そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~

71項

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 現れた黒い人影。
 その見覚えのある―――ソラが待ち望んでいた彼の登場に彼女は声を上げた。

「ロゼ!!」

 その瞬間、それまでソラを襲っていた恐怖心は一気に消え去り、安堵に胸を撫で下ろした。思わずポロリと涙が一つこぼれ落ちる。
 
「……なんやけったいな奴が出てきおったな…」

 一方で灰燼の怪物グリートは突然現れた奇抜な風貌のロゼに先ほどまでとは違う反応を見せる。
 警戒心を強めると共に獲物を狙う獣のように舌なめずりをした。
 瞬時に灰燼の怪物グリートはその異質なロゼのを察したようであった。
 口角を吊り上げ、楽しそうに灰燼の怪物グリートはポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。

「邪魔する気ーなら容赦はせんで? ……えっと、兄ちゃん? それとも姉ちゃんって呼んだ方がええか?」
「私はロゼよ。そういう美しくない呼び方は止めてくれる?」

 少しばかりの間を置いてから灰燼の怪物グリートは「じゃあ、あんさんで」と面倒くさいと言いたげな声で返す。
 が、次の瞬間。彼はナイフ片手に地を蹴った。
 近付く不気味な笑みにロゼは冷静に、落ちていた剣の鞘を蹴り上げ構えた。
 真横に掲げられた鞘は灰燼の怪物グリートのナイフを受け止め鍔迫り合った。

「ソラ! 今のうちにダスクを連れて逃げなさい!」
「え…」
「早く!」

 滅多に聞かないロゼの怒声に、ソラは思わず言う通りにダスクの腕を引っ張る。
 
「父さん! 父さん!」
「す、すまない…」

 一瞬失神していたダスクだったが直ぐに目を覚まし、娘の肩を借りながら立ち上がる。
 痛々しい父の顔にまたしても涙が零れ落ちそうになるソラだったが、それでもグッと感情を堪えて父を連れながら遠くへと避難する。
 その間にもロゼと灰燼の怪物グリートは互いの武器で打ち合っていた。

「思った以上にやるやないか…オレの剣捌きについてこれるとはのぉ」
「あら、今のが剣捌きだったの? てっきり飛んできた火の粉でも払っていたのかと思ったわ」

 両者とも不敵に笑い、睨み合う。
 が、実際のところ状況はロゼの方が不利であると言えた。
 その背後には未だ逃げきれていないソラとダスクの姿があるからだ。
 二人が逃げ切るまでは何が何でも灰燼の怪物グリートに隙を許してはいけない。

(いざとなれば…覚悟しておいた方が良い、か……)

 ロゼは人知れず息を吞み、その額に汗を滲ませた。





 遠くから伝わって来る炎の熱気なのか、はたまた初夏の湿気のせいなのか。
 異様な火照りによってソラの額からは次々と汗が滴り落ちる。

「あたし…また、何にも…出来なかった…」

 緊張からか呼吸は荒く、切れ切れの息ながらに、それでも彼女は自分の後悔を口にする。
 ロゼを見た安心感からか、今は恐怖心よりもこうしてまた助けられて逃げる自分の情けなさに憤慨していた。

「仕方がない…相手が悪すぎだ……今はロゼに任せ―――」
「でも! ロゼだってあんなヤバそうな奴…流石に倒せるかどうか…!」」

 思わず父の言葉を遮り、声を荒げるソラ。
 ロゼなら必ずぶっ倒してくれる。そう信じたい反面、以前の男二人組とは比べ物にならないほどの灰燼の怪物グリートの力量差を、流石のソラも肌で感じ取っていた。

「……わかっている。今のアイツが挑んだとしても…おそらく灰燼の怪物グリートとは互角だろう。だからこそ―――ソラの手助けがあれば……」
「あ、あたしの…?」

 予想外の言葉に困惑し眉を顰めるソラ。
 ダスクは借りていた娘の肩口を力強く掴んだ。

「ソラ…灰燼の怪物グリート相手にお前は大したことも出来ないかもしれん。だが、そのが…ロゼを救えるかもしれんのだ」

 そう言うとダスクは腰に携えていた短刀をソラに手渡した。
 大した刃渡りではなかったが、それでも灰燼の怪物グリートが持つナイフよりは随分と長いものだった。

「頼む……ロゼを助けに行ってくれ」

 ソラに頭を下げる父を見たのはこれが初めてだった。
 だからこそ、ソラは恐怖心以上の使命感に背中を押され、気が付けば父をその場に置いて踵を返した。

「わかった!」

 そう言って駆けていく娘の背を見送りつつ、ダスクはその顔を徐々に顰めていく。

「―――これでロゼが負けることはない。それはわかっている……だがな、やはり危険な男の下へ愛娘を向かわせるというのは……酷いものだぞ、セイラン…」

 誰に伝えるわけでもない独り言を、彼はポツリと呟いた。






    
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