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マーリィ01 路地裏の空

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 気がつくと荒野に寝転がっていた。
 体が動かない。

「ッ、痛ぅ……」

 上体を起こそうと無理に力を入れると、身体中があちこち痛んだ。
 顔がひどく腫れている。

 なんだこれ?
 自分で言うのもなんだけど、わたしは顔が可愛い。
 でもこれじゃあ台無しだと思う。

「ポ、ポーション、たしか、持ってた……」

 震える手で懐をさぐる。
 そこに回復薬があることに安堵の息を吐いてから、全身に振りかけた。

 しばらくすると少し楽になってきた。
 ところでわたしは、一体こんな場所で何をしているんだっけ?

 うーん。
 パッと思い出せない。
 ともかくこういうときは、一から記憶を漁ってみることだ。
 えっと……。

 わたしはマーリィ。
 神剣の勇者アベルさまの奴隷で、勇者パーティーの荷物持ちポーター

 アベルさまとの出会いを思い返す――

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 物心ついた頃から、わたしはスラムで暮らしていた。
 親の顔は知らない。

 でもそれを気にしたことはない。
 スラムでは、むしろ親がいる子供のほうが少なかったし、たとえ親がいても大概は穀潰しのロクデナシだったからだ。

 スラムでの生活は厳しかった。
 糞尿なんかがその辺に垂れ流しで、臭くて汚い。
 病気になっても、治療を受けられずに死ぬ子が多かったし、とにかくいつも、お腹が空いていた。
 空腹に耐えかねたときは、盗みもやった。

 本当にろくでもない所だと思う。
 でもそんな酷い場所でも、ひとつだけ気に入っていたものがあった。
 それは路地裏から見上げる空だ。

 空は誰にでも平等だ。
 青く澄んで高い空。
 残飯を漁ったあと、ごみ箱に背中をもたれ掛けながら、建物の外壁に四角く切り取られた空を眺める。

 この空は、どこにだって続いている。
 ならこの下を歩いていけば、こんな薄汚れたわたしでも、どこか違う綺麗な場所にいけるんじゃないかって……。
 そんなことを思っていた。



 ある日わたしは、盗みで下手をして捕まった。
 スラムの子供が捕まった場合、行き先なんて相場が知れている。
 奴隷だ。

 わたしも御多分に漏れず、犯罪奴隷として奴隷市場に並べられることになった。
 でも買い手はつかなかった。

 満足に食事もできなかった体は、痩せてガリガリ。
 頬はこけ、あばら骨は浮き上がり、黒い髪もぼさぼさ。

 大人ならそれでも労働力として買われるかもしれないけれど、わたしはまだ十歳にも満たない。
 買い手がつこうはずがなかった。



 檻に閉じ込められて、見世物になる毎日。
 日に日に体力も衰え、やがてわたしは病気に罹った。

 不衛生な環境で、抵抗力もない子供の体だ。
 病はすぐに進行し、わたしはあとは死ぬのを待つばかりとなった。

 わたしは悔しかった。
 こんなところで、死にたくない。
 最後に……。
 最後にもう一度、空が見たい。
 こんな薄暗い檻に閉じ込められたまま逝くのは嫌だ。
 死ぬなら青空を見上げながら……。

 わたしは隙をついて、奴隷市場を脱走した。
 大きな通りに出ると、青空が見えた。

 ……ああ、空だ。

 雑踏のなか、崩れ落ちた。
 膝をつき、空を仰ぐ。
 道行くひとの群れが、汚らしいわたしを舌打ちしながら避けていった。

 わたしは満足して、自分の死を受け入れた。
 そのとき――

「……ねえ、きみ、どうしたの? 大丈夫?」
「なんじゃ、この小汚い童は」
「もうアウロラ! そんな風に言ったらだめじゃないか! ……って? うわ!? この子、ガリガリじゃないか!?」

 見知らぬ男のひとと、女のひとが目の前に立っていた。

「さ、つかまって。立てる?」

 救いの手が、わたしに差し伸べられた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 わたしはすべてを思い出していた。

 アベルさまとアウロラさまが魔王を討伐した夜、勇者パーティーの4人が裏切った。

 なんとかしてアベルさまを逃がそうとしたわたしは、あのヒューなんとかいう刺青ハゲの拳闘士に捕まって、殴られたのだ。

 でもそれ以降の記憶がない。
 アベルさまは無事だろうか。

「うぅ……。あいたたた……」

 どうにか動くようになった体を起こす。

 とにかく一旦、あの裏切りがあった現場に戻ろう。

「んー。でも、魔物こわい……」

 風景からして、ここは魔大陸だと思う。
 ならきっと、凶暴な魔物がたくさんうろついている。
 戦っても勝てない。
 自慢じゃないけど、わたしに戦闘力はないのだ。

「……ま、なんとかなる」

 とりあえず、魔物に遭遇したら逃げよう。
 きっと大丈夫、大丈夫。
 気楽に考えつつ、わたしは歩き出した。



 ……死ぬかと思った。

 正直、ひとりで魔大陸を歩く恐ろしさを舐めていた。

 魔物との遭遇率が高すぎるのだ。
 大半は風上に身を潜めて待てば、魔物がどこかに去っていったけど、運悪く見つかった場合は全力で逃げた。
 なんとか無事に、ここまでやって来れたことが、奇跡みたいに思える。

「……ん、と」

 周囲を見回した。
 たしかこの辺りが、裏切りのあった場所だったと思うんだけど……。

 辺りに変わったものは何もない。

 ここまで戻ってくるのに結構な日数が掛かってしまったから、アベルさまやアウロラさまは、さすがにもう居ないだろうとは思っていた。

 でもふたりを探すヒントになるような痕跡があればと、辺りを探っていく。
 すると遠くに、淡く発光している何かを見つけた。

「ん……、なんだろ?」

 歩いて近づいていく。

「んに!? これ!?」

 それは淡い光を纏った真っ白な剣だった。
 アベルさまの神剣。
 その剣が、大地に突き立てられている。
 地面には、一度大きな穴を掘って埋めなおしたような跡があった。

「これアベルさまの。どうしてここに……?」

 この神剣は、アベルさまの力の源。
 大切な剣だと聞いている。
 それがなぜ、こんな荒野に突き刺されたまま置きざりにされているのか。

 近寄って、鞘に触れてみる。
 すると急に、神剣が眩く輝きだした。

「な、なに!? この光!?」

 周囲を白く染め上げるほど激しく、神剣が輝きを放つ。
 やがてその光は集束し、わたしの胸のなかに吸い込まれていった。

 いきなりのことに反応できない。
 呆気に取られていると、頭のなかに誰かの声が響いてきた。

『久しいの、マーリィ。心配していたのだぞ?』
「だ、だれ!?」

 きょろきょろと首を回す。
 でも付近には、何者もみつからない。

『ここじゃ、ここじゃ』
「……は、はぇえ?!」

 どうにも剣から声が聞こえてきた気がする。

 ふと思い当たった。
 そうだ。
 アベルさまが言っていた。
 たしかこの神剣は喋るのだ。
 使用者にしか声は聞こえないらしいけど、自分で考えて喋る剣なんだとか。

「えっと……。ミーミルさま?」

 たしかそんな名前だったと思う。

 でもアベルさまはミーミルさまの話し口調を、淑女というか、お淑やかな女性のそれと言っていた。
 いま聞いた声とは、随分違うように思えるけど……。

『ん? ミーミル? ……ああ、違うぞマーリィ』

 考え込んでいると、剣の声に意識を引き戻された。

「……じゃあ、だれ?」
『お主も薄情なやつじゃのう。もう妾のことを忘れたのか?』

 はっとする。
 妾?
 それに時代がかった特徴的なこの話し方は……!?

 くわっと目を見開いて、神剣を凝視する。
 すると剣は、聞き慣れたあの口調で名乗りを上げた。

『妾は古龍アウロラ・ベル! いや、それはもう違ったな。……こほん、では改めて。……妾は神剣! 神剣アウロラ・ベルじゃ!』
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