孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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㊶アーレン視点

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 俺は今、二対の翼で大きく羽ばたき、東の山脈へと向かっている途中だ。
 腰には真新しい剣帯を着けて最上級の加護を受けた状態で飛んでいるのだが、飛行速度が格段に上がっている。
 途中で目についた魔物相手に魔法をいくつか試してみると、これもまた驚くほど少ない魔力で殲滅することができた。
 特に頑張ってもいないのに、緻密で精確な魔力コントロールが簡単にできて、魔物を穴だらけにするのではなく、急所だけを一発で撃ち抜いたのだ。
 ただ飛行しているだけだと実感できないような、身体能力とかそういったものも軒並み向上しているはずだ。
 現地についたら、一度確認してみる必要がある。

 わかっていたことだが、ナディアの祝福の有用性は計り知れない。
 この剣帯は、もはや兵器と言っても過言ではないくらいだ。

 俺が普段着ていたシャツなどに付加されている加護も素晴らしいが、これはもう比べ物にならない。
 素晴らしいというより、ここまでくると凄まじい。

 それだけ祈りを籠めてくれたのだと思うと、愛しさが胸にこみあげてくる。
 ついさっき別れたばかりだというのに、もう会いたくて仕方がない。

 一秒でも早く帰って、可愛いナディアを抱きしめなくては。

 俺は全速力で東へと飛んだ。


 見覚えのある山々の稜線が近づいてきた。
 その麓には多くの人が集まっているところがあり、天幕がいくつも張られている。
 あれがサミュエルが率いている軍か。
 約五千と聞いていたが、上から見ると思ったより少ないな。

 その上空を飛び越えて山の中へと注意を向けると、中腹あたりに不自然に木が枯れているところが見えた。 
 
 あそこだ。

 麓から徒歩で登るとなると骨が折れそうな距離も高低差も、空からなら一瞬でたどり着くことができる。

 赤茶色になった木々の中に、なにやら大きな黒い塊。
 そこだけ黒いインクで空気を染め上げたような、なんとも奇妙な塊だ。
 球に近い形をしていて、じっと見ていると不安を掻きたてられるような嫌な気分になる。
 そして、なんとなく破裂寸前の風船のような印象を受ける。
 これが破裂する時、きっとドラゴンが出現するのだ。

 その周辺の気配を探ると、数人の気配が感じ取れた。
 黒い塊を観察し警戒しているのだろう。 
 そして、一人だけ黒い塊にほど近いところにいる。
 とてもよく知っているが、こんな時でなければ近づきたくない気配だった。

 俺は一つ溜息をついて、そのすぐ側へと降り立った。

「サミュエル」

 声をかけるとサミュエルははっと振り返り、それから驚愕の表情になった。
 ナディアを奪還した時は背中に翼を生やしただけだったから、首から下が完全に異形となっている俺の今の姿に改めて衝撃を受けたのだろう。

「あ……アーレン殿下……!」

 サミュエルが跪くと、近くにいた騎士たちが異変に気づき駆け寄ってきた。
 そして、それぞれに驚愕や畏怖の表情を浮かべてサミュエルに続いて跪くのを、俺はどこか醒めた気持ちで眺めていた。

 全員知った顔だ。
 かつてこの地で共に戦った戦友たち。
 そして、俺がこの祝福を授けられた直後、王妃に唆されて俺に刃を向けたものたちだ。
 
 俺とこの祝福に関することは、箝口令が敷かれている。
 既に一度俺のこの姿を見たことがあるものたちだけでこの場を固め、秘密の漏洩をできるだけ防ごうとしているのだ。

「俺はもう王子ではない。そのような礼をとる必要はない」
「殿下、どうか」
「持ち場に戻れ」
「……は」

 騎士たちは複雑な顔をしながらも速やかに散っていき、その場に俺とサミュエルだけが残された。

「アーレン殿下……よくぞ、来てくださいました」
「無駄話をする気はない。報告を」

 サミュエルが涙目なのは、どういった感情によるものなのやら。
 その腰には、見覚えのある剣帯。
 よく見れば丁寧な刺繍が刺されたシャツとズボン。
 そのどれもがナディアの手によるもので、ナディアの祈りにより加護が付加されていると思うと、この場で全て引き裂いてサミュエルごと燃やし尽くしたくなってしまう。
 
 俺がそんな不穏なことを考えているからか、青い顔になったサミュエルは現状の報告を始めた。

「これが発見されたのは、二十日ほど前です。魔物狩りをしていた冒険者が発見しました。それからずっと観察をしていますが、少しずつに大きくなっています。モワデイルの古い文献によると、これの高さが周囲の木を越えたあたりでドラゴンが出てきたのだそうです。同じことが起こるとすると、おそらく明日か明後日くらいかと思われます」
「そこは予想通り、か」
「はい」
「ナイジェルの弟が、どのようにして斃したのかはわかるか」
「それが……ただ、ナイジェルの弟がドラゴンを斃した、という簡単な記述しか見つかっていないのです。なので、具体的にどのような魔法を使ったかなどはわかりません。ジェラルド殿下が仰るには、おそらくそのあたりは、王家に口伝として伝わっていたのではないかと」
「……その可能性はあるだろうな」
 
 なるほど、口伝か。
 それなら詳しい記録がないのも頷ける。

 口伝は途切れたのか。
 それとも、父が王位を退き兄が即位する際に伝えられる予定だったのか。

 いや、おそらく前者なのだろう。
 あの全てに無関心な父が、なにかを知ってるとは思えない。

 先代王、つまり俺の祖父の代は、王位を巡って血で血を洗う争いを繰り広げていた。
 それにより王家の血を引くものがほぼ全滅してしまい、ほとんど末席でまだ十代半ばだった祖父が王位を継ぐことになってしまったそうだ。

 身内で殺し合っただけでなく、こんな重要な口伝まで途切れさせるなど、なんと罪深いことか。

「空を飛ぶドラゴンに、地上にいる兵はほとんど役に立たないでしょう。なので、ありったけの弩と投石器を持ってきました。命中させられるかは運次第ですが、剣や槍よりも効果があるはずです。兵のほとんどはその操作にあたらせる予定ですが、いかがでしょうか」

 地上からできる攻撃など、それくらいしかないだろう。
 もしくは攻撃魔法くらいだが、それも動き回る標的への命中率は弩と変わらないくらいだ。
 それに、もし当たったところで、どの程度のダメージを与えられるのかも不明だ。

「ドラゴンが出てきたら、俺が単独で迎え撃つ。他は邪魔になるだけだから、余計なことはするな。ただし、弩と投石器は、俺が殺されたらすぐに使えるように準備だけはしておけ」
「わ、わかりました……」
「とはいっても、おまえたちの出番などないだろうがな」
 
 俺が自分の腰にある剣帯に視線を落とすと、サミュエルも同じように目を向けた。
 それがどういったものかよくわかっているサミュエルは、なんとも言い難い顔をしている。

 もう随分前のことだが、サミュエルの剣帯を調べたことがある。
 あの時はそれに付加されている上質な加護に驚いたものだが、それでも今俺がつけている剣帯の加護には遠く及ばないくらいのものだった。
 単純にナディアが成長して刺繍の腕が上がったからかもしれないが、俺はナディアの愛情の深さの差だと思うことにしている。

「俺はここで待機する。全員下山しろ。いや、それだとまずいな。二人くらい残していけ。後世のために記録を残す必要がある」
「……仰せの通りに」

 サミュエルが部下を率いて去って行った。
 残った二人の騎士も、サミュエルに言い含められたのか、こちらを窺ってはいるようだが近づいては来ない。

 それでいい。
 王子でなくなった俺には、話すべきことなどなにもない。

 俺は目の前の黒い塊を見上げた。

 エケルトで借りている家より二回りくらい大きいくらいだろうか。
 モワデイルの壁画には巨大なドラゴンが描かれていたが、実際はどうなのだろう。

 ……そんな、もうすぐ明らかになるようなことを考えてもしかたがないな。

 どちらにしろ、俺がやることは一つだけなのだから。

 早く出てこい。
 叩き潰してやる。

 俺は剣帯の繊細な刺繍を指でなぞりながら、久しぶりに闘志を燃やした。
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