孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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 横向きだと思われる体勢で魔法使い?を床に転がして、改めて観察してみた。
 足が二本、手も二本、黒く大きな翼が二対。
 手は手首から先は顔と同じように羽で覆われていないが、金色の鋭い爪が伸びている。

 見たところ、出血しているようなところはない。
 骨折も……していなさそうだ。少なくとも、手足が変な方向に曲がっているようなことはない。
 恐る恐る触れてみた頬は、やや冷たいと感じた。
 少なくとも、熱はなさそうだ。

 しばらく考えて、使っていない毛布を持ってきて、そっと黒い体にかけた。
 花柄の刺繍が施された毛布は黒い体を覆うには広さが足りず、足や翼ははみ出たままだけど、なにもしないよりはマシなはずだ。
 これでしばらく様子をみよう。

 またしばらく考えて、殺されるならせめて最後に美味しいお茶くらい飲んでからと思い、とっておきのハーブティーを淹れることにした。
 いつもはケチって少ししか使わないドライフルーツをたっぷりカップに入れて、そこにハーブティーを注いだ。
 爽やかなハーブの香りと甘いフルーツの香りが狭い室内に広がり、ささくれ立っていた心を僅かに癒してくれた。

 そしてその香りに惹かれたように、黒い塊から呻き声のようなものが聞こえた。
 目が覚めたのかもしれない。
 そっと黒い塊に近づいてみた。
 五歩くらい離れたところから顔を覗き込むと、黒い塊が身じろぎをして羽と同じ色の黒い眉が寄せられたのが見えた。
 それから、ゆっくりと瞼が持ち上げられた。

 瞼の下から現れたのは、見惚れてしまうほどきれいな金色の瞳だった。
 これは、この人本来の色なのだろうか。

 何度かゆっくりと瞬きをして、やがて焦点があった金色の瞳が私に向けられ、目が合うと驚愕したように僅かに見開かれた。

 驚くのは当然だと思う。
 気が付いたら知らない家の中にいて、知らない人が目の前にいたら誰だってこんな顔をするだろう。

 少なくとも、その瞳の色には敵意も害意もない。
 とりあえず、突然攻撃されるようなことはなさそうだ。

「目が覚めた?」  

 安心させるようににっこりと微笑んで、できるだけ優しい声をかけた。

「どこか痛いところはない?」

 金色の瞳が瞬いた。そこには知性の光がある。

「私の言葉、わかる?」

 僅かに顔が動いた。頷いたのだ。
 私はゆっくりと歩み寄って、床に膝をついて近くから白い顔を覗き込んだ。
 そっと手を伸ばして額に触れてみた。やっぱり熱はない。
 知らない女に顔に触れられているというのに、抵抗も嫌がる様子もなくただ私の顔を見上げている。

「お水、飲む?」

 そう問いかけると、また僅かに頷いた。

「ちょっと待っててね」

 そう言い置いてカップに水を注いで戻ってくると、上半身を起こして床に座り込む体勢になっていた。
 カップを差し出すと、鋭い爪が光る手が伸ばされて両方の掌で慎重にカップを包むように受け取り、それからゆっくりと口へと運んだ。
 一口飲んで、それでやっと喉が渇いていたことを自覚できたようでごくごくと飲み干してしまった。
 また水を注いであげると、それもすぐに飲み干した。

「ハーブティーを淹れたばかりなんだけど、飲んでみる?ドライフルーツも入れると美味しいのよ」

 これにははっきりとした頷きが返ってきたので、私が飲んでいたのと同じハーブティーを淹れてあげた。

「熱いから気をつけてね」

 そう言ってカップを手渡すと、金色の瞳が細められた。

「ありがとう。とてもいい香りだ」

 その滑らかなバリトンは、間違いなく大人の男性の声だった。

「……喋れるのね。よかった」

 驚いて一瞬反応が遅れてしまったけど、またにっこりと笑って見せた。

「私はナディアというの」
「……ナディア」
「あなたの名前を教えてくれる?」

 そう言った後、私は考え直した。
 魔法に失敗したなんて、魔法使いからしたら恥ずかしいことかもしれない。
 だとしたら、本名は言いたくないかもしれない。

「本名じゃなくてもいいよ。その、なんて呼んだらいいかだけ教えて?」

 金色の瞳がじっと私を見つめた。
 探るような視線ではあるけど、警戒している様子はないのが不思議だ。
「……アーレン」
「アーレン、ね」

 きっと家名もあるのだろう。
 もちろん、それを問い質すつもりはないのだけど。
 オルランディア王国では、平民には家名がない。
 私もただのナディアだ。

「ここは、オルランディア王国の西の端。メルカトという町よ。わかる?」

 アーレンは今度は首を縦に振った。

「あなたは、私の家の庭に落ちてたのよ。どうしてそんなことになったのか、覚えてる?」

 アーレンは目を伏せた。
 きっと記憶を探っているのだろうと思い、私は辛抱強くアーレンの言葉を待った。

「……呪いをかけられた。殺されそうになって……それで、必死で逃げてきた」

 ということは、この姿は魔法に失敗したのではなく呪いによるもので、闇雲に逃げてたまたまここにたどり着いた、ということなのだろうか。
 なにがあったのかわからないけど、物騒な話だ。

「……どうして助けた」
「だって、倒れてる人を放ってはおけないわ」

 アーレンはナディアの目の前に、鋭い爪を見せつけるように片手をかざした。

「俺を……人、だと言うのか」
「人なんでしょう?呪いでその姿になったのではないの?」
「そうだが……そんな話を信じるのか」
「私のおばあちゃんが魔法使いだったの。私は魔法は使えないんだけど、魔法のことはおばあちゃんから教わってるの。だから、姿を変える魔法もあるって知ってる。呪いのことはよくわからないけど、そういう呪いがあってもおかしくないんじゃないかなって思うわ」

 アーレンは金色の瞳を眇めた。

「だからといって……俺が、怖くないのか」
「最初はびっくりしたわよ。魔物かと思って怖かったけど、人の顔がついてるのが見えたから、魔法使いなんだろうなって思ったの」
「いや、それでも……」

 そう呟いて、アーレンはしばらく考え込むように沈黙した。

 私もそんなアーレンをじっと見ていた。
 よく見れば、アーレンは秀麗に整った顔立ちをしている。
 呪いによりどこまで姿が変わってしまったのかわからないが、元は金色の瞳と漆黒の髪の貴公子だったのではないだろうか。

「ここは、町から少し離れたところにある、森の中の一軒屋なの。住んでるのは私だけ。あなたの姿を見たのも私だけだから、そこは安心して」

 きっとアーレンの姿を見たら、普通の人はとても驚くだろう。
 魔物だと勘違いして狩られてしまうかもしれない。

「……ナディア」

 考えがまとまったらしく、アーレンは再び金色の瞳で真っすぐに私を見た。

「大変申し訳ないが……俺をしばらく匿ってもらえないだろうか」
「いいわよ」

 そう言われるのも想定内だ。
 普通なら私も少しぐらい躊躇うところだろうが、今はどうにでもなれという気分なので、なにも考えずあっさりと承諾した。
 考える間もなく即答した私に、アーレンは逆に怯んだ顔をした。

「頼んだ俺がこんなことを言うのもアレだが……本当にいいのか?」
「いいわ。ただ、見ての通り、家は狭いし、食事も粗末なものしかない。それでもいい?」
「もちろんだ。十分すぎるくらいだが……俺のことをそんなに信用してもいいのか?」
「だって、そんなことを私に頼むってことは、行く場所がないんでしょう?」
「そうだが……」
「それとも、私に悪いことをするつもりがあるの?」
「とんでもない!そんなことはしない!」
「だったら、いいわ。あ、きっとアーレンは私より力持ちよね。力仕事とかたまに頼むかもしれないけど」
「世話になるからには、俺にできることならなんだってするよ」

 なんだってする、って今言ったよね。
 本当になんだってしてくれるの?
 私の中の悪戯心が首をもたげた。

「それなら……一つ、条件をのんでもらうわ」
「条件?」
「そう、条件よ」

 私はふふっと笑った。とてもいいことを思いついたのだ。

「大事なことだから、よーく聞いてね?」

 勿体ぶる私に不穏な空気を感じとったのか、アーレンごくりと唾を飲み込んだのがわかった。
 私はそんなアーレンに、びしっと人差し指を突きつけた。

「アーレン。あなたには、私のペットになってもらうわ!」
 
 アーレンは目を白黒させた。

「ペット!?」
「そうよ!私のペットになるの!」
「いや、だから、こんな姿でも俺は人だって」

 アーレンが慌ててるけど、そんなのお構いなしで私は続けた。

「この羽!すごく手触りがいいわ。いつまでも撫でてられる。宵闇みたいな黒も、月の欠片みたいな金の瞳も、とてもきれい。それに、顔だってこんなに可愛いじゃないの!」
「か、可愛い!?」
「大きくて、ふかふかで、温かくて、賢くて、なんだか強そうで、でも優しそうで。理想的なペットだわ!」

 私はアーレンの顔や頭や羽を一切遠慮することなく撫でまわした。
 こんな不躾なことをする私に、アーレンは驚いた顔をしただけで嫌がることも振り払うこともなくされるがままになっていた。

「ね、私のペットになりなさい。ペットなんだから、私の言うことはなんでも聞くのよ。それなら、ここに匿ってあげるわ」

 いくら呪いにより姿が変わっているとはいえ、男性にベタベタ触ってペットになれと迫るだなんて正気の沙汰ではないと後になって思ったけど、この時の私は正にその通りで半ば正気を失っていたんだと思う。
 無礼だと怒ったアーレンが私を殺すかもしれないと思いながら、それでもいいと思っていた。

 でも、そうはならなかった。
 しばらく逡巡した末、アーレンは苦笑しつつ私の条件を受け入れたのだ。

「……わかった。俺は、きみのペットになろう。ただし、無茶な命令には従わないからな?」
「えー?」

 そんなのつまらない、と口を尖らせた私に、アーレンは諭すように言い募った。

「俺の知り合いが飼ってた猫は、飼い主のことを下僕ぐらいにしか思っていなかった。言うことは聞かないし、本を読んでいると邪魔するし、都合がいいときだけ擦り寄って来るんだ。ペットとは、本来そういうものだぞ?俺がそんなペットになってもいいのか?」
「それは困る!そんなの、本末転倒じゃない!」

 私は下僕扱いされたい訳ではないのだから。
 慌てる私に、アーレンはニヤリと笑った。

「俺は賢いペットだからな。ご主人様の命令に従うかどうかは、俺が判断する。俺も、俺がしたいことをする。共同生活をする上で不都合なことがあったら、その都度話し合う。それでいいなら、俺は喜んできみのペットになろう」

 ずいぶんと理性的で理路整然としたペットだ。
 でもまぁ、ペットというか同居人となるなら、これくらいである方がやりやすいことだろう。

「わかった。私も、その条件をのむわ。じゃあ、これからよろしくね!」

 私がさっと右手を差し出すと、アーレンは同じく右手を伸ばして慎重に私の手を少しだけ握った。
 その動きから、アーレンは爪で私を傷つけないように注意しているのだ、ということが見て取れた。
 アーレンはやっぱり悪い人ではないのだ。

 当てが外れた感があるけど、これはこれで悪くないのではないのではないだろうか。
 しばらくは寂寥から遠ざかることができそうだ。

 こうして、人生初のペットとの生活が始まった。
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