美しい希

みぽにょ

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テレビの人

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「どこに行っていたの。休憩時間とっくに過ぎてるじゃない。三回ほど、電話したのになかなかつながらなくて心配したわよ」
裏口から入ってきた私の姿を見て、おばさんは心配そうに声をかけた。
店に戻ると、おばさんは忙しそうにレジの前で列になって待っていた客の会計をしていた。カウンターには、レゴや車のおもちゃで遊んでいる匠海の姿があった。
「……ちょっと、丘に行っていたの。遅くなってごめん」おばさんに聞こえるか否かほどの小声で呟いた。
慌ただしく厨房で手を洗い、おばさんに代わってレジを打つ。

今日に限って、人が多いな。

夕方ごろの時間帯だからか、店内よりもお持ち帰りでパンを購入する人が多く、レジ前には数列並んでいた。
この店で働いているのは私とおばさんを含めて五人。だから、私ひとりが抜けるだけで多忙になる。それに加えて、この春休みの期間はいつもに増して客が一定に多い。普段は常連客がほとんどだが、この時期はそうとは限らない。
だからこそ、私は申し訳ないと思うばかりに反省する。おばさんたちに負担をかけてしまった分を返さなきゃ。
営業が終わるまでの四時間、私は止めどなく入ってくるお客さんに接客した。
だが実際、その間の私の脳は、丘であった出来事でいっぱいだった。彼との時間がループで自動再生されるかのように、『弘本雄太』という人物像が頭から離れなかった。彼は確かに最後にその名前を口にした。誰もが知っている名前を。考えれば考えるほど、想像が膨らんで頭が混乱する。そのことを承知で私の脳は勝手に思考してしまう。
「何怖い顔してるのよ。そんな顔してたら、お客様にびっくりされるわよ」
一旦客の潮が引いたタイミングで、おばさんがレジ打ちをしていた私の後ろから小声で囁いた。どうやら笑顔で接客をする反面、彼について考えていると無意識に顔を顰めてしまっていたようだ。
客の波が収まり、閉店最後のお客様が店を出た。
私はいつも通り外の看板を片付け、店のドアにかけられた文字をopenからcloseにひっくり返した。シャッターボタンを押した瞬間、店のシャッター上から降りてくる。完全にしまったことを確認した私は、店を見渡した。一変して静かになった店の真ん中で、私はお腹を鳴らした。
「疲れたぁ~!」
疲れ切った声で自然と体がカウンターへ倒れ込んだ。机と顔をひっつけて長々なあくびが出る。だんだんとまぶたが落ちて、このまま眠りにつけるのではないかと意識が朦朧とし始めた。
「そこで寝たら駄目よ」
「ごめん。今完全に寝そうだった」
私はゆっくりと背筋を伸ばして、体を左右に動かす。背骨がゴリゴリっと音を立てる。
「やだ、美希だいぶ肩凝ってるじゃない」
まだ若いはずなのに肩に石が乗っているような気分だった。肩甲骨を十回ほど回したら、この重みが取れればいいのだが。
「それにしても、休憩時間の後から心ここに在らずって感じだったわね。レジ打ちもいつも以上に手こずっていたし。何かあったの」
やはりおばさんの目は鋭いな。丘から戻ってから彼のことで頭を巡らせていると仕事に手がつかなかった。そのおかげで簡単なレジ計算ですら手こずってお客様に迷惑をかけてしまった。
「ごめんなさい。ちょっと疲れちゃってただけ。次からは気をつけるね」
「疲れはちゃんと取らないとダメよ。今日はよく頑張ってくれたわ。この春休み中いっぱい働いてくれて本当に助かってるのよ」
おばさんはそう言って優しく頭を撫でてくれる。褒めてくれる時はいつも決まってすることだ。単純な私にとって、この些細なおばさんの撫でがとても幸せに感じる。
「あ、そうだわ。そんな美希にご褒美があるのよ」
おばさんは何か思い出したかようで胸のあたりで両手を叩くと、厨房からケーキ箱を持ってきた。箱を見るとかわいい白猫の絵が描かれている。
「これって、斉藤さんケーキじゃん!しかも私の大好物の・・」
「そうよ。斎藤さんから新作のケーキと、美希の大好きなチーズケーキをいただいたのよ」
猫の絵を看板としている商店街のケーキ屋さん。ここのパン屋と劣らず人気の店だ。私も幼い頃からお祝い事があるといつもあそこの店でケーキを買う。
「ちょー嬉しい。ありがとう!」
「美希ったら、本当に食には目がないんだから」おばさんは呆れたようにケーキに手を伸ばす私の手を叩く。
「今はダメよ。夕食後に食べましょ」
おばさんは扉に目を向けて戸締りを確認すると、席から立ち上がり、ケーキの箱を持って厨房奥にある階段の方に向かった。
「電気、消しといてね」
遠くから聞こえてくるおばさんの言葉に「はーい」と返事をして、わたしはゆっくりと階段の方に向かう。静寂した厨房を通りすぎ、階段横の壁にある小さなボタンを押す。暗い空間が生まれ、微かに眠気を感じ、自然と開いた口からため息が出る。だが、2階のリビングから漏れる光と、そこから感じる夕食の匂いに唆られると、そのため息を吸い込んだ。好物のハンバーグ。早く晩御飯にしよう。
仕事が終わってからの晩御飯はいつも以上に美味しい。おばさんの料理はパンだけじゃなく家庭料理も格別だ。夕食の時だけじゃないが、円テーブルで三人が顔を合わせるこの空間はいつも和やかな気分になる。匠海の愛らしい食べ方や、匠海とおばさんの面白い会話が一層にして感じさせる。

「それで、美希は今日の休憩時間、どこ行ってたの?」
「ゔぅ」
匠海から私へと視線を変えたおばさんの唐突な質問に、私は口に入れたハンバーグが喉に絡まり、むせてしまう。コップに注がれた水でむせた喉をなおして落ち着かせる。
疲れのあまりか、あのことをすっかり忘れていた。
「……丘に、行ってた」
「丘って、最近美希がよく行ってる東が丘のこと?」
「そうそう。ってか、なんでそのこと知ってるの?」
「知ってるも何も、前に匠海に言ってたじゃない。それも妙に楽しそうに。おかげで匠海、美希ねぇのこと心配してたわよ。笑顔でこわいって。ね、匠海」
そうだった。これまで学校から帰ったら匠海と遊ぶことが多かっただが、あの丘に行くようになってからその時間が大きく減ってしまった。帰宅が一時間以上も遅くなってしまって、匠海が悲しそうに「ねぇね、かえってくるのおそい」って拗ねてたことを思い出す。
「美希ねぇ、最近ずっと帰ってくるの遅いんだもん。全然遊んでくれない」
口をとんがらせながら、匠海はハンバーグにグーで握ったお箸を突き刺す。
「ごめんだって。これからは学校帰りすぐ帰って遊ぶから。ほらもぅ、拗ねないの」
膨らませた匠海の両ほっぺたをつまむ。
「それにしても、毎日のように東が丘に行って何しに行ってるのよ。あそこって特にこれといった遊具も無いし、人気のないところじゃない」
「……それは」
続ける言葉に詰まり、私はおばさんの方から目線を外す。その時、テレビから流れるエンタメニュースに耳が反応した。
「……の弘本雄人さんのソロコンサートが明日の十八日、十九日に地元、大阪で開かれます。雄人さんのソロコンサートは今年で-』
ニュース概要を説明するアナウンサー、そしてその隣に映る彼の姿が目に映る。
「おばさんさ、この『弘本雄人』って……知ってる?」
「もちろん。私が美希ぐらいの時に超人気だったのよ。今でも歌番組とかドラマに出てるじゃない。最近だと……」
おばさんの口から出てくる彼の情報に、私は少し尻込みする。やっぱりあの人は、あの丘で出会った人は、あの弘本雄人なのか。そうだとすれば、あのオーラが芸能人に巻き付いたものとすると納得がいくが、自分があの彼と話していたということが信じられなくなる。
国民的アーティストの弘本雄人。今や大物芸能人だ。確か年齢はおばさんの少し下ぐらい。
まさか、とは思ったが未だ信じられない。なぜ気づかなかったのだ。芸能に興味がないからといって流石に気づくはずだろ。どれだけ自分が迂闊なのか、改めてあんぐりする。
「彼がどうしたの?」
「いや、……ちょっと気になって」
今日の休憩時間に弘本雄人に会ったんだ、なんておばさんに伝えたらどう反応するだろう。おそらく、信じないだろうな。
「ごちそうさま」
テーブル椅子から立ち上がって、私は台所のシンクに食器を置く。
「チーズケーキ、冷蔵庫に冷やしてあるわよ」
「チーズケーキ、後で食べるわ。ちょっと部屋で休む」
ご飯を食べ終え、私は三階にある自分の部屋に戻るなりスマホで『弘本雄人』と調べた。
画面にはやはり、あの彼が写っていた。

「やば……ガチじゃん」

心の声が自然と漏れる。スマホに写る人はまさに、あの丘であった彼だった。
スクロールするごとに、彼のプロフィール情報やキラキラ衣装で歌っている姿、他の芸能人とカメラに向かって笑顔でトークしている様子、バラエティー番組の動画などが何個も載っていた。
これがあの丘で会った彼なのか。思わず深い息を吐いてしまう。
ウェブサイトのタブを閉じ、写真フォルダへと画面を移した。そこには彼とのツーショットが写し出された。私の隣に写っているこの人が、竹本雄人なのか。私の頭後ろにピースを乗せ、ほくそ笑む彼を指2本で軽くアップする。
なぜ、気づかなかったんだ。どう見ても、彼だ。
スマホのロック音を鳴らし、目を伏せるように腕をまぶたの上に被せた。長く浅いため息が部屋に流れた。
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