異性に特別扱いされる事は初めてで、つい嬉しくも思ってしまうのだった。

(イアン様が結婚をされてしまったら、そのお方がイアン様の特別になってしまうのよね)

 ローゼリアの今の目標は一日でも早く伯爵と離婚をしてエルランドに行き、家族と再会することだ。ローゼリアが望んでいる事の中には恋愛も結婚も入ってはいない。

 もしもローゼリアが次に結婚をする事があったとしてもローゼリア自身は政略結婚が望ましいと思っている。

 元婚約者だったヘンリックに恋愛感情は抱いていなかったが、小さな頃からの付き合いだったので、人としての信頼関係のようなものは残っていると心のどこかで思っていた。

 王太子妃となり、多少なりとも自分に結婚で得られる確かな地位が与えられればヘンリックとも王家から指示された言葉ではなく、自分の言葉でもっと彼に話す事ができる日がくるだろう、とそう思っていた。

 嫌だ嫌だと思ってはいても、ローゼリアはヘンリックに嫁ぐ覚悟はしていた。

 留学を終えて帰国した後、ヘンリックとマリーナの噂を聞いた時はついにヘンリックの心が完全に離れてしまったと一時期は絶望的な気持ちになってしまった。しかしそれも自分の弱さの結果と受け止めて、側妃を持つのは歴代の王もやってきた事だと自分以外の妃を認める覚悟だってしていた。

 それなのに、彼はローゼリアを家ごと裏切ってしまった。

 多分それからだ、ローゼリアは家族以外を信じる事が出来なくなっていた。

 伯爵とは上司と部下のようなドライな関係で満足しているし、イアンとだって伯爵よりも歳が近いので軽口を言えるようになったけれど、気持ちの上での一線は引いているつもりでローゼリアはいる。

 彼らとローゼリアの進む道は違う。ローゼリアはオルコットには残らずにエルランドへ行く。自分はいつか迎える事になるイアンの花嫁の為にいるだけの繋ぎの女主人なのだとそう思っているのだった。
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