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第二章 アルメリアでの私の日々
途切れた赤い糸
しおりを挟む「貴女のお望み通り、今後は一切近寄りません。では」
「あ」
軽く頭を下げて遠ざかっていくジェラルド様に、マーガレット王女は手を伸ばす。だが、途中で引っ込めてしまった。
両掌を白くなるほど握りしめている。加減をあと少し間違えれば、手入れされた爪が柔らかい皮膚を破いてしまいそうなほど。
「マーガレットをよろしく」
ジェラルド様はどうやら私が扉の外にいたことに気付いていたようだ。ドアの前にいた私に、彼は寂しげに呟いて、そのまま廊下の角を曲がってしまう。
私は彼を追いかけることも、へたりこんで目元をゴシゴシ擦っているマーガレット王女に駆け寄ることも出来なくて。ただ、無情にも時間だけが過ぎていく。
そのうちに小さな小さな途切れ途切れの泣き声が聞こえてくる。
「……わた……じゃ…………な、の」
漏れ出る魔力に反応して、窓が小刻みに揺れる。窓際の鉢植えに植えられていた花は急速に萎れ、枯れていく。
それはマーガレット王女の感情と呼応するように。
「だってだってだって……あな、た……がっ、どうしてっ、なん、でぇ」
天を見上げ、泣きじゃくる。拭っても拭っても指の隙間から涙は溢れ、泣き声が静寂を震わせる。
「あ、なた……の────て、は。私はっ…………不器用で……こんなことしかできないの」
両足を折り、縮こまっていたマーガレット王女はピタリと途中で泣くのをやめた。立ち上がり、ずんずんこちらに歩いてきてドアを開ける。
「ターシャ、いつまでそこにいるつもりなの」
(ばっバレた!!)
視線の鋭さに背筋をピンっと伸ばし、一時直立不動になる。
「覗いていて……す、すみません。あのっ、いきなり連れ込まれていたので、助けなきゃって」
誰であっても仲違いした現場を友人に観察されているなんて嫌だろう。私だったら恥ずかしい。いや、それよりも何で見てるんだと怒りを向けてしまう。
しどろもどろになる私に、マーガレット王女は声のトーンを落として言った。
「…………別にそれはいい。逆に見苦しいところを見せてごめんなさい」
グイッと目元を拭っている。
謝らないで欲しい。何も悪いことをしていないのだから。むしろ私の方が常識的に考えてダメな振る舞いだ。
(見なかったフリして立ち去るのが最善だったわ)
「私こそ、ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。中に入ってきたら?」
言われてしょんぼりしながら入室する。マーガレット王女はパタンとドアを閉めてから私の隣に来た。
無言の彼女に私は意を決して尋ねる。
「マーレ、ジェラルド様はマーレが彼のことを泣くほど嫌いなのだと勘違いしてましたが……本当は違うのですよね?」
普段の彼なら気がついたはずだ。だけどジェラルド様も冷静さを欠いていたから。読み取れなかっただけで、あの涙は別の意味を持っている。
「誤解を解きましょう。まだ間に合います」
「どうして? 別に解かなくてもいいじゃない」
そんなこと絶対に無い。これは、解かなければならない誤解だ。
「……マーガレット・アルメリア様も愛していらっしゃるのでしょう?」
例え、彼女のなかで何かが起こっていたのだとしても。それは変わりようのない事実のはずだから。
「愛していたら、誤解を解かないのはダメなの?」
首を傾げ、真っ直ぐ濁りのない瞳を向ける。次の瞬間、マーガレット王女は苦しそうに口を開いた。
「ねえ、ターシャは私があの人のことが嫌いなのは嘘だと疑っているけれど、憎くて嫌いな部分があるのは紛れもない事実よ」
マーガレット王女は髪留めを弄って外す。パサりと美しい髪が零れ落ち、陽光に当たって光り輝く。そんな髪を弄びながら、彼女は私から背を向ける。
「だけど、彼に抱く感情はそれだけではないの。感情がごちゃまぜのぐちゃぐちゃなのよ」
外した髪留めをポケットにしまい、窓辺に向かう。
「私は間違ってなんかいないの」
まるで自分に言い聞かせるように。
「マーレからしたらそうだとしても、これではジェラルド様があまりにも可哀想です」
「知ってるわよ。分かっててやってるんだから」
「なら、マーレがジェラルド様から同様のことをされたら……」
動作が一瞬止まった後、彼女は静かに首を横に振った。
「良心に訴えかけてくるのはやめて。押しつけないで」
空気が再び張り詰め、重くなる。
「そういうつもりでは……」
マーガレット王女は枯れてしまった花に手をかざし、魔法をかけて元に戻している。ポワッと花に光が灯り、その光量が徐々に失われていくにつれてみずみずしさが戻る。
行使される魔法を眺めつつ考える。
私はこれからの選択によって、下手したら〝死〟が待っている。マーガレット王女も、嫌がらせ等でそこまで追い詰められているのだろうか。
(そうは見えないのだけれど)
水を被っていたのを見かけたのは一度きり。もしかしたら、私の見てないところで嫌がらせを受けていたりするのかもしれないが……。
表情を無理やり取り繕っているようには見受けられないし、最近では笑っている時間の方が多い。
それに、そんな理由からジェラルド様が嫌いとは普通ならないだろう。
(もしかして、ジェラルド様のため……?)
ふと、浮かんだ「愛している」を告げられて、それでも尚、遠ざける理由。
彼女が頑なに周りの声を聞こうとしないのも、過剰に冷たい反応を見せるのも、心の揺らぎを隠すためだとしたら。突き放さないといけない何かがあるのなら。
「マーレ、もしかして」
開きかけた答えへの扉は、あと少しのところで本人によって強制的に閉じられてしまう。
何故なら彼女は私の唇を指で塞いだのだ。
「…………全部、終わったら。ターシャにだけ教えてあげる。だから、ね?」
トンっと跳ねるように私の横に来て。
「もう無理に説得しようとかしないで。私は変わらないし、変えたら駄目なの。例え悪評が立ったとしても」
ふわりと花の匂いが漂い、魔力がたちこめる。
「あとちょっとなの。もう少しで全て終わって──お願い、そうしたら私のことを馬鹿だと嘲笑ってもいいから」
私の瞳に映るのは、涙の跡が残った強ばった顔。
「マーレにそんなことしないです」
だからどうか、そんな泣きそうな顔をしないで欲しい。彼女の表情は一部の感情を無理やり押し殺したかのようで。こちらの胸が締め付けられるほど、苦しくなって見ていられない。
言葉を続ける代わりに、ぎゅっとマーガレット王女の両手を包み込む。
「どうかしら? 私でも馬鹿で阿呆なんじゃないかとふとした瞬間思うのに」
マーガレット王女は自嘲気味に笑い、優しく手を振りほどいた。
そうして視界から外れたと同時に転移する。
『婚約者ではない他の令嬢からの誘いを承諾した』というジェラルド様の噂が耳に届いたのは、週明けの事だった。
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