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「アマ・ゴールドマン! 貴様との婚約を、今この場をもって破棄させてもらう!」
王立学院の卒業パーティー。
シャンデリアが輝く大広間で、第一王子リュカの声が傲慢に響き渡った。
彼の傍らには、男爵令嬢のリリィがしおらしく寄り添っている。
周囲の貴族たちは息を呑み、非難の視線を私に向けた。
しかし、私は震えなかった。
絶望に打ちひしがれることも、怒りに顔を赤くすることもない。
私はドレスの隠しポケットから、愛用の「魔導式銀製計算機」を音もなく取り出した。
「…………」
「おい、聞いているのか! 貴様がリリィに対して行ってきた数々の嫌がらせ、もはや看過できん! 真実の愛を見つけた私には、貴様のような心の醜い女は不要なのだ!」
リュカが追い打ちをかけるように叫ぶ。
それに対し、私は親指で計算機の起動スイッチを入れた。
ピッと、小気味よい電子音が鳴る。
「……三、二、……一。はい、集計完了いたしましたわ」
私は顔を上げ、冷ややかな微笑を浮かべた。
「殿下、お話の途中で失礼いたします。婚約破棄の宣言、確かに受領いたしました。つきましては、こちらの請求書をご確認いただけますかしら?」
私は計算機の液晶画面を、リュカの鼻先に突きつけた。
「な、なんだこれは。五千万……ゴールド? なんの数字だ!」
「何の、とは心外ですわ。この三年間、私が『王子の婚約者』という不採算部門を維持するために投じた経費の総額です」
私は流れるような手つきで画面をスワイプし、明細を表示させた。
「まず、殿下との定例茶会、合計三百六十二回。その際に私が用意した最高級茶葉と菓子の代金、およびそれらを選定するのに要した私の時給を算出したものです。なお、殿下は一度も手土産をお持ちになりませんでしたので、全額こちらが負担しております」
「茶、茶会だと!? そんなものは婚約者同士の義務だろう!」
「義務であればこそ、対価が発生するのが契約というものですわ。次に、こちら。殿下の誕生日、および記念日に私から贈った品々の市場価値。あぁ、ご安心ください。すべて当時のレートで計算しておりますわ」
私はリリィの方をちらりと見た。
「リリィ様が今お召しになっているその首飾り、殿下が先月の誕生日に贈ったものですよね? それ、実は私の実家が経営する宝飾店から、殿下が『ツケ』で購入されたものです。まだお支払いが済んでおりませんわよ」
リリィの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「えっ、あ、あの、リュカ様……?」
「そ、それは……後で払うつもりだったのだ!」
「『つもり』で経済は回りませんの。さらにこちらをご覧ください。殿下が公務をサボって遊び歩いている間、私が代行した書類作成業務。公爵家令嬢としての専門的知識を要する作業ですので、コンサルタント料として一時間あたり金貨十枚を計上しております」
会場のあちこちから、失笑が漏れ始めた。
さっきまで私を軽蔑していた貴族たちの視線が、今は「支払い能力のない王子」に向けられている。
「……貴様、ふざけるな! 愛を金で計るなど、貴族の風上にも置けん!」
「愛? お言葉ですが、愛があれば未払いのツケを帳消しにできるという理論は、どの経済学書にも載っておりませんわ。そもそも、殿下と私の間にあるのは契約であり、投資です。そして本日の宣言により、この投資は『回収不能な不良債権』に分類されました」
私は計算機をパチンと閉じ、一歩前に出た。
「婚約破棄は承諾いたします。私としても、これ以上不採算な事業にリソースを割くのは本意ではありません。ですが、契約不履行に伴う違約金、およびこれまでの経費の精算はキッチリさせていただきます」
「ぐっ……、払えるわけなかろう! そんな大金!」
「あら、お困りでしたらローンも組めますわよ? 実家のゴールドマン銀行では、王族向けの特別金利(年利十五パーセント)をご用意しております」
「高すぎるだろうが!」
リュカの怒声が響くが、私は動じない。
むしろ、清々しい気分だった。
この日のために、私は夜な夜な家計簿をつけ、領収書を整理してきたのだ。
リリィと浮気をしてくれているおかげで、ようやくこの「不良在庫」を処分する大義名分ができた。
「支払いを拒否されるのであれば、王家を相手取り、公開裁判にて債務不履行を訴える用意がございます。その際、証拠資料として殿下の過去の浪費癖を記した『黒帳簿』を全貴族に配布いたしますわ」
「黒帳簿だと……!? 貴様、いつの間にそんなものを!」
「趣味ですわ。数字は嘘をつきませんから」
私は優雅に一礼した。
「それでは、パーティーの続きをお楽しみください。私はこれから、この請求書を国王陛下のもとへ届けに参りますので。……あぁ、そうそう。リリィ様」
名前を呼ばれ、リリィが肩を震わせる。
「そのドレス、私の実家の繊維工場で試作されたものですわよね? まだ未発売のはずですが……。あぁ、なるほど。殿下が私の部屋の倉庫から勝手に持ち出したものですわね。窃盗罪として上乗せしておきますわ」
「ひっ……!」
リリィは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「それでは皆様、ごきげんよう。……あぁ、今日の計算機はいい音が出るわ」
私は銀色に輝く相棒にキスをし、颯爽と会場を後にした。
背後でリュカが何かを叫んでいたが、その声はもう、私の資産価値には何の影響も与えない。
馬車に乗り込むと、私は深く溜息をついた。
「ふう。これでようやく、自由な投資活動に専念できますわ」
「素晴らしい計算力でしたね。アマ・ゴールドマン嬢」
暗闇の中から、低い、聞き慣れない声がした。
驚いて顔を上げると、馬車の向かい側の席に、見知らぬ男が座っていた。
黒髪に、射抜くような鋭い金色の瞳。
仕立ての良い漆黒の燕尾服を纏ったその男は、私の計算機を興味深そうに見つめていた。
「……どなたかしら? 私の馬車に勝手に乗り込むなんて、不法侵入による慰謝料が発生しますわよ」
私が再び計算機を構えると、男は不敵に笑った。
「私はゼノス・フォン・アステリア。隣国の公爵だ。君の『数字に対する冷酷な執着』、非常に気に入った」
彼は懐から一通の書類を取り出し、私に差し出した。
「提案がある。私と、世界を買い叩くような大きな商売(ビジネス)をしないか?」
こうして、私の「婚約破棄」という名の損切りは、予想だにしない巨大な新規事業へと繋がっていくことになったのである。
王立学院の卒業パーティー。
シャンデリアが輝く大広間で、第一王子リュカの声が傲慢に響き渡った。
彼の傍らには、男爵令嬢のリリィがしおらしく寄り添っている。
周囲の貴族たちは息を呑み、非難の視線を私に向けた。
しかし、私は震えなかった。
絶望に打ちひしがれることも、怒りに顔を赤くすることもない。
私はドレスの隠しポケットから、愛用の「魔導式銀製計算機」を音もなく取り出した。
「…………」
「おい、聞いているのか! 貴様がリリィに対して行ってきた数々の嫌がらせ、もはや看過できん! 真実の愛を見つけた私には、貴様のような心の醜い女は不要なのだ!」
リュカが追い打ちをかけるように叫ぶ。
それに対し、私は親指で計算機の起動スイッチを入れた。
ピッと、小気味よい電子音が鳴る。
「……三、二、……一。はい、集計完了いたしましたわ」
私は顔を上げ、冷ややかな微笑を浮かべた。
「殿下、お話の途中で失礼いたします。婚約破棄の宣言、確かに受領いたしました。つきましては、こちらの請求書をご確認いただけますかしら?」
私は計算機の液晶画面を、リュカの鼻先に突きつけた。
「な、なんだこれは。五千万……ゴールド? なんの数字だ!」
「何の、とは心外ですわ。この三年間、私が『王子の婚約者』という不採算部門を維持するために投じた経費の総額です」
私は流れるような手つきで画面をスワイプし、明細を表示させた。
「まず、殿下との定例茶会、合計三百六十二回。その際に私が用意した最高級茶葉と菓子の代金、およびそれらを選定するのに要した私の時給を算出したものです。なお、殿下は一度も手土産をお持ちになりませんでしたので、全額こちらが負担しております」
「茶、茶会だと!? そんなものは婚約者同士の義務だろう!」
「義務であればこそ、対価が発生するのが契約というものですわ。次に、こちら。殿下の誕生日、および記念日に私から贈った品々の市場価値。あぁ、ご安心ください。すべて当時のレートで計算しておりますわ」
私はリリィの方をちらりと見た。
「リリィ様が今お召しになっているその首飾り、殿下が先月の誕生日に贈ったものですよね? それ、実は私の実家が経営する宝飾店から、殿下が『ツケ』で購入されたものです。まだお支払いが済んでおりませんわよ」
リリィの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「えっ、あ、あの、リュカ様……?」
「そ、それは……後で払うつもりだったのだ!」
「『つもり』で経済は回りませんの。さらにこちらをご覧ください。殿下が公務をサボって遊び歩いている間、私が代行した書類作成業務。公爵家令嬢としての専門的知識を要する作業ですので、コンサルタント料として一時間あたり金貨十枚を計上しております」
会場のあちこちから、失笑が漏れ始めた。
さっきまで私を軽蔑していた貴族たちの視線が、今は「支払い能力のない王子」に向けられている。
「……貴様、ふざけるな! 愛を金で計るなど、貴族の風上にも置けん!」
「愛? お言葉ですが、愛があれば未払いのツケを帳消しにできるという理論は、どの経済学書にも載っておりませんわ。そもそも、殿下と私の間にあるのは契約であり、投資です。そして本日の宣言により、この投資は『回収不能な不良債権』に分類されました」
私は計算機をパチンと閉じ、一歩前に出た。
「婚約破棄は承諾いたします。私としても、これ以上不採算な事業にリソースを割くのは本意ではありません。ですが、契約不履行に伴う違約金、およびこれまでの経費の精算はキッチリさせていただきます」
「ぐっ……、払えるわけなかろう! そんな大金!」
「あら、お困りでしたらローンも組めますわよ? 実家のゴールドマン銀行では、王族向けの特別金利(年利十五パーセント)をご用意しております」
「高すぎるだろうが!」
リュカの怒声が響くが、私は動じない。
むしろ、清々しい気分だった。
この日のために、私は夜な夜な家計簿をつけ、領収書を整理してきたのだ。
リリィと浮気をしてくれているおかげで、ようやくこの「不良在庫」を処分する大義名分ができた。
「支払いを拒否されるのであれば、王家を相手取り、公開裁判にて債務不履行を訴える用意がございます。その際、証拠資料として殿下の過去の浪費癖を記した『黒帳簿』を全貴族に配布いたしますわ」
「黒帳簿だと……!? 貴様、いつの間にそんなものを!」
「趣味ですわ。数字は嘘をつきませんから」
私は優雅に一礼した。
「それでは、パーティーの続きをお楽しみください。私はこれから、この請求書を国王陛下のもとへ届けに参りますので。……あぁ、そうそう。リリィ様」
名前を呼ばれ、リリィが肩を震わせる。
「そのドレス、私の実家の繊維工場で試作されたものですわよね? まだ未発売のはずですが……。あぁ、なるほど。殿下が私の部屋の倉庫から勝手に持ち出したものですわね。窃盗罪として上乗せしておきますわ」
「ひっ……!」
リリィは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「それでは皆様、ごきげんよう。……あぁ、今日の計算機はいい音が出るわ」
私は銀色に輝く相棒にキスをし、颯爽と会場を後にした。
背後でリュカが何かを叫んでいたが、その声はもう、私の資産価値には何の影響も与えない。
馬車に乗り込むと、私は深く溜息をついた。
「ふう。これでようやく、自由な投資活動に専念できますわ」
「素晴らしい計算力でしたね。アマ・ゴールドマン嬢」
暗闇の中から、低い、聞き慣れない声がした。
驚いて顔を上げると、馬車の向かい側の席に、見知らぬ男が座っていた。
黒髪に、射抜くような鋭い金色の瞳。
仕立ての良い漆黒の燕尾服を纏ったその男は、私の計算機を興味深そうに見つめていた。
「……どなたかしら? 私の馬車に勝手に乗り込むなんて、不法侵入による慰謝料が発生しますわよ」
私が再び計算機を構えると、男は不敵に笑った。
「私はゼノス・フォン・アステリア。隣国の公爵だ。君の『数字に対する冷酷な執着』、非常に気に入った」
彼は懐から一通の書類を取り出し、私に差し出した。
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