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19.「誰かがひと肌脱がなくちゃならねえ」
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血肉の臭いを嗅ぎつけたのか、前方の雑木林に密集していたニホンザルの数がいつの間にか増えていた。
先ほどとは打って変わって、ひたすら固唾を飲んで見守っている。島での食料は乏しく、つねに飢えてはいても場慣れしているように見えた。
「ずいぶん集まってきたな。いつ始めるんです」
「うんにゃ、そろそろ猿葬の本番だ。やるか」立ちあがった平泉が言うと、両手でメガホンをつくり、「ホッホーイ! ホッホーイ! ホッホーイ! おまえら、おりてこいよー!」と、甲高い声で叫んだ。
それを合図に、待機していた猿たちがいっせいに地面におりてきた。
ぞろぞろとやってくる。
四つん這いで走ってきて、一枚岩の中心に勢ぞろいした。
50体は超えているにちがいない。
メスをめぐってケンカしたのだろう、手負いのいかつい面構えのボス格を筆頭に、栄養不足らしいやせこけた若いオスもいるし、母猿の背中にしがみついた子もいれば、グロテスクなほど尻が赤く隆起した盛りのついたものもいた。
どの個体も本州のニホンザルとくらべ、毛が黒く、強そうに毛羽立っていた。顔もやけに赤かった。いや赤すぎた。しかも眼つきが険しかった。
猿の群れは遺体のまわりに集まった。ちょこんと座り、おとなしくしていた。
しきりに平泉の顔色をうかがい、鳴き声ひとつあげず、そわそわしている。これでも平泉をトップと見なしているようだ。統制のとれた集団だった。
「よーし、お利口にしろ。まずは死者を弔ってやるんだぞ。はい、こうして」
平泉が胸のまえで両手を合わせると、それを見習って、猿たちがおずおずと手をあわせ出したではないか。拙い動作だが、死者に対する敬いを感じさせた。
平泉は黙とうを終えると、柏手のように手を打った。
待ちかねていた猿たちが勇んで遺体にむしゃぶりついた。
飛び跳ね、上から覆いかぶさる不埒なものもいて、たちまち友之の亡骸は見えなくなった。
猿の数が多すぎて、なにがどうなっているのやら、わけがわからない。
手を真っ赤にしてむさぼり食う湿った咀嚼音だけが聞こえた。
咲希は吐き気をこらえるのに精一杯だ。
清彦は向こうを向いて、肩をふるわせている。
交野は茫然自失の体で、壮絶な眺めに釘づけにされた。
平泉は淡々と見守りつつも、食いっぱぐれた猿を肉にありつかせようと導いている。
「おれの家系は、悉平島で漁師をするかたわら、この役目をつとめてきた。おれはガキのころから、親父が同じことをしてきたのを見てきて、引き継ぐのは当然だと思ってた。べつに残酷なことをしてるとは思わない。汚らしいとも思わん。しょせん相手は仏だ。魂のなくなった抜け殻で、腐るだけの肉の塊にすぎん。ましてやここいら一帯は、気温や湿度が高く、仏の傷みが速いんだ。急速に腐っていく島民の遺体を見るのは忍びない。それを処理するのに、誰かがひと肌脱がなくちゃならねえ。だが、火葬にすりゃいいってもんじゃねえんだ。島には島の、先人の知恵が生んだやり方、伝統ってもんがある。猿に食べられることで、あの世に昇天し、晴れて来世に生まれ変われると、おれは信じてるがね。それはおおかたの島のみんなの、切なる願いでもあるはずだ」
「死体解体人……別名、猿葬師の老後は社会保障の恩恵を約束されてるの。悉平島役場が定めた、れっきとした職人さんよ」と、咲希が交野の腕にしがみついて言った。「猿葬自体が法的にも倫理的にも反してるとはいっても、暗黙の了解としてここでは通ってるわけ。過去に、なんどか廃止にするしないでいざこざがあったけど、なんらかの圧力がはたらき、そのまま続いてるのよ……」
「だからと言って、誇らしい商売だとは思わんがね。客観的に見れば、やはり野蛮すぎるかもしれん」
と、平泉は苦み走った表情で吐き捨てた。
古来よりこの島一帯では、本土とは異なる不文律が存在した。父から受け継いだ解体人も、はじめは人に言えないような葛藤があったのではないか。それが当然の島の営為であるにもかかわらず、たとえ嫌でも逆らえなかった。彼の横顔にはあきらめにも似た苦渋と、捨て鉢だがひねくれる一歩手前で踏みとどまり、毅然と生きていくことを受け容れた悟りのような色合いが読み取れた。
「やっぱり野蛮すぎるでしょ」と、交野は洩らした。
「避けて通れねえんだ。昔からおれの家系だけが継いできた。べつに望んでこの家柄に生まれたわけでもないのに、おれは20歳のときからこうやってさばいてきた。ところがおれが所帯をもつようになると、やっとこさ一人娘を作るのが精一杯ときた。いまは博多で銀行勤めをしてて、最近そこの上司と結婚を考えてるそうだ。嫁に取られたら、さすがにこっちに移り住んで、旦那に継いでもらうわけにもいくまいよ。おれの身体にガタがきたら、どうすりゃいいんだか」
「なるほど、島の過疎と高齢化は、猿葬職人の後継者問題にもつながってるわけか」
と、交野は半身を折って、平泉の仕事ぶりを見ながら言った。
そんな平泉は自虐的に鼻で笑った。
「おれを年寄りと見なすにゃ、時期が早すぎるがね」
先ほどとは打って変わって、ひたすら固唾を飲んで見守っている。島での食料は乏しく、つねに飢えてはいても場慣れしているように見えた。
「ずいぶん集まってきたな。いつ始めるんです」
「うんにゃ、そろそろ猿葬の本番だ。やるか」立ちあがった平泉が言うと、両手でメガホンをつくり、「ホッホーイ! ホッホーイ! ホッホーイ! おまえら、おりてこいよー!」と、甲高い声で叫んだ。
それを合図に、待機していた猿たちがいっせいに地面におりてきた。
ぞろぞろとやってくる。
四つん這いで走ってきて、一枚岩の中心に勢ぞろいした。
50体は超えているにちがいない。
メスをめぐってケンカしたのだろう、手負いのいかつい面構えのボス格を筆頭に、栄養不足らしいやせこけた若いオスもいるし、母猿の背中にしがみついた子もいれば、グロテスクなほど尻が赤く隆起した盛りのついたものもいた。
どの個体も本州のニホンザルとくらべ、毛が黒く、強そうに毛羽立っていた。顔もやけに赤かった。いや赤すぎた。しかも眼つきが険しかった。
猿の群れは遺体のまわりに集まった。ちょこんと座り、おとなしくしていた。
しきりに平泉の顔色をうかがい、鳴き声ひとつあげず、そわそわしている。これでも平泉をトップと見なしているようだ。統制のとれた集団だった。
「よーし、お利口にしろ。まずは死者を弔ってやるんだぞ。はい、こうして」
平泉が胸のまえで両手を合わせると、それを見習って、猿たちがおずおずと手をあわせ出したではないか。拙い動作だが、死者に対する敬いを感じさせた。
平泉は黙とうを終えると、柏手のように手を打った。
待ちかねていた猿たちが勇んで遺体にむしゃぶりついた。
飛び跳ね、上から覆いかぶさる不埒なものもいて、たちまち友之の亡骸は見えなくなった。
猿の数が多すぎて、なにがどうなっているのやら、わけがわからない。
手を真っ赤にしてむさぼり食う湿った咀嚼音だけが聞こえた。
咲希は吐き気をこらえるのに精一杯だ。
清彦は向こうを向いて、肩をふるわせている。
交野は茫然自失の体で、壮絶な眺めに釘づけにされた。
平泉は淡々と見守りつつも、食いっぱぐれた猿を肉にありつかせようと導いている。
「おれの家系は、悉平島で漁師をするかたわら、この役目をつとめてきた。おれはガキのころから、親父が同じことをしてきたのを見てきて、引き継ぐのは当然だと思ってた。べつに残酷なことをしてるとは思わない。汚らしいとも思わん。しょせん相手は仏だ。魂のなくなった抜け殻で、腐るだけの肉の塊にすぎん。ましてやここいら一帯は、気温や湿度が高く、仏の傷みが速いんだ。急速に腐っていく島民の遺体を見るのは忍びない。それを処理するのに、誰かがひと肌脱がなくちゃならねえ。だが、火葬にすりゃいいってもんじゃねえんだ。島には島の、先人の知恵が生んだやり方、伝統ってもんがある。猿に食べられることで、あの世に昇天し、晴れて来世に生まれ変われると、おれは信じてるがね。それはおおかたの島のみんなの、切なる願いでもあるはずだ」
「死体解体人……別名、猿葬師の老後は社会保障の恩恵を約束されてるの。悉平島役場が定めた、れっきとした職人さんよ」と、咲希が交野の腕にしがみついて言った。「猿葬自体が法的にも倫理的にも反してるとはいっても、暗黙の了解としてここでは通ってるわけ。過去に、なんどか廃止にするしないでいざこざがあったけど、なんらかの圧力がはたらき、そのまま続いてるのよ……」
「だからと言って、誇らしい商売だとは思わんがね。客観的に見れば、やはり野蛮すぎるかもしれん」
と、平泉は苦み走った表情で吐き捨てた。
古来よりこの島一帯では、本土とは異なる不文律が存在した。父から受け継いだ解体人も、はじめは人に言えないような葛藤があったのではないか。それが当然の島の営為であるにもかかわらず、たとえ嫌でも逆らえなかった。彼の横顔にはあきらめにも似た苦渋と、捨て鉢だがひねくれる一歩手前で踏みとどまり、毅然と生きていくことを受け容れた悟りのような色合いが読み取れた。
「やっぱり野蛮すぎるでしょ」と、交野は洩らした。
「避けて通れねえんだ。昔からおれの家系だけが継いできた。べつに望んでこの家柄に生まれたわけでもないのに、おれは20歳のときからこうやってさばいてきた。ところがおれが所帯をもつようになると、やっとこさ一人娘を作るのが精一杯ときた。いまは博多で銀行勤めをしてて、最近そこの上司と結婚を考えてるそうだ。嫁に取られたら、さすがにこっちに移り住んで、旦那に継いでもらうわけにもいくまいよ。おれの身体にガタがきたら、どうすりゃいいんだか」
「なるほど、島の過疎と高齢化は、猿葬職人の後継者問題にもつながってるわけか」
と、交野は半身を折って、平泉の仕事ぶりを見ながら言った。
そんな平泉は自虐的に鼻で笑った。
「おれを年寄りと見なすにゃ、時期が早すぎるがね」
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