転送男

腸果応報

　夏の日の満員電車は、車両によっては凍える寒さだ。
　しかし、建設会社で働く巨漢ーーカスケにとっては、どこでも焦熱地獄だ。

　脂汗が目に染みる。


「……う、うん……ふぅ」
　カスケの腹が悲鳴を上げ始めた。
　昨日、聖油にも使われる油を身体に受け入れすぎたせいかもしれぬ。


「…………」
　ベルトの穴をずらし、余裕を確保。


「…………」
　カスケは無神論者。
　しかし、この日、この時ばかりは本職の司祭よりも信心深い。


「……只今、信号の点検につき列車を停めております……」

　点検なら夜間に済ませておけ。


　カスケは「制約を破る時が来た」と思った。
　限界だ。


　制約ーー腸の内容物は、カスケにとっての悪とのみ交換可能


　辺りを見渡すと、カスケよりも大柄な男が見えた。

　5mm程度の坊主頭、頬肉で支えた縁が厚いメガネ、汗の滲む着込んだワイシャツ、鯨のように逞しい腹。

ーー彼なら耐えられるに違いない

　
　先日裁いたゴドーはカスケにとっての大悪だ。

　二年下の後輩にも関わらず、己が年上だからと生意気なタメ口混じりで偉そうに指示をして来たのだ。
　リーダーでもないのに。
　ゴドーは悪だ。
　故に裁かれた。


　しかし、目の前の彼は悪ではない。
　つまり、罪はない。

　彼を裁きたい訳ではない。
　カスケは罪を共有したいのだ。

　今日だけは信心深いカスケは、心の中で懺悔し、目を瞑る。
　
　口の中に声を貯め、解き放つ。
　右手を彼の鯨のような腹へ。

「君に決めたッ！」


「……は、え？　なになに？」
　坊主頭の巨漢はカスケを胡乱な表情で見て困惑する。

「え？　……なっ！　うっ、うっ……間違えました」

「……はぁ」
　坊主頭の巨漢は、大きな身体を可能な限り小さくし、カスケから少しでも遠ざかる。
　肉の壁。
　どこかスッキリとした顔。


　
ーーおかしい

　なぜ、彼は平然としている？
　
「……ふぅ、ふぅ」
　脂汗が目を染め上げ、視界が回る。
　頭をガリガリと掻きむしり、気を散らす。
　無駄。


ーー腸内が限界を越える


「……あ、ふぅ」
　濁る空気を刺激しないように取り込む。

　裁きの刻は近い。









「あっ」

　カスケの罪が裁かれた。

　モーゼが海を割るように人だかりは、二つに割れ、カスケの周りは空いた。




　
　その日、会社は休んだ。