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「……おい、シャーリー。今日はその、顔色が悪いのではないか?」
王立学院の談話室。ウィルフレッド王子は、隣で甘えるように腕を絡めてくるシャーリーを見て、わずかに眉を寄せた。
「そんなことありませんわ、殿下。きっと、リア様にいじめられた心の傷が、まだ癒えていないせいですわ……。シクシク」
「そうか。……だが、その服のせいではないのか? なんだか、昨日のピンクより、今日の薄紫の方が君を老けて見せているような気がするのだが」
ウィルフレッドは、首を捻った。
以前の彼なら「シャーリーは何を着ても可愛いね」と言って済ませていただろう。
だが、あの婚約破棄の夜。リアに「ネクタイの結び目が凡庸」「ジャケットのラインが死んでいる」と罵倒されて以来、彼は鏡を見るたびに自分の服のシワが気になって仕方がなかった。
「老けて……!? そんな、ひどいですわ殿下! これは今、王都で一番流行っている色なんですのよ!」
「流行り、か。……リアなら、流行りよりも骨格との相性がどうとか言っていた気がするな」
不意に口を突いて出た名前に、ウィルフレッド自身が驚いた。
婚約破棄から数日。
リアは泣きついてくるどころか、屋敷からも姿を消し、行方知れずだという。
「(あの傲慢な女のことだ。今頃、薄汚い宿でボロ布を纏い、空腹に震えながら私の慈悲を待っているに違いない)」
そう思うと、言いようのないイライラが募る。
彼は「可哀想なリアを救い出し、改めて自分の偉大さを分からせてやる」という脚本(シナリオ)を頭の中で書き上げていた。
「……よし、シャーリー。少し街を散策しに行こう。民草の様子を視察するのも、王族の務めだからな」
「まぁ、素敵ですわ殿下! デートですわね!」
二人は護衛を連れ、お忍びという体で下町へと向かった。
向かう先は、事前に調べさせておいた「リアが潜伏しているというボロ長屋」だ。
「(ふん、見ろシャーリー。あんなゴミ溜めのような場所に、公爵令嬢が住めるはずがないのだ。今すぐ僕の足元に跪かせて……)」
たどり着いた仕立て屋の前。
ウィルフレッドが鼻持ちならない笑みを浮かべて扉を蹴り開けると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「――そこ! 糸が遊んでますわよ! もっと指先に力を込めて、布の抵抗を感じなさい!」
「は、はいっ、親方!」
「私は親方ではありません、クリエイティブ・ディレクターと呼びなさいと言ったでしょう! さあ、次! そのボタン穴、〇・五ミリ左よ!」
響き渡る怒声。
そして、ガタガタガタガタと、凄まじい速度でミシンを回す音。
ウィルフレッドの目に飛び込んできたのは、ボロ布を纏って泣いているリアではなかった。
髪を乱暴に一つに結び、例の「機動戦士型」の作業着に身を包み、額に汗を浮かべながらミシンと格闘する、一人の「猛獣」の姿だった。
「……り、リア……?」
ウィルフレッドの声は、ミシンの爆音にかき消された。
「邪魔よ! 今、一番いいところなんですわ! そこのナルシスト、光を遮らないでちょうだい! 銀糸の反射が見えないでしょうが!」
「なっ……ナルシストだと!? 私だ、ウィルフレッドだぞ! 貴様を迎えに来てやったのだ!」
ようやくミシンが止まった。
リアはゆっくりと顔を上げ、心底「迷惑だ」という顔で王子を凝視した。
「……殿下。わざわざこんな埃っぽい場所まで、何の用ですの? ご覧の通り、私は今、新時代のドレスを産卵……いえ、出産している最中ですのよ」
「出産!? 貴様、何を口走って……。見ろ、シャーリーも連れてきてやったぞ。彼女の顔を見て、自分の罪を悔いるがいい!」
後ろからシャーリーが、勝ち誇った顔で顔を出す。
だが、リアの視線はシャーリーの顔ではなく、彼女の胸元で止まった。
「……シャーリー様。そのリボン。左右の長さが三ミリ違いますわね。……あぁ、気持ち悪い。見ていられない。殿下、今すぐ彼女を連れて帰ってください。私の制作意欲にノイズが混じりますわ」
「三ミリ!? そんな細かいことを……!」
「三ミリは宇宙の真理ですわよ! その三ミリの狂いが、全体のバランスを崩し、最終的には国家の品位を落とすのです! さあ、帰った帰った!」
リアはハッシとはたきを振ると、王子の顔など見向きもせずに再びミシンに向き直った。
「……き、貴様ぁ……! この私を追い返すというのか!? 後悔しても知らんぞ! もう二度と助けてなどと言っても聞かんからな!」
「はいはい、承知いたしました。……アン! 殿下がお帰りよ。塩をまいておいてちょうだい!」
「はい、お嬢様!」
「し、塩だとぉぉぉぉ!?」
ウィルフレッドは、かつてないほどの屈辱に顔を真っ赤に染め、逃げるように店を飛び出した。
「……なんなの、あの女……。狂ってるわ、絶対に頭がおかしくなっているのよ!」
シャーリーが喚くが、ウィルフレッドの耳には届いていなかった。
彼の脳裏に焼き付いていたのは、汗を流しながら何かに熱中するリアの、見たこともないほど生き生きとした瞳だった。
「(……なぜだ。なぜ、私を失ったのに、あんなに楽しそうなんだ……?)」
王子の心に、これまで感じたことのない「敗北感」という名のシミが、じわりと広がり始めていた。
王立学院の談話室。ウィルフレッド王子は、隣で甘えるように腕を絡めてくるシャーリーを見て、わずかに眉を寄せた。
「そんなことありませんわ、殿下。きっと、リア様にいじめられた心の傷が、まだ癒えていないせいですわ……。シクシク」
「そうか。……だが、その服のせいではないのか? なんだか、昨日のピンクより、今日の薄紫の方が君を老けて見せているような気がするのだが」
ウィルフレッドは、首を捻った。
以前の彼なら「シャーリーは何を着ても可愛いね」と言って済ませていただろう。
だが、あの婚約破棄の夜。リアに「ネクタイの結び目が凡庸」「ジャケットのラインが死んでいる」と罵倒されて以来、彼は鏡を見るたびに自分の服のシワが気になって仕方がなかった。
「老けて……!? そんな、ひどいですわ殿下! これは今、王都で一番流行っている色なんですのよ!」
「流行り、か。……リアなら、流行りよりも骨格との相性がどうとか言っていた気がするな」
不意に口を突いて出た名前に、ウィルフレッド自身が驚いた。
婚約破棄から数日。
リアは泣きついてくるどころか、屋敷からも姿を消し、行方知れずだという。
「(あの傲慢な女のことだ。今頃、薄汚い宿でボロ布を纏い、空腹に震えながら私の慈悲を待っているに違いない)」
そう思うと、言いようのないイライラが募る。
彼は「可哀想なリアを救い出し、改めて自分の偉大さを分からせてやる」という脚本(シナリオ)を頭の中で書き上げていた。
「……よし、シャーリー。少し街を散策しに行こう。民草の様子を視察するのも、王族の務めだからな」
「まぁ、素敵ですわ殿下! デートですわね!」
二人は護衛を連れ、お忍びという体で下町へと向かった。
向かう先は、事前に調べさせておいた「リアが潜伏しているというボロ長屋」だ。
「(ふん、見ろシャーリー。あんなゴミ溜めのような場所に、公爵令嬢が住めるはずがないのだ。今すぐ僕の足元に跪かせて……)」
たどり着いた仕立て屋の前。
ウィルフレッドが鼻持ちならない笑みを浮かべて扉を蹴り開けると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「――そこ! 糸が遊んでますわよ! もっと指先に力を込めて、布の抵抗を感じなさい!」
「は、はいっ、親方!」
「私は親方ではありません、クリエイティブ・ディレクターと呼びなさいと言ったでしょう! さあ、次! そのボタン穴、〇・五ミリ左よ!」
響き渡る怒声。
そして、ガタガタガタガタと、凄まじい速度でミシンを回す音。
ウィルフレッドの目に飛び込んできたのは、ボロ布を纏って泣いているリアではなかった。
髪を乱暴に一つに結び、例の「機動戦士型」の作業着に身を包み、額に汗を浮かべながらミシンと格闘する、一人の「猛獣」の姿だった。
「……り、リア……?」
ウィルフレッドの声は、ミシンの爆音にかき消された。
「邪魔よ! 今、一番いいところなんですわ! そこのナルシスト、光を遮らないでちょうだい! 銀糸の反射が見えないでしょうが!」
「なっ……ナルシストだと!? 私だ、ウィルフレッドだぞ! 貴様を迎えに来てやったのだ!」
ようやくミシンが止まった。
リアはゆっくりと顔を上げ、心底「迷惑だ」という顔で王子を凝視した。
「……殿下。わざわざこんな埃っぽい場所まで、何の用ですの? ご覧の通り、私は今、新時代のドレスを産卵……いえ、出産している最中ですのよ」
「出産!? 貴様、何を口走って……。見ろ、シャーリーも連れてきてやったぞ。彼女の顔を見て、自分の罪を悔いるがいい!」
後ろからシャーリーが、勝ち誇った顔で顔を出す。
だが、リアの視線はシャーリーの顔ではなく、彼女の胸元で止まった。
「……シャーリー様。そのリボン。左右の長さが三ミリ違いますわね。……あぁ、気持ち悪い。見ていられない。殿下、今すぐ彼女を連れて帰ってください。私の制作意欲にノイズが混じりますわ」
「三ミリ!? そんな細かいことを……!」
「三ミリは宇宙の真理ですわよ! その三ミリの狂いが、全体のバランスを崩し、最終的には国家の品位を落とすのです! さあ、帰った帰った!」
リアはハッシとはたきを振ると、王子の顔など見向きもせずに再びミシンに向き直った。
「……き、貴様ぁ……! この私を追い返すというのか!? 後悔しても知らんぞ! もう二度と助けてなどと言っても聞かんからな!」
「はいはい、承知いたしました。……アン! 殿下がお帰りよ。塩をまいておいてちょうだい!」
「はい、お嬢様!」
「し、塩だとぉぉぉぉ!?」
ウィルフレッドは、かつてないほどの屈辱に顔を真っ赤に染め、逃げるように店を飛び出した。
「……なんなの、あの女……。狂ってるわ、絶対に頭がおかしくなっているのよ!」
シャーリーが喚くが、ウィルフレッドの耳には届いていなかった。
彼の脳裏に焼き付いていたのは、汗を流しながら何かに熱中するリアの、見たこともないほど生き生きとした瞳だった。
「(……なぜだ。なぜ、私を失ったのに、あんなに楽しそうなんだ……?)」
王子の心に、これまで感じたことのない「敗北感」という名のシミが、じわりと広がり始めていた。
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