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祖父の思いやり
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(アリス視点)
教室から飛び出した私は、廊下を何歩か進んだところで倒れ込んだ。
「ぁぅっ!」
足首が激しく痛む。
さっきあの男子に暴力を振るわれ、机を巻き込んで倒れてしまったときに足を捻ったのだろう。
ズキズキと鋭い痛みが走って、これではとても走れそうにない。
「でも……。
でも、はやく逃げないと……!」
飛び出してきた2年A組の教室から、田中くんの呻き声が聞こえてくる。
いまは目を押さえてうずくまっている彼だが、すぐに復活して私を追いかけてくるに違いない。
「西澄ぃ……!
お前ぇぇ。
よくもこの俺に、こんな仕打ちを」
教室から恨みのこもった叫びが聞こえてきた。
私からするとそれは完全に筋違いで逆恨みも甚だしいのだけれど、そんな理屈はこの狂気じみた男子には通用しないだろう。
「どうしよう……。
どうすれば……」
できれば階下まで駆け下りて、職員室に救いを求めたい。
でもこの足では1階にたどり着くまでに、確実に追いつかれる。
きょろきょろと辺りを見回す。
すると視線の先に、女子トイレを見つけた。
「あそこ……!」
なんとか身体を起こして、捻った足を引きずりながら歩く。
女子トイレに入った私は考えた。
個室に隠れるだけでは、あの執拗な男子に見つかってしまうかもしれない。
「えっと……。
そ、そうなのです……!」
縦長の扉を開ける。
少し狭いけど、あの男子が立ち去るまでここに隠れていよう。
(大輔くん……)
無意識に助けを求める。
私は用具入れに身体を滑り込ませ、息を潜めてうずくまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(大輔視点)
病院まで見舞いにやってきた俺は、ベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛けていた。
じいちゃんはいま、すやすやと眠っている。
こうなると見舞いってのは退屈なもんで、特にやることもない俺は、白く清潔感のある病室を何の気なしにぼーっと眺めていた。
ふいにポケットの中でスマホが鳴る。
「ん?
……あぁ、アリスからかな」
さっき明日の約束の件で連絡をしていたから、多分その返事だろう。
スマホを手にして、メッセージアプリを起動する。
やはりアリスからだった。
『私はいま学校です。
スマートフォンを置き忘れてしまいまして』
まだ学校にいる?
ああ、忘れものを取りに戻ったって書いてあるな。
メッセージの続きを読む。
『それで明日の約束ですが、それではお昼あ、わ、、さかpwmd.w』
……?
なんだろうこの文章は。
途中から変な文字列が打たれている。
いつもは几帳面なくらいしっかりとした文章を打ってくるアリスなのに、どうも様子がおかしい。
「……おぅ、大輔ぇ。
ここは病院だぞ。
携帯きっとけ」
首を捻っていると、ベッドから声をかけられた。
目を覚ましたじいちゃんが上体を起こす。
「ああ、じいちゃん起きたのか。
体調の方はどうだ?」
「はんっ。
すこぶる調子がいいってもんだ。
見りゃあわかるだろ。
風邪なんかもう治ってるってのに、あの医者の若いのが退院の許可を渋りやがるもんだから、なかなか家に帰れやしねぇ」
じいちゃんはすっかり元の調子を取り戻していた。
顔色もいい。
どうやら空元気ってわけでもないようだ。
「それより大輔。
おめぇ、そんな変な顔して携帯電話をみつめて、どうしたんだ?」
「変な顔は余計だっつの。
いやな。
いまアリスからメッセージが届いたんだが、ちょっとおかしいんだよ」
「おかしい?
一体なにがおかしいんでぇ?」
「見てくれよ。
こんな感じだ」
じいちゃんにスマホの画面をみせた。
「な?
おかしいだろ?
それにいま学校だって言うし……」
どうにも胸騒ぎがする。
スマホの画面をみつめて黙りこくってしまった俺に、じいちゃんが神妙な顔を向けてきた。
「……どうしたんだ大輔。
なにか心配事か?」
脳裏をよぎったのは田中大翔とかいう、あの野郎のことだ。
……そうだな。
あいつがアリスにストーカー紛いの真似をしている件について、じいちゃんに少し相談してみよう。
「なぁじいちゃん。
聞いてくれ。
ちょっとアリスの件で困ってることがある。
実はな――」
◇
田中大翔という野球部の同級生についてじいちゃんに説明する。
そいつが振られた腹いせに、くだらない噂を流してアリスを泣かせたこと。
時宗から野球部OBなんかに手を回して警告をしたこと。
だが田中のやつには、どうにも懲りた様子がないこと。
「――って、わけなんだわ」
ひと通り話し終えると、じいちゃんは俺の顔をみてこれ見よがしにため息をついた。
「……はぁぁぁ。
大輔。
お前よぉ」
「なんだよ」
「お前……。
こんなところで、なにやってんだ?」
「なにって。
そりゃあじいちゃんの見舞いだろ」
「バカ野郎!!」
一喝された。
耳がキーンとなるような大声だ。
「うおっ⁉︎
い、いきなり叫ぶなよ!
ここぁ病院だぜ?」
耳を押さえる俺に、じいちゃんが語りかけてくる。
「おい大輔。
お前がいまやるべきことはなんだ?
言ってみろ」
「そりゃあじいちゃんが退院するまで、見舞いをだな――」
「この、大バカ野郎がっ!!!!」
「いやだから叫ぶなって!」
たまらず叫び返す。
「やかましい!
お前がいまやるべきこたぁ、嬢ちゃんのそばにいてやることだ!
こんな、老い先短けえ爺いを見舞ってる場合じゃねぇだろ!」
「い、いやそれはでも……。
俺はじいちゃんが倒れたって聞いたとき、すげぇ心配だったからよ……」
「口ごたえすんじゃねぇ!」
どうやらじいちゃんは本気で怒ってるようだ。
「……なぁ、大輔」
大声で話していたじいちゃんが、声のトーンを落とした。
出来の悪い孫に言い聞かせるように語りかけてくる。
「アリスの嬢ちゃんは、お前にとってなんだ?」
「……惚れた相手だ」
「だろ?
そんでいま、お前の惚れた相手がどこの馬の骨ともわからねぇ男にちょっかいをかけられて、泣かされている。
お前のやるべきことはなんだ?」
「……そりゃ。
…………アリスを守ることだ」
「わかってんじゃねぇか。
じゃあお前はいま、こんな場所でなにをしてやがる?」
「…………」
返事ができない。
言葉に詰まってしまった俺に、じいちゃんが優しく言い聞かせてくる。
「なぁ大輔。
お前が家族想いな優しいやつだってことくらい、俺ぁとっくの昔から知ってる。
でもな。
優先順位を間違えんな」
「…………」
「いまお前がやるべきことは、嬢ちゃんのそばにいてやることだ。
少なくともその田中とかいう小僧の問題が解決するまでは、離れちゃなんねぇ。
嬢ちゃんの気持ちを考えろ。
あの子は自分が心細くても、お前の気持ちを優先させてくれる子だ。
でもそれに甘えちゃいけねぇよ。
わかるか?」
「…………」
「なぁに、俺のことは心配すんな。
さっきは老い先短けえなんて言ったがよ。
俺ぁお前と嬢ちゃんの間にできたひ孫を抱くまで、絶対に死んだりしねぇからよ。
カカカカ!」
じいちゃんが快活に笑う。
俺はその笑い声を聞きながら立ち上がった。
「…………。
……ちょっと行ってくるよ」
「おう!
行ってこい大輔!」
無言で頷いてみせる。
過ちに気付かせてくれたじいちゃんに胸のなかで感謝をしながら、俺は病室をあとにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
病院からでた俺は、さっそくアリスに電話をしてみた。
しかし呼び出し音がむなしく響き続けるだけで、電話はいっこうに繋がらない。
「……どうしたってんだ?
さっきの変なメールといい、嫌な予感がする……」
そういえばメッセージには学校にいると書いていたが、もしかするとアリスになにかあったのではないか。
もう一度電話をかけても、やはり繋がらない。
「……くそっ」
不安が増してくる。
はやくアリスの顔をみて安心したい。
焦燥感に駆られた俺は、病院まえに停止していたタクシーに飛び乗った。
教室から飛び出した私は、廊下を何歩か進んだところで倒れ込んだ。
「ぁぅっ!」
足首が激しく痛む。
さっきあの男子に暴力を振るわれ、机を巻き込んで倒れてしまったときに足を捻ったのだろう。
ズキズキと鋭い痛みが走って、これではとても走れそうにない。
「でも……。
でも、はやく逃げないと……!」
飛び出してきた2年A組の教室から、田中くんの呻き声が聞こえてくる。
いまは目を押さえてうずくまっている彼だが、すぐに復活して私を追いかけてくるに違いない。
「西澄ぃ……!
お前ぇぇ。
よくもこの俺に、こんな仕打ちを」
教室から恨みのこもった叫びが聞こえてきた。
私からするとそれは完全に筋違いで逆恨みも甚だしいのだけれど、そんな理屈はこの狂気じみた男子には通用しないだろう。
「どうしよう……。
どうすれば……」
できれば階下まで駆け下りて、職員室に救いを求めたい。
でもこの足では1階にたどり着くまでに、確実に追いつかれる。
きょろきょろと辺りを見回す。
すると視線の先に、女子トイレを見つけた。
「あそこ……!」
なんとか身体を起こして、捻った足を引きずりながら歩く。
女子トイレに入った私は考えた。
個室に隠れるだけでは、あの執拗な男子に見つかってしまうかもしれない。
「えっと……。
そ、そうなのです……!」
縦長の扉を開ける。
少し狭いけど、あの男子が立ち去るまでここに隠れていよう。
(大輔くん……)
無意識に助けを求める。
私は用具入れに身体を滑り込ませ、息を潜めてうずくまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(大輔視点)
病院まで見舞いにやってきた俺は、ベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛けていた。
じいちゃんはいま、すやすやと眠っている。
こうなると見舞いってのは退屈なもんで、特にやることもない俺は、白く清潔感のある病室を何の気なしにぼーっと眺めていた。
ふいにポケットの中でスマホが鳴る。
「ん?
……あぁ、アリスからかな」
さっき明日の約束の件で連絡をしていたから、多分その返事だろう。
スマホを手にして、メッセージアプリを起動する。
やはりアリスからだった。
『私はいま学校です。
スマートフォンを置き忘れてしまいまして』
まだ学校にいる?
ああ、忘れものを取りに戻ったって書いてあるな。
メッセージの続きを読む。
『それで明日の約束ですが、それではお昼あ、わ、、さかpwmd.w』
……?
なんだろうこの文章は。
途中から変な文字列が打たれている。
いつもは几帳面なくらいしっかりとした文章を打ってくるアリスなのに、どうも様子がおかしい。
「……おぅ、大輔ぇ。
ここは病院だぞ。
携帯きっとけ」
首を捻っていると、ベッドから声をかけられた。
目を覚ましたじいちゃんが上体を起こす。
「ああ、じいちゃん起きたのか。
体調の方はどうだ?」
「はんっ。
すこぶる調子がいいってもんだ。
見りゃあわかるだろ。
風邪なんかもう治ってるってのに、あの医者の若いのが退院の許可を渋りやがるもんだから、なかなか家に帰れやしねぇ」
じいちゃんはすっかり元の調子を取り戻していた。
顔色もいい。
どうやら空元気ってわけでもないようだ。
「それより大輔。
おめぇ、そんな変な顔して携帯電話をみつめて、どうしたんだ?」
「変な顔は余計だっつの。
いやな。
いまアリスからメッセージが届いたんだが、ちょっとおかしいんだよ」
「おかしい?
一体なにがおかしいんでぇ?」
「見てくれよ。
こんな感じだ」
じいちゃんにスマホの画面をみせた。
「な?
おかしいだろ?
それにいま学校だって言うし……」
どうにも胸騒ぎがする。
スマホの画面をみつめて黙りこくってしまった俺に、じいちゃんが神妙な顔を向けてきた。
「……どうしたんだ大輔。
なにか心配事か?」
脳裏をよぎったのは田中大翔とかいう、あの野郎のことだ。
……そうだな。
あいつがアリスにストーカー紛いの真似をしている件について、じいちゃんに少し相談してみよう。
「なぁじいちゃん。
聞いてくれ。
ちょっとアリスの件で困ってることがある。
実はな――」
◇
田中大翔という野球部の同級生についてじいちゃんに説明する。
そいつが振られた腹いせに、くだらない噂を流してアリスを泣かせたこと。
時宗から野球部OBなんかに手を回して警告をしたこと。
だが田中のやつには、どうにも懲りた様子がないこと。
「――って、わけなんだわ」
ひと通り話し終えると、じいちゃんは俺の顔をみてこれ見よがしにため息をついた。
「……はぁぁぁ。
大輔。
お前よぉ」
「なんだよ」
「お前……。
こんなところで、なにやってんだ?」
「なにって。
そりゃあじいちゃんの見舞いだろ」
「バカ野郎!!」
一喝された。
耳がキーンとなるような大声だ。
「うおっ⁉︎
い、いきなり叫ぶなよ!
ここぁ病院だぜ?」
耳を押さえる俺に、じいちゃんが語りかけてくる。
「おい大輔。
お前がいまやるべきことはなんだ?
言ってみろ」
「そりゃあじいちゃんが退院するまで、見舞いをだな――」
「この、大バカ野郎がっ!!!!」
「いやだから叫ぶなって!」
たまらず叫び返す。
「やかましい!
お前がいまやるべきこたぁ、嬢ちゃんのそばにいてやることだ!
こんな、老い先短けえ爺いを見舞ってる場合じゃねぇだろ!」
「い、いやそれはでも……。
俺はじいちゃんが倒れたって聞いたとき、すげぇ心配だったからよ……」
「口ごたえすんじゃねぇ!」
どうやらじいちゃんは本気で怒ってるようだ。
「……なぁ、大輔」
大声で話していたじいちゃんが、声のトーンを落とした。
出来の悪い孫に言い聞かせるように語りかけてくる。
「アリスの嬢ちゃんは、お前にとってなんだ?」
「……惚れた相手だ」
「だろ?
そんでいま、お前の惚れた相手がどこの馬の骨ともわからねぇ男にちょっかいをかけられて、泣かされている。
お前のやるべきことはなんだ?」
「……そりゃ。
…………アリスを守ることだ」
「わかってんじゃねぇか。
じゃあお前はいま、こんな場所でなにをしてやがる?」
「…………」
返事ができない。
言葉に詰まってしまった俺に、じいちゃんが優しく言い聞かせてくる。
「なぁ大輔。
お前が家族想いな優しいやつだってことくらい、俺ぁとっくの昔から知ってる。
でもな。
優先順位を間違えんな」
「…………」
「いまお前がやるべきことは、嬢ちゃんのそばにいてやることだ。
少なくともその田中とかいう小僧の問題が解決するまでは、離れちゃなんねぇ。
嬢ちゃんの気持ちを考えろ。
あの子は自分が心細くても、お前の気持ちを優先させてくれる子だ。
でもそれに甘えちゃいけねぇよ。
わかるか?」
「…………」
「なぁに、俺のことは心配すんな。
さっきは老い先短けえなんて言ったがよ。
俺ぁお前と嬢ちゃんの間にできたひ孫を抱くまで、絶対に死んだりしねぇからよ。
カカカカ!」
じいちゃんが快活に笑う。
俺はその笑い声を聞きながら立ち上がった。
「…………。
……ちょっと行ってくるよ」
「おう!
行ってこい大輔!」
無言で頷いてみせる。
過ちに気付かせてくれたじいちゃんに胸のなかで感謝をしながら、俺は病室をあとにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
病院からでた俺は、さっそくアリスに電話をしてみた。
しかし呼び出し音がむなしく響き続けるだけで、電話はいっこうに繋がらない。
「……どうしたってんだ?
さっきの変なメールといい、嫌な予感がする……」
そういえばメッセージには学校にいると書いていたが、もしかするとアリスになにかあったのではないか。
もう一度電話をかけても、やはり繋がらない。
「……くそっ」
不安が増してくる。
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