無表情だけどクラスで一番の美少女が、少しずつ俺に懐いて微笑むようになっていく

猫正宗

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遭遇

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 学校の付近まで戻ってきた。

 敷地外から見上げた校舎が、夕暮れに赤く染まり始めている。

 正門を通り過ぎると、グラウンドのほうから運動部員のたちの掛け声が聞こえてきた。

 私はその声を聞き流しながら校舎へ入り、階段を登ってから、放課後の廊下をてくてくと歩く。

 2年A組の教室にたどり着き、ガラガラと引き戸を引いて中に入ると――

 ……当然のことながら、生徒は誰もいなかった。

「んっと。
 忘れたスマートフォンは……」

 机のなかを確認する。

「あ、あった。
 よかったのです」

 やっぱりここに忘れていたようだ。

 無くさなくて良かった。

 ほっと安心しながらスマートフォンをつける。

 するといつものメッセージアプリに、着信ありのマークが付いていた。

 きっと大輔くんからのメールだろう。

 画面をタップして、アプリを起動する。

『よぅアリス。
 いま家か?
 俺はこれからじいちゃんの病室だ』

 やはり彼からだった。

 メッセージの続きに目を落とす。

『ところで明日うちに来るって件だけど、たしかまだ時間を決めてなかったよな。
 いつ頃くる?
 うちはいつでも歓迎だぞ』

 メッセージの内容は、ちょうど私も確認しようと思っていた件だった。

 声に出しながら、返信をうつ。

「えっと……。
 私はいま学校です。
 スマートフォンを置き忘れてしまいまして、っと。
 それで明日の約束ですが、それではお昼……」

 画面に目を落とし、ぽちぽちとタップしていたそのとき――

 ガラガラと音がなる。

 教室のドアが誰かに開かれた。

 私はその音に反応して、スマートフォンに落としていた顔をあげる。

「……え。
 …………あ」

 一瞬、事態が掴めなかった。

 頭が混乱する。

 どうしてこの男子がいるのだろう。

 田中くんだ。

 視線を向けたその先で、教室の出入り口をふさぐように立った彼が、私を見つめていた。

 ◇

「……西澄ぃ。
 やっとひとりになったな」

 田中くんが私のほうに向けて、一歩足を踏み出した。

 それにあわせて、私も一歩後ずさる。

 でもすぐに私は窓際に追いやられてしまった。

 もうこれ以上、後ろに下がって逃げることはできない。

「……ちっ。
 北川なんかとべったりしやがって……」

 目の前の男子は怒りを露わにしていた。

 不愉快そうに私を睨みつけてくる。

「……ぁ。
 ……ぁぅ」

「おい西澄。
 黙ってないで、なんとか言ってみろ!」

 声を荒げて叫んできた。

 かと思うと今度は声のトーンを落として、囁くように語りかけてくる。

「……なぁに、心配するな。
 俺は優しいからな。
 言い訳があるならちゃんと聞いてやるし、いまのうちに謝るならまだ許してやる」

 どうもこのひとは、前から様子がおかしい。

 情緒不安定というか、態度に少し狂気じみたものを感じるのだ。

 私は慎重に考えてから返事をする。

「……なんの、話ですか?
 私は、あなたに謝るようなことをした覚えは、ありません」

 瞬間的に田中くんが目を吊り上げた。

 まるで鬼みたいな形相だ。

 ドシドシと踵を鳴らし、荒い歩調ですぐそばまで近づいてきた彼は、裏返った声で叫びながら唾を飛ばしてくる。

「ふっ、ふざけるなよ!
 お前!
 お、お前には俺という男がいるってのに、お前はそれすら忘れて、いつも北川なんかと一緒にいるだろうが!」

「……わ、わけが分かりません。
 どうしてあなたにそんな風に言われなくてはならないのですか?
 私と大輔くんの間に、あなたは関係ないのです」

「お、おまっ……。
 この!
 お前なぁ!」

 ドンッと乱暴に肩を突き飛ばされた。

「きゃあ⁉︎」

 背中が勢いよく窓枠にぶつかり、跳ね返った私はガラガラと机を巻きこんで倒れてしまう。

「……ぁぅ……」

 打った場所が痛い。

 息が詰まった。

 どうしてこのひとは、こんなに酷いことをするんだろう。

「はぁっ……はぁっ……。
 は、はははっ……!
 はははははは!
 どうだ。
 思い知ったか?」

 田中くんが薄ら笑いを浮かべながら、床に倒れた私を見下ろしてきた。

「はははははっ!
 はぁ、はぁ……。
 あのとき、ちゃんとお前には申し付けていたはずだぞ。
 忘れたとは、言わせない!」

 なんの話だろう。

 記憶を探って思い出してみる――

 ◇

 ――思い出した。

 たしかにこのひとは、以前私に、一方的に理解できない話をぶつけてきたことがある。

 そういえばあれは、大輔くんと初めて出会った放課後のことだった。

 ……その頃、私には酷い噂が流されていた。

『西澄アリスは1回500円で、どんなことでも言いなりになる』

 そんな噂だ。

 そのせいで私は何人かの男子から、いかがわしい願いごとをされたり、つらい思いをしていた。

 そしてあの日。

 茜色に染まった夕暮れの教室に私を呼び出したこの男子は、自分が噂を流した張本人だと、はばかることもなく告げてきたのである。

『一体どうして、そんな酷い噂を流すのですか?』

 尋ねると、この男子は言い放ったのだ。

『これは罰だ。
 前に俺の告白を断ったお前への罰だ。
 じゅうぶん反省したか?
 反省しただろう?
 ならこれからは心を改めて、俺と付き合え。
 いいな!』

 ……と。

 ◇

「思い出したか?
 お前には、俺と付き合うようにしっかり言っただろう!」

 心が冷え込んでいく。

 田中とかいう男子がなにか騒いでいるが、耳に入ってこない。

 大輔くんや、彼を取り巻く優しいひとたちの温もりに解きほぐされていた私の心が、急速に冷え込んでいく。

 私は思い出していた。

 世の中には良いひとばかりがいるのではない。

 むしろ大輔くんのような暖かなひとは稀なのだ。

「…………」

 瞳から光彩が失われていく。

 私は自分の目が、以前までの死人のような目に戻っていくのを感じていた。

「…………」

 すっかり元の無表情に戻った私は、黙り込んだまま虚ろな瞳で田中くんを見上げた。

 すると彼が怯んだ。

「そ、その目はなんだ……。
 その目をやめろ!
 そんな興味のかけらもないような目で、俺をみるな!」

「……なぜですか?
 私は実際に、あなたには露ほども興味なんて持てません」

「なんでだよ!
 北川には毎日笑いかけているだろうが。
 どうして俺には、あの笑顔を向けてくれない!」

「……大輔くんとあなたは違います。
 彼は優しいひと。
 そして大きくて暖かい。
 あなたでは、大輔くんにはなれません」

 遠慮なく言い放つ。

 すると逆上した男子が襲い掛かってきた。

「お、お前ぇ!」

「――ッ⁉︎」

 握ったままだったスマートフォンを反射的に振りかぶり、男子の顔に向かって思い切り投げつける。

「あぎゃ⁉︎
 目が……!
 目がぁ。
 ちくしょう、目にぶつかった!
 西澄ぃ。
 お前、いまなにを投げやがった⁉︎」

 スマートフォンのカドが彼の目に直撃したようだ。

 男子が顔を押さえてうずくまった。

 慣れない荒事に、私の息が一瞬であがる。

「はぁ、はぁ……。
 いまのうちに、逃げないと」

 早鐘を打ち始めた心臓を手で押さえて、肩で息をしながら立ち上がった。

 そうして私は、スマートフォンを拾い上げるのも忘れ、バッグも置いたままで一目散に教室を飛び出した。
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