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第二章 【過去編】イザベル・ランドール
呪われた子(1)
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三人となったランドール公爵家の日常はゆっくり優しく流れて行った。
自室となる部屋はイザベルの隣の空き部屋となり、イザベルは寝る時以外はユリウスとほとんどの時間を共にした。
彼が来た次の日は手を引いて屋敷中を案内して、その次の日には広大な庭をお気に入りの場所を混じえて紹介した。
彼は興味深々とはまではいかないまでも、気にはなるようで、きょろきょろしながらイザベルの説明に耳を傾けていた。
イザークも日中は屋敷を開けていることが多かったが、慣れるまではと出来る限り二人のそばにいて。ユリウスは新しい環境に馴染んでいった。
そんなこんなで穏やかな日々が一ヶ月が経とうとした頃。それは起こった。
◇◇◇
「…………あつぃ」
イザベルは真夜中にパチリと瞼を開けた。
薄いカーテンの先には雲ひとつない漆黒の闇に月が映えていて、朝はまだ相当先だと分かる。
「おみず……」
サイドテーブルをごそごそ手で探るが、ピッチャーは置いておらず、むむっとくちびるを尖らせた。
(普段なら置いてあるのに)
喉の乾きでもう一度眠りに就こうにも気が散ってしまう。
「仕方ないわ」
イザベルはゆっくり体を起こして寝台から出た。
「どうしてこんなに暑いのかしら」
まぶたを擦り、毎晩夜を共にするぬいぐるみを引きずりながらとぼとぼ暗い廊下を歩く。
厨房に到着し、コップに水を注ぐ。ごくごく飲んでぷはぁと息を吐いたイザベルは、口元に付着した水を袖で拭ってコップを流しに置いた。
そして行きと同じようにぬいぐるみを引きずりつつ自室へと戻る。
(早く寝なきゃお肌にも悪いし、あした起きられなくなっちゃう……)
ガタガタと風によって窓が軋む。
「ゆうれい出そうね」
ぽつりと呟いてしまうと、静まり返った廊下はイザベルの恐怖を増幅した。片手で握っていたぬいぐるみを両手で抱え直し、小走りに戻る。
「あとちょっと……あれ?」
イザベルは自室の前でぴたりと止まり、首を傾げた。
イザベルの自室はユリウスの自室の手前にあるのだが、彼の部屋のドアが半分ほど開いていたのだ。寝る間際、鍵かけるのを忘れたのだろうか。
続けざまにどすんっと鈍い音も中から響いてきて、イザベルはすくみ上がった。
(ほっほんとうにゆうれいが出たのかもしれない)
明かりは漏れていないし、ユリウスが起きている気配もない。なのに、彼の部屋から物音がした。
(もしかしたらユースも暑くて起きたのかしら)
耳をすますが、それっきり物音は聞こえてこなかった。ドアも開いたままだ。
彼が起きたのなら、ドアは閉まるだろう。閉まってないということは、ユリウスが起きた訳では無いとイザベルは判断した。
ちょうど廊下に立て掛けられていた箒を握りしめる。
「……ゆうれいでも、何でもかかってきなさいっ」
意気込んでドアノブに手をかけたところで中の様子が飛び込んでくる。イザベルは目を見開いた。微かにあった眠気が一気にすっ飛んでいき、目の前に広がっていた光景に大声を出した。
「ユースっ!?」
バンっとドアを開け放ち、投げ捨てた箒は盛大な音を立てて床に転がった。
イザベルは寝台横で倒れていたユリウスに駆け寄った。
「ユース、ユース! 大丈夫!?」
慌てて抱き起こそうにも、彼は脱力していて。ぐてんとしたユリウスの顔は赤く、荒い息を吐き出していた。
「……ベ」
焦点が定まらない青い瞳がイザベルの方へ向いたと思ったら、激しく咳き込み、ユリウスの覆った手から生暖かい液体が滴り落ちていく。
一瞬なんだろうかと思考が止まり、月明かりにかざしてヒュっとか細い息が漏れた。
(……血)
それは鮮やかな赤色で。
ぽたぽたと床を濡らす鮮血は、まるで命がこぼれ落ちていくかのような。
「誰か! 誰か来てっ!」
イザベルは喉が裂けてしまうほど叫ぶ。けれども今は寝静まった夜半。朝から晩まで働いていた住み込みの使用人達は疲れきり、熟睡していて彼女の声に気づく者はいなかった。
(誰も来ない。どうしよう、どうしようっ)
焦りだけが募り、うまく頭が働かない。
するとイザベルの指先が何かに掴まれた。
「……ユース?」
「だい、じょうぶだから」
掠れた声でユリウスはイザベルに伝える。
「──なわけないでしょ! これの何処が大丈夫なの!?」
血を吐いて健康な人間なんて存在しない。
「いつものこと……たえてたら……そのうちなおる」
イザベルを安心させようと無理やり笑みを作ろうとしていた。
ユリウスに喀血の動揺は見られないから、これが初めてではないのだろう。だから彼の言葉は事実なのかもしれない。けれども。
(わたしにはそんなのわからない)
ただただ怖い。今にも目の前の彼の息が止まってしまうんじゃないか。意識がなくなってしまうんじゃないかと。
「…………おとうさまを呼んでくる。待っててっ」
くるりと踵を返し、イザベルは全速力でイザークの寝室へと向かう。
ノックも無しにドアノブを捻り開け放った後、助走をつけてイザークの眠る寝台に飛び乗った。
「おとうさまっ」
いきなり上に乗られ、イザークは鈍い悲鳴を上げて目を覚ました。
「ん……ベル、悪夢でも見たのかい?」
イザベルがイザークの寝室に来るのは大抵悪夢で眠れなくなったとき。今回もそうだろうと、シーツをめくって空いている場所をポンポン叩いた。
「ここにおいで。朝はまだ来……」
「このままじゃ、ユース死んじゃう」
泣きそうな娘の声にイザークはすぐさま上半身を起こした。
「──発熱でもしたのかい?」
「ね、熱もあるけど。血、吐いて」
イザベルは汚れた自身の手とネグリジェを見せる。何が起こったのか大方把握したイザークは娘を抱き抱え、ユリウスの元へ急ぐ。
イザークは部屋に入るとイザベルを床に下ろし、熱にやられ床に伏せていたユリウスを今度は抱き上げた。
「このような状態になるまで気がつかなくてすまない。シリル先生の所へ行こう」
言えば弱く首を横に振った。
「診せ、ても。いみないです」
瞳から光が潰え、ユリウスは力の入らない左手で顔の左に触れ、歪んだ笑みを浮かべた。
「──ぼくは、のろわれた子だから」
自室となる部屋はイザベルの隣の空き部屋となり、イザベルは寝る時以外はユリウスとほとんどの時間を共にした。
彼が来た次の日は手を引いて屋敷中を案内して、その次の日には広大な庭をお気に入りの場所を混じえて紹介した。
彼は興味深々とはまではいかないまでも、気にはなるようで、きょろきょろしながらイザベルの説明に耳を傾けていた。
イザークも日中は屋敷を開けていることが多かったが、慣れるまではと出来る限り二人のそばにいて。ユリウスは新しい環境に馴染んでいった。
そんなこんなで穏やかな日々が一ヶ月が経とうとした頃。それは起こった。
◇◇◇
「…………あつぃ」
イザベルは真夜中にパチリと瞼を開けた。
薄いカーテンの先には雲ひとつない漆黒の闇に月が映えていて、朝はまだ相当先だと分かる。
「おみず……」
サイドテーブルをごそごそ手で探るが、ピッチャーは置いておらず、むむっとくちびるを尖らせた。
(普段なら置いてあるのに)
喉の乾きでもう一度眠りに就こうにも気が散ってしまう。
「仕方ないわ」
イザベルはゆっくり体を起こして寝台から出た。
「どうしてこんなに暑いのかしら」
まぶたを擦り、毎晩夜を共にするぬいぐるみを引きずりながらとぼとぼ暗い廊下を歩く。
厨房に到着し、コップに水を注ぐ。ごくごく飲んでぷはぁと息を吐いたイザベルは、口元に付着した水を袖で拭ってコップを流しに置いた。
そして行きと同じようにぬいぐるみを引きずりつつ自室へと戻る。
(早く寝なきゃお肌にも悪いし、あした起きられなくなっちゃう……)
ガタガタと風によって窓が軋む。
「ゆうれい出そうね」
ぽつりと呟いてしまうと、静まり返った廊下はイザベルの恐怖を増幅した。片手で握っていたぬいぐるみを両手で抱え直し、小走りに戻る。
「あとちょっと……あれ?」
イザベルは自室の前でぴたりと止まり、首を傾げた。
イザベルの自室はユリウスの自室の手前にあるのだが、彼の部屋のドアが半分ほど開いていたのだ。寝る間際、鍵かけるのを忘れたのだろうか。
続けざまにどすんっと鈍い音も中から響いてきて、イザベルはすくみ上がった。
(ほっほんとうにゆうれいが出たのかもしれない)
明かりは漏れていないし、ユリウスが起きている気配もない。なのに、彼の部屋から物音がした。
(もしかしたらユースも暑くて起きたのかしら)
耳をすますが、それっきり物音は聞こえてこなかった。ドアも開いたままだ。
彼が起きたのなら、ドアは閉まるだろう。閉まってないということは、ユリウスが起きた訳では無いとイザベルは判断した。
ちょうど廊下に立て掛けられていた箒を握りしめる。
「……ゆうれいでも、何でもかかってきなさいっ」
意気込んでドアノブに手をかけたところで中の様子が飛び込んでくる。イザベルは目を見開いた。微かにあった眠気が一気にすっ飛んでいき、目の前に広がっていた光景に大声を出した。
「ユースっ!?」
バンっとドアを開け放ち、投げ捨てた箒は盛大な音を立てて床に転がった。
イザベルは寝台横で倒れていたユリウスに駆け寄った。
「ユース、ユース! 大丈夫!?」
慌てて抱き起こそうにも、彼は脱力していて。ぐてんとしたユリウスの顔は赤く、荒い息を吐き出していた。
「……ベ」
焦点が定まらない青い瞳がイザベルの方へ向いたと思ったら、激しく咳き込み、ユリウスの覆った手から生暖かい液体が滴り落ちていく。
一瞬なんだろうかと思考が止まり、月明かりにかざしてヒュっとか細い息が漏れた。
(……血)
それは鮮やかな赤色で。
ぽたぽたと床を濡らす鮮血は、まるで命がこぼれ落ちていくかのような。
「誰か! 誰か来てっ!」
イザベルは喉が裂けてしまうほど叫ぶ。けれども今は寝静まった夜半。朝から晩まで働いていた住み込みの使用人達は疲れきり、熟睡していて彼女の声に気づく者はいなかった。
(誰も来ない。どうしよう、どうしようっ)
焦りだけが募り、うまく頭が働かない。
するとイザベルの指先が何かに掴まれた。
「……ユース?」
「だい、じょうぶだから」
掠れた声でユリウスはイザベルに伝える。
「──なわけないでしょ! これの何処が大丈夫なの!?」
血を吐いて健康な人間なんて存在しない。
「いつものこと……たえてたら……そのうちなおる」
イザベルを安心させようと無理やり笑みを作ろうとしていた。
ユリウスに喀血の動揺は見られないから、これが初めてではないのだろう。だから彼の言葉は事実なのかもしれない。けれども。
(わたしにはそんなのわからない)
ただただ怖い。今にも目の前の彼の息が止まってしまうんじゃないか。意識がなくなってしまうんじゃないかと。
「…………おとうさまを呼んでくる。待っててっ」
くるりと踵を返し、イザベルは全速力でイザークの寝室へと向かう。
ノックも無しにドアノブを捻り開け放った後、助走をつけてイザークの眠る寝台に飛び乗った。
「おとうさまっ」
いきなり上に乗られ、イザークは鈍い悲鳴を上げて目を覚ました。
「ん……ベル、悪夢でも見たのかい?」
イザベルがイザークの寝室に来るのは大抵悪夢で眠れなくなったとき。今回もそうだろうと、シーツをめくって空いている場所をポンポン叩いた。
「ここにおいで。朝はまだ来……」
「このままじゃ、ユース死んじゃう」
泣きそうな娘の声にイザークはすぐさま上半身を起こした。
「──発熱でもしたのかい?」
「ね、熱もあるけど。血、吐いて」
イザベルは汚れた自身の手とネグリジェを見せる。何が起こったのか大方把握したイザークは娘を抱き抱え、ユリウスの元へ急ぐ。
イザークは部屋に入るとイザベルを床に下ろし、熱にやられ床に伏せていたユリウスを今度は抱き上げた。
「このような状態になるまで気がつかなくてすまない。シリル先生の所へ行こう」
言えば弱く首を横に振った。
「診せ、ても。いみないです」
瞳から光が潰え、ユリウスは力の入らない左手で顔の左に触れ、歪んだ笑みを浮かべた。
「──ぼくは、のろわれた子だから」
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