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しんと静まり返った森の空は、茜色から紫へと変わっていく。
何度も見たはずの見慣れた色は、今日は全くの別物のように見えた。
俺が、殺した。
誰を? ラーレを?
──そんなわけがないと、何故、俺は即答できないのだろう。
咄嗟に浮かんだ否定の言葉は、喉に張り付いたまま、空気を震わせることなく消えた。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った、崖の上。
空はすっかり夜の帳が落ちていて、月明かりだけがお互いの姿を照らしていた。
そんな朧げな灯りの下でもわかるほど、目の前の男の顔は、悲痛に歪んでいた。
俺も、こいつも、泥だらけだ。
森の際でこちらを窺うプラムの顔は、今は見えない。
「……思い出せ、イキシア。彼女のことを、彼女への、想いを」
「……、」
おもい。思い。想い。
それはなんだ、なんて。
問わなくても、きっと分かっている。
それなのに、その感情を見つけようと、手に入れようとするたびに。
彼女のことを考えるたびに。
不可思議な記憶をたどろうとするたびに。
俺の頭はまるで霞がかかったかのように、考えることを止めてしまう。
まるで、『それは間違っている』とでも、いうかのように。
そんな声をかき消すように、カランが口を開く。
夜の空に響いたその声は、力強く、真っすぐで。
月あかりを背に立つ男の姿は、俺と同じくらい泥だらけだというのに、力強くて。
場違いにも、「ああ、この人は王になる人なんだな」なんて考えた。
* * *
自室のベッドに腰かけて、高く登った月を眺める。
こうやって月を眺めるのも、もう何度目になるだろう。
思い起こすのは、言いたいだけ言ってプラムを伴い夜の森に消えた、男の言葉。
『鍵を探せ』
『鍵……?』
俺の頭に巣くっていた霞。
けれど、今はそんなモノも消え失せた。
それはきっと、あいつの──カランの、お陰だ。
どういう理屈なのかも、何か特別な理由があるのかも分からないが……。
さっきまでの大暴れで、体はとても疲れ果てているというのに、驚くほど、俺の思考はクリアになっていた。
……もしかしたら、先のことやループのことも何も考えずに大暴れしたから、なのかもしれない。
だとしたらザンカのことを馬鹿にできないほど、俺も単純だ。
ほんの少し余裕のできた頭で、俺はカランの言葉を復唱した。
鍵。
きっとそれは、ドアを開ける道具のことを指しているのではないということは、俺にだって分かっていた。
けれど、それが何なのかは、わからない。
『探せ。必ずあるはずだ』
『思い出せ、彼女のことを』
『癪だが──お前に、託す』
「それが俺の償いだ、……か」
ぽつりと口からこぼれた言葉は、去り際にカランが吐き捨てるように呟いた言葉だ。
その言葉は、どこか渇いていて、それなのに驚くほど真っすぐだった。
きっと、カランも、彼女のことが──……
「……いや」
そこまで考えて、頭をふって思考を止めた。
これ以上は、俺が踏み込む問題じゃないと思うから。
カランの感情は、彼だけのものだ。
それに、今は他人のことに心を寄せている場合じゃない。
「……ラーレ」
今も、彼女のことは、何一つ覚えてはいない。
思考を邪魔する霞が晴れただけ。
明るく、真面目で、働き者だった。
──俺の中の彼女の記憶は、それだけだ。
けど、けれど。
「……」
チェストの上に綺麗に並べた、みんなから預けられたラーレの証。
月あかりに照らされるそれらは、無機質で、ただ淡々とそこにあるだけだというのに。
……どうしてこんなにも、大切だと、思うのだろう。
カランのいう『鍵』を見つけることができれば、この謎も解けるのだろうか。
そんなことをぼんやりと思い、彼女のロザリオへと手を伸ばした。
の、だが。
「っ、」
カラン。カタリ。
手が滑り、床へとそれは落ちてしまった。
静まり返った夜の部屋に響いた落下音は、小さなはずなのに、やけに大きく聞こえる。
同室のザンカを起こしてしまったかと少しひやりとしたが、そんな心配は杞憂だった。
相変わらずぐうぐうといびきを立てて寝ている姿に、安心と同じくらいの理不尽な怒りがわいてくる。
「……呑気なもんだな」
羨ましいくらいだ。
ため息と共に、ザンカへの八つ当たりじみた怒りを吐き出して、ロザリオへと手を伸ばす。
拾い上げたそれは、傷がつくこともなく、淡い黄色の宝石もそのままだ。
「……よかった」
ほっと小さく息を吐き、拾うために屈めていた腰を伸ばす。
その時、チェストの引き出しがほんの少し開いているのに気が付いた。
「……?」
不思議に思い、取っ手へと手をかける。
自称するのはなんだが、俺は生真面目な方の性格だと思う。
こんなふうに、引き出しを閉め切らずにしておく、なんて、あまりしないのだが……。
ほんの少し浮かんだ疑念は、すぐに消え失せる。
古いチェストだ。さっきロザリオを落とした時にぶつかって、その衝撃で開いてしまったのかもしれない。
どっちにしろ、もう大分夜更かしをしてしまった。
早く引き出しを閉めて明日に備えよう。
なんだかとても眠い。
そして、明日から、ラーレを思い出す『鍵』を探さなければ──……
そう思い、急激に押し寄せてくる眠気に流されるように、引き出しを閉めて──……
──かたり。
小さく、小さく聞こえたその音に、動きを止めた。
それは、引き出しの中から聞こえた音。
「……? 何も入れてなかったはず、なんだが……」
何か入れていただろうか?
そう思い、ふと気付く。
そういえば、少し前から、この音はしていたな、と。
チューリップを見つけたときもいていたし、さっきロザリオを落とした時もしていた気がする。
何故気づかなかったのだろう。
小さな音だし、仕方ないか。意味はないだろう。
そう、言い聞かせるような思考とは裏腹に、俺の手は、真っすぐにチェストの引き出しへと延びて──
「……チューリップ、の……髪飾り……」
それを視界に入れた瞬間、何かが割れる音がした。
何度も見たはずの見慣れた色は、今日は全くの別物のように見えた。
俺が、殺した。
誰を? ラーレを?
──そんなわけがないと、何故、俺は即答できないのだろう。
咄嗟に浮かんだ否定の言葉は、喉に張り付いたまま、空気を震わせることなく消えた。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った、崖の上。
空はすっかり夜の帳が落ちていて、月明かりだけがお互いの姿を照らしていた。
そんな朧げな灯りの下でもわかるほど、目の前の男の顔は、悲痛に歪んでいた。
俺も、こいつも、泥だらけだ。
森の際でこちらを窺うプラムの顔は、今は見えない。
「……思い出せ、イキシア。彼女のことを、彼女への、想いを」
「……、」
おもい。思い。想い。
それはなんだ、なんて。
問わなくても、きっと分かっている。
それなのに、その感情を見つけようと、手に入れようとするたびに。
彼女のことを考えるたびに。
不可思議な記憶をたどろうとするたびに。
俺の頭はまるで霞がかかったかのように、考えることを止めてしまう。
まるで、『それは間違っている』とでも、いうかのように。
そんな声をかき消すように、カランが口を開く。
夜の空に響いたその声は、力強く、真っすぐで。
月あかりを背に立つ男の姿は、俺と同じくらい泥だらけだというのに、力強くて。
場違いにも、「ああ、この人は王になる人なんだな」なんて考えた。
* * *
自室のベッドに腰かけて、高く登った月を眺める。
こうやって月を眺めるのも、もう何度目になるだろう。
思い起こすのは、言いたいだけ言ってプラムを伴い夜の森に消えた、男の言葉。
『鍵を探せ』
『鍵……?』
俺の頭に巣くっていた霞。
けれど、今はそんなモノも消え失せた。
それはきっと、あいつの──カランの、お陰だ。
どういう理屈なのかも、何か特別な理由があるのかも分からないが……。
さっきまでの大暴れで、体はとても疲れ果てているというのに、驚くほど、俺の思考はクリアになっていた。
……もしかしたら、先のことやループのことも何も考えずに大暴れしたから、なのかもしれない。
だとしたらザンカのことを馬鹿にできないほど、俺も単純だ。
ほんの少し余裕のできた頭で、俺はカランの言葉を復唱した。
鍵。
きっとそれは、ドアを開ける道具のことを指しているのではないということは、俺にだって分かっていた。
けれど、それが何なのかは、わからない。
『探せ。必ずあるはずだ』
『思い出せ、彼女のことを』
『癪だが──お前に、託す』
「それが俺の償いだ、……か」
ぽつりと口からこぼれた言葉は、去り際にカランが吐き捨てるように呟いた言葉だ。
その言葉は、どこか渇いていて、それなのに驚くほど真っすぐだった。
きっと、カランも、彼女のことが──……
「……いや」
そこまで考えて、頭をふって思考を止めた。
これ以上は、俺が踏み込む問題じゃないと思うから。
カランの感情は、彼だけのものだ。
それに、今は他人のことに心を寄せている場合じゃない。
「……ラーレ」
今も、彼女のことは、何一つ覚えてはいない。
思考を邪魔する霞が晴れただけ。
明るく、真面目で、働き者だった。
──俺の中の彼女の記憶は、それだけだ。
けど、けれど。
「……」
チェストの上に綺麗に並べた、みんなから預けられたラーレの証。
月あかりに照らされるそれらは、無機質で、ただ淡々とそこにあるだけだというのに。
……どうしてこんなにも、大切だと、思うのだろう。
カランのいう『鍵』を見つけることができれば、この謎も解けるのだろうか。
そんなことをぼんやりと思い、彼女のロザリオへと手を伸ばした。
の、だが。
「っ、」
カラン。カタリ。
手が滑り、床へとそれは落ちてしまった。
静まり返った夜の部屋に響いた落下音は、小さなはずなのに、やけに大きく聞こえる。
同室のザンカを起こしてしまったかと少しひやりとしたが、そんな心配は杞憂だった。
相変わらずぐうぐうといびきを立てて寝ている姿に、安心と同じくらいの理不尽な怒りがわいてくる。
「……呑気なもんだな」
羨ましいくらいだ。
ため息と共に、ザンカへの八つ当たりじみた怒りを吐き出して、ロザリオへと手を伸ばす。
拾い上げたそれは、傷がつくこともなく、淡い黄色の宝石もそのままだ。
「……よかった」
ほっと小さく息を吐き、拾うために屈めていた腰を伸ばす。
その時、チェストの引き出しがほんの少し開いているのに気が付いた。
「……?」
不思議に思い、取っ手へと手をかける。
自称するのはなんだが、俺は生真面目な方の性格だと思う。
こんなふうに、引き出しを閉め切らずにしておく、なんて、あまりしないのだが……。
ほんの少し浮かんだ疑念は、すぐに消え失せる。
古いチェストだ。さっきロザリオを落とした時にぶつかって、その衝撃で開いてしまったのかもしれない。
どっちにしろ、もう大分夜更かしをしてしまった。
早く引き出しを閉めて明日に備えよう。
なんだかとても眠い。
そして、明日から、ラーレを思い出す『鍵』を探さなければ──……
そう思い、急激に押し寄せてくる眠気に流されるように、引き出しを閉めて──……
──かたり。
小さく、小さく聞こえたその音に、動きを止めた。
それは、引き出しの中から聞こえた音。
「……? 何も入れてなかったはず、なんだが……」
何か入れていただろうか?
そう思い、ふと気付く。
そういえば、少し前から、この音はしていたな、と。
チューリップを見つけたときもいていたし、さっきロザリオを落とした時もしていた気がする。
何故気づかなかったのだろう。
小さな音だし、仕方ないか。意味はないだろう。
そう、言い聞かせるような思考とは裏腹に、俺の手は、真っすぐにチェストの引き出しへと延びて──
「……チューリップ、の……髪飾り……」
それを視界に入れた瞬間、何かが割れる音がした。
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