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4 聖人候補の領地経営
771 〝ラボ〟
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771
「いつでも予約が取れるこんな部屋をお持ちとは、さすがは天下の〝帝国の代理人〟サガン・サイデム男爵殿ですな」
〝大地の恵み〟亭の特別室に通されたマーゴット伯爵は上機嫌だった。美食家を自認しているマーゴット伯爵はもちろん評判のこの店に遠いパレスから何度か通っていたが、今回の急に決めたイス滞在では予約は間に合わず、それでも何とかならないかと侍従たちを困らせていたところだったのだ。そこへサイデムからの〝ご招待〟だ。気分が悪いはずがない。
サイデム専用の個室でグラスを手に、満面の笑顔で向き合っている伯爵は、一口サイズの色とりどりの前菜が美しく盛られた、他では見られない個性的な器や皿に感心しながら、白の葡萄酒で乾杯している。
「いつもながら、なんという個性的な盛りつけでしょう! 味もまたどれも素晴らしい! この先の料理を期待させてくれますね。そしてこれです。これはかの有名な〝ラボ〟の葡萄酒ですね。果実の爽やかな香りに均整のとれたすっきりとした飲み口……さすがですな。実に素晴らしいです」
興奮した面持ちで伯爵がグラスのワインを眺めているのは、これがとても珍しいものだからだ。
この世界では、いままで糖度の高い、葡萄酒を作るのに適した葡萄は発見されておらず、葡萄酒は小さな農場で作られる味も品質も不安定な安酒というイメージのものだった。それを知ったメイロードは、酒好きのおじさまのために質の良い葡萄酒を作ることを提案した。
これはメイロードの〝料理に使えるワインが欲しい〟という目論見もあってのことだったが……それに、このときすでにメイロードにはいい葡萄を手に入れるアテもあったのだ。
遥か沿海州まであちこち旅をしながら、能力を高めるために膨大な数の《鑑定》を行ったメイロードは、その過程で何種類かの糖度が高く葡萄酒に適した葡萄を発見していた。いずれも野生種でごく一部の地域でしかとれないものだったが、それを種から《緑の手》を使って一気に育て、その葡萄の株をイスの研究室へ持ち込むと、品種改良を開始した。ときに魔法で研究者たちをサポートしながら研究農園で栽培した葡萄は素晴らしい品質に育ち、最近、ごく少量ではあるが研究農園産という意味を込めた〝ラボ〟という名前をつけ、サイデム商会独占販売の高級葡萄酒として売り出された。
案の定、それはいままでにない極上の風味を持つ葡萄酒として、瞬く間に貴族の間で一大ブームとなり、値段は高騰、市場ではまったく手に入らず、すでに幻の葡萄酒といわれている。
こうして大成功した葡萄酒ビジネスは、その後サイデム商会に譲られた。ただし〝ラボ〟で生産される葡萄酒の権利は研究所の所有とし、その利益は研究所の運営に使われることになっている。
こうして〝ラボ〟の独占販売ができるようになったサイデム商会だが、葡萄酒を更に自社でも生産するという道は選ばなかった。メイロードからの頼みもあり、畜産ビジネスのコンサルティングに続き、今度はワイナリー事業のノウハウを貴族や富裕層に売リ込むことにしたのだ。
作り手や土地によって味わいの変わる葡萄酒は、その土地の名物となる。そして、いろいろな場所で作られ、多種多様の味をもった葡萄酒が市場に流通することで、選び手は好みの味を見つける喜びも得られる。
自己顕示欲の強い貴族にとっては、自分の土地でいい葡萄酒が作られ、領主の名や領地の名が冠された名前で人々から称賛を浴びられることは、非常に魅力的だ。しかも、経年変化に強い葡萄酒は出荷量の調整もしやすく、高級品ができれば収益性も高い。
「このように素晴らしい味のものが作れるのなら、私どももぜひ、領地で葡萄酒を作ってみたいものですな」
マーゴット伯爵がチラリとサイデムを見るが、サイデムは笑顔でそれをかわす。
「まだまだ小さな領地が試験的な農場を作り始めているところでございまして……マーゴット伯爵家のような豊かなご領地をお持ちの方にご紹介できるものではございませんよ」
この葡萄酒製造のコンサルティング・ビジネスについてメイロードからサイデムにひとつだけつけられた条件があった。それは、特産品もなく領地経営に苦しんでいる土地の領主たちに、まず提案してほしいということだった。先の牧場ビジネスでは、広い領地と多くの兵士を抱えた大貴族を中心に展開しているが、そうでない下級貴族たちもたくさんいる。
このビジネスをそうした貴族たちに紹介することにより、彼らの領地の収益が上がれば、サガン・サイデム男爵の評判を上げることができるし、もちろんサイデム商会も儲かるというわけだった。
「そうでございますか……実に残念です。マーゴットの名を冠した美味な葡萄酒……作りたかったのですが、まだ時期ではございませんか」
残念そうなマーゴット伯爵にサイデムが話しかける。
「本日は伯爵様のために、ここでしか食べられない、しかも今日初めてお客様にお出しする特別な料理を準備しております。ぜひお楽しみくださいませ」
「ほう? それは楽しみですね。私もそれなりに食は極めてきたつもりでございますよ」
「ははは、そうでございましょうな。では、準備を」
特別扱いが大好きなマーゴット伯爵はコロッと機嫌を直した。すかさずサイデムが合図をすると、部屋の中に料理台が運ばれてくる。
(これは、魔石コンロか。サイデム商会の仕掛けるパーティーでよく使われる仕掛けだな)
調理台と共に真っ白のコックコートに白い帽子のようなものを乗せた料理人が数人登場すると、彼らはサイデムと伯爵に頭を下げた。
「本日の調理を担当させていただきます当料理店の料理長チェダルでございます。このメイロードさまより賜りました新しきイスの味、ご堪能くださいませ」
(メイロード? ここでもあの娘か……)
「いつでも予約が取れるこんな部屋をお持ちとは、さすがは天下の〝帝国の代理人〟サガン・サイデム男爵殿ですな」
〝大地の恵み〟亭の特別室に通されたマーゴット伯爵は上機嫌だった。美食家を自認しているマーゴット伯爵はもちろん評判のこの店に遠いパレスから何度か通っていたが、今回の急に決めたイス滞在では予約は間に合わず、それでも何とかならないかと侍従たちを困らせていたところだったのだ。そこへサイデムからの〝ご招待〟だ。気分が悪いはずがない。
サイデム専用の個室でグラスを手に、満面の笑顔で向き合っている伯爵は、一口サイズの色とりどりの前菜が美しく盛られた、他では見られない個性的な器や皿に感心しながら、白の葡萄酒で乾杯している。
「いつもながら、なんという個性的な盛りつけでしょう! 味もまたどれも素晴らしい! この先の料理を期待させてくれますね。そしてこれです。これはかの有名な〝ラボ〟の葡萄酒ですね。果実の爽やかな香りに均整のとれたすっきりとした飲み口……さすがですな。実に素晴らしいです」
興奮した面持ちで伯爵がグラスのワインを眺めているのは、これがとても珍しいものだからだ。
この世界では、いままで糖度の高い、葡萄酒を作るのに適した葡萄は発見されておらず、葡萄酒は小さな農場で作られる味も品質も不安定な安酒というイメージのものだった。それを知ったメイロードは、酒好きのおじさまのために質の良い葡萄酒を作ることを提案した。
これはメイロードの〝料理に使えるワインが欲しい〟という目論見もあってのことだったが……それに、このときすでにメイロードにはいい葡萄を手に入れるアテもあったのだ。
遥か沿海州まであちこち旅をしながら、能力を高めるために膨大な数の《鑑定》を行ったメイロードは、その過程で何種類かの糖度が高く葡萄酒に適した葡萄を発見していた。いずれも野生種でごく一部の地域でしかとれないものだったが、それを種から《緑の手》を使って一気に育て、その葡萄の株をイスの研究室へ持ち込むと、品種改良を開始した。ときに魔法で研究者たちをサポートしながら研究農園で栽培した葡萄は素晴らしい品質に育ち、最近、ごく少量ではあるが研究農園産という意味を込めた〝ラボ〟という名前をつけ、サイデム商会独占販売の高級葡萄酒として売り出された。
案の定、それはいままでにない極上の風味を持つ葡萄酒として、瞬く間に貴族の間で一大ブームとなり、値段は高騰、市場ではまったく手に入らず、すでに幻の葡萄酒といわれている。
こうして大成功した葡萄酒ビジネスは、その後サイデム商会に譲られた。ただし〝ラボ〟で生産される葡萄酒の権利は研究所の所有とし、その利益は研究所の運営に使われることになっている。
こうして〝ラボ〟の独占販売ができるようになったサイデム商会だが、葡萄酒を更に自社でも生産するという道は選ばなかった。メイロードからの頼みもあり、畜産ビジネスのコンサルティングに続き、今度はワイナリー事業のノウハウを貴族や富裕層に売リ込むことにしたのだ。
作り手や土地によって味わいの変わる葡萄酒は、その土地の名物となる。そして、いろいろな場所で作られ、多種多様の味をもった葡萄酒が市場に流通することで、選び手は好みの味を見つける喜びも得られる。
自己顕示欲の強い貴族にとっては、自分の土地でいい葡萄酒が作られ、領主の名や領地の名が冠された名前で人々から称賛を浴びられることは、非常に魅力的だ。しかも、経年変化に強い葡萄酒は出荷量の調整もしやすく、高級品ができれば収益性も高い。
「このように素晴らしい味のものが作れるのなら、私どももぜひ、領地で葡萄酒を作ってみたいものですな」
マーゴット伯爵がチラリとサイデムを見るが、サイデムは笑顔でそれをかわす。
「まだまだ小さな領地が試験的な農場を作り始めているところでございまして……マーゴット伯爵家のような豊かなご領地をお持ちの方にご紹介できるものではございませんよ」
この葡萄酒製造のコンサルティング・ビジネスについてメイロードからサイデムにひとつだけつけられた条件があった。それは、特産品もなく領地経営に苦しんでいる土地の領主たちに、まず提案してほしいということだった。先の牧場ビジネスでは、広い領地と多くの兵士を抱えた大貴族を中心に展開しているが、そうでない下級貴族たちもたくさんいる。
このビジネスをそうした貴族たちに紹介することにより、彼らの領地の収益が上がれば、サガン・サイデム男爵の評判を上げることができるし、もちろんサイデム商会も儲かるというわけだった。
「そうでございますか……実に残念です。マーゴットの名を冠した美味な葡萄酒……作りたかったのですが、まだ時期ではございませんか」
残念そうなマーゴット伯爵にサイデムが話しかける。
「本日は伯爵様のために、ここでしか食べられない、しかも今日初めてお客様にお出しする特別な料理を準備しております。ぜひお楽しみくださいませ」
「ほう? それは楽しみですね。私もそれなりに食は極めてきたつもりでございますよ」
「ははは、そうでございましょうな。では、準備を」
特別扱いが大好きなマーゴット伯爵はコロッと機嫌を直した。すかさずサイデムが合図をすると、部屋の中に料理台が運ばれてくる。
(これは、魔石コンロか。サイデム商会の仕掛けるパーティーでよく使われる仕掛けだな)
調理台と共に真っ白のコックコートに白い帽子のようなものを乗せた料理人が数人登場すると、彼らはサイデムと伯爵に頭を下げた。
「本日の調理を担当させていただきます当料理店の料理長チェダルでございます。このメイロードさまより賜りました新しきイスの味、ご堪能くださいませ」
(メイロード? ここでもあの娘か……)
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