メイコとアンコ

笹木柑那

文字の大きさ
16 / 25
第二章 家族とか

2.家

しおりを挟む
「いきなり一人フェス始めるとか。本当他人事で聞いてる分には楽しいんだけどねー」

「ひやっとするわ。階下から『ドン!』って天井突きあげられるんじゃないかとか。隣から『うるさい!』って怒号がとんでくるんじゃないかって」

「騒音はねー。お互い辛いところよね。うるさくなっちゃう方も、それを聞かされる方も」

 私も『うるさい』と思う方の気持ちがわかるだけに、常々申し訳ないと思っている。
 やっと母が寝てくれて自分も休めると思ったら、突然隣でパーリナイが始まりどんちゃか騒ぎで母が起きてしまう。
 ただでさえ夜中のトイレに付き合わなきゃいけなくてまとまって寝れる時間は少ないのに。
 赤ちゃんがいる家でも同じような苦労をするだろう。
 寝た子を起こされることほど腹立たしいものはない。

「生活音でうるさいのと、楽しくて騒いでうるさいのとは根本的に違うと思うけどね。相手にとってみたら、『お互い様でしょ』なのよ」

 なるべく静かにしようと苦心していてもそうなってしまう。それだけの苦労を認めてほしい気持ちはある。
 だが事実としてうるさくて迷惑をかけているということは変わらないのは確かだ。
 精神論で騒音を耐えられる人と、耐えられない人がいる。それは責められない。

 過去、隣で騒いでる人に『お互い様だからお宅も気にせず友達と飲み会でもなんでもやっていいよ』と言われたこともある。
 だが私は他人に迷惑をかけてまで自分のストレスを発散したいとは思わない。
 そもそも、他人に迷惑をかけていると思うこと自体がストレスだ。
 うるさく感じるのはその人だけでなく、反対側の隣だって上下だって接しているのだから。

「介護で騒音ねえ。小さい子供がいて騒音に悩まされるってのはよく聞くけどね」

 介護と育児は似て非なるものである。
 徘徊していて通報というのはあるだろうが、介護で騒音が理由というのはあまり聞かないかもしれない。
 だが実際は子供よりも体重があるから音もすごいし、無理に抑え込むにも体が大きいから対応が難しい。
 大学の時に一人暮らしのアパートに来たときでさえ、母が普通に歩く足音はどしんどしんと響いて、いつもいつも注意していた。田舎の一軒家で育ち、足音に気を付けて歩くという習慣がないから特にひどいのだろう。
 母に注意する度、『はいはいすみませんね!』と逆切れされていたことを思い出す。
 老齢になるとうまく足が動かないというのもあるだろうし、苦労するのは子供だけではないのだ。

「まあ、小さい子も言うこと聞かせられないって点では苦労は同じかもね。無理矢理抱え上げたって、今度は泣きわめくだろうし。そうしたら余計にうるさくなっちゃうし、もうどうしたらいいのってなるよね」

 会社の先輩も言っていた。
 ハイハイの頃は動き回ってもかわいいかわいいと言っていられた。ベビーゲートなどで行動範囲も制限できる。
 しかし歩くようになると途端に足音が気になるのだという。
 小さい子の足音なんて大したことないのではと思ったが、歩き方がまだ上手ではないから、体重を乗せて歩くし、踵が結構響くんだそうだ。
 転んだ時の衝撃を和らげるためにクッション性のあるマットは元々敷いていたらしいのだが、それでもピンポーンと「うるさい!」の苦情が来る。
 ネットで対策を調べて、クッション性のあるスリッパを履かせてみても、すぐに脱げてしまうし、邪魔だと脱いでしまう。
 靴を履かせてみても、すぐに転んでしまってその音がまたうるさいとクレームがくる。
 防音マットを買い、部屋も廊下も歩くところは全て敷き詰めたというが、それでもピンポーンと来る。それだけの広さに敷いているから何万円もかかっているのに、それでもうるさいと言われてしまえば、あとは改築でもするしかない。だが賃貸ではそれもできない。
 子供に歩くなと言うのは無理な話だ。
 静かに歩けといって、できるわけでもない。今まさに、歩く練習をしているところなのだから。
 慣れて走り回るようになるとまた大変で、その頃の子供に「走るな! 歩け! 静かに!」と言って聞くわけもない。
 子供が大人しく言うことを聞いてくれるなら、イヤイヤ期という言葉も育児疲れという言葉も聞かれないはずだから。

 その先輩は、一日に何度もピンポンピンポーンと鳴らされて、その度にドアを開けて対応し、申し訳ありませんと謝り倒していたという。対策をしている旨も伝えるが、「やることやってるならしょうがないな」とはならない。
 許せる心があるなら最初から何度もしつこくチャイムを鳴らしたりしない。
 絶対にどうにかしてほしい。静かになるまで許さない。その姿勢の表れなのだから。

 結局家にいると、またチャイムを鳴らされるのではないかとピンポンに怯えるようになり、宅配を受け取るのも嫌になり、引っ越しを決意したという。
 『もう引っ越しますので、それまでご迷惑をおかけするかもしれませんが申し訳ありません』と伝えても、ピンポンの頻度は変わらなかったそうだ。
 またマンションやアパートに引っ越せば、同じ目に遭う。
 引っ越すとしたら一軒家しかない。
 だがアパートと違って一軒家などそう簡単に買えるものではない。
 それでもピンポンの恐怖に耐え切れず、近くのオープンハウスを見に行き、一週間で決めたそうだ。
 引っ越した後、隣だけでなく道を挟んだ前後や、通りの何軒かのお店に挨拶に行き、小さい子供がいるため迷惑をかけるかもしれない、申し訳ないと頭を下げて回ったらしい。
 それでもしばらくはピンポンとなるたびに怯える日々は続いたらしい。

「ようやっと子供が多少騒いでてもクレームが来ないってわかって安心できるまで、三か月はかかったらしいよ」

「もうほとんどトラウマだよね」

 人に迷惑をかけてはいけない。
 自分が反対の立場だったら当然うるさいと思うだろう。

 そう思うから、余計に申し訳なくなるし、かといって根本的に解決できることではないから、責められても対処ず、ずっと責め立てられることになる。
 それは苦行でしかない

「一人で静かに誰にも迷惑かけずに暮らしてる身からしたら、なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ! って思うよね。一方的で理不尽だって。同じ家賃払ってるんだしさ」

「そうね。でもこの話の怖いところは、この先にあるのよ」

 その先輩が引っ越したのは近所だった。
 どこも空きがないから保育園は変えられない。夫婦とも勤務先も変えられるわけじゃないから。
 だがそうすると、元のアパートの前を通りがかる機会がある。
 つい、気になって見てしまうのだが、六戸のうちの、その先輩が住んでいた部屋だけ、新しく誰かが住み始めたな、と思っても、またすぐにシャッターがしまりっぱなしになってしまうんだそうだ。
 干してある洗濯物には大抵小さな子供のものが混じっている。
 何故ならそのアパートは4LDKで、家族向けだったからだ。
 階下に住んでいたのは、それなりの年の夫婦で、子供を望めるような年齢ではなかったそうだ。
 そりゃあ自分の家には子供がなくて、他人には迷惑をかけていないのに、何故うちだけが迷惑をかけられなければならないのかと思うだろう。
 不満はわかる。

 だが、だったら家族向けではないアパートに住めばよかったのではないかと思ってしまう。
 その後も何軒も家族連れが引っ越してきては去って行きの繰り返しなのは、おそらく、先輩たちがクレームによって折れて引っ越したから、これはいけると味をしめたのだろう。
 気に入らなければ追い出せばいい。
 だって、うるさい方が悪いのだから。
 こちらは何も迷惑をかけていないのだから。
 正義はこちらにある。
 そう考えたのかもしれない。心優しき先輩の気遣いが、申し訳なさが、最初は「申し訳ないけどもう少し静かにいてくれる?」という言い分だったその夫婦を助長させてしまったのかもしれない。

 ちなみに、先輩たちが引っ越しを決め、退去の挨拶にいくと、「そんなつもりじゃなかったのに」と言われたらしい。

「はあ? だよね」

「そうね。じゃあ、どんなつもりだったのかって聞きたいなと思ったよ」

 対策もしている。子供にもわからないだろうと思いながらも毎日必死に言い聞かせている。
 ネットで調べて、できることはなんでもした。
 それでも、騒音をまったくなくすことはできなかったのだ。引っ越す以外にどんな道があったというのだろう。

 その先輩は会社の社宅扱いで部屋を借りていて、八割の補助があった。それを自己都合で引っ越したため、もう補助は受けられないし、退去費用もかさんだ。
 住宅ローンの支払いのため、時短勤務を取りやめてフルタイムで働き始めた。子供と接する時間は寝るときだけになった。家事育児の時間が仕事に圧迫され、家計もひっ迫して、子供たちは長時間預けられるストレスにさらされ、夫婦そろって余裕のないぼろぼろな生活。
 それでも。

「まあ、その夫婦がどんな人たちなのかはしらないけどさ。ご近所トラブルで刺されたとかあるからさー。逃げるが勝ちともいえるよね」

 そう。どんなに生活が大変でも、やっとピンポンの嵐から解放されて、子供たちも怒られ続ける生活から解放されて、家族がのびのびと、健やかに暮らせるようになったのだ。

「そう考えると、早く決断するのがいいってこともあるわねー」

 何がどう転がって幸せを感じることになるかはわからない。
 大事なのは、幸せにむかって転がっていこうとする意志なのかもしれない。
 それがたとえ誰かに逃げだと言われるようなことだとしても。
 裏で誰かがほくそ笑んでいたとしても。
 結果として幸せになった方が勝ちなのだ。
 文句を言い続ける人生よりも、その方がいいに決まっている。

「あ。そう言えば先輩に引っ越し祝い、渡してなかったなあ」

「あんたね。今更よ……」

 言われて苦笑した。
 幸せに暮らしている先輩にとっても、引っ越しは過去のことなんだろうなと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...